第108話 立ちまくるフラグたち

 そのころ色葉は、代々木屋敷で侍女を説得していた。

「お願い、〈ヒロイン〉になって。さいたま編で約束しちゃったのよ」

「知っています。ですがお断りします」

「ラノベの〈ヒロイン〉よ? いま巷で話題沸騰の、あのラノベよ? テレビで見たでしょう」

「はい。だからお断りしているのです。ラノベになるくらいなら井戸に突き落とされて死んだほうがマシです」

 応接間の内装はジョージ王朝風で、壁は繊細な織り地の水色、ダマスク柄のカーテンが窓を縁取り、詰め物をしたソファとイスが小さなテーブルを取り囲んでいる。そんな気さくでチャーミングな部屋において、〈ヒロイン〉3名と侍女1名が、気さくではない午後の紅茶の時間を過ごしていた。

 鏡板をはめ込んだドアのそばに、侍女があからさまに不満げな表情を浮かべて立っている。色葉はソファの真ん中にすわり、姿勢を正し、膝に手を添え、戸口に立つネタバレメイドを穏やかに見上げている。侍女らしからぬ鼻歌を♪トゥットゥルットゥーと歌いはじめたのを見て、色葉は眉はひそめた。

 春は暖炉のそばでかっこよく腕を組み、脚を組み、壁に寄りかかり、やり取りを眺めている。

 上原アリシャはソーサーを手に背もたれに寄りかかり、意味ありげな表情で色葉の横顔を見つめながら、カップを持ち上げ、紅茶を含んだ。

 色葉が侍女に言った。

「わたしたちの今後の予定は? 当ててみてよ」

「つくばへ向かわれます」

「なぜ?」

「つくばは未来学の総本山。未来を知りに旅立つのです」

「そう、それよ。あなたの特殊能力が、つくばでは必ず必要になる。予感がするの」

「それはそれは」

「わたしたちは、未来についてほとんどなにも知らない。未来そのものも知らないし、未来とはなにかも知らない。だって、未来学を本格的に学ぶのは3年生からだったんだから。わたしを助けると思って、お願い、このとおり」

 合掌した手を頭上に持ち上げるポーズでお願いしたが、感銘は与えられなかった。

「つくばでお嬢様は、過去と未来の現在を知るでしょう」

「えっ?」

「ポロリもしますよ」

「ネタバレはいいから。とにかく、黙ってわたしの言うことを聞くのよ。わたしは雇い主よ。路頭に迷いたいの?」

「お嬢様はお心がお優しいので、わたしを路頭に迷わせるようなことは決してなさいません」

「それはそうなんだけど」

「ほかに御用はございますか」

「行って」

 ♪トゥットゥルットゥー、テンテケテン! 鼻歌とともに退出し、ドアが閉まった。色葉はため息をついた。春がイスにすわり、それを合図に〈ヒロイン〉3名が同時にため息をついた。

「未来」

 なんとはなしに重要キーワードをつぶやいた色葉に、上原アリシャが顔を向け、言った。

「意味ありげな発言ね」

「ええ。2つの意味で意味ありげ。意味わかりますよね」

 上原は別の意味で意味ありげな表情を浮かべ、色葉を見つめた。

「ハッピーエンドはともかく、わたしたち個々人にも、それぞれの未来が存在する。それもつくばへ行けば、あっさり判明するというわけね」

「そそ」

 春が同意した。色葉は〈サブ〉のふたりに目を向けたあと、ホストとしてなるべく明るい口調で言った。

「そういえば、〈ヒロイン〉だけで会話するのははじめてですよね」

「ラノベとしては不適切なシチュエーション、そう言いたいのよね」

「そんなつもりでは」

「適切だろうが不適切だろうが、どちらでも構わない。わたしたちは、あの岸田京介の〈ヒロイン〉なのよ。いまやわたしたちは、ラノベの〈お約束〉を取りしきる立場にいる」

「そうなんですか?」

「ジョージ王朝風の応接間で、一杯の紅茶を飲みながら淑女の会話。かつての時代なら、美人編集者のひとことでまるごと没を食らっていた。〈バトル〉も〈エロ〉もなく、そもそも〈主人公〉がこの場にいない。でも、だからどうしたっていうのよ。わたしたちはやりたいようにやる」

 上原は紅茶を含んだ。

「まあ、でも、トラディショナルな〈お約束〉にも、それなりの敬意は払わないとね。ホイストでもする? いちおうあれも〈ゲーム〉でしょ? いがみ合いにはもってこい」

 手の甲を口元に添え、お上品におーっほっほっほと笑った。

 色葉は眉をひそめた。カントリーハウスの空気にあてられたのだろうか。

「いがみ合いって、なにを巡ってです?」

「いわずもがな。でしょ?」

 色葉は紅茶を含んだ。どうしてもそちらの話題に向かってしまうようだ。セリフが思いついたので口を開きかけると、上原が先に言った。

「ところで、ネタバレの侍女さんだけど」

「ええ」

「無理に連れていく必要はないと思う」

 色葉は慎重に、向かわざるを得ない話題に分け入った。

「つまり、増えるから、ですか。〈ヒロイン〉が」

「そうね、わたしは構わないけど。春ちゃんは?」

 春は答えない。表情もなく、背の低いテーブルを見つめるのみだった。

「よかれと思って誘ったまでですよ。だって〈メイド〉は、ラノベの重要な〈お約束〉のひとつでしょう」

「〈ヒロイン〉が少ないのはわかっている。貴子さんも猫に戻っちゃったしね。でも、あなたやわたしたち〈ヒロイン〉が考えることではない。それに、あの子をつくばへ連れて行くのは混乱のもとよ。未来を知りに、未来を予測できる子を連れていくなんてね」

「たしかに」

「未来学は習ってないのよね?」

「はい」

「つくばへ向かう前に、未来学の基本を伝えておいたほうがいいかも。公平を期すためにね」

 それはどうもご親切に、とイヤミを口にしかけ、色葉はぎゅっと口をつぐんだ。今年の10月で27歳になる上原アリシャは、なぜこれほどまでに自信たっぷりなのだろう。キャラもちょっとちがうし。

 自ら株を下げているようにしか思えない。

「まずは、未来学第1法則。それくらいは知っているでしょう」

 色葉はうなずき、教科書を読み上げるように言った。

「その未来は、予測した瞬間にその未来ではなくなる」

「そう。たとえば未来は、『言及』という観察によって分割される。一ツ橋色葉さんがつくばで京介くんとキスしてめでたく結ばれるとわたしが予測し『言及』する。あなたはそれを聞く。春ちゃんも聞いた。すると『言及』という未来観察行動のひとつによって、わたしの観察を観察したあなた自身も含む他者の数とそれぞれの行動様式、行動パターン、さらにはあなた自身も含む観察した他者が有する社会的ネットワークのつながりなどがあなたの未来に干渉し、分割し、未来確率を係数ぶん増加させる。さらに未来の先の未来を予測する。さらに分割する。時の流れは不可逆的よね。だから友人が多いタイプは、人生がカオスなのね。それが楽しいと思っているからこそ、つながりを求め維持するわけだけど。もし一点の未来、あなたが望む確実な未来を実現させたいのならば、決して人の話を聞いてはいけない。口にしてもいけない。『作家になる』とだれかれ構わず話してはいけないのよ。『なれるわけないだろう』という他者の予測、観察が、本人自身の行動にも影響を及ぼす。友人の友人がふらりとあらわれ、『おまえ作家目指してるんだってな。悪いことは言わない、やめておけ』となる。夢を実現する人間は、『言及』以前に、すでに行動を起こしている。そうよね? そして的確なアドバイスや大いなる手助けを受けるためには、あなた自身の一貫した行動が求められる。あなた自身が方程式なのよ。ただ人脈を増やせばいいというものではないの。ところでわたしはいま、つくばで一ツ橋色葉さんが京介くんとキスしてめでたく結ばれると予測し『言及』した。それをあなたが聞いた。春ちゃんも聞いた。つまりこれによってあなたの未来はまたひとつ、不確かなものとなった」

「上原さんもキスされるのでは?」

「その手には乗らない。だってわたしは、すでにキス済みだもの」

「いつです?」

「その手にも乗らない。ページを戻って確認しても、この事実はどこにも書かれていない」

「裏で?」

「裏も表もない。だって『した』んだもの」

「わたしもしました」

「なにを?」

 色葉は口ごもった。

 その様子を見て、上原は派手に小指を立て、おーっほっほっほした。

「あら、なにをされたかご自分の口からも言えませんの? 覚えておいて。望むべき未来のさらに先の未来に存在しさえすれば、望むべき未来はすなわち過去。過去とはすなわち事実。事実は決して変えられない。ああ、つくばへ向かうのがいまから楽しみですわ!」

 わけのわからない未来学の講義そのものによって未来が混沌と渦を巻きはじめ、結果として言いようのない不安に襲われた。色葉はぎゅっと目を閉じ、ひとまず現在を閉め出そうとした。こんなときは、過去の回想がいちばん。

 なおもまくし立てる上原のセリフがフェードアウトし、入れ替わりに電車のガタンゴトンという走行音が色葉の聴覚を包み込んだ。

 色葉は電車内にいた。これでよし。

 1週間前、ヘリでさいたまを脱出した一行は、浦安公国の浦安国際空港に降り立ち、ホテルに一泊したあと、東西線の中野行きで日本に再入国した。

 岸田京介、敏吾、〈ヒロイン〉3名、そしていまだにアイパッチを堅持する刑法学者の木村が、車両中央の昇降口付近を占領している。ラノベではない乗客は怪しすぎる連中に警戒し、次の駅で降車するふりをしてこっそり別の車両へ移った。気づけばラノベ専用車両の様相を呈していた。

 木村が手すりにつかまりながら言った。

「わたしはこれから〈大人〉たちと、関東第二高校の設立に向け準備を行う。おまえらラノベは、可及的速やかにつくば研究学園都市へ向かえ。高校の新設はうまくいくのか、失敗するのか、未来研究所で未来を確認するのだ。いいな?」

 端的で遊びのない説明に、ラノベ一同はうなずいた。

「その前に少し静養するといい。相手は未来、急いでも無意味だからな」

 回想の中の色葉が言った。

「わたしの侍女が、ハッピーエンドで終わると予言しています」

「ラノベなんだからハッピーエンドは当然だろう。だがハッピーエンドにもそれぞれある。たとえば一ツ橋色葉、おまえが途中で死ねば、おまえにとってはバッドエンドだ」

「〈ヒロイン〉は死にません」

「ならば〈空気〉化だ。おまえは高校2年生、まだ未来学は習っていないな? 未来にもレベルや濃度がある。おまえの言うハッピーエンドは、漠然とした、単射不可能な非可算集合的未来に分類される。わたしが知りたいのは、レベルゼロの正確な未来。確実な成功を収めるためには、この先なにがどうしてどうなるのか、おまえらが口にするセリフの一言一句まで、正確に把握する必要があるのだ」

「ラノベ史上最悪のネタバレになりますよ」

「わたしの知ったことではない。目標達成のためなら、おもしろくなくても構わない。そして最高度の正確な未来は、つくばでなければ知り得ないのだ」

「関東第一高校もつくばへ向かうのでは」

「言っただろう。相手は未来、急いでも無駄だ」

 上原アリシャが身を乗り出してきたので、色葉は目をしばたたき、回想を中断した。ガタンゴトンの音が奥のほうへ引っ込んでいく。

 やけにつややかな唇を開き、上原が言った。

「回想シーンは終わった?」

「侍女の予測は、非常に漠然とした予測です。つまり、未来学第2法則:濃度の異なる未来は互いに干渉しない」

「名前で呼んであげて」

「えっ?」

「『侍女』じゃなくて、名前で呼ぶのよ。もし連れていくつもりならね」

 姉のように諭され、色葉はしぶしぶうなずいた。みるみる増殖していく敵意と憎悪の感情を心のはたきでぱたぱた払い、するとその奥から、侍女を対等に扱うことに抵抗を感じる醜いおのれの姿があらわれた。色葉は戦慄した。生まれたときから使用人に囲まれ暮らしているため、貴賎の関係がナチュラルに染みついているのだ。かつてのださいたま民と同じ、無知ゆえの差別意識だ。

 侍女、ではなく、五月。あの子の名前は五月。五月、五月、と頭の中でつぶやく。どうやらつくばへ連れていくもうひとつの理由が見つかったようだ。岸田京介をめぐる水面下での戦いは、未来学を交え、わけのわからないかたちですでにはじまっている。勝利を求めているのかは、自分でもよくわからなかった。いや、勝つ。でも負けそう。だが勝ち負け以前に、ごく個人的な目標として、まずはこの根深い階級意識と決別しなければならない。いずれ家を出て、平凡な一市民として暮らす。井戸端会議に、公園デビュー。家計のやりくり。チラシとにらめっこ。未来学の専門家ではないが、色葉は確信していた。

 だれの奥さんになるにせよ、だ。

 ちなみに五月の読みは、サツキではなくゴガツだった。本人に非はないものの、軽くはずした読みはじつに今風だ。ラノベにもってこい。

 色葉は整理しきれない感情をリセットすべく、不作法と知りながらふーっと息を吐いた。暖炉に目をやる。春は背を向けて立ち、暖炉の上の鏡をじっと見つめている。鏡に映る春の顔は、やはり表情がなかった。

「春ちゃん」

 振り向いた。

「んん?」

「だいじょうぶ?」

「なにが」

「考えごとがあるみたいだけど」

「なんでもないです」

「なんでもないことはないでしょう」

「あたくし、機械だから、考えごともできるのよ。すげーだろ。は、は」

 力なく笑い、おぼつかない足取りで戸口に向かう。

「どこへ行くの?」

「〈フラグ〉立ててくる」

「このタイミングで?」

 ドアの取っ手に手をかけ、黒髪を揺らして振り返った。思いつめたような表情で色葉をにらみつけ、言った。

「あたくし、負けないから」

 バタンとドアが閉じた。

 21世紀の日本とは思えない静寂が応接間を包み込んだ。上原がカップを持ち上げ、ひとくち含み、カップを置いた。陶器の擦れる音にいたたまれなくなり、色葉は立ち上がった。非公式であれ相手が客人であることを思い出しながら、さりげなく言った。

「上原さんも、〈フラグ〉を立てに行かれては?」

 上原はおかしそうに笑った。

「わたし? わたしはもういいの。これまで何本も立ててきたから。もちろん具体的には言わない。今朝も立てた。ここ代々木屋敷へ向かう道中でも立てた。1日1旗よ」

「立てまくりですね」

「〈フラグ〉は〈ヒロイン〉の責務でもある。あなたはどう? 非難するわけではないけど、その自覚のなさ、〈メイン〉としてはどうなのかな」

 意味ありげな笑みを浮かべながらちらと目を向け、紅茶を含んだ。じつに英国風の、陰険かつ美しい微笑みだった。

 上原さん、やっぱり株を下げてますよ!

「もちろん、立てていますわ」

 思わず慇懃に答える。

「でも、いちいち他人にお伝えすることではありませんもの。先ほど上原さんもおっしゃったでしょう? 未来学第1法則ですわ」

「あら、他人だなんて。わたしはあなたを妹同然に思っていますのに」

「紅茶も終わりましたし、わたしはこれから用がありますので。失礼します」

 色葉は平静を装いつつ会釈し、唇を噛みながら退出した。表に出る。ほてった顔を風が優しくなでた。鈴なりに垂れ下がるアセビに指先を這わせ、花をひとつ折り取った。においを嗅ぎながら、どこへ向かうでもなく、園内を歩いた。

 そして色葉は見た。

 風にそよぐ美しい大木を背景に、京介と春が思わせぶりに向き合っていた。あまりにみずみずしい光景に、色葉は家政婦のように木陰に隠れた。うつむきがちに春がなにごとかを言った。京介が一歩近づく。春が思い詰めたような表情で見上げ、強い口調でなにごとかを告げる。京介は歩み寄り、春の肩に触れる。春はパッと走り去った。

 重度のネタバレになるので会話の内容は伏せるが、ともかく春はまた1本、〈フラグ〉を立てたのだった。

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