第94話 必要とされない者たち

 ところで、酒は依存を引き起こす。WHOに言われるまでもなく、酒は立派な薬物だ。ではなぜ神は、人類に酒を与えたもうたのか。それは飲んで気持ちよくなるためである。それ以上の理由は必要ない。

 京介一行は法を遵守し口にはしなかったが、貴子さん秘伝の口噛み酒はすべての点において、例のパクリ元を凌駕していた。ひとくち飲めば、マイルドで口当たりよく、まるで貴子さん本人にキスされたかのよう。ふたくち、みくちと飲み進めれば、やがて天にも昇る心地よさ。しかもどれだけ飲んでも二日酔いにならない。

 欠点があるとすれば、ヘロイン級の依存性があることくらいだった。

 翌日、アリオ上尾の南側ウェルカムゲート前で店開きをしていると、就業時間内であるにもかかわらず、男が数名、ゲートから出てきた。周囲をうかがいながら、身を縮めるようにして近づいてくる。

 ひとりがユニクローネを差し出し、ささやいた。

「酒、あるか」

 色葉が無表情で答えた。

「もちろん。60ユニクローネいただきます」

「昨日より値上がりしてるじゃないか」

「原油の高騰よ」

「そんなバカな。いや、60ユニクローネなら、いいや。払うよ」

「それだけじゃ売れない。昨日の罵倒を、美佐子ちゃんに謝って」

 短パンを履いたフェリスの少女が、ゴザにあぐらをかき、切れ長の目でじっと男を見つめている。男は猫を見るや、嫌悪に顔を歪めた。これまでの主義主張は簡単には翻せないのだ。たとえ主義主張と呼ぶに値しない、低程度のポリシーであっても。

 結局、ヘロイン級の依存性が主義主張に勝った。

「悪口を言ってごめんなさい」

「いいのよ」

 美佐子ちゃんが大人の対応で肩をすくめる。男はバッタのように何度も何度も頭を下げ、やがてなにかに背を押されたかのようにごめんなさいを加速度的に繰り返し、堰を切ったように泣きはじめた。

「ごめんなさい。本当は、猫は、くさくない。全然くさくないんだ。むしろいいにおいだ。ただ、意見を声高に言うことが、かっこいいことだと思っていて、それで」

「あなたのは意見でもなんでもない。ただの暇つぶしよ。はい、お酒」

「あ、握手は」

「美佐子ちゃんか貴子さんとどうぞ」

「その、あ、あなたと、したいんですが」

「追加で15ユニクローネいただきます」

 1週間が経った。酒は順調に売れている。京介一行は訪れる無能階級労働者に頭を下げさせ、貴子さんと握手させる。女の子のやわらかな感触が、差別意識をじょじょに溶かしていく。そうして一行はひとりの若者の心を正し、ひとりの薬物中毒者を生み出したのだった。

 だが、読者諸君は安心していい。ここは〈VR〉世界。すべては虚構なのだ。

 47人のパート猫に給与の支払いを終え、少年少女窃盗団にお駄賃を渡し、色葉は残りの4万4800ユニクローネを金庫に入れた。言い値で販売できるうえ、原材料費は無料。ボロ儲けだ。そのうえ4名新規顧客を紹介すると、好きな売り子との15分間のミートアンドグリートが実現するのだ!

 在庫の確認をするまでもなく、今後予測される需要の指数関数的急増に対し、酒は足りない。カルカンはださいたま地区に保管されているが、美佐子ちゃん率いるフェリス少年少女窃盗団と業務提携済みだ。レベルMAXのスニーキングスキルで必要なだけ盗み出してくれるだろう。

 人員も問題なし。もし必要となれば、康お抱えの46匹の風俗猫がさらに控えている。

 とにかくこの調子で、できるだけユニクローネをかき集めることだ。

 週末ごとに現実に出まわる円が減っていく。広告主はなんと言うだろう?

 どうする、ユニクロ?


