第117話 はじめてのケンカ 春ルートの選択

 京介と色葉は、早乙女の予測どおり建物を出たあと、早乙女の予測どおり駐車場へ向かった。早乙女が予測したスペースに2頭の馬が駐車していた。桶いっぱいのリンゴを予測どおりこりこりとかじっている。

 京介は早乙女の予測どおりイヤな予感を覚えながら、早乙女が予測したとおりのセリフを言った。

「なぜ春は、関所で足止めを食らっているのだ」

「考えないことよ」

 会議室で京介は、早乙女の予測どおりの指使いでスマホをタップした。すると早乙女の予想どおり春が出た。春は早乙女の予測どおり、つくば北の関所で足止めを食らっているので助けに来てほしいと言った。

 そして予測どおり救出に向かうことにした。

 予測どおり鐙に脚をかけながら、京介が言った。

「だいたいなぜ、未来都市に江戸時代の関所があるのだ」

「それも考えないで」

「バカは考えるなということか。ついに本音が出たな」

「やめて。そういうの、あなたらしくない」

「なぜだ。むしろおれらしいだろう。もっとバカな質問をするぞ。日本では13世紀と15世紀を境に集落の特徴がまるで異なるのはなぜなのだ」

 色葉は無視し、周囲を見まわした。

「あれ、五月ちゃんがいない。どこへ行ったんだろう」

「一足先に宿泊先へ向かったのだ。あの未来学者と」

「なぜわかるの」

「当たり前だ。そのくらいは予測していましたよ」

 京介は悪意たっぷりに早乙女の口真似をした。色葉はなにごとか言いかけ、そのあと頭を振った。

「つくばの北口玄関に着くまでは、時間がある。ゆっくり話し合いましょう」

「なにをだ」

「話すべきことはいろいろある」

「なにを話しても、なにをやっても、すべてはやつの予測どおりなのだろう。ならば、これからはぜんぶやつに聞こう。なにをすべきか、1日何回食事を採るべきか、ビタミンはサプリメントで補うべきか。トイレの時間もだ。大と小、どちらを垂れるべきか。同時に垂れても問題ないのか。すべてを逐一たずねるべきだ」

「そうすればいいじゃない」

「顔立ちの整った優男だ。年のころは30代後半。おそらく独身なのだろう。そして料理が得意だったりするのだろう。1日交替で皿洗いなどもするのだろう。エプロン姿にきゅんと来たりするのだろう」

「なにが言いたいの? はっきり言ったほうがいいよ」

「未来学者に聞け。もうどうでもいい。なにもかもがどうでもよくなった」

 京介の放ったセリフを聞いたとたん、色葉の体から力が抜けた。

 赤の他人を見るような目で京介を見上げる。

「どうでもいい?」

「ああ」

「関東第一高校の打倒も、一億総ラノベの夢も?」

「ああ。ラノベはクソだ。あんなものはゴミだ。さんざん女の子と遊んでおいて、なにが『あの人を守れなかった』だ。脇目も振らずに修行していれば、そうはならずに済んだはずなのだ」

 もう少しで頬を張るところだったが、どうにか押し留まった。

「わたしたちはもう、後戻りできないところまで来てしまったのよ。多くの人を巻き込んだ。わたしたち〈ヒロイン〉だけじゃない。関東第一高校の不勉教信者に、ださいたま民。あなたを信じてついていこうと決心したのよ。そして、岸田京介。偉大な目的を前にしては、個人の考えや気持ちは二の次なの」

「おれの気持ちは関係ないのか」

「そうよ。たとえ死ぬとしてもね。大義を果たすのよ。それがあなたの、ラノベの使徒としての使命なんだから」

 京介は手綱を引き、愛馬とともに背を向けた。

「その使命の結末が、ラノベは捨てろ、学校へ戻れ、か」

「それは……関東第二高校設立までの……一時的な……」

「いい〈3点リーダー〉だ」

 色葉は直感した。なにか声をかけなければ、京介はこのまま立ち去り、二度と会えなくなってしまう。セリフをいくつか思い浮かべたが、どれも言葉にする前に霧散した。なんと言うべきか。早乙女ならば答えがわかるのか。

