第5章

つくば研究学園都市 過去と未来と現在の今でしょ

第106話 職員会議みたび 忍者の過去学

「佐藤! てめえこの野郎!」

「ロリコン教師! 娘に手ェ出したんだろ!」

「太田! てめえインフルくらいで休んでんじゃねえよ! 陽太(仮名)の将来、潰す気か!」

「欠席日数取り消せ!」

「今宵はまたいちだんと、ペアレンツたちが落ち着きをなくしているようですな」

「親御さんなど放っておきなさい。それよりも、われわれは最近、職員会議ばかり行っているような気がするのですが。どう思いますか、佐藤先生?」

「申し訳ございません」

「手を出したのですね?」

「お言葉ですが、15歳の高校1年生が対象の場合、ロリコンとは呼ばないものです。だれもが知っていることだ。ええ、だれもが知っていることなんですよ!」

「手を出したのですね?」

 フード越しに頭をかいた。

「ええまあ」

 教頭はため息をついた。

「岸田京介の言うとおりかもしれません。たしかに先生方は、〈青春〉のすべてを勉学に捧げた結果、大切ななにかを学び損ねてきたのかもしれない」

「そんな、教頭先生まで」

「いずれにせよ、会議、会議では、みなさんの授業と研究に差し障ります。ここはわたしが」

 ローブ姿の一同がざわめいた。

「まだ教師は大勢残っている。次はこのわたしめにお任せください!」

 ひとりの教師が立ち上がり、防護用ローブを派手に脱ぎ捨てた。7歳でプレートテクトニクスを完全に理解し、発生確率0パーセントの地震警報システム(鳴りっぱなし)を24歳の若さで開発し、超高層建築の歴史に名を残す大著『地震を気にしないという建て方』(関東第一高校出版会)の著者でもある、あの建築地球学者・三浦だった。

 身長は2メートル20センチほどだったが、その代わり顔が3つ、腕が6本あった。

「いや、このわたしをぜひ!」

 もうひとりが立ち上がり、ローブを脱いだ。直立したワニであること以外これといった特徴はなかったが、大ベストセラー『他人任せの看護学概論』(関東第一高校出版会)は200年後も読み継がれるであろう名著だった。

「わたしが」

「いいや、このわたしが」

「すべては関東第一高校のため!」

 次々と立ち上がり、ローブを脱ぎ捨てる。いろんな姿形をしてはいたが、教育への揺るぎない信念はどんなふつうの教師にも負けないのだ。

 教頭はそっと目頭を押さえたあと、言った。

「まだわからないのですか。あなたたち全員をひとりずつ登場させていったら、原稿用紙1万枚あっても足りないでしょう」

「そういうことですか」

 なんとなく納得し、全員ローブを着て席に収まった。

「校長は怒っている。聞こえますか、港区、いえ、関東第一高校の嘆きの声を」

 教頭の言う「嘆きの声」が比喩だとわからなかった数人が実際に耳を澄ました。

「ちなみに林先生は、昨日付で自主退職となりました。社会的信望もなく、教員の職務以外の熱意と識見を持った男。もともと教師としては不適格でした。そもそもわたしは、あの男を雇ってもいなかったのです。あれを見なさい」

 目隠しに猿ぐつわを嵌めた男が、コウモリの糞まみれになりながら地べたに膝をついていた。

「だれです、あの男は」

「東京スポーツの記者です」

「マスコミが疑いだしたのですか」

「だれでも気づきます。ユニクロオンラインは崩壊し、平日引きこもっていた150万を越える無能階級男女が、突如社会にあふれ出し、声を上げはじめた。ラップを歌いはじめた。そしてあろうことかラノベを手に、『関東第一高校はまちがっている』と叫びはじめた。関東第一高校外縁ではデモが行われ、校内に侵入し、生徒にちょっかいを出す者まであらわれた」

 ざっくり現状を説明したあと、教頭は記者に顔を向け、言った。

「あの連中は、ただのハロウィンです。そう記事に書きなさい」

 東スポの記者は、うめきながら激しく首を振った。しっかと目を開き、顔を上げ、真正面から教頭をにらみつける。

 ラノベとプロレスは相通ずるところがある! そう思いませんか、みなさん!?

