第102話 ログアウト不可!

 おふろ cafe utatane を飛び出した京介は、さっそく林を見失った。

 中山道との交差点に立ち、360度見まわす。さいたまらしい見晴らしのよさにもかかわらず、林兄妹の姿はどこにも見当たらない。

 少し離れたところで、敏吾が背を向け、曇り空を見上げていた。

 京介はいつもの調子で声をかけようと2歩ほど歩み寄り、それからケンカ中であることを思い出した。肩につっかけた貴子さんのジーンズのにおいを嗅ぎ、風呂桶に入れた貴子さんのブラウスのにおいを嗅ぎ、あいだからのぞく春のパンツを見つめた。

「あーあ」

 敏吾が聞いただけで生きるのがイヤになるため息をついた。つられて京介もため息をついた。するすると降りてきたステータス画面を手で払い除け、ゆっくりと親友に近づき、声をかけた。

「敏吾よ」

「なんだ、京介よ」

「おまえは、ずっとそこにいたのか」

 敏吾は横顔を見せ、うなずいた。

「なぜ〈混浴〉に参加しなかったのだ」

「忘れたのかい? ぼくは〈親友〉だ。〈親友〉は、〈混浴〉には参加しない。そういうものだろう、ラノベってのは」

 京介は咳払いし、言った。

「〈親友〉は、たしかにそうだ」

「そうだろう」

「そのとおりだ」

 京介は曇り空を見上げ、すべての思いを振り払うように叫んだ。頭を振り、ため息をつく。再びステータス画面がするすると降りてきたので、一喝して追い払った。

「おれたちは、仲直りすべきだ!」

 敏吾が振り返った。

「男どうしの友情は、なにものにも代えがたい。男の友情を失うくらいなら、おれはラノベをやめる。女など、〈ヒロイン〉など、男の友情に比べれば」

「ラノベの使徒が言うセリフじゃないな」

「わかっている」

「ぼくも頭に血が登りすぎていたようだ。考えてみれば、賢いラノベの〈主人公〉なんて存在するわけないものな」

「仲直りだ」

「いいぜ」

 固い友情の握手を交わしたあと、敏吾は満を持して焦った。

「こうしている場合じゃない。りんびょう先生は、ついさっき、ぼくの目の前でログアウトした! いまはリアルさいたまにいるはずだ!」

「リアルさいたまでなにをするつもりなのだ。たしか、〈妹〉の雨を降らせると言っていたが」

「とにかくぼくらもログアウトするんだ!」

 色葉と貴子さんが追いついた。春はどこだと京介がたずねた次の瞬間、おふろ cafe の屋根をブチ破って春が登場した。中空でくるくる回転し、京介の目の前に着地した。

「パンツ返せ」

「パンツはあとだ。敏吾よ、ログアウトの方法は知っているか」

 敏吾はうなずき、股間をかいた。

 全員が股間をかいた。

「ちがう。いまのはかゆかったからかいただけさ。ログアウトは、こうする」

 敏吾は突然、感情の制御が効かない若者のように頭をかきむしった。

「うぜえ!」

 全員が頭をかきむしり、「うぜえ!」と叫んだ。

「あーもう死のっかなー!」

「死のっかなー!」

「働きたくねー」

「働きたくねー」

 京介はログアウトの衝撃に身構えたが、ネガティブな空気が〈VR〉空間を満たしただけだった。

 敏吾が唇をわななかせて言った。

「〈ログアウト不可〉だ!」

「「「「なにぃっ?」」」」

 残りの全員がわざとらしくおののいた。

 そこへのぞき見していた無能階級労働者がぞろぞろとあらわれた。つづけてのぞき見できなかった無能階級労働者約40000名が四方八方からゾンビのように出現し、京介一行を取り囲んだ。のぞき見できた者がのぞき見できなかった者に〈混浴〉の様子を興奮気味に語り、その興奮はネットワーク効果によってまたたく間に伝播した。

 京介と敏吾は同時に腰を割り、互いに背を預け、拳法の達人を思わせるポーズを取った。ださい約40000の顔すべてに、女の子という異世界の生物に対する動物的な憧れと羨望の感情がにじみ出ている。京介は気づいた。かつての憎しみの感情、無学ゆえの狭量な価値観は、すでに表情から消えている。

