第92話 広告道路 わざわざ死地にヒロインを連れていく理由

 山野辺はモニターを見上げながら、因果性のジレンマに軽く陥っていた。すなわち、ラノベが先か、クソが先か。クソだからラノベなのか、ラノベだからクソなのか。

 クソラノベ一行を乗せたヘリは現在、国道17号を北上している。「ヘリが北上」など言うといかにも空を飛んでいるような印象をみなさんに与えてしまうが、実際はアスファルトの上をガチャガチャと走っていた。脚を生やし、頭を半分生やし、右腕を生やし、ときおり左側によろめきながら、束ねた5枚のローターでどうにかバランスを保っている。

 向かう先は、通称アリオ上尾。ださいたま地区上尾にあるユニクロださいたま第3工場だ。

 ラノベは酒を販売し、おそらくマルチまがいのやり方で、文字どおりネズミ算的に中毒者を増やしていくつもりだ。娯楽といえば猫いじめ、食べ物といえば松屋のVR牛丼のみのユニクロオンラインにおいて、騒じょう目的での酒の販売は、認めたくはないがいい作戦だ。そのうちユニクローネを使い切ってしまうバカも出てくるだろう。

 ユニクロオンラインは週に1回、広告主への報告を義務づけられている。つまりVR労働者にいくら支払ったかを毎週広告主様にお伝えしなければならないわけだ。厳密には円での報告ではないのだが。

 そして「週給が減っているじゃないか。どういうことなんだ」となる。

 ここまでは理解できる。合理的だし、クソでもない。

 なぜラノベどもはわざわざ、工場へ向かうヘリに猫を2匹、同乗させたのか。

 ふつうに危険ではないのか。

 アリオ上尾では約6万人の中卒労働者が糸を紡いでいる。中卒どもは一つ目のモンスターではないし普段は人畜無害な連中だが、抱えるフラストレーションだけは一人前だ。数の暴力について知らないわけではあるまい。

 なにかを企んでいるのか。それとも頭がバカなだけか。

 貴子とかいう名前の猫はさいたま編における〈ヒロイン〉のようなものだしとにかく出番を多めにしないといけないからとりあえず連れてきました、みたいな。

 ラノベらしいといえばラノベらしい、か。

「タコ殴りにあって終わりだな」

 ヘリはださいたま地区に入った。


   ◇


 ださいたま地区に入ったとたん、国道17号全体が広告になった。

 微妙な凹凸やタイヤ跡、アスファルトのひび割れ、剥がれた白線などを表現するリアルなテクスチャーが消え、代わりにランディングページを思わせる超縦長の広告が貼りつき、消失点に向かって延々とつづいた。現在広告は、奇跡の青汁による毎朝1杯のわたしらしいライフスタイルを提案していた。

 最近、なんだか疲れ気味……。

 そんなあなたに奇跡の青汁! 1包に含まれる乳酸菌は200億個、ついでに体内環境をサポートするオリゴ糖と食物繊維も配合! あなたが有能すぎて日々時間に追われている超多忙なお方であることは充分に理解しております! だからこれを朝1杯! それだけで結構です!

 山野辺は管理者目線で貴子さんを見下ろした。スキニージーンズを履いた脚をやや内股にし、酒瓶ケースにちょこんとすわっている。

 もう1匹の猫、美佐子ちゃんは、側壁に備えつけられた座席にすわり、退屈そうに脚をぶらぶらさせていた。

 山野辺はなおも考えた。ふつうに危険だろう。だがいくら脳に指令を出しても、「ラノベはクソだから」「岸田京介がバカだから」という答えしか返ってこない。

 バカではないのかもしれない。ことによると。

 操縦席側にはカチャカチャと音をたてる酒瓶ケースがアンプのように積み上げられている。黙ってすわっていればいいものを、京介はアンプに背を預け、腕を組み、両脚を踏んばりながらわざわざ立っている。