 というより。

 なぜフィルム上映のあと、京介は突然早乙女に屈服してしまったのだろうか。唐突すぎるように思われたし、それに言っちゃなんだが、あの映像の内容を理解できたとはとても思えない。都市計画専攻の大学生なら爆笑まちがいなしなのだが。

 というより。

 ラノベにおける人間関係は、もっとてきとうだったはずではなかったのか。これでは少しばかりシリアスすぎるのではないか。どうやって関係を修復するつもりなのか。ラノベなのに。ああ、そうか。このあと宇宙から謎の第3勢力が飛来するんだ。それをきっかけにして強引にヨリを戻すつもりなんだ。生命の危機に動物的本能が目覚め、突き動かされるように身体が反応し、いったんケンカを棚上げにし、互いに声を掛け合い、手を取り合って安全な場所まで走って逃げるんだ。そういうことか。

 だが。色葉の胸の奥には、仲直りなどまっぴらご免というわだかまりが、たしかに存在している。おそらく京介の中にも。

 京介を乗せた白馬が、芝生を踏み踏み遠ざかっていく。リアルに立ち去るつもりらしい。声をかけようとするも、やはり言葉が出てこない。京介は研究所構内を出て、北方面へ舵を取った。

 見えなくなったあとも、しばらく京介の行った先を見つめていた。

 ひとりになったところを見計らったように、早乙女が白衣のポケットに手を突っ込み、ぶらぶらと近づいてきた。五月も同伴している。なにかよけいなことを聞かされたのだろうか、うつむき、表情もなく、色葉と目を合わせようともしない。

 目の前に立った早乙女を見上げ、にらみつけた。

 すべては織り込み済みなのですよ、と早乙女の表情が語っていた。


   ◇


 そのころ春はつくば北側玄関前の関所構内、面番所前の板縁に正座し、妖怪めいた老婆に体じゅうをまさぐられていた。

「あたくし、出女ではないのよ。何度もゆってるけど」

「きれいな肌じゃ。きれいな髪じゃ。なんという関節の自由度。なんという導電性高分子アクチュエーターじゃ。これは証文どおり」

「人質が江戸に向かったらアホやろ」

「むっ」

 改め婆は春の顔をのぞき込み、言った。

「その鼻、証文とちがう」

「せ、成長したのよ」

「シリコンでか」

 老婆はノギスで鼻の高さを測った。

「不自然。不自然じゃ。おまえは、春ではない。偽者じゃ」

「春Mk-3です」

「そんな言い訳が通用するとでも思うのかい? むっ」

「お次はなに」

「その髪。証文には、腰まで届き、前髪はぱっつんとある。おまえの髪は、ショートヘアではないか。髪をサイドに流し、形のいいおでこを強調しているではないか。おまえは、春ではない。春Mk-3でもない。偽者じゃ」

「ヘ、ヘアスタイルくらい、変えるさ」

「なぜじゃ」

「女の子だから」

 老婆はしばらく考え込んだ。

「好きな人でもできたのかえ」

 斜め方向からの問いかけに、春のダイアフラムポンプがどくんと血液を送り出した。

「なぜ、そう思うの」

「わしも若いころは、恋をした。それはもう、めくるめく体験じゃった。詳しく聞きたい?」

 春は辞退した。

 それからあらためて考えた。なぜつくば研究学園都市の玄関前に、江戸時代の関所が存在しているのでしょうか。もちろん当人たちにたずねても無駄だ。未来にいる過去人だとすでに知っていたとしたら、このように平然と業務を執り行ってはいないだろうからだ。

