第104話 ハプスブルク砲で世界人類みな兄妹

 そのころ林は、リアルくさいたま新都心にいた。

〈妹〉の手を取り、連絡橋を走る。合同庁舎2号館の2階正面玄関から建物内に駆け込み、記帳台で受付票に必要事項を記入し、受付へ提出し、セキュリティゲートを抜け、階段を駆け上がった。

 林が息を切らしながら言った。

「ここまで来ればだいじょうぶだ。あのクソラノベどもは、永遠にログアウト不可。これからおまえのおっとり病を治療するからね。腐れ量子力学病をゲノム編集で打ち破るんだ」

「な、なぜはじめから、そうしなかったの」

「ラノベだからさ、と言いたいところだが、ちがう。この方法は、あまりにも危険が大きいからだ。最後の手段なんだよ。わかるかい」

「それもけっこうラノベよ」

「そうだ。なにをやってもラノベ。どこへ行ってもラノベ。あっちもラノベ、こっちもラノベ。ラノベ、ラノベ、ラノベ。ぼくらはラノベから逃げられない。ぼくら人間は、ラノベの遺伝子を受け継いでいる。ぼくのDNA、ぼくの細胞、ぼくのタンパク質、ぼくの酵素、ぼくのミトコンドリア。ぼくらはラノベになるために生まれてきた。ルソーはまちがっていた! 人間はバカなんだ! なぜならベースがラノベだからだ! だがいまの世の中はどうだ? いっそのこと、すべてをラノベにしてやる。『自然に帰る』んだ! おまえの治療と合わせ、日本の国民全員を強制的に兄妹にしてやる!」

「なぜ国民全員なの?」

「怒りにわれを忘れているからだ!」

「それもラノベよ」

 塔屋2階から屋上に出た。鉄製の階段をかつかつと駆け上がり、ヘリポートに出る。おしっこ臭のする風を受けながら、林はみゆきを肩に抱き、合同庁舎1号館の赤い通信用アンテナを力強く指さした。

「あのハプスブルク砲で、世界人類みな兄妹となるのだ!」

「ど、どういう原理なの?」

「説明しよう」

 林は説明した。読みたくない、原理などどうでもいい、はやく話を進めろ、という賢明な読者諸君は、豊かな読書体験を犠牲にしたうえで読み飛ばしていただいても構わない。


   ◇


 ハプスブルク砲は、最後の手段にしても手が込みまくっていた。国には重粒子線治療施設だと嘘をつき、しかも建屋の改修工事から装置の設計、製造、その後の整備点検も含め、現在までに200億円近い費用をかけていた。頭が狂っているとしか思えない所業だったが、言うまでもなく林の頭は説得力充分に狂っていた。

 各省庁も移転を渋るみんなに不人気のくさいたま新都心は、だれにも気づかれないままゲノム編集人工ウイルス製造施設として生まれ変わっていたのだ。

 合同庁舎1号館に設置されたハプスブルク砲は、ボタンひとつで赤く怒張し、力強く律動し、林率いるラ・ブレノガルジー社が開発した人工ウイルス、その名も妹ウイルスを社会に放出する。まき散らされたあとのウイルスは、もちろんヒトに感染する。宿主の体内に侵入した妹ウイルスは、エンドサイトーシスによって細胞内に取り込まれる。この時点での妹ウイルスは男にまったく興味・関心がないので、宿主が男性の場合、細胞への吸着を拒否しつづけて死ぬ。女性の細胞内に潜り込んだ妹ウイルスは、増殖のため、妹ウイルス自身のRNAを鋳型とし、mRNAを合成する。だが妹ウイルスはポリメラーゼがドジなので、自分のコピーだけでなく宿主のDNAまで複製してしまう。50%だけ。

 そうして女性の遺伝情報を抱え増殖した新生・妹ウイルスは、飛沫を介し、満を持して大好きなお兄ちゃんに感染する。その時点ではまだお兄ちゃんではない。だが妹の愛が、感染者をお兄ちゃんにしてしまうのだ。細胞内では巨大なハサミを持った妹酵素が男性のDNA鎖をぶった切り、デリートし、外来遺伝子を50%ぶんノックインする。これでめでたくふたりは兄妹となる。

 そしてある日、ふたりは出会う。運命の導きによって。

 出会い方は兄妹によってさまざまだが、ストーリーの途中では必ず遺伝子診断が行われる。大恋愛→驚愕の事実→葛藤。そもそも兄弟姉妹とはなんなのか? 〈妹〉とは? 民法上は傍系2親等の女性、遺伝学的には共有率50%の関係、医学では両親と同じ一度近親。兄妹とは結局、つくられた概念でしかない。

 なぜ〈妹〉と恋をしてはいけないのか? チョメチョメしてはいけないのか?

 すごい好きなのに?

 てかもうしちゃったんだけど?

 その道徳的葛藤そのものが熱い。熱すぎる。同じ遺伝子を50%共有しているという事実も熱い。火傷してしまいそうなほどに。そしてみんな〈妹〉がもっと大好きになる。

 慧眼な読者は、もし感染した男性がコピー元の女性よりも年下だった場合はと疑問に思ったことだろう。まったく問題ない。DNAのメチル化具合で相手が年下だと判断した妹ウイルスは、その場で自爆して宿主を残忍に殺害するからだ。


   ◇


 みゆきは肩を抱かれながら、倫理やべえな、と思った。

 林はポケットをまさぐり、小さな箱状の物体を取り出した。アンテナを伸ばす。赤い大きなボタンが1個ついている。トラディショナルな遠隔起動スイッチだ。

「すべての準備は整った。あとはこの、赤い大きなボタンを押すだけで、関東じゅうに妹ウイルスがまき散らされる。ぼくらが真っ先に感染しよう。もう一度兄妹になるんだ。そうすればおまえのおっとり病はリセットされるはずなんだ」

「せ、説明より、はやく押したほうがいいよ」

「だいじょうぶ。おまえがぼくの姉になるまでは、まだわずかだが時間がある。なに、だれも止めに来たりはしないさ!」

 そのころ合同庁舎2号館には、いろいろな人物が止めに来ていた。

 全身アベイル@しまむらグループの衣装に身を包んだ上原アリシャが、屋上へつづく階段に身を屈め、ときおりミーアキャットのように首を伸ばしてはヘリポート上の様子をうかがっていた。

 林の狂った哄笑が風に乗り、くさいたまじゅうに渦を巻いている。

「これが現実だなんて」

 思わずつぶやく。

「しまむらモデルに一体なにができるというの。いいえ、なにもできない」

 反語を口走った、そのとき。

 何者かの手が背後から肩に触れ、上原は悲鳴を上げた。

 振り返った次の瞬間、上原は京介に抱きついていた。

「偶然ばったりだ、アリたんよ」

「偶然ばったり」

 京介は抱擁を解き、あらためて上原を見る。オトナかわいいスカラップ襟のカットソーに花柄のスカートにサンダルという、この場に完璧にそぐわない出で立ちだった。相変わらずしまむらおしゃれを楽しんでいるらしい。

 上原はさいたま女子について京介に語った。

「腐った女子の話なら、おれも無能階級から聞いた」

「いまは腐っていない。あの子たちは生まれ変わった。オタ女がじつはかわいいというあるあるは、真実だったのよ。いま新都心にいる」

「なぜくさいたま新都心にいると」

「管理者に聞いたのよ。夜景の見えるレストランでのディナーと引き換えにね」

「きみの瞳に乾杯するのか」

「ううん。わたしの心はあなたのものよ。これからもずっと、永遠に」

「ラノベに戻ってきてくれるのか。つまり、おれの〈ヒロイン〉に」

「よく考えたら、さいたま編が終わればモデルをつづける必要はまったくなくなるのよね。思わせぶりなことをあれこれ言っちゃったけど」

「それでこそのアリたんだ」

「京介くん、愛してる」

 階段下に何名かがつっかえているような気配を感じた。気配のひとりは咳払いした。

 京介はアリたんの手を離し、あらためてヘリポートへ目を向けた。

 林はヘリポート中央で、合同庁舎1号館と赤黒いハプスブルク砲を背景に、なにがそんなに楽しいのか両手両足を広げて相変わらず哄笑している。遠隔スイッチを右手に持っていた。

「あのスイッチを奪えばいい」

「その流れだと、林は〈妹〉さんを人質に取るでしょうね。80年代のハリウッド映画みたいに」

「そうだ。だがハリウッドもルーツはラノベ。ハリウッドにハッピーエンドが可能なら、当然ラノベにも可能だ。ラノベはいちばんすげえのだ。もちろん、プロレスの次にだが」

「いちばんなのはいいとして、どうするつもりなの」

 そこへ三毛猫を抱いた色葉が、上原を見上げて言った。

「猫は全員ログアウトした」

 小太り眼鏡の中年猫を抱いた春がつづけて言った。

「無能階級も」

 京介のシャツの首元から、黒白の子猫がぷほっと顔を出した。あー苦しかったと目を白黒させ、それから非難するように京介の胸をたたいた。

 猫を抱いていない上原が見まわして言った。

「猫がどうかしたの?」

「さいたま編の仕上げは、おれたちではない。ふたつの虐げられた者たちだ。あれを見るのだ」

 京介は不穏に曇るネズミ色の空を指さした。するとちょうどいいタイミングで、ビル北側からMH-53ペイブロウがぬらりと姿をあらわした。そのまま垂直に上昇し、やや右側に機体を傾けながら前進し、ヘリポートの3メートル上空に静止した。謎の荷を吊り下げている。気流は不安定だったが、心の病を克服したヘリに恐れるものはなにもない。

 林はぎょっと顔を上げ、しばし身を固まらせた。

 木村がキャビン後部扉から身を乗り出し、林を見下ろしている。

 虫取り網を振りまわしながら林が叫んだ。

「木村! なんなんだよおまえ! ここはおまえが出てくる場面じゃないんだよ! どんだけ出たがりなんだ! 邪魔をするな! 押すぞ! 赤くて大きなボタンを押すぞ!」

「林よ! おまえはその制御不能な行動により、関東第一高校の、いや、すべての教育者の評判を失墜させた! だがここはリアル世界、暴力に訴えるつもりはない。降伏するならいまのうちだ」

「相変わらずセンスのかけらもない格好だな! ださいアイパッチだ!」

 木村はルガーの銃口を向け、リアル日本国内でリアルに発砲した。

 リアルにヘリから飛び降りようとしたところを、敏吾が背後から押しとどめた。

「脚を折りますよ! 作戦どおり、ぼくらは脇役として時間稼ぎをし、仕上げはさいたまの連中に任せるんです!」

「無能になにができる。なにもできない、だからこその無能だろう」

「あまり無能無能と言わないほうがいいですよ。そうして他者にレッテルを貼り、おとしめ、一体なにを証明したいのかという話です。だれがどこでなにをしていようと、実害さえなければどうでもいいじゃありませんか。ぼくは、このさいたま編で気づいた。社会には、いろいろな人間がいる。そして異なる人間に対しては、寛容になる必要はない。理解する必要もない。愛する必要ももちろんない。ただ黙って我慢すればいいんです。ぼくという存在だって、だれかが必死で我慢しているかもしれない。ちがいがあることを知り、互いに我慢し合う、それが成熟した社会と呼ばれるものなんだ」

「またひとつ学んだようだな」

「新たな公立高校の設立を考えているんですよね」

「そうだ。おまえら17歳は後先考えずラノベを楽しみ、関東第一高校を壊滅に追い込もうとしているが、祭りの後処理はどうする。〈大人〉には責任がある。この一連の狂騒のあとは、関東の高校生、そして教師は、かつての時代に逆戻り」

「やっぱりラノベが好きになったんだ」

 木村は答える代わりに、刃渡り15センチ以上の刀剣をすらりと抜き放ち、林に叫んだ。

「覚悟!」

「ダメです! 悪目立ちだ!」

 そして今年45歳になる木村は、キャビンから3メートル下のヘリポートへリアルにダイブした。青春よ、もう一度。中空で大上段に振りかぶり、林めがけて振り下ろす。

 林はローリングでエスケープした。着地と同時に刃先がアスファルトをたたいた。

「もはやこれまで!」

 這いつくばりながら、赤くて大きなボタンに手のひらをたたきつけた。

「みゆき! たとえ背中から耳が生えてきたとしても、ぼくはおまえを愛するぞ! ぼくらは永遠の兄妹なんだ!」

 木村は立ち上がった。かっこよく振り向き、合同庁舎1号館へ目を向ける。通信アンテナが赤黒く怒張し、どくどくと脈打ちはじめた。

 ヘリは衝撃を予測し、わずかに顔を背けた。

 木村も腕で顔を覆った。

 なにも起こらない。

 ハプスブルク砲からは、妹ウイルスどころか1本のRNAも放出されなかった。


   ◇


 林が赤くて大きなスイッチを押す30分前、ネルシャツを着た150万の男たちが、自宅の市営住宅を出て、くさいたま新都心に集結した。いまやVR労働者ですらない無能階級は、くさいたまスーパーアリーナ、くさいたま赤十字病院、そして合同庁舎1号館に侵入し、設置された一見なんかすごそうに見える装置を、文字どおりフルボッコにした。コードがあれば引き抜き、またはハサミでちょん切り、ロボットアームに斧を振り下ろし、視察した文部科学副大臣がシンクロトロンだと信じて疑わなかった妹ウイルス合成装置を殴ったり蹴ったりした。ボタンがあれば押しまくった。将来への不安を破壊行為によって晴らそうとした。開発に込められた研究者たちの熱意や情熱、集められた技術の粋など知ったことではなかった。

 破壊しながら、無能階級は自らに問いかけた。無能になにができるのか? なぜ無能ではいけないのか? なぜ無能と呼ばれるのか? 無能は生きていてはいけないのか?

 言われなくても気づいている。生まれの卑しさ、どうしても克服できないねじくれた性格を。成功体験の欠如により、なにをやっても3日とつづかない。どうせ自分はダメなんだと考え、そして本当にダメになっていく。これからどれだけ努力を重ねたとしても、トータルではやはり負けだろう。負けたまま死んでいくのだろう。人間は平等ではない。

 だが今回は勝ちだ。その事実は揺るがない。

 勝ちは勝ちだ。このあと死ぬまで何度負けようとも。

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