 お風呂効果によって。

 約40000人の意味ありげな眼差しを受け、色葉と春はオーディション中のアイドルのように身をよじらせた。

 京介は無能階級に呼ばわった。

「おまえら、ログアウトの方法は知っているか!」

 約40000人が一斉にうなずいた。そしてそれぞれが思うところの生きるのがイヤになる理由を口にした。

 だれひとり消えなかった。

「ログアウトできない」

「な、なぜ」

 そのころ都内某所では、その理由がくだを巻いていた。

「あ、あれ、出ないな。着拒かな。アリたーん。なんで出てくれないんだよー。ぼ、ぼくの話を聞いてくれよー。好きなんだ。入社時、ひと目見たその瞬間から」

 ぐらぐら揺れる視界に、泥酔頭でもはっきりとわかる異様な光景が飛び込んできた。

 アリの大群のように見える。

 天を見上げ、口々に死にてーなどと叫んでいる。

 山野辺は甲高い含み笑いを漏らしながら、蒸留酒をマグにとぽとぽ追加した。

「みんなどうしたんでちゅかー? かわいそうでちゅねー。ログアウトしたいでちゅねー。一体どうすればいいんでちゅかねー。バーカ。バーカバーカ。ぼくがログアウト不可と言えば、おまえらはログアウト不可なんだよ! なぜならぼくは管理者、おまえらの神だからだ! かーみーなーんーだーよぉ! それにしてもさっきのお風呂、すごかったな。もう一度やってくれないかな。お願いしたらやってもらえるかな。神だしな」

 京介が言った。

「このままログアウトできなければどうなる」

「餓死ね」

 京介は意味もなく貴子さんのジーンズを嗅いだ。それからなぜ自分はことあるごとに意味もなくジーンズをにおいを嗅ぐのかと自問した。

 そのとき。

 圧倒的なひらめきに、京介の両目が通常の1.7倍の大きさに見開かれた。

「これでログアウトできる! しかもすべての〈伏線〉を回収しながら!」

 京介はかぶりつく勢いで敏吾に耳打ちした。敏吾はすぐさまうなずき、それから親友ふたりは仲良くヘリに駆けた。

 酒瓶ケースを抱えたふたりが戻ると、10.9両国国技館のようなどよめきが起こった。

「いまさら口噛み酒?」

 色葉の質問に、京介は答えた。

「在庫を抱えていても仕方がないだろう」

「林先生は、リアル世界でなにかを企んでいるのよ? 企みが成功したら、しばらくあの先生を相手にすることになるのよ?」

「それがイヤすぎるからこそのひらめきだろう。ユニクロオンラインそのものを破壊すれば、強制ログアウトだ」

「いまからすべてのユニクローネをかき集めるなんて無理よ」

「賢いおまえに聞く。1ユニクローネ札を買うには、いくつのユニクローネが必要だ」

「融資でもするの? だから時間が」

「では服はいくらだ」

「無料。たぶん」

「おれはユニクロに感謝している。『とりあえずユニクロ』という選択肢があるからこそ、対極に位置する高級ブランドがより一層光り輝く。そのじつ、どちらもただの布だ。布きれに価値を与える人間の知恵、金儲けしたいという欲望は、すばらしいと思っている」

「なにが言いたいの?」

「この口噛み酒は、いわば貴子さんブランドだ」

「付加価値ね」

「貴子さんの唾液と酵母によって、カルカンの価値が跳ね上がったのだ。偽物だが」

「それで?」

「これはなんだ」

 貴子さんのスキニージーンズを広げ、色葉に見せた。

「古着」

「ちがう。これは貴子さんの履いたジーンズだ。ただの財ではない。希少な、価値ある財なのだ。なぜいままで気づかなかったのだ。おれはおのれの商才のなさを恥じる」

 色葉は右斜め上を見た。

「イヤな予感がしてきたんだけど」

「ではその予感を抱えたまま、〈ヒロイン〉3人で着替えタイムに突入するのだ。お客様が待っている!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます