第103話 服を着て脱ぐだけのお仕事 ユニクローネとは?

 京介は色葉と春と貴子さんをヘリに案内した。キャビン後部扉のスロープは、敏吾の仕事によって中途半端に毛布で覆われている。中へ入るよう指示し、それから並んで立つように言った。

 3人が並んで立つ。毛布はちょうど女の子の胴体を隠す高さに張ってあったが、太腿から下および鎖骨から上は丸見えだった。

 3人の〈ヒロイン〉を指さし、言った。

「はじめるのだ」

 貴子さんが恥じらいもなくブラウスを脱ぐと、1.4東京ドームをはるかに凌駕するどよめきが起こった。内藤哲也が5人同時に入場すればこれに匹敵する歓声が起こるだろうか。

 黒のブラジャーを外し、外に放った。きょとんとして下々を見下ろす。そのコケティッシュな表情に、さらに観客はどよめいた。

 京介はブラを拾い上げ、観客に呼ばわった。

「無能階級労働者、いや、ださいたま民たちよ! 女の子が着用した古着が欲しければ、100ユニクローネぽっきりで販売しよう! 手持ちが足りなければ、牛丼屋を襲撃してでもかき集めてくるのだ!」

「おお!」

 色葉が春にささやいた。

「もうラノベを完全に越えてる」

「おまえ、文句、大杉」

 春が脱ぎはじめると、別の方面から歓声が起きた。

「ここ、〈VR〉世界よ。現実とちがう。だから、脱いでも、貞操は保てる」

「そうかなあ」

 色葉が両手でめくり上げるようにニットを脱ぐ。おお、と感嘆の声が上がり、ブラジャーにも覆い隠せない、または覆い隠すつもりがない胸の谷間があらわれた。

 顧客がワンブロック消えた。切望のあまり量子的に跳躍してしまったのだろう。

 そして3人の〈ヒロイン〉は、洋服を着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返し、価値を創出した。京介と敏吾は使用済みのユニクロを売りつける。顧客も学習し、熾烈な値段交渉がはじまった。相場が安定すると、ブローカーがあらわれた。ゼニのにおいを嗅ぎつけた〈ナール〉の男は、春のブルマをプロの目で定め、プロの鼻でくんくんと嗅ぎ、正体不明の汚れを拡大鏡で念入りに調べ、指を何本か立てる。京介は無言でうなずく。使用済みユニクロ古着市場は爆発的に拡大し、勃興から1時間ですでに中国製の偽物が出まわりはじめていた。

 かわいい女の子が身につけていた衣類を、悲しみに満ちた男どもに法外な値段で売りつける、かつてこのような商売を考えついた者がいただろうか?

 否!

「ちょっとでものぞいたら訴えるからね」

「のぞいたらγガンマ線照射するぞ」

「ワイヤレスブラですね。少々お待ちください」

 痩せた胸にサーモンピンクのワイヤレスブラを身につけた貴子さんの横顔を、色葉は驚きをもって見つめた。自信に満ちあふれている。これだけの汁がしたたる男どもを前にしても、物怖じするどころか楽しんでさえいた。これがわたしの生きる道、いわば天職を見つけたかのように。

 受注生産品を渡す。受け取った男は心の底からうれしそうに笑顔を向けた。

「ああ、ありがとうございます! 大切にします!」

 貴子さんは首をわずかにかしげ、言った。

「わたし、かわいいですか」

「かわいいです! 猫はかわいい!」

「ずっと応援してくださいね」

 にこっと笑い、手を差し出し、握手した。

「や、やめろ! それ以上、衣料品を売るな!」

 もちろんだれにも聞こえていなかったが、都内某所で山野辺が叫んだ。華麗にキーボードを打つはずの手はだらりと垂れ下がり、いつまで経っても動こうとしない。呆然と32Kモニターを見つめるのみだった。

 震える手でマグカップを取り、ウイスキーを含んだ。

 思い出したようにスマホに飛びついた。異様に熱を帯びている。振動しっぱなしだったのでいつしか環境音に成り下がっていたようだ。着信履歴を表示する。頭からケツまでユニクロの大名行列だった。

 さすがに気づかれたなあ。

 抹殺されるかもしれないなあ。

 なぜ山野辺は抹殺されなければならないのか? 長々と説明しよう。何度もしつこく言っているように、ユニクロオンライン上の通貨ユニクローネの数量は常に一定に保たれている。新たな中卒がアカウントを取得し、新たな広告主が媒体であるユニクロオンラインに広告を出稿してはじめて、通貨量は増加する。

 そもそもユニクローネとはなんなのか。

 岸田京介は以前、こんな疑問を口にしていた。

「なぜユニクロは、わざわざユニクローネなるオンライン通貨を採用するのだ。ログアウト後に直接カネを払えばいいだけの話だろう」

 広告主にとってはゲーム内通貨ユニクローネなど完璧にどうでもよく、とにかくユニクロが労働者に支払った円を毎週確認できさえすればいい。だが週ごとの支払いを受けるのは個人だ。京介はもちろん個人情報の保護に関する法律も経済産業省のガイドラインも知らないが、個人の全収入がすべての広告主に筒抜けになるのはどう考えてもまずいことはわかる。支払いの事実を最も確実に確認できる方法は、個人情報と合わせた給与振り込み明細の提供だ。京介はもちろんオプトアウトについてもなにひとつ知らないが、給与はいわゆる要配慮個人情報に該当する。無能階級労働者の同意を得るか? もちろんほとんどが考えもなしにサインするだろうが、それは裏返したかたちでの「ユニクロオンラインでしか働けない者」に対する強要または脅迫にあたってしまう。アメリカ人弁護士ならよだれを垂らして喜ぶ「穴」だ。

 個人を特定できないかたちでの提供、すなわち当該週の給与支払いの合計であれば問題ないように思える。だがそのようなペラ一の報告で、果たして広告主は納得するだろうか。信用するだろうか? なにをもって信用しろと? いやいや信用してくださいよ。てかほんとは払ってないんじゃね? そんなわけないでしょうが。まあまあ一杯どうぞ。おっとっと。

 商売の本質は信用だ。そして法はまた別の問題。お互い落とし穴にはまらないよう、事前にきっちりと約束事を取り交わさなければならない。商売の妨げにならないように。

 通常の広告モデルであれば、ターゲットである購買層は新聞や雑誌などの媒体を購入する。もしくはアホ面でテレビCMを眺める。だがユニクロオンラインのモデルにおいては、広告媒体そのものが購買層を雇用しているのだ。考えれば考えるほど、広告主が支払いの事実を確実に知るのは不可能に思える。給与の支払いではなく購入ベースでの報告はどうか。媒体としては「御社の発泡酒は今週1缶も売れませんでした」と報告するのは気が重い。明確な効果測定はWEB広告の強みだが、外資ではないユニクロや電通はこういった明確さを嫌がる。まあまあ一杯どうぞ。おっとっと。

 ではユニクローネの支払いログデータはどうか。為替レートを明かさなければただのオンラインゲーム上の財産でしかない。だったら個人名と合わせて報告しても問題はないのではないか。

 ではそのユニクローネとは一体なんなのか。

 あらためて問う。ユニクローネとはなにか。それこそ勝手に増やしたり減らしたり、レートを変えたり、来週からユニクローネを廃止して新通貨リテーリングを採用したり、山野辺がふざけて牛丼を通貨にしたり、とにかくオンライン上では、管理者の思うままだ。通貨が通貨であるためには、取引者どうしの信用がなければならない。貝殻だろうが紙切れだろうがただの偏光だろうが、取引者どうしが信用し使用すればそれが通貨だ。ユニクロと無能階級労働者のあいだにおいては、ユニクローネは通貨だ。信用をもって円と交換できているから。だが広告主にとってユニクローネはただの貝殻であり紙切れであり偏光だ。ユニクロを信用する? それでは話が堂々巡りだ。今日はきれいどころを呼んであります。おい、そろそろはじめてくれ。

 ゆえにユニクローネが広告主にとっての「通貨」となるためには、広告主が信用する絶対的ななにかと1対1で紐づいていなければならない。その「信用」とはなにか。もちろん円ではない。ユニクロオンライン管理者自身も手を出せないという事実、つまりオンラインゲーム上の仕様によってそれはようやく担保される。

 思い出してほしい。管理者は、貴子さんの口噛み酒を消せなかった。消せるのならば、これもだいぶ前の話だがホームレス時代NPC少女が施した鮭のクリームシチューのようにあっさり削除できたはずだ。

 なぜ酒を消さなかったのか。消せなかったのか。

 口噛み酒は、カルカンと、唾液と、酵母による「組み合わせアイテム」だ。マインクラフト的な。

 もし組み合わせアイテムが管理者の管理外にあり、とある組み合わせアイテムがユニクローネと1対1で紐づけられているとしたら。

 プレイヤーすなわち無能階級労働者自身がオンライン上でなにかを組み合わせ、それに対しユニクローネが自動で発行されるとしたら。

 これでようやく、広告主はユニクローネを通貨として信用することができる。支払ったユニクローネで報告を受けても問題はない。きれいどころも必要ない。

 ではプレイヤー自身が組み合わせるなにかとはなにか?

「なぜユニクロは、わざわざユニクローネなるオンライン通貨を採用するのだ。ログアウト後に直接カネを払えばいいだけの話だろう」

 京介の疑問に、当時の色葉はこう答えた。

「ただのギャグかも」

 もしかすると、そうかもしれない。

 ユニクロだから、ユニ、みたいな。


   ◇


 色葉のヒートテックキャミソールを抱きしめ頬ずりしていたださいたま民が、「あっ」と声を上げた。「あっ」の声は方々から聞こえた。

「どうしたのだ。感極まるのは自宅へ帰ってからにするのだ」

 京介の手近にいた男が、必死の形相でブラウスを抱きしめ、叫んだ。

「ダメだ! これはぼくの古着だ! 週給ぜんぶはたいて買った、色葉様のブラウスなんだ!」

 色葉様のブラウスに一瞬、ノイズのようなものが走った。透過度が上昇し、存在そのものが薄らいでいく。男はさらに抱きしめた。

「イヤだ! 一度も使っていないのに!」

 男の執念が勝った。ブラウスは存在を取り戻し、その高貴なにおいを取り戻した。

 肩にブラ紐を乗っけただけの色葉が、興奮気味に叫んだ。

綿本位制だったのよ!」

 京介は振り返った。

「やはりギャグだったのか!」

「衣料品メーカーだからよ! ゴールドとしての衣料品すなわち『綿』がユニクローネと紐づき、価値と信用を保障していたのよ! もっと服を売りつけるのよ! 衣料品つまり『綿』自体を1ユニクローネ以上で販売すれば、1対1の対応は崩壊する! ユニクロのシステムは破綻よ!」

「そして強制ログアウトだ」

 色葉はパンツを脱ぎ、力強く掲げた。その歓声の大きさと規模はもはや新日本プロレスがらみでは例えにならない。

「このパンツが欲しければ、ありったけのゼニ、持ってこいや!」

「おお!」

「やめてくれ。やめるんだ」

 山野辺が死人のような顔で言った。これで週末には、上司とふたりで釣りに出かけることになるだろう。もちろん休暇などではない。船は沖合に出る。船には屈強な船乗りが同乗している。なぜか全員外国人だ。

「やめろー。衣料品を売るのはやめろー」

 京介はやめなかった。


   ◇


 古着販売の噂を聞きつけたださいたま男子が、それぞれの働く工場からぞくぞくと集結する。そして無能階級労働者の約91%が「未成年女子の使用済み古着を購入したことがある」にイエスまたは購入を検討したことがあると答えるころになると、〈VR〉空間そのものが揺らぎはじめた。

「〈VR〉時間は現実よりも密度が濃いはずよね」

 ノイズまみれの色葉が言った。京介は処理落ちしながらカクカクとうなずいた。

「必ず間に合う。林をすんでのところで食い止められる。なぜならおれたちはラノベだからだ。それよりログアウトの衝撃に備えるのだ」

 京介はおのれの手を見た。テクスチャーがどんどん劣化し、指のあいだがくっつきはじめた。

「これで、さよならですね」

 ポリゴン剥き出しの貴子さんが京介に近づき、自信に満ちた表情で見上げ、言った。目を細め、誘うような笑みを浮かべ、肩に手をまわし、抱きついた。

「ありがとうございます」

 口にキスした。切歯がチクリと触れた。京介は驚いて貴子さんを見下ろした。

「服を着て脱ぐだけのお仕事。人生って一体、なんなんでしょう」

 京介は優しく、だがきっぱりと抱擁を逃れた。

「ユニクロオンラインが閉鎖になれば、あなたは猫に。おれのことは、忘れてしまう」

「じゃあ、わたしのこと、飼ってください。いいですね?」

 まさにごろにゃんとまとわりつく。

「当初とキャラがだいぶ異なるようだが」

「あなたのおかげです。あなたはわたしに人生を与えてくれた。ただの猫ではなく、居酒屋の女将でもない。わたし自身の可能性を教えてくださった」

「可能性とはなんだ」

「アイドルです。わたし、みんなのアイドルになります。だってかわいいから」

「かわいいというだけの理由でアイドルになれるほど現実は甘くないと思う」

「わたしは生まれも育ちも秋葉原。あの学問と書籍の街を、アイドルと猫の街・秋葉原に変えてみせる! それがわたしの使命だと気づいたのです。ピンでダメなら、集団で! 47匹の雌猫とともに、必ずアイドルブームを巻き起こすと約束します」

「路上ライブには駆けつけよう。そしてあなたのために、サイリウムを振りまわすと約束する」

「康さんは雑用係で雇います」

 敏吾がグローブのような手を京介の肩に置いた。

「もうすぐログアウトだ。りんびょう先生との最終決戦だぜ」

「その前に、無能階級に話がある」

 すでに140万を越える古着愛好家たちが、中山道との交差点を中心にゾンビのようにあふれかえっている。処理は限界を越えている。

「口噛み酒や使用済み古着は忘れるのだ! あらためて自己紹介する。おれはラノベの使徒、モテない冴えないごくふつうの高校2年生、アンダーアチーバー京介という! おまえらはこれから、リアル現実でリアルに生きていかなければならない。どのように生きていけばいいのか、おれには答えられない。おまえら自身で見つけ出せ、と偉そうなことも言えない。だがその前に、おれに力を貸してほしい」

「なにをしろと? いや、現実世界で、ぼくらに一体なにができるのか」

「ラノベだ!」

「ラノベ?」

「ラノベだ! ラノベで大物に反抗するのだ! おまえらは負け組と蔑まれ、負けを認め、いまのいままで負けつづけてきた! だがおまえらに問いたい、一度でも戦ったことはあるのか、と! 戦わずして負け、負けつづけてきたのではないか、と!」

「現実は厳しい」

「だがラノベは厳しくない! ラノベでなら勝てるのだ! どんなにモテない、冴えない、なんの取り柄もない、おれたちのようなごくふつうの人間でも!」

「ラノベの週給はいくらですか」

「まずは活動することなのだ。活動することではじめて、収入への道が開けるのだ。それが起業家精神というものなのだ! 人生という会社での雇われは、もううんざりだろう! これからは、おのれ自身の手で生きていくのだ!」

「つまり、ラノベで…………」

「そうだ。いい〈3点リーダー〉だ。おれの見立てどおり、おまえらには素質がある。オンライン上で働き、猫をいじめる代わりに、今後の人生すべてをラノベに捧げるのだ!」

「そのラノベなら、エリートどもに、ぎゃふんと言わせられるのか」

「勝ち組を驚かせるのだ。斜め方向から驚かせるのだ。どんな卑怯な〈チート〉を使おうと、自分だけに都合のいい〈異世界〉に転生しようと、勝ちは勝ちだ。ウハウハだ。そのうえ女子にもモテモテ。事実、ラノベになれば、街なかで女子にしょっちゅう声をかけられる。女子高校生のサイン攻勢がすごすぎて変装なしでは外も歩けないほどだ」

「ぼくみたいなデブでも」

「そして最終的には、声優さんと結婚できるのだ!」

「あ、あの声で」

「毎朝、目覚められるのか…………………………………………っ!」

「そうだ! それ以上の幸せが今生に存在すると思うか!」

「ない。断じて」

「おれたちは勝つ!」

 見まわし、叫んだ。

「勝つ!」

「勝つ」

「おれたちは勝つ! さあ、おれについてくるか! それとも負けたまま死ぬか!」

「ついていきます!」

 約140万人がいっせいに叫んだことで、〈VR〉空間が本格的に崩壊しはじめた。嵐のようなすさまじい処理落ち、そしてフリーズ。プレイヤーはハッと顔を上げた。部屋にいる。さいたまの市営住宅。マウスを手に、パソコンデスクにすわり、モニターを見つめている。現実。厳しい現実。目の前でゲームが崩壊する。プレイヤーは必死でマウスを動かした。タスクマネージャを開いた。そしてあきらめたようにため息をつき、電源ボタンに手を伸ばした。

 宇宙の終わりのように世界が消えた。

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