 どうにかつくばへ入場しなければ。

 色葉と京介が、急接近する前に。

「ところで、あたくしの連れ、どこ?」

「MH-53ペイブロウかい? あのヘリは、門前の溜りで待機してるよ」

 たしかにそのとおりだった。門の上から心配げな顔でのぞき込んでいる。

「さて」

 改め婆は陰険そうな半眼で春の顔をじっと見つめ、最終ジャッジを申し渡した。

「ショートヘアにしたおまえを、つくばに入れるわけにはいかないねえ」

「あたくし、春でまちがいないのよ」

「嘘をおつき」

「まあ厳密には、アンドロイドなのですが」

「冷酷に追っ払う前に、教えてやるよ。あたしらは元禄15年、吉田藩から派遣された関所付役人じゃ。者頭、給人、下改、足軽、改め女など40名前後が交代制で勤務し、新居の関所で今切の通行人を検閲しておった。時は教化31年、管理はつくば藩へ移管し、つくば研究学園都市への出入りを調べるよう仰せつかったのさ。未来を不確かにする者は入れるべからず、とね」

「あたくしが、未来を変える?」

「かわいく変身したおまえさんは、つくばへ入場したとたん、ある殿方と相思相愛の仲になる。これは、入れるわけにはいかないねえ」

「ある殿方とは?」

「それは」

 老婆は言いかけ、はっと顔をこわばらせた。

「危ない危ない。もう少しでぜんぶ言ってしまうところだった。誘導尋問、というやつじゃな」

「岸田京介?」

「はうっ」

 老婆は今風に絶句した。

「あ、あたしには答えられないね。あたしはただの改め婆、未来予測はあたしの領分じゃない。専門学校しか出ていないんだよ。わかるだろ?」

「そだ」

 関所の歴史を思い出した春は、袖の下からなにかを取り出した。

「これ、ほんの気持ちです」

 南鐐ならぬ日本銀行券を1枚、手のひらに乗せた。とたんに老婆の顔色が変わった。そっと上番所をのぞき込む。役人たちはとくに気づいた様子もない。紙幣を懐に入れ、春の髪をもてあそぶ。手つきも表情も完全にうわのそらだった。

 急に腰を折り、耳元にささやいた。

「あんたがつくばに入場すると、事実上の〈メイン〉が変わってしまうんだよ。つまり、おまえさんにね」

「ほんと?」

「そして〈空気〉化した一ツ橋色葉そっちのけで、甘々の〈日常〉を延々とつづけるのさ」

「ほんまに?」

「おまえさん、〈打ち切り〉を気にして、これまでずっと想いを胸にしまい込んできたんだろう?」

「小出しにはしてきたけど」

「相思相愛になればシリーズはおしまいかい? ジャンルが途中から変わってはいけないのかい? だれがそんなルールを決めたんだい? イチャラブは常に一定のニーズがある。あまーい生活オンリーでも、長くつづけることはできるのさ。何巻でも、何巻でもね」

「でも、一部のみんなを裏切ることになるのでは」

「遠慮することはない。この婆が許可する。ふたついっぺんに許可するよ。つくばへの入場と、ラノベ自由恋愛をね!」

 老婆はにたあっと笑ったが、これまでの笑みとは意味合いが異なっているように思われた。妖怪などではなく、単にお年を召した方の笑顔に見えた。

「さあ、無能な婆のふりをして、おまえさんを通してやるよ。白馬に乗った岸田京介を見つけ、その胸に思い切り飛び込むがいい。そのあとは、ドキドキ新居探し」

「京介も、あたくし、好きだったの?」

「まちがいないね。なんたって、早乙女先生のお墨つきだからねえ! これまでの〈フラグ〉など、先生にかかればただの旗じゃ。もうひとつ、婆から忠告させてもらうよ。おまえさんに足りないのは、とってつけたような描写さ。〈桜色の唇〉とか、〈凛としたたたずまい〉、とかね。だいいちおまえさん、自分がどんな服装をしているのかも知らんじゃろ」

 春は全身を見まわした。たしかに服装がわからない。過去を振り返り、初登場のシーンからいままで服装の描写が一度もなかったことに気づいた。

「イラストがすべてを物語っている、なのになぜ、わざわざ文字で容姿や服装を描写する必要があるのか。だれも読まないというのに。じゃが書かざるを得ない。なぜなら『小説』だからじゃ。『小説』であることを無駄に気にし、ゆえに文字で描写するのじゃ。それはいい。じゃが気になったのならば、しっかり自分の言葉で描写すればいいではないか。なのにそれもせず、締め切りを言い訳に、〈テンプレ〉表現を切り貼りしてはやっつける日々。一体どっちなんだい! どこを目指しているんだい! まったく最近のラノベときたら! あたしが若いころのラノベは、もっと志があった! 物語に誠実だった!」

「お婆さん、どっちの味方?」

 老婆はハッと息を飲み、思わずラノベをディスってしまったおのれの感情を振り払うように頭を振った。

「とにかくあたしゃね、昔っから脇役びいきなのさ。さあ、お行き! そして食っちまうんだよ。2つの意味でね!」

「あ、ありがとう、お婆さん」

 春は立ち上がり、板縁から地面に飛び降りた。本当に無罪放免だろうかと疑い、3歩に1回振り返った。老婆は犬を追い払うように手を振った。そしてウインクをよこした。

「そだ。あたくしの連れも入れる?」

「連れ? ああ、あのヘリはダメ」

「なぜ」

「さあ、なんでかねえ」

 老婆が指さした。そこではヘリが、霊峰つくば山を背景に、ほぼ薪と化した御門の上に仁王立ちしていた。興奮した順番待ちの男女がどやどやと構内に押しかけ、役人と小競り合いを繰り広げている。

 まあいいか。

 春は小走りに構内を駆け、つくば北のエントランスにたどり着いた。

 クリスタルドームに長方形の切れ目が浮き上がる。

 ゆっくりと開く、その先には。

 モテない冴えないなんの取り柄もないごくふつうの高校2年生が、信じられないという表情を浮かべて立っていた。

「春!」

「きょ」

 春は次の瞬間、京介の胸に飛び込んでいた。なにをすべきか、なにを言うべきか、春の頭にはどのような算段もなかった。可能性も、〈フラグ〉も、前後の脈絡も、すべてを無視し、愛する男子高校生に下手くそなキスをした。おのれの未来、可能性のみを信じて。

 未来は答えた。

「春。おまえが好きだ。ずっと好きだったのだ」

「あ、あたくしも、す」

「みなまで言うな」

 ぐっと抱きしめられた。

 ぶちゅー。

 そして愛は時代を超える。江戸の門番はそっと目頭を拭い、青いつなぎにマフラーを着けたつくば民男性は感極まったように赤いつなぎを来た妻を抱き寄せ、満足のため息をついた。

「いよっ、ご両人!」

 未来都市らしからぬ昭和の声が上がる。それを契機に、周囲のつくば民が万雷の拍手とともに近づき、初々しいカップルを取り囲んだ。

 祝賀ムードのなか、春はうっとりと胸に頬を当てる。京介は優しく引き離し、肩を抱き、ふたりの輝かしい未来に向かって歩き出した。つくば民が拍手をしたまま脇へのける。一本の道が伸び、その先には白馬が象徴的に待ち構えていた。

 京介は勢いよく白馬にまたがり、春の手を取った。よいしょとひっぱり上げ、背に乗せた。

 春は胴に手をまわし、広い背中に頬を寄せた。

「本懐遂げて、あたくし幸せ」

「行くぞ」

「どこへ?」

「おれたちの未来へ、と言いたいところだが」

「ゆってもいいのよ」

「住宅地区へ向かう。新居が待っているのだ。ふたりきりの甘い生活も」

「では新居へー」

「はっ!」

 京介はかかとで馬の胴を力強くたたいた。反重力蹄鉄を着けた馬は20センチ上空に浮き上がり、しばらく襲歩で宙を掻いた。

 突然びゅーんと加速した。

 ふたりは国道408号を時速65キロメートルで疾駆する。学園東大通りに入ったところで、「そういえば」と春が言った。

「いろは、どこ」

 京介は答えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます