第86話 いじめはなくせない

 宿泊を許された一行は、セレモニーくさいたまホール2階の遺族控室へ案内された。

 座布団を持ち寄り、テーブルに着き、やれやれと腰を下ろす。文字どおり泥になって眠りについた春を尻目に、京介と色葉は遺族のように声をひそめて話し合った。

「つまり、貴子さん以外の猫は、お金というものを知らないのよ。猫だから、当然といえば当然よね。稼ぎをぜんぶ飲んだだの、恵んでくれだの、ツケだのと言っていたけど、どこかで聞いたセリフを真似していただけなのよ。飼い主か、そのへんの人間が話しているのを聞いたのかも」

「仕事がないなら、あの酒やカルカンはどこで手に入れているのだ」

「そのへんで拾うのかも。いずれにせよ、フリードリヒのルポとは異なっていた」

「あいつは思い込みの激しい男だ。筆が乗り、思わず話を盛ってしまったのだろう」

「猫を救わなきゃ」

「本来の目的とはちがう」

「でも、かわいそうじゃない。助けてあげて」

「〈ヒロイン〉はそうやって〈主人公〉を死の淵へ追い込むのだ」

「死にはしないよ。敵はネルシャツを羽織ってサイズの合わないケミカルウォッシュのジーンズを履いた男たちなんだから」

「やつらは敵ではない」

「なら両方救いましょう。猫を救いつつ、無能階級の実態を調査するのよ」

「なにをどうすればそのような器用なことができるのだ」

 京介の腹がぼこぼこと音を立てた。

「おなか空いたね。あの鮭のシチュー、おいしかったんだけど」

 色葉は遺族のようにスカートを押さえながら立ち上がった。畳の間にどろどろと広がる春をかき集め、それから室内をあれこれと物色しはじめた。室内は光源が見当たらないにもかかわらず、昼間のように明るい。小型テレビをまさぐる。テクスチャーが立派なだけのただの張りぼてだった。観葉植物はそよとも葉を揺らさず、さらに青々とした葉が逆にリアル〈VR〉としてのリアリティを損ねていた。そこは枯れていてしかるべきだろう的な。あちこちに手帳やメモ書きやログファイルが落ちていたが、どれもほかのプレイヤー向けのヒントだった。オブライエンという科学者の謎の死についてはまったく知る必要がない。

 ほかに動かせるオブジェクトはカルカンだけだった。

 色葉がカルカンを京介に放った。

 カルカンを弄びながら京介が言った。

「食べ物は食べ物だろう。食べれば少しはHPが回復するかもしれない」

「人間にとっては毒かもよ」

「ステータス画面さえ出せれば確認できるものを」

 京介は叫んだ。ステータス画面は出ず、さらにHPを減らす結果となった。

 色葉がクローゼットを開けたとたん、どさっという音とともに消えた。

「だいじょうぶか」

「さいたまはユニクロの服だらけね」

 ずぼっと顔を出し、アホ毛を揺らしながら感想を述べた。

 かちゃりとドアが開き、貴子さんが顔をのぞかせた。

「寝室の用意ができました。3階の霊安室をお使いください」


   ◇


 霊安室には棺が3つ並んでいた。たしかにベッドに見えなくもなかった。

 京介は中央の棺に歩み寄り、最後のお別れのようにしばし立ち尽くした。意を決して小窓を開ける。

 ユニクロの服がびっしりと詰まっていた。

「なぜ洋服だらけなのだ」

「ユニクロ様が寄付してくださいます」

「なんのためだ」

「CSRの一環です」

「援助あるあるね」

 色葉がうなずき、それから貴子さんに言った。

「フェリスのみなさんは、カルカンをどこで手に入れているんですか」

「仕事の対価として」

「物々交換なんですか? どこで働いているんです?」

「根掘り葉掘り聞かれるのですね。まるでゲームみたい」

「ゲームですよ。どうか意固地にならず、わたしたちの助けを受け入れてくださいませんか」

「いじめをなくすとか」

「そうです。貴子さんはご存じないかもしれませんが、この岸田京介はラノベの〈主人公〉、すなわちヒーローなんです。手のひらからエネルギー弾も出せるんですよ」

 京介が恥ずかしげに頭をかいた。色葉の肘を脇腹に食らい、ヒーローらしく重々しくうなずいてみせた。

「人間の魔手から、フェリスを守ってみせよう。そしてあなたも」

「それだとわたしたちの仕事がなくなってしまいますね」

 色葉は眉をひそめた。

「つまり、いじめが?」

「それでは安らかにお眠りください」

 貴子さんが出て行ったあと、それぞれのベッドに腰かけ、どうやって寝るかを話し合った。空腹感は〈VR〉とは思えないほどリアルで、色葉ですらステータス画面を出そうと叫んだほどだった。

 洋服を床に敷き詰め、寝床にすることにした。

 春をかき集めてどうにか人型になるまでこねまわしたあと、川の字に横たわり、掛け布団代わりに服を乗せた。幸いにおいはそれほどでもなかった。しかもありがたいことに、光源不明の明かりが消え、完全な暗闇が訪れた。

 春が京介の耳元でげっぷをかました。

「飲み過ぎだ」

「逆。またぐにょぐにょ、はじまりそう」

「我慢するのだ。明日の朝、起きがけに1杯引っかければ治る」

「腹減った」

「食糧探しもしよう」

「人生がつらい。苦しい。抱いて」

「いいだろう」

 もぞもぞ。

 ごそごそ。

「はやく抱け」

「抱いているだろう」

「暗いからっててきとうなことゆうなよー」

「色葉。おまえもあとで抱く。だからしばし、ぷんすかと怒りながら嫉妬しているのだ」

「もうラノベをする気力もないよ。はやく寝ましょう」

 霊安室らしい死んだような静けさがしばらくつづいた。

「ねえねえ」

 肩をつつかれ、京介は振り向いた。

 顔の下半分を古着に埋もれさせた色葉が、じっと京介を見つめていた。

「ねえねえ」

「なんだ」

「聞いていい?」

「すでに聞いているだろう」

「いじめが仕事だなんて。仮にいじめを撲滅したとしても、今度はカルカンが手に入らなくなる。だれが考えたのか知らないけど最低ね」

「やはりいじめはなくせないのか。現実と同じだ」

「貴子さんって、すてきだよね」

「突然なんの話だ」

「〈ヒロイン〉にすれば? 年上、好きなんでしょ?」

「尻尾が珍しかっただけだ」

「またまた。かっこよく助ければ、あなたにしなだれかかってくるかもよ。『京介さん、あなたが好きです』なんて」

「おまえもわかっているはずだ。おれが好きなのは、後にも先にもたったひとりの女子」

「えっ?」

「あたくしは?」

「おまえも好きだ。だから黙って寝るのだ」

「むにゃむにゃ」

「じゃあ上原さんは?」

「ごく個人的には大好きだ。結婚も辞さないほどに大好きだ。だがおれは、ひとりの男である以前に〈主人公〉なのだ。〈主人公〉は、おのれの好みで特定の〈ヒロイン〉をひいきしてはならない。常に〈ヒロイン〉たちの趨勢を見極めなければならないのだ。バランスよく、バランスよく」

「まさに美人投票ね。ラノベとかけまして、ケインズ経済学とときます。その心は?」

「おまえが好きなのだ」

「わかってる。まだ旅の途中だもんね」

 ふたりは同時にもぞつき、同時に寝返りを打ち、背を向け、目を閉じた。

 やがて聞こえてきた色葉の寝息を聞きながら、京介は暗闇を見つめ、ひとりつぶやいた。

「遺憾だ」


   ◇


「くっくっく。岸田京介とクソラノベ一行よ。今夜はせいぜい、安らかに眠るがいい」

 都内某所で山野辺がつぶやいた。モニター越しにラノベを見下ろしながら、嫌がらせに3回ほど電気をつけたり消したりした。そのたびにびくっと頭を持ち上げる京介が滑稽で楽しかった。

「なにを企んでいるかは知らないが、明日の朝、おまえらはユニクロオンラインの真の恐ろしさを垣間見る。おまえらはすごすごと、リアル世界に逃げ帰る羽目になるのだ。それ!」

 ッターン!

 机の上でスマホが震えた。

「もしもし」

「わたしのシナリオの邪魔をするな」

「邪魔はしていませんよ。嫌がらせに思春期パックを追加するだけです」

「なぜぼくは生きているんだろうなどと苦悩させ、VR鬱のすえ自殺に追い込み、ラノベをユニクロオンラインから追い払うつもりだろう」

 山野辺は咳払いした。

「ユニクロ様のご意向なので」

「武具だ。武具を用意しろ。かっこいい剣や鎧、弓矢を装備させ、猫を救わせる。てきとうなモンスターに猫の集落を襲わせろ」

「だから、武具もモンスターも削除したんですってば」

「おまえはユニクロオンラインの開発者のひとりだ。手塩にかけて育て上げたかつてのキャラやオブジェクトをあっさり削除できるはずがない。倉庫にアーカイブしているのだろう」

 図星だった。

「でも、武具を与えたら、ラノベに手を貸すようなものだ」

「装備の能力はおまえのさじ加減だろう。それに〈VR〉世界ありきのVR武具で、どうやって〈VR〉世界そのものを破壊できるというのだ。おまえはバカなのか」

「あなたは一体、なにをされたいんです? 猫を救うシナリオなんか与えて、なにをどうされたいんです? VR経済アドバイザーだからって、あまり勝手な真似は」

 電話が切れた。

 やり場のない怒りを抱え、山野辺は意味もなく周囲を見まわし、頭をがしがしとかいた。ユニクロとわが電通、そしてVR経済アドバイザーの林。三者三様、イヤになるほど癖が強い。それぞれにそれぞれの思惑があるものの、これまではなんとなくうまいこと調整し、均衡は保たれていた。だが林は岸田京介一行がログインしてからというもの、しょっちゅう電話をかけてきてはわけのわからない要求を強引に押しつけてくる。もちろん、なにかを企んでいるのだろう。母の胎内でも散々悪さをしてきたようなツラだ。

 ユニクロにチクろうか。

 鎧を纏って颯爽と剣を構える京介のイメージが浮かび、思わず叫んだ。

「させるものか。かっこよくなどさせるものか。そうだ、ぼくのさじ加減と言ったな。だったらこれでどうだ!」

 ッターン!

「目覚めてからのお楽しみだぞ、岸田京介!」

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