第114話 未来学者・早乙女一馬

 京介はふたりの〈ヒロイン〉をかばうように立ち、男を慎重に観察した。白衣を着た男にはいい思い出がない。男は見たところ30代半ば、細身で、丸い眼鏡を鼻に乗せ、長い髪を後ろで束ねている。ほつれた前髪が触覚のように垂れ下がっている。少女マンガに出てきそうな優しげな顔つきで、少年のような笑みを湛えている。白衣には薬品らしき染みがこれでもかと付着していた。だれがどう見ても科学者だとわかる出で立ちだった。嘘つきの政治家や利権にしがみつく官僚、教育に燃える高校教師、底力のある町工場などと同様、あまりにステレオタイプすぎるように思われる。

 色葉が男に言った。

「なぜわたしたちが、いまこの時間に来るとわかったんです?」

 男は片方のポケットから手を引き抜いた。角砂糖を手に、色葉の馬に歩み寄る。

 もこもこ口を動かす栗毛をなで、言った。

「未来学者ですので、この程度の予測は」

「ということは、あなたが、あの」

「そうですよ。ぼくがあの、最高濃度の未来を予測できる世界で唯一の未来学者です。馬での旅は疲れたでしょう。そこへさらにつくばの地でぼく捜しをさせるなんて、時間とページの無駄だ。ラノベじゃあるまいしね。あなたがたが来ることは15年も前から知っていた。ではあらためて。ようこそ、つくば研究学園都市へ!」

 自称・未来学者は色葉に手を差し伸べ、馬から下ろした。そして色葉の正面に立ち、軽く腰をかがませ、頬にキスした。色葉は驚いてあとじさり、頬を手に当て、なにをなさるのですといった表情で見上げた。つくば流の挨拶ですよと自称・未来学者が言った。五月に目を向け、はじめから気づいていたくせに「おお、こちらにも美女が。今日はなんてすばらしい日だろう」とでも言いたげなアクションで大げさに驚いた。

 色葉はなおも頬に手を当てながら、つま先立ちでつくば流の歓迎を受ける侍女を呆然と見つめた。その色葉を京介は呆然と見つめていた。

 五月が目をきらきらさせて見上げ、ハスキーな声でまくし立てた。

「わたし、男の人にキスされたの、生まれてはじめてです!」

「もちろん織り込み済みだったんでしょう? 未来予知能力者の五月さん」

 優男は早乙女一馬と名乗った。とってつけたような名前だと京介は思った。

「そしてきみは、岸田京介くん。いや、アンダーアチーバー京介と呼んだほうがいいでしょうか」

「どこでおれの通り名を聞いたのだ」

「先ほど申し上げたとおりです。わたしは未来学者、すべては織り込み済みなのですよ」

「きっとテレビで見たのだろう。そうにちがいない」

「まあ、そう思いたければ、お好きにどうぞ。ではさっそく、未来研究所へ向かいましょう。下にホバーカーを用意しています」

 自動走路脇の階段を下りる。階段は動かず、バリアフリーでもなかった。空飛ぶタクシーがあるなら階段とかなくてよくね?と京介は思った。

 車道の路肩に、赤と黄色に彩色されたブリキのおもちゃを思わせるホバーカーが停まっていた。半世紀前の人類が夢見たイオンクラフトを強引に実用化したトヨタ・プレザンだったが、もちろん京介には知るよしもなかった。

 運転席側にまわり込もうとする早乙女に京介が言った。

「いや、おれは馬で向かう。案内してくれ」

「やめておいたほうがいい。馬に乗ったら最後、いまから3分後、あなたは死ぬ」

 京介は五月を見た。うんうんとうなずいている。なぜか嬉しそうだった。

「京介様は3分後、空中スタジアム送迎用のドローンが頭上に落下し、命を落とされるんですよ」

 色葉が京介の腕に触れ、ささやいた。

「死んだら元も子もない。黙って車に乗りましょう」

「だれが死ぬと決めたのだ」

「未来学者よ」

「では未来はすべて、こいつのさじ加減ということか」

「いいから乗って」

 4人乗りのオープンカーが、幅員200メートルの幹線道路を時速200キロメートルでかっ飛んだ。やはり道路はしょっちゅう曲線を描いた。赤外線誘導と路上の磁気マーカーによって絶対に事故は起こらないのだという説明を受けた京介は、隙を突いてハンドルを奪い強引に切りたくなる衝動を必死で抑えた。

 そのあいだ別の京介は、五月の予言も含めると計6回死んでいた。心臓発作に交通事故、強引に車を止めれば対向車に轢かれ即死、べつの未来では口論のすえ早乙女に刺殺された。無駄話の流れで五月が2週間前から色葉の食事にヒ素を混入していた事実が判明し、かっとなった京介が五月の首を締めたところへ未来警官がとおりがかり凶悪犯の頭をレーザー銃でぶち抜いた。