   ◇


 山野辺はもちろん、所有者不明のユニクローネが急増していることに気づいていた。

 ユニクロオンラインはあまりにリアルなため、労働者はときに財布を落とすなどのイベントでユニクローネを紛失してしまう。量子コンピュータの特性を活かし、ユニクローネ札は記番号ごとに管理されている。どの落とし主がどの番号の札を紛失したかがわかるので、そういう間抜けには週末の買い物やレジャーの代わりに自宅で待機しスマホのパズルゲームで貴重な土日の時間を溶かしてもらうことになっている。

 ユニクロにとってユニクローネの紛失は文字どおり嬉しい誤算で、だからこそズルされないよう、単品管理されているのだ。クライアントは、それによって不正の有無をチェックする。かくして週末に出まわる1人あたりの円はほぼ一定に保たれている。

 本日は木曜日。バカが財布を落としたのとはわけのちがう事態が起きている。

 ラノベは酒を販売し、その結果少なくない数の中卒が、VR二日酔いと女の子の夢を頭に抱えて出勤する事態となっている。現在の所有者不明すなわちラノベが抱えるユニクローネは、全体の流通量のわずか0.3%。クライアントが週報を見ても気づかない程度だ。

 いまのところは。

 だが。

「そこはやっぱり高校生だね」

 電話の向こうで林が言った。

「広告主も組織であり、予算というものがある。おまえら電通およびユニクロとのお付き合いもある。媒体としてのオンラインには恐るべき実績がある。つまり個人ならともかく、組織はそう簡単には方向を変えられないということだ。対処する時間はたっぷりある。もっともおまえはそのあいだ、両方からステレオでたっぷりと怒られるがね」

「いくら怒られてもユニクローネは増刷できませんよ。クライアントが新規参入しない限りは」

「そろそろ来年度の中卒獲得に向けて動いているんだろう?」

「入試の結果が出てからでも充分間に合います。広告を出したいクライアントは列を成していますから」

「とりあえず牛丼の価格を下げろ」

 ッターン!

「ついでに24時間ワンオペだ」

「おもしろいブラックジョークである以外に意味はありませんよ。店員はNPCですからね」

 でもッターン!した。おもしろかったからだ。

「さあ、次はどうする。おまえ、いつもいつも板挟みで大変だな。胃はやるなよ。体調には気をつけろ」

 山野辺はメカニカルなオフィスチェアにもたれ、天井を見つめた。

「どうした。対策が思いつかないか。IQが足りないのか、ん? 3000ほど貸してやろうか」

「労働者にカルカンを販売させましょう」

「そうだ。よく気づいた。原料がなければ製造も販売もできない。高値でふっかけさせろ」

「原材料費の高騰によって、酒売りは堅実な商売になる。閉鎖経済では、短期間でのボロ儲けはどうあがいてたって無理、ということですね。やがて〈VR〉で商売をつづけていること自体に疑問を抱きはじめるでしょう」

「中卒どもは指示に従うのか」

「ぼくは管理者ですよ、こう見えてもね。ああ、そうだ。もし握手そのものを売りはじめたら」

「女の子との握手に金を払うバカがどこの世界にいる」

「たしかにそうですね。でも」

「ところでおまえにひとつ、聞きたいことがあるんだが」

「なんでしょう」

「なぜユニクロオンラインの雌猫は、どれもこれも風俗嬢めいているんだ」

「猫の性格の写像で、自然とそうなったんです」

「可憐な美猫はいないのか」

「どうでしょうね。ああ、そういえば」

 山野辺は血統書つきの三毛について語った。

「なに、本当か。それはすばらしい。さすがは岸田京介だ」

「なにがです?」

「そろそろはじめるか」

「なにをです?」

 ブツッ。


   ◇


 3日後。

 通称ベニバナウォーク桶川と呼ばれるユニクロださいたま第5工場の裏口に、かっこ悪い鎧を纏う男が潜んでいた。

 煙突はやはり白煙と黒煙をミックスして吐き出している。汚染された空気は、人間である以上永久に慣れることはない。そばにある室外機は轟音を立て、屋内からもガーという激しい音が漏れ伝わってくる。

 少し離れた搬入口には大型トラックが尻を向けて停車している。裏口からの侵入を試みてみたものの、〈フラグ〉が立っていないためかいくら待ってもローディングははじまらなかった。

「いたぞ」

 化学物質で煙る大気の奥に、牛丼の昼食を終えて戻ってきたと思しき無能階級労働者がうっすらと見えた。県道12号を徒歩でやってくる。ひとりだった。友達がいないのだろうか。

「あいつにしよう」

 アーマード春がうなずき、酒瓶を手に跳躍した。垂直に伸びる空調ダクトの側面を蹴り、三角飛びの要領で天井に着地した。男らしく瓶から直接酒をあおる。

 無能階級労働者が交差点を横切り建物の死角に消えた瞬間、京介は通りに飛び出し、後ろから羽交い締めにした。男は抵抗した。スモッグのなか、ふたりはしばらく揉み合いを繰り返した。

