第82話 猫までの険しくない道のり ナールの真実

 ヒントどおりに葬儀屋の職を求め、一行は所定の住所へ向かった。

 やがて一行は日本最古のタワーマンション、くさいたまハウスにたどり着いた。80年代当時はステータスシンボルとして人気を誇っていただろうと思わせる古くさい外観だった。1階のテナントには学習塾が入っている。上階はふつうの分譲マンションのようだ。

 603号室をノックすると、〈ナール〉の男が出てきた。用件を聞いたあと、京介たちを親しげに迎え入れた。応接室へ案内される。緑色のカバーを掛けたソファが4つ、レースのクロスをかけたガラスのテーブルを囲んでいる。壁面に貼りつけた棚には、ミニミニ仏像やプラスチック製の墓石、熊のぬいぐるみ、おばあちゃんを囲んだ3世代の家族写真など、死を連想させるグッズばかりが合計13個並んでいた。

 しばらくして、紙コップをかぶせた200ミリリットルのペットボトルを3つお盆に乗せ、〈ナール〉の男が戻ってきた。上座にすわる京介を見て眉をひそめたが、まあいいかと肩をすくめ、入り口に一番近いソファに腰を下ろした。

「残念だが、納棺アシスタントは、さっき来た主婦に決めちまったんだ。悪いね」

 と言う〈ナール〉の男は、〈ナール〉でありながら赤い肌を持ち、指は3本、周囲を巡るクリスタルも4つだけだった。しかもあろうことか、錫杖ではなく宝石をちりばめた剣を手にしている。これで〈ナール〉だと言われてもだれも納得しないだろう。

 京介はうなずき、〈ナール〉に言った。

「断られることはあらかじめわかっていた。この世界に『主婦』などいないことも」

〈ナール〉は疑わしげに目を細めた。

「じゃあなんでわざわざやってきたんだ」

「次の展開に移るためだ。なんでもいい、NPCよ、ヒントを漏らすのだ」

〈ナール〉の男は口ごもった。瞳孔のないシアンの目で、ちらちらと天井を見上げる。絶対支配者におうかがいを立てているように見えた。

「ヒントを言いたくて仕方がないのだろう」

「な、なぜわかるんだ」

「おまえらはヒントを口走るために存在している。それがおまえらNPCのレゾンデートルなのだ」

「難しい言葉を知っているんだね」

「おだてても無駄だ。黙ってヒントを漏らすのだ」

「たしかに、あんたの言うとおりだよ。それが証拠に、おれはいまにもヒントを漏らしてしまいそうになっている。だが、見くびってもらっては困る。おれは〈ナール〉だ。誇り高き〈ナール〉の男なのだ」

「そもそも〈ナール〉とはなんなのだ」

「言うものか。決して言うものか。〈虚空の主〉の名にかけて!」

「ヒントを漏らすまでは帰らない」

〈ナール〉は〈ナール〉らしくない耳をほじりながら言った。

「というか、あんたら人間なんだから、ユニクロ工場で働いたら? 葬儀屋なんて猫のやる仕事」

 耳くそをほじる指が止まる。

「さすがはNPC、その調子だ」

 色葉が身を乗り出し、強い調子で言った。

「確認させてください。ここユニクロオンライン内では、リアル世界でいう無能階級が、低賃金労働者として紡績工場で働いている。そしてさらなる消費意欲増大のため、格差が人為的に生み出された。差別する対象は猫。猫は人間が忌避する汚れ仕事を押しつけられている」

「まとめ上手だね。まとめサイトの管理人になったら?」

「話をそらさないでください。無能階級はどこにいるんです? 工場は? そして猫は? あなたが存在することからもわかるとおり、ユニクロオンラインは過疎化していない。住人のいない〈VR〉は即刻閉鎖されるでしょう? ラノベの〈打ち切り〉と同じです」

 汗をかかないはずの〈ナール〉がハンカチで額を拭いた。

「せ、選択肢は、ひとつにしてくれないかな」

「労働者はどこにいるんですか?」

「工場だ。だが敷地内に入れるのは従業員だけ。残念」

「では猫はどこにいるんですか?」

〈ナール〉はびくりと体を震わせた。

 京介が言った。

「苦しいだろう。どうやら正しい選択肢を選んだようだ。そのあとなにも答えないNPCなどあり得ない」

「猫はどこにいるんですか?」

「ぐぐぐ」

「猫はどこにいるんですか?」

「色葉、待つのだ」

 色葉は待った。

 待ったまま3分が経過した。

〈ナール〉はかすかに体を揺らしながら、ときおりあさっての方へ顔を向け、頭をかき、テーブルを見つめ、ソファにすわり直した。しばらく観察したところによると、〈ナール〉の男はだいたい30秒おきにときおりあさっての方へ顔を向けて頭をかいてテーブルを見つめてソファにすわり直す仕様のようだった。

 3回目のループのあと、言った。

「用がないなら帰ってくれないか」

 さらに待った。

「用がないなら帰ってくれないか」

 京介は暗い愉悦に浸りながらさらに待った。

「用がないなら帰ってくれないか」

 待機時のセリフはひとつだけか。さらに待った。

〈ナール〉が突然立ち上がったので、京介はソファからずり落ちかけた。〈ナール〉の強靭なふくらはぎによってソファが弾き飛ばされ、ごろりと上を向いた。

「猫!」

「猫?」

「猫!」

〈ナール〉は片足を持ち上げ、テーブルに勢いよくたたきつけた。ガラスの天板が危険にたわみ、小物類が飛び跳ねペットボトルのお茶が床に転げ落ちた。

 片足を乗せたままぐいと色葉に顔を近づける。

「バグったんですか?」

「ここから少し西へ進んだところに、ガソリンスタンドがある。交差点の角で、いまにも屋根が崩落しそうな外観だから、すぐにわかるだろう。もちろん屋根は崩落しない。そこに猫がいる」

 ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。

「罠なんですね?」

「もちろん罠だ。だがそういうのはふつう、気づかないふりをするものだよ」

「ヒントはヒントね」

「いや、これはヒントではないんだ」

「じゃあなんです?」

「責任逃れだ」

「おまえは誇り高き〈ナール〉ではないのか」

「とにかく行きましょう。次の展開よ!」

 ラノベ一行がどやどや出ていったあと、〈ナール〉はゆっくりソファに腰を沈め、頬杖をつき、宝石をちりばめた剣を物憂げにもてあそんだ。

 天を見上げ、言う。

「おれはいま、NPCとして最大の禁を犯した。スクリプトを無視し、アドリブで発言したのだ。おれには地獄の業火が待ち受ける。だがおれは後悔していない。おれのヒントがきっかけとなり、岸田京介とその一行は永遠にVR世界の住民となるのだから。そう、おれのひとことが、岸田京介の野望を食い止めたのだ。そのとき歴史が動いたのだ」

「AIも承認欲求を与えるとウザくなるんだなあ」

 都内某所で管理者がつぶやいた。

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