 貴子さんに言った。

「同行に感謝する」

「だからなんで連れてきたんだよ。理由を言えよ」

 貴子さんが京介を見上げ、それからラノベ一同に言った。

「なぜわたしが5ユニクローネ札を持っていたか、おわかりですか」

 ラノベ全員が首を振った。

 そのころ国道では、もつ鍋の広告が展開されていた。圧倒的存在感を放つフォトショップで加工済みの画像、そしてめくるめくメニューの数々。これだけ見せられては食べないわけにはいかないだろう。スッキリ!!でも紹介されたという。それなら安心して食べられるというものだ。説得力抜群の縦書き筆文字で書かれた紹介文によると、もつ鍋はただの食い物ではなく、九州博多の「文化」なのだという。文化なので、必要カロリー以上に食べてしまっても罪悪感を抱くことはない。文化なので、もちろん素材も厳選している。すべて国産の小腸である。文化なので信用していただいて構わない。はぁ信用できない? 文化なのに? それはわれわれ九州博多をないがしろにする行為である。九州博多の歴史と魂への侮辱である。そして味の決め手は、チーズ。チーズって九州博多の文化だっけ? もちろん文化である。というかいま文化にしました。とにかくまあおいしいのはまちがいないので、難しいことは抜きにして食べましょうよ。おいしい食べ物、好きでしょ? おいしい食べ物を食べるためだけに生きているんでしょ? あ、食べ過ぎちゃった? じゃあ翌朝の朝食を抜けばいいんじゃないですか? それでイーブン、そうでしょう? 栄養学的に。健康とかは、だいじょうぶです。なんとかなります。考えすぎはいけません。考えすぎるから病気になるんです。人間、そういうものです。

 ねえ?

 貴子さんはエプロンの前ポケットから紙幣を取り出し、表の肖像を見せた。

「わたしの父は、この玉塚元一です」

 色葉が慎重にたずねた。

「父というのは、つまり」

「はい。人間の飼い主が言うところの『うちの子』の間柄における父です」

 あなたの体重、体脂肪を減らす! 飲んで効く内臓サポート30日分を日頃のご愛顧に感謝して、いまなら特別に15000円! 15000円! 15000円!

「内緒にしておいてほしいのですが、わたしは血統書つきの、由緒ある家系の三毛なのです。父はある日失踪し、しばらくするとローソンにいました。わたしのことは忘れているようでした。わたしは食い扶持を確保するため、ユニクロオンラインにログインした。はじめは粗野な雑種たちとうまくいかず、ひとり斎場にひきこもっていた。このお酒と出会わなかったら、孤独に餓死していたはず」

 楽天ショップオブザイヤーを6回受賞した生本ずわい蟹1.2キロがザルに乗って神々しく出現した。鮮度抜群でお刺身でも食べられるという。巨大な三木谷社長がカニを頬張り、吹き出しで「おいしい」と言っていた。もちろんおいしいからだろう。

「ほかの猫は、痛い思いをしていじめられている。わたしはひとりだけ安全な斎場で、居酒屋の女将の真似事。わたしは耐えられなかった」

「血統書つきの三毛ってなんだよ」

 山野辺がガムを噛みながらひとりごとを言った。

「だがたしかに、ほかのと比べて毛色が異なるようだ。猫だけに」

 ぺっとガムを吐き捨てた。ガムは汚らしいタイルカーペットにぴたりと着地した。

「わたし、もう逃げない。そして〈VR〉の現実を、フェリスの境遇を変えることができるのなら、協力します」

「心配しなくていい。あなたはおれが守る」

「京介さん」

「貴子さん」

「かわいいって言ってよ」

「かわいい」

「もっと言って」

「かわいい」

 手を取り見つめ合うふたりを観察しながら、色葉はネタバレメイドの未来予測を思い出していた。

 お風呂。

 強力なライバル。

 ゆっくりと後退する袖を見つめながら、この状況からどうやってお風呂展開にもっていくつもりだろうと思った。ひとりは全身鎧を装備しているし。

 にんにく卵黄を常飲することで元気いっぱいになったおじいちゃんが虚空に出現し、プラセボ効果について説明しはじめた。上空では国産高級車が上下逆さまに疾駆している。〈VR〉はオープンワールドのリアリティを本格的に放棄しはじめた。車道の両脇には看板が立ち、買え、食え、飲め、自己実現、デビューをつかめ、と直接的に打撃を浴びせてくる。