 巨大な影が一瞬、格闘するふたりの足元をよぎった。

 次の瞬間、巨大なヘリに見えなくもない金属の物体がご丁寧にアスファルトをめくり上げて片膝をつき県道に着地した。それから犬のようにおすわりし、後部扉を開いた。

 京介は労働者をヘリに引きずり込んだ。


   ◇


「拉致の目的はなんだ!」

 無能階級労働者が叫んだ。京介以下ラノベ一同と猫を見まわす。

 京介が言った。

「手短に済ませる。今後もうまい酒をお求めやすい価格で手に入れたければ、これまでどおりカルカンを無償で提供するのだ」

「ぼくがどうこうできる問題じゃない」

「まぐろ味160グラム×3缶が25ユニクローネ、だと?」

「それよりおまえら、最近味が落ちているぞ。混ぜ物をしているんだろう?」

 色葉が言った。

「1瓶のお酒を造るには、カルカンが1.3キログラム必要なの。儲けを出すには95ユニクローネで販売しないと」

「ぼくらの週給は100ユニクローネだ! 無償でカルカンを提供したら、手元にユニクローネが残らないじゃないか! いくらVRすき家が半額キャンペーンをしたところで」

「そのぶん価格を下げるから」

「いくらだ」

「59ユニクローネ」

「ふっかけやがって! いまは1瓶あたり10ユニクローネの儲けだろう? だったらはじめから10ユニクローネで販売すべきだ! だいたいおまえらは、なにが目的なんだ? ぼくらに酒を飲ませ、使える円を減らして、一体なにをするつもりだ?」

 京介はネルシャツの胸ぐらをつかんだ。男はベトナム人のように顎を上げ、にらみ返した。

「禁断症状が出たら、借金をしてでも買う羽目になるのだぞ」

「ユニクロオンラインでキャッシングはできない! むしろそのうち暴動が起こるぞ。酔っ払いどもが大挙してくさいたまに攻め入ったらどうする?」

「おまえは、無能階級のわりには頭がまわるようだ。それに態度も立派だ。気に入ったぞ」

「勝手に気に入れ!」

 ユニクロの服で男を緊縛したあと、一同は緊急作戦会議を開催した。

「おれたちは、薄利で細々とやるわけにはいかない。言うまでもなく、いつまでも〈VR〉に居つづけるわけにはいかないからだ」

 色葉がうなずいた。

「もし販売をつづけるなら、力づくでカルカンを奪うしかない」

 山野辺は工場長を通じ、無能階級労働者に通達を出した。ださいたま市営住宅の押し入れに保管しているカルカンを肌身離さず持ち歩くべし。禁を破った者はハードディスクに保存したアニメ全消去の刑に処する。

 労働者は命令を守った。

 通達があった日の午後、フェリス少年少女窃盗団は手ぶらで戻ってきた。色葉は話を聞き、酒の販売どころではないと気づいた。食い扶持を確保するため、少年少女は今後いじめられなければならないのだ。

「お酒の販売は、失敗ですね」

 貴子さんが言った。京介は重々しくうなずいた。

「こうなることはあらかじめわかっていた」

「なんとでも言えるよね」

「やはり協働するしかない」

 振り返り、男に近づいた。

 見下ろし、言う。

「名はなんというのだ」

「一太郎だ」

「いい名だ」

「嘘をつけ」

「それに、いい目をしている」

「用件はなんだ」

「おまえら無能階級は、ユニクロオンラインで偽の労働をし、本物の円を手に入れ、現実において優雅に生活している。そんな人生はまちがっている」

「平気でぼくらを無能呼ばわりするおまえらこそまちがっている」

「おれたちはそもそも、猫を助けに来たのではない。おまえらを助けに来たのだ。世間の大半はおまえらの存在を知らず、知っている者も見て見ぬふりをしている。このような人為的な格差はまちがっている。オンライン生活をやめ、おれたちとともにログアウトし、実態を世間に公表するのだ」

「ぼくらのことなどだれも気にしない。世論は動かない」

「必ず動く。なぜならまちがっているからだ」

「だが断る」

 京介は眉をひそめた。

「なぜだ。おまえは、おまえ自身は、こんな一生でいいのか」

 腕を縛られ、膝をつかされたまま、一太郎は京介を見上げる。挑戦的な表情はいつの間にか消えていた。代わりに浮かぶ複雑な表情は、京介以下ラノベにひとつの疑念を抱かせた。

 本当に無能階級を解放すべきなのだろうか?

「わかるだろう?」

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