 最終的に京介は助手席で頭を抱え、航空機における不時着時の姿勢を取っていた。

 早乙女が言った。

「文教地区へは、10分で着きますよ。もちろん、これも織り込み済みです」

「距離と速度がわかればだれでも割り出せるだろう」

 早乙女は困ったように眉尻を下げ、頭を抱える京介に目を向けた。

「どうも、ぼくたちは馬が合わないようだ」

「おれは昔から、未来を予測されるのが大嫌いだったのだ」

「まあ、じつはこのぎくしゃくした関係も、すでに織り込み済みなんですがね。好きになってくれとは言いませんよ。でもまあ、最後は友情の固い握手を交わすんですが」

「おまえは大学時代、多くの友人を失ってきただろう」

「すばらしい。さすがはアンダーアチーバーくんだ。そのとおり、ぼくには友達がいない。でもね、ぼくには大義があるんです。友達100人つくるよりも重要な仕事がある。まあ、ぼくのことは、お役立ちのツールだと思って、好きに利用してください。質問は?」

「つくば編は成功裏に終わるのか」

「はい。あなたはここつくばの地で、新たな刺客、つまり関東第一高校の教師を打ち倒します」

「どうせまた頭のおかしな教師があらわれるのだろう」

「いいえ、おかしくはありません」

「勝てるのならばだれでも構わない」

「だが勝利の代償はあまりに大きすぎた。あなたは一生消えない傷を負うことになります。心の傷か、体の傷か。いずれにせよ、戦いのあと、あなたは以前のあなたではなくなる」

「いい予測はないのか」

「ひとつ、あります。つくばで〈彼女〉とキスします」

「本当か」

「おっぱいも揉みます」

「本当か」

 色葉が京介の頭をはたいた。

「なぜおれの頭なのだ」

「軽い〈お約束〉よ。そこは『あたっ』って言わなきゃ」

「あたっ」

「いいコンビですね、おふたりとも」

「早乙女一馬よ。ひとついいか」

「なんです?」

「先ほど、おれたちが訪れるのを15年前に予測していたと言った」

「言いました」

「当時は高校生だろう。高校時代にすでに未来学を修めていたのか。それともおまえは生まれついての超能力者なのか。ユリ・ゲラーのような」

 早乙女はしばらくドライブに集中した。

「ひとつ、ネタバレをしましょうか。そもそもあなたがつくばへ来た目的は、関東第二高校の設立および運営がうまくいくのかを知るためでしたね。法学者の木村雅英を中心とした公立高校適正配置計画地域別検討協議会は、教化33年度公立高等学校適正配置計画を策定。主な意見は、こうです。関東に高校がひとつしかないのはまちがっている、だからもうひとつつくりましょう。まあ、当然ですね。設置認可に係る争点、つまり想定される地方自治体の反論は、こうです。エリートではない中学生に後期中等教育を施す意味はあるのか。人口や教員の数は条件を満たしている。ではなぜ地方自治体はしぶるのか。教育の本質は、役に立つかどうかわからない点にある。役に立つかどうかわからないものに予算は割けない。たしかに教育は大事だろう、だが現状でも日本は、うまいこといっているではないか。よくわからないが大事そうなことをつづけるには、過去から現在、そして未来へと間断なくつづく惰性の力が必要なんです。だが関東第一高校は、その流れを断ち切ってしまった。いまさらもとに戻すのか。経済は言うに及ばず、さまざまな面で社会に影響を及ぼすかもしれない。エリートではない中学生にどうにか高卒の資格を与えれば、見かけの雇用は増えるが全体の生産性は低下するだろう。つまりかつての失われた30年に逆戻りしてしまうかもしれない。それにあのラノベどもは、なんだか知らないが楽しそうにやっているじゃないか。できることなら見て見ぬふりをしたい。と、まあ、こういう問題は、理屈じゃありません。もちろん法でもない。動かすのは結局、世論なんですね。エリートではない中学生にも教育を、という圧倒的な世論の後押しが必要なんです」

「結局、設立はできるのか」

「できます。そして世論を動かせるのは、たったひとりの男」

「おれだと言いたいのだろう」

「ラノベをやめ、学校に戻れ。勉強は大事だ。信者たちにそう言って聞かせるんですよ。そうすれば必ず、ハッピーエンドが訪れます。なにをもってハッピーとするのかはさておくとしてね」

「ラノベとしては最低の結末だ」

「だが結局はそうなる。ラスト数ページのところで、あなたは心から感じるんですよ。ラノベはクソだ、勉強しよう、とね。ああ、着きました」

 早乙女の予測どおり、一行はきっかり10分後、未来研究所に到着した。

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