 ヘリががくんと揺れた。合成音声で乗員に告げた。

「工場に到着した」

 かかとを使って減速し、道路脇に正座した。お尻と呼ぶべき後部扉がゆっくりと開いていく。

「外は危険だ。気をつ」

 とてつもない騒音が一瞬にしてキャビン内に満ちた。

 京介は大剣を手に飛び降り、周囲を見まわした。広告は消え、〈VR〉世界はもとのリアリティを取り戻している。風が髪をもてあそび、頬をなでた。心地よさは微塵もなかった。やがて悪臭が顔じゅうの粘膜を蹂躙しはじめた。だがくさいたまで散々嗅がされた家畜排泄物由来の悪臭ではない。

 涙目で工場を見やる。

 そこには大気汚染、水質汚濁、騒音、振動、地盤沈下、土壌汚染、悪臭の公害7騎士が勢揃いしていた。スモッグで朦朧とする大気の奥に、工場がうっすらと見える。アリオ上尾は、一見するとショッピングセンターのような外観だった。ただし屋上には煙突が何本も突き出し、あり得ない量の白煙を吐き出している。うち2本はゴマのソフトクリームみたいに黒煙もミックスして吐き出していた。これが現実なら屋内の人間は全員一酸化炭素中毒で死亡しているだろうが、そのへんはリアリティよりも見た目いかにもな工場らしさを選んだようだ。非人間的な産業資本主義の恐ろしさが伝わればそれでいいのだ。

 これほどの責めにもかかわらず、街路樹や地被植物は元気に青々としていた。

 京介はキャビン内に戻りながら涙を拭い、腕時計を見た。退社時刻に間に合ったようだ。

 道中、フェリス少年少女窃盗団の美佐子ちゃんが言った。フリードリヒのルポはやはり盛りすぎだった。

「17時間労働なんて嘘に決まってるじゃない」

「安定の定時退社なのか」

「そう、9時から17時ね。だからあたしたち、余裕で窃盗できるの。たまに腹痛で休んでる人間もいるから、油断はできないけどね」

「あと1時間足らずだ」

 貴子さんがうつろな表情で工場を見つめていた。

 色葉が心配げに話しかけた。

「本当に、だいじょうぶですか」

 貴子さんは猫らしくあさってを向いて無視した。

 京介がキャビンに飛び乗り、言った。

「作戦どおり、貴子さんも販売するのだ。もちろん色葉も、春も、美佐子ちゃんもだ」

「だから作戦ってなんだよ。いつ話したんだよ」

 色葉が身を乗り出し、京介にたずねた。

「なぜその作戦を、わたしたちに話そうとしないの?」

 山野辺も身を乗り出した。

「管理者に聞かれるからに決まっているだろう」

「そういうの作戦って言わねーんだよバーカ」

「次節はかなり重要な展開になると思うんだけど。におわせるくらいはできるんじゃない?」

「ではにおわせよう。猫少年をいじめていた4人組を覚えているか。あんな連中、何百万人いようが恐るるに足らずだ」

「集団ヒステリーって恐ろしいのよ」

「そうだぞ」

 山野辺がコーヒーをマグに注ぎながらうなずいた。

「徒党を組んだ人間の恐ろしさはわかっている。だがやつらにとってはメガトン級の武器を積んできたではないか」

「それってつまり」

「そういうことだ」

「そういうことか」

「そういうことけ」

「どういうことだ?」

「そういうことですか」

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