「では仕方がない。林先生、やっておしまい」

 記者の髪の毛がぐっと持ち上がった。あからさまに不自然な七三分けが、記者の頭の上で奇妙な上下運動をはじめた。

 東スポの額から血が流れる。もちろんブレード・ジョブなどではない。

「が、が……っ」

 記者の頭が髪毛に貪り食われていく。

「プ、プロレス、万歳」

 どさり。

「あ、あのカツラは…………もしや…………!」

「やめなさい。学校構内での〈長すぎる3点リーダー〉は、わたしが許しません。このネタもだいぶマンネリ化してきたようですが、それはともかく、林先生は大人として、立派に責任を果たした。ゲノム編集など、わたしにとっては造作もないこと。カツラ人間を創造することだってできる。そうでしょう、林先生?」

 カツラがピィ、と鳴いた。血まみれ惨殺死体から離れ、カサコソとどこへか逃げていった。

 教師のひとりがごくりと喉を鳴らした。もはやゲノムうんぬんの域を超えていると思ったが、もちろん口には出さなかった。

「わがラノベ学の構成論的ご都合主義によって、すべてが可能となる。必要なのは豊かな想像力、そしてページをめくるたびにあふれ出す想いなのです。そして岸田京介は、これまでのラノベ体験、ゴリゴリのラノベ社会構築主義的実践により、いまやわたしに匹敵するほどのラノベを身につけた」

「まさか」

「さて、ラノベ学とはなにか? 最後の戦いの前にどなたか、わたしの経歴をコンパクトにまとめていただけますか? いらっしゃらない? では自分で。わたしは8歳で東京大学理学部を卒業後、テネシー大学工学部原子力工学科大学院修士課程、同大学理学部物理学科大学院博士課程をなんとなく半年で修了いたしました。その後助教授職を転々としましたが、あまりの退屈さに帰国。半年間のふつうの女の子ひきこもり期間を経たあと、まったく新たな研究科を設立しようと考えた。それこそが日本女子大学大学院ラノベ学研究科! どの女の子も募集に応じてくれませんでしたが、そこはそれ。あまりに先を行きすぎていた、ということですね。わたしはひとり孤独に、ラノベ学の真の成立を目指し、理論を構築していった。そうして確信した。ラノベ学はすべての分野を統べ、すべての学問の頂点に立つ、すべての人間行動の原点なのだと。ラノベとはすなわち、無にして有、バカにして頂点。つまりわたしと岸田京介のことですね。生き別れの双子、アポロとディオニソス、もっと言ってしまえば運命のふたり。そのふたりが運命の出会いを果たすことで、えっと、とにかくラノベ学が完成を見る。もちろん世界スケールで〈バトル〉を繰り広げたのちにです。そのあいだに何度か『い、いつまでつかんでるのよ……』『は?』『む、胸……』とかいう展開になる」

「後半の意味がよくわかりません!」

 ひとりが手を上げ、実直に言った。

 教頭は答える代わりにフードを下ろした。さっと頭を振り、手ぐしで整える。

 銀色の髪が松明の灯りを受け、宝石のようにきらめいた。

 小ぶりな唇をへの字に曲げ、一同を見まわす。

「さあ、よくごらんなさい。これがラノベ、これこそがラノベの最高傑作。永遠の15歳にして最強の髪色を持ち、そのうえロシア人とのクォーター。そして自分で自分の美貌をアピールしてしまいがちな性格の悪さ」

「性格の悪い美少女は男にとって永遠の憧れ!」

「その欠点が美を際立たせる!」

「きっとさびしいだけなのだ!」

「点数稼ぎはやめなさい、佐藤先生。事務職への配置換えは決定済みですよ」

「申し訳ございませんでした」

「ラノベ学を究めたわたしは、20年前、自ら永遠の15歳となった。なぜか?」

「なぜでしょう」

「それはともかく、やはり先生方にラノベの教育と矯正は無理です。優秀だからこそラノベに寄せきれず、〈お約束〉や〈テンプレ〉の洪水にうんざりしたところ隙を突かれ、敗北に敗北を重ねる結果となった。クソラノベには神ラノベを。男の子には女の子を。ラノベ学の権威であるわたし自らが、いまこそここで、岸田京介を、その、えっと」

「教頭よ」

 天井から声が聞こえた。

 教師全員が面を上げる。

 全身黒装束の男が、フルーツコウモリ数匹と仲良くぶら下がっていた。

「あなたの美しい手を汚すわけにはまいらぬ」

 教頭は水色フレームの眼鏡をかけ、天井を見上げた。

「おお、これはこれは。歴史学の飯塚先生ではありませんか」

 教師がざわめいた。

「あ、あれが、飯塚」

「現代に生きるリアル忍者。噂には聞いていたが」

「2時間で新書をやっつけるという話は本当なのか。森博嗣50人分だぞ」

「勝てる。今度こそは勝てるかもしれない」

 黒装束の教師は空中で2回転し、腕を組んだままパイプイスにどさりと収まった。

「さよう。執筆速度こそ、その者の知力体力を測るうえでもっとも適した基準。知力はすなわち体力、体力はすなわち知力。どちらが欠けても、ベストセラーは望めぬのだ」

「わたしが戦う流れだったんですけど」

 教頭がおうかがいを立てるように言った。

 飯塚は無言で腕を組んでいる。

 教頭はため息をついた。

「それで、歴史学でどのように岸田京介を打ち負かすつもりですか、飯塚先生?」

「教頭よ、歴史学ではなく、過去学と呼んでいただきたい。歴史学は、すでに過去のもの。なぜなら歴史は、まるごと拙者のものだからだ。わかりづらければ、歴史学の歴史学と呼んでもよい」

「よけいわかりづらい」

「カーいわく、歴史は過去と現在とのあいだの尽きることを知らぬ対話である。なぜタイムマシンなどで過去へ戻ることが不可能なのか。その者が戻ろうとする過去とは歴史であり、歴史は現在なくしては存在し得ないからだ。時の流れという発想がそもそもまちがっておる。時は流れない。そもそも時は存在しない。惑星の運動、春夏秋冬、暦に年齢、動きつづける秒針。われわれ物質は運動をつづける。運動するからこそ、瞬間が生まれる。そして時の概念は生み出された。話が逸れたので、本題に戻ろう。さて、過去を変えるにはどうするか。簡単なことだ。過去は現在が決定する」

「従軍慰安婦問題とか?」

「例えは悪いがそのとおり。そして拙者のような名のある学者が、累計2億冊の販売部数を誇る学者が、あることないこと書いて本を粗製濫造することで、どのような過去も改変できるのだ。拙者を敵にまわせば、どのような大物政治家とて無事には済まない」

 教頭先生は身を乗り出してたずねた。

「鎌倉幕府の成立を1192年に戻せる?」

「その程度は造作もない」

「日本の官僚制の歴史も?」

「そこはデリケートな問題が絡むので、なるべくなら避けたい」

「意中の男性と付き合っていたことにもできる?」

 よくわからない質問だったので、飯塚は眉間に深いしわをこしらえた。

「意中の男性とは」

「なんでもありません。ただの例え話です」

 こほん、と咳払いした。

「ですが、飯塚先生。正直言って、わたしは不安です。ひとつはあなたが忍者だからです。ラノベと親和性が高すぎでは?」

「拙者、忍者であることを恥じてはおらぬ」

「そういう意味ではなくて」

「なにを恐れておる。すべては過去、すでに拙者の掌中ではないか。あのようなクソラノベ、左手でもリライト可能じゃ」

「まあいいでしょう。正直、教師なら腐るほどいますから。ですが失敗は許しません。失敗したら、どうなるかわかっていますね。あなたは一生、ペアレンツの餌係です」

「青木や林と一緒にしないでほしい。拙者、岸田京介をひとつも侮ってはおらぬ。IQ88000の拙者であっても、運命のいたずらや、そのとき歴史が動いてしまったなどの理由で、負けることはある。まさに歴史が物語っておる。まあ、その歴史も書き換えてしまえば済むことなのだが。青木や林は、負けて当然だった。おのれの能力を過信し、歴史を軽んじておった。わが祖国・日本には、先人のすばらしい教えがあるではないか。歴史を知り、かれを知り、おのれを知れば、百戦危うからず、と」

「それは中国のことわざでしょ」

「いいや、もともとは日本のことわざだ。気になるならググってみるとよい」

「どっちでもいいです。さっそく過去の改変とやらをお願いしますよ。本当にできるのなら」

「必ずや、岸田京介を矯正してご覧に入れよう」

「いいえ! もはや矯正など望んでいません。とにかくあの男を、わたしのもとに連れてくるのです! あとはわたし自らが、岸田京介を、えっと」

 教頭は下を向き、もじもじしはじめた。

「教頭よ、どうされた」

「とにかく連れてきなさい」

「御意」


   ◇


 会議を終え、教師が全員退出したあとも、教頭はひとり洞窟内に残っていた。

 ため息をつき、イスからぽんと飛び降りた。鉄のポールをえっちらおっちら登り、洞窟を抜け、突き当たりの重い鉄扉を「よいしょ、よいしょ」と開け、旧下水道を標識どおりに進み、鉄の梯子を登り、四畳半の反省室へひょこっと頭を出した。

 ハッチを閉め、畳をもとに戻し、職員室を抜け、廊下を歩き、教頭室に入った。

 ローブを脱ぎ、ハンガーに引っかけ、ソファにうつ伏せで倒れ込んだ。

 はぁ疲れたとぐったりしたあと、弾かれたように起き上がり、ハンガーにかけたローブのポッケから生徒手帳用の写真を取り出した。

 気合い入りまくりの岸田京介から目を離さないまま、ソファに浅くお尻を乗せた。

 じっと見つめる。軽く内股になり、太ももをさすった。

「京介」

 ぽつりとつぶやいた。

「京介。京介」

 ソファにまるくなった。

「許さない。許さない。絶対に許さないんだから…………っ」

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