第87話 フェティッシュの経済学 妹と幼女、ヤバいのはどっち?

 軍用ヘリの整備をこともなげに終えた敏吾は、ひとり修学旅行から取り残された寂しさなど微塵も感じさせず、くさいたまの朝日を浴び、充実した表情で額の汗をぬぐった。ヘリは問題ない。ブレードも折損なし。フィンも変形なしだ。

 問題があるとすれば、ヘリそのものが変形したことくらいだった。

 そのへんに落ちていたユニクロのレギンス(女の子服)をタオル代わりに引っかけ、ヘリの右脚をぽんとたたき、話しかけた。

「調子はどうだい、相棒?」

 MH-53ペイブロウは直立し、朝日を見上げていた。しわがれた合成音声で寂しげに言う。

「メガトロン様」

「悪の側だったか。まあ、いいさ。とにかく、話し相手ができて助かったぜ」

 敏吾はその後しばらく、無口で邪悪なヘリをなだめたりすかしたりし、どうにかコミュニケーションを図ろうとした。少年のような純粋な眼差しで見上げる敏吾に、やがてヘリはぽつりぽつりと生い立ちを語りはじめた。あまり褒められた生い立ちではなかった。そして2等航空整備士のほかに公認心理師の資格も有する敏吾に心を開いたのか、口調は次第に熱を帯び、これまでの経歴と実績を得意げに語った。やはり褒められた経歴ではなかった。

「ところで、きみ、もう一度ヘリに変身してみせてくれないか。構造が知りたいんだ」

「できない」

「なぜだい」

「手順書をなくした」

「なんだって?」

「おまえは、いいやつだ。おまえにだけは、特別に教えてやろう。われわれは、手順書がなければ、変形できないのだ。あまりにも手順が複雑だからだ。かつてはそうではなかった。だいたい5段階程度で簡単に変形できた。6歳児でも簡単にできた。おのれの体はおのれがいちばんよくわかっているはずなのに。おれはいつから、自分自身の構造がわからなくなってしまったのだろう」

「メガトロン様もかい?」

「内緒にしておいてほしい。ああ、手順書はどこへいったのだ。たしか、このへんにあったはずなのだが。友達ならば、一緒に探してほしい」

 敏吾とヘリは、しばらくヘリポートを探してまわった。出てくるのはユニクロの服のみだった。

 大量の女の子服を抱えて戻ってきた敏吾に、ヘリは大仰に嘆いてみせた。

「ああ! おれにはマニュアルが必要だ。マニュアルなしには変形できない。おれはなにもできない。マニュアルなしにはなにもできないのだ」

「今度ばかりは、同情はしないぜ。ぼくときみ、ふたりで勇気を持って、次のステージへ進もうじゃないか。なんでもマニュアルに頼っているようじゃ、この多様化する国際社会を乗り切ることはできない。自分を信じ、反復練習あるのみさ。おっ」

 そのとき。

 ある種の指向性を備えた敏吾の目が、はるか前方、2000メートル先の一点を鷹のように捉えた。国道との交差点に、ひとりの少女が立っていたのだ。

 年のころは7つ、といったところか。

 敏吾はヘリに言った。

「地上に降りてみようぜ。ちょっと先に少女がいるんだ」

 ヘリは手でひさしをつくって「ちょっと先」を見てみたが、超文明のテクノロジーですら視認できなかった。

「その少女を助けるつもりならば、手は貸せない。なぜならおれは悪の戦士だからだ」

「助けるつもりはないんだ」

「では、なにをするつもりだ」

「そいつあ、あれだ。最近は、ぼくも学んだからな。この胸にしまっておいたほうがいいかもしれない。まあ、ある意味『援助』と言えなくもないな。ある意味ね」

「聞かなかったことにしよう。乗れ」

 敏吾は次の瞬間、6歳以上11歳以下の男の子ならほぼ全員が「あんなふうになりたい」と憧れを抱くであろう体験をした。変形ヘリの手のひらに乗り、風を真正面から受け、歓喜とも悲鳴とも取れる叫び声を上げながら、138メートル上空から命綱なしで地上へ飛び降りたのだ! ヘリが片膝をついて国道に接地した際にめくれ上がったアスファルトのさまを見たら、京介はきっと涙を流して悔しがったにちがいない。臍も噛んだにちがいない。

 そんなわけでふたりは、「入管ゲートを抜けなかった」ことでログインを果たした。なぜ敏吾はログイン前にオンライン上の少女を発見できたのか? それについてはもはや多言を要しない。敏吾はきょろつくこともなく自信を持って指をさした。ヘリはイヤな予感を覚えつつ、ガチャガチャと走り出した。

 少女は果たして、街角に立っていた。ぼろを纏い、顔は汚れ、黒い髪はゴミと脂でもつれにもつれている。髪毛と肌のコントラストは、猫に例えるならちょうど黒白だった。さらによく見ると、例えではなく、紛れもない黒白だった。猫の耳がついていた。退屈そうに尻尾を揺らしている。

 きれいだ、と思った。

 敏吾はヘリの手のひらから飛び降り、警戒心を抱かせないよう優しげな笑顔で近づき、前にしゃがみ、話しかけた。

「きみ、こんなところでなにをやっているんだい? お母さんは?」

 少女は切れ長の目で敏吾を見つめた。そして答える代わりに、ショーツのポケットからくしゃくしゃの紙を取り出した。

 丁寧にしわを伸ばし、紫綬褒章の表彰式のように広げ、読んだ。

「わたしこと7歳のフェリス、美佐子は、一日2ユニクローネで暮らしています。とても貧しく、学校に通うこともできません。あなたのお金で貧しい少女を助けることができます」

 突然の貧困に直面した敏吾は、思わずヘリを見上げた。

 ヘリは肩をすくめた。

「もちろんさ。ほら、2万円だ」

 少女は垢じみた顔をにこりともさせずに札を受け取り、ポケットにねじ込んだ。足元に置かれたクリップボードを拾い、ボールペンをノックし、かりかりと記入しはじめた。

 敏吾はこっそりボードをのぞいた。紙は性別年齢職業年収寄付額などの項目ごとに、いくつかのマス目が描かれている。

 少女はクリップボードに目を落としたまま言った。

「なぜわたしにお金を渡したのですか」

「かわいそうだと思ったからさ」

「心が感動したのですね?」

「それにぼくは、いま、〈かのじよ〉がほしくてしかたがないんだ。たとえばきみみたいな、小さな女子がタイプなんだ」

「わたしは7歳です」

「どんぴしゃり、ぼくのニーズにマッチしていると思うね」

 少女は目を上げ、敏吾の顔を見た。

「それはどのようなニーズでしょうか」

「ぼくみたいな性癖の持ち主を、世間では『犯罪者』と呼ぶらしい。人間の風上にも置けない性癖だ、ってね。だが、ぼくの場合は少々事情が異なる。そういうんじゃないんだ。少女の心と体の成長に関心があるんだ。生涯の研究テーマと言っても過言じゃない」

「あなたのたぐいまれな性癖はわかりました。もう少しお付き合いいただけますか?」

「付き合うぜ」

「では、これではどうでしょう」

 少女はポケットから別の紙を取り出した。丁寧に広げ、表側を敏吾に向け、顔を隠すように持ち上げた。

「わたしはいないものと思ってください」

 紙はユニセフのポスターだった。フェリスの老婆が、向けられたカメラに困惑するような表情を浮かべ、くさそうに鼻をつまんでいる。キャッチコピーは「くさい空気では生きていけない」だった。

 敏悟は正直に答えた。

「200円くらいかな」

「構いません。ではこちらの番号に連絡を」

「それはいささか面倒だな」

「めんどくさいたま、というわけですね。なるほど」

 少女は突然振り返り、無人の通りに向かって手招きした。建物の陰から中年のフェリスがあらわれた。恰幅がよく、少なくとも食べ物関係の援助は必要ないように思われた。少女はつま先立ちで耳打ちした。中年のフェリスはうなずき、少し先の歩道に山積みになったユニクロの衣類に横たわった。少女は「ちょっと待ってて」といったふうに敏吾に指を立て、「お母さん」と叫びながら中年フェリスのもとへ駆けた。かたわらにぺたりとすわり、「お母さん、お母さん」と言いながら揺すり、どこか困惑したような表情で、覆い被さるように母の体に抱きついた。母は永遠に目を覚まさない。いつしか少女は母の亡骸とともに眠りについた。

 敏吾は鼻をすすった。目頭に熱いものがこみ上げてきたので、あわてて上を向いた。

 少女は片目をぱちりと開け、言った。

「泣いているのですか」

「いや。これは汗さ」

「いくら出します?」

「琴線に触れた。これは、20万はかたいだろうね」

「つまり感動ぶんが上乗せされたと?」

「ただ、ぼくの小遣いでは少々きついと言わざるを得ない。どこかで少額融資は受けられるかい?」

 少女と母親役はむっくりと起き上がり、敏吾の前に立ち、手をつないでお辞儀した。

 敏吾とヘリは拍手した。

「ご協力ありがとうございました。われわれフェリス少年少女窃盗団は、どうすれば皆様からの寄付額を増やせるかをテーマに、日々貧困と闘いながら研究しています」

「窃盗の合間にかい」

「なぜ人々は寄付をしないのか。調査から導き出されたいちおうの結論は、こうです:寄付は根本的に、マネーの使い方としてまちがっている。お金とはそもそも、財やサービスと交換するための、国家が保証した権利だからです」

「自己満足に浸れるじゃないか。自己満足というサービスさ」

「コンビニでお釣りを寄付するなどの小さな寄付は小さな満足しか生み出さず、援助としての効果も小さい。ではまとまった額では? 大きな寄付によってなにかを達成できたとしたら、満足感も大きいでしょう。ですが寄付の本質として、寄付すべき対象、つまりわれわれ貧乏人は、権利であるお金を無償で提供しなければならないほど難しい問題を抱えている。達成が難しい問題ゆえに時間が割り引かれる。よって満足感はほとんどなくなる」

「なるほど」

「逆に、貧乏人にゼロ距離でお金を渡し、見返りも求めず満足するような人は、明らかに人格に問題を抱えた特殊な人です。選民的で、優生学的思考の持ち主で、決してお近づきになりたくない人たちです。小僧の神様も寿司を食わせたでしょう?」

「寄付は無駄って結論なのかな」

「お金を出すなら、貧乏人を働かせたほうがいい。いや、お金の本質として、きっちり対価を支払わせるべきだ。そうすればお互い理由づけができる。理由があればこそ、お金も出しやすくなる。少額融資は、そういう理屈なのです」

「じゃあ、ぼくも寄付ではなく、きみを働かせるためにお金をやろう」

「なにをすればいいのでしょうか」

 人類最古の職業さ、と敏吾が言いかけたそのとき。

「おお! 見渡す限りの貧困! 貧困のにおいだ。貧困はいい。貧乏はすばらしい!」

 敏吾は声のしたほうへ顔を向けた。

 どこからあらわれたのか、口髭を生やした顔色の悪い男が子猫の背後に立ち、無表情で敏吾を見つめていた。

 つば広の帽子にリュックサックを背負い、長袖長ズボンにチョッキ、登山靴を履いている。完璧なフィールドワークの様相だ。なぜか虫取り網を持っている。

 その顔には見覚えがあった。

「り、りんびょう先生」

「〈VR〉は相変わらず、貧困にあえいでいるようだな。だが、それでいい」

 フェリスの少女が林の背後にまわりこみ、ぴたっと寄り添った。

 敏吾は警戒しながら言った。

「なぜそれでいいのですか」

「格差はさらなる経済成長に必要不可欠だからだ」

「その考えはまちがっています」

「まあね」

 コミュニケーションが滞った。

「たとえまちがいであったとしても、まちがいであることを実証的に示せるではないか。これはノーベル賞級だよ。その前に3年か5年監獄に食らい込むかもしれないがね。だがそれでこそ真の偉大さと言える。ムショに入ってこそだよ、きみ」

「ぼくたちが阻止する。岸田京介がきっと、さいたまの窮状を告発する!」

「おお、ラノベだ。ラノベのセリフだ。ここにラノベがいるぞ。見ろ」

 林は敏吾を指さしながら、大人げない調子で囃し立てた。フェリスの少女もきゃっきゃと笑い、一緒になってラノベを囃した。

「まじめな話、世論に訴えても無駄だ。考えてみろ、ここは〈VR〉なんだぞ? 〈VR〉世界の貧困を訴えて、だれが耳を貸す? 現実と虚構の区別もつかないやつだと思われておしまいだ。それに中卒どもは現実で、ユニクロの『援助』を受け、人並み以上の生活を送っている。なにがいけない?」

「人間に対する扱いじゃない!」

 敏吾は至近距離でIQ弾を放ったが、簡単に弾き飛ばされた。

「〈バトル〉はやめろ。わたしは〈バトル〉はしない。したがらない者にしようとしても無駄だ。ところでおまえは、〈親友〉のくせに最近ちょっと活躍しすぎじゃないか? ああ、そうか。〈主人公〉の座を狙っているのか」

「見くびるな!」

 MH-53ペイブロウに林を殲滅するよう命じたが、ヘリも邪悪の側なので言うことを聞かなかった。

「〈バトル〉はやめろと言っているだろう。ところで、おまえは〈彼女〉を欲しがっている。そうだな?」

「だからなんだ」

「おまえは賢い。一時の感情に流されず、理性的に合理的な判断ができる。未来のエリート候補だ。だからわたしは、おまえに〈彼女〉を与える。おまえはその代わり、ラノベを捨て、高校へ戻る。勉学に励み、1日2ドル以上使いながら、先進国に生まれた幸運に感謝する。どうだね? いい取引だろう」

 敏吾は一瞬、取引を検討した。それから検討した自分を恥じ、取引を検討した自分がインセンティブというパイ生地にみるみる包み込まれていくのを感じた。

「そんな取引、ぼくが応じると思うのか」

「だれも指摘しないのであえて言うが、おまえらは1ヶ月ものあいだ、無断欠席をつづけている。放校処分を受けても文句は言えないし、世間もさすがに納得するだろう。ああ、リアルだ。リアルラノベだ。中卒だぞ。道を踏み外すぞ。社会の底辺だぞ」

「ぼくは」

「いやいや! なにも言うな。まずは実際に〈彼女〉候補を見てみよう。判断するのはそれからでも遅くはない。ここで待っていろ、すぐにお見合い写真を持ってくるから。ときに、おまえはどんな〈妹〉が好みだ? ん?」

「ぼくは」

 と言いかけ、敏吾は眉をひそめた。

「ちょっと反抗期の〈妹〉か。べたべたあまあまの〈妹〉か。それともツンツンデレデレの〈妹〉か。パンツも自分で履けないオタクニートか。どの〈妹〉がいい? どんな〈妹〉でも用意してやる。そうだ、こんな〈妹〉はどうだ」

 熱を帯びた口調でつづける林を遮り、敏吾は根っこのところを指摘した。

「なぜ〈妹〉限定なんです」

 林はあっけにとられたような顔で言った。

「なぜ、だと?」

「はい」

「なぜ〈妹〉か、だと? 〈妹〉は〈妹〉だ。男なら〈妹〉が欲しい。当然だろう」

「ぼくは、〈妹〉は欲しくありません」

「ならばどんな〈彼女〉がほしいのだ」

 フェリスの少女を指した。

「強いて言えば、その子を」

「なんだと」

 林は口髭を歪め、忌まわしげに言った。

「この子は、年端も行かぬ子供ではないか!」

「そうです」

 敏吾は当然のように答えた。なぜりんびょう先生は、それほどまでに〈妹〉にこだわるのか。なぜ〈妹〉一択なのか。〈妹〉のなにがそれほどすばらしいのか。まったく理解できない。

 林もまったく同じ気持ちだった。

 ヘリが審査員的立ち位置で見ろすなか、ふたりはしばらく議論した。あまりに無益な〈妹〉VS〈幼女〉の応酬は、その無益さゆえにそれをして議論の本質を鋭く突いていた。

「わからず屋め。まあいい。では12歳の〈妹〉ではどうだ。これがぎりぎりの線だ」

 林が妥協案を提示した。

「なぜふつうの11歳以下ではダメなんです」

「バカを言うな。まず〈妹〉ありき。自明だろう」

「〈妹〉と付き合うなんて、考えただけで気持ち悪い」

「11歳以下の少女と付き合うのは犯罪だ」

「話にならない。先生とは、話すだけ無駄だ」

「こっちのセリフだ」

「先生は狂っている」

「おまえが狂っているのだ」

「どちらも狂っている」

 ヘリが言った。

 林はしばらくヘリを見上げたあと、まあいいやと肩をすくめ、リュックを背負い直し、虫取り網の先を敏吾に振りつつ言った。

「おまえは、せっかく差し伸べた救いの手を、みすみす棒に振った。だったら容赦はしない。岸田京介とともにクソラノベをつづけるがいい。そして後悔するがいい。あのとき高校に戻っていさえすれば、寒空の元、公園で夜を明かすこともなかったのに、とな!」

 くるりと背を向ける。しがみつくフェリスの少女に声をかけ、優しく頭を撫でた。

「チーズ!」

「おお、そうだ。調査の報酬がまだだったな」

 長ズボンのポケットからなにかを取り出した。

「ほら、人間のチーズだ。プロセスチーズだ。おいしいよ」

「ちょうだい!」

 林はチーズを地面に放った。少女はかぶりついた。

 止めようと敏吾が一歩踏み出した。林が虫取り網で牽制する。

「猫にチーズを与えるな」

「この子はねこまんまが大の好物でね。ここらの猫は、みんな人間の食べ物が大好きだ。おいしそうに食べているだろう。見ているだけで癒やされるね。もっと癒やされたくなるね。猫の寿命を犠牲にしてでもね。なのに死ぬと、涙する。SNSに投稿し、共感を得ようとする。そもそもおまえが殺したようなものなのにね。でも、それが人生なんだね。いろんな他者の犠牲の上に成り立つ、感動の人生なんだね」

「餌づけしているんだな」

「そうだけど、おまえには関係のないことだ。とにかく、よく覚えておけよ。〈妹〉か、退学か、ふたつにひとつだ! わたしは」

 そのとき。

 空の一点がきらりと光った。

 ひとりの男が重力をはるかに越える加速度で落下し、爆音とともに地面に降り立った。片膝をつき、顔を伏せ、もちろん周囲のアスファルトはかっこよくめくれ上がっている。

 アイパッチを着けた顔を上げる。

 敏吾と林が同時に口走った。

「「き、木村先生」」

「そのカギカッコの使い方はやめろ、不愉快だ。それにいちいち名前を言わなくても、わたしがだれかはアイパッチの描写の時点でみんな気づいている」

「ユニクロオンラインにログインしていたんですか。なぜ」

 木村はゆっくりと立ち上がった。ニヤニヤ笑いを浮かべる林を目で牽制し、敏吾に正面を向けた。

「なぜアイパッチを」

 木村は拳銃のグリップで敏吾のこめかみを殴りつけた。

 どさりと倒れる。

 林が観客のように拍手喝采した。

「かっこいいですな! さて、木村先生。あなたは噂どおり、教職を捨て、在野のラノベ野郎に成り下がったようだ。その格好、恥ずかしくありませんか?」

「教職を捨ててはいない」

「ああ、仲間なのにラノベを殴り、気絶させた。なぜ? なんのために? ミステリアスだ。ミステリアスな役まわりだ! 果たして木村の意図やいかに? 楽しいですか、木村先生? ラノベは楽しいですか? 言っておくが、あなたの籍はすでにない。高校には戻れない。それにね、知っていますか、あなたそもそも、ぜんっぜん人気ないんですよ! 『あいついなくてよくね?』ってみんなに思われているんですよ!」

 木村は銃口を向けた。

「死にたくなければ立ち去れ」

「出た! ラノベだ!」

 林は文字どおり躍り上がって叫んだ。

「そんな恥ずかしいセリフをよくもまあ真顔で! ああ、近づきたくないなあ! お近づきになりたくない! そうだ、逃げろ! ラノベ菌がうつるぞ! 逃げろ逃げろ」

 そして躍り上がりながら去っていった。

 木村は拳銃を下ろし、ペイブロウを見上げた。

「心配するな。わたしはラノベの味方だ」

「おれはラノベの味方ではない」

 ヘリがにべもなく言った。

「だが、MH-53よ。おまえのメガトロン様はラノベだ」

「そこについては見解の相違がある」

「とにかく、勝ちたければ今回はラノベの側につくことだ。おまえの所属する団体のポリシーにも反しない。ラノベは善とは言いがたいからな」

「さすがは教師だ。説得がうまい」

「岸田京介のもとへ向かえ。わたしはこいつに話がある」

 木村は気絶した敏吾を抱き起こした。お姫様抱っこで抱え、コートを翻らせ、男の背中を見せつつ去っていく。腕が疲れたからか、途中からこっそりおんぶに移行していた。

 ひとり取り残されたMH-53ペイブロウは、浦安国際空港でラノベ連中に指名されたあと駅前のBAR『シックスショット』でディセプティコン仲間から口々に忠告されたあの夜のことを思い出していた。悪いことは言わない。ラノベにだけは関わるな。丁重に辞退しろ。おまえのキャリアにも傷がつく。やつらは工学のコの字も知らない連中だ。調べもせずにてきとうに書き散らされるぞ。スピリタスがまわってきたあとのことは記憶にない。

 いつの間にか、フェリスの少女が手のひらの上によじ登り、あぐらをかいていた。

 にんまりと目を細める。

「あんた、悪そうね。窃盗に付き合ってくれない?」

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