第77話 ログイン! の前にしまむらの安さの秘密

 ラノベ一行は多数決の結果、ヘリポートから地上へダイブする代わりに常識を選択した。

 ヘリポートから鉄製の階段を降りる。京介は未練たらしく、自分はビルの屋上から飛び降りアスファルトをめくり上げながらかっこよく着地できるはずなのだと言いつづけた。だったらやってみろと色葉が返した。いずれやってみせると京介は請け合った。色葉は東の138メートル下を指さし、いまやってみろ、ここからあの京浜東北線の線路中央にかっこよく着地してみろと言った。京介はようやく黙った。

 色葉は手すりにつかまり、アッシュブラウンの髪毛を効果的になびかせながら、西側の屋上機器を見下ろした。風の音がこだまするのみで、人工的な騒音や振動は一切感じられない。

 塔屋2階に入る。なぜか扉は開きっぱなしだった。〈VR〉だからだと京介は言った。色葉は無視した。

 予想どおり、屋内は暑かった。真っ暗で、静かだった。奥へ進むと、完全な闇の訪れとともに空気の動きが完全に止まった。おしっこのような悪臭はそれほどでもなかったが、鼻が慣れてしまっただけかもしれない。

 無だ、と京介が言った。

「待って。明かりを」

 バッグをかきまわすごそごそという音のあと、懐中電灯の明かりが京介の目を射た。色葉の顔が闇にぼんやりと浮かび上がる。すでに額に汗が浮かんでいる。

 塔屋1階の非常用エレベーターにたどり着いた。

 京介はエレベーターに駆け寄り、下向ボタンをこぶしでたたき、挑むように階数表示を見上げた。

 うんともすんとも言わなかった。

「階段で行きましょう」

 北西側の階段を降りながら、京介はエレベーターの話を何度も何度も蒸し返した。

「電気が来ていないの。だから動かないの」

 色葉はにべもなく言った。7回目だった。

「そうではない。おれはそこまでバカではない。電力なしでエレベーターが動かないことくらいは知っている。だがここは、〈VR〉なのだ」

「いつログインしたっけ」

「〈VR〉ならば、電力供給とエレベーターの作動とはなんの関連性もない。なぜなら行き過ぎたリアルはみんなに嫌われ、過疎化の原因となるからだ。必ず動いたはずなのだ。動かなかったのは、おまえらが信じようとしなかったからなのだ。大塚明夫の言うことは絶対なのだ」

「神の言うことならなんでも信じるの?」

「それが使徒というものだろう」

「ここがリアルじゃないと証明できる?」

「いずれ証明してみせる。しかもかなりかっこよく」

「春ちゃん、意見は?」

 春は答える代わりに跳躍し、パルクールの使い手も真っ青の壁歩きを交え、半階下の踊り場に着地した。

「春ちゃんについては、現実も〈VR〉も関係なしね」

「あたくし、大活躍の予感」

 24階分の階数を降り、くたくたの一行はようやく高層棟2階にたどり着いた。暑さももちろんだが、降りるにつれいろんなフレーバーの悪臭がトッピングのように追加されていった。現在は蒸れた靴下臭が支配的だった。

 エレベーターフロアに出る。先の廊下に柔らかな自然光が差し込んでいる。だれからともなく駆け出した。窓に寄り、外を見下ろす。地上レベルのさいたまは、やはり完全に沈黙していた。

 そのとき。

 階段方面から明らかに大便器の水を流したと思しき音が聞こえた。一同ぎょっとして振り向いた。

「だれかがうんこした」

「ちがう。モンスターの仕業だ。ビルに巣食うゴースト、いやファントムかもしれない」

「そのとおりよ」

 色葉が肯定したので、京介は逆に驚いて二度見した。

「おそらく貯水槽のフラッパー弁がへたっているのね。勝手にトイレの水が流れるのは、リアルでもよくあることなの」

 じつにラノベらしい、さっきインターネットで仕入れましたと言わんばかりの蘊蓄を得意げに語った。これがほんとのファントムフラッシュ、みたいな。

 それでいい。京介は色葉の成長ぶりに目を細めた。

 廊下を道なりに進む。ほどなく左手に、駅改札を思わせる入管ゲートが見えた。

 京介がゲートに駆け寄ると、何者かが声高に呼ばわった。

「待ちなさい!」

 ゲートの向こう、正面玄関受付の陰から、何者かが姿をあらわした。

「訪問票は持ってる?」

 赤いスカーフで顔の下半分を覆っている。京介は自らを盾に〈ヒロイン〉ふたりの前へ立ち、世界観の説明や〈属性〉や〈ステータス〉を決定するためにあらわれたであろう人物を観察した。目元を見る限り、日本人ではなさそうだった。〈VR〉であれば美形で白人風の顔立ちなのは当然だろう。白人は美しい。白は美しい。黒髪をアップにし、無造作にまとめている。すり切れたストールを羽織っている。膝の抜けたジーンズを履いている。Tシャツはうっすらとしたボーダー柄だった。ストールと同色のパンプスを履いている。

 ファッションはどうでもよかったが、その目には見覚えがあった。

「上原、アリシャ」

「お久しぶりね、京介くん。こんなところで偶然ばったり」

「なぜアリたんが、さいたまに。これは、現実なのか…………」

 雰囲気たっぷりに言う。上原はスカーフを首元に下ろした。

「あの〈打ち切り〉後、わたしはラノベも、あなたのことも、完全に忘れていた。いえ、忘れたつもりだった。そこへ保健の先生があらわれ、わたしは出たがりの〈大人〉たちとともに、無理やり次章を構築した。でも、あれはラノベじゃない。断じてラノベじゃない。教育問題、格差問題、経済問題についての対話に、有識者会議。おそらくあの一連のくだりで、かなりのみんなが脱落したことでしょう。でも、その甲斐はあった。展開よ。わたしはみんなの脱落と引き換えに、さいたまの窮状を知った。そしてあなたたちの〈打ち切り〉回避の報を受け、詳細を伝えるためにやってきた。ということで、さっそく詳細を説明するね」

 色葉が言った。

「さいたまには入学試験に落ち現実に仕事もなく〈VR〉世界で働く無能階級と呼ばれる人たちが暮らしているんですよね」

 上原は目をぱちくりさせた。

「なぜ知っているの」

「本を読みました」

 上原はしばらく黙った。

「独自に気づいちゃったんだ?」

「ええ。本にぜんぶ書いてありました」

 上原はわずかに首をひねり、天井に目を向けた。

 京介が言った。

「アリたんよ。〈大人〉たちによる無駄な数節はどうでもいい。いまは、ラノベなのか。ラノベに戻ったのか。おれたちと再び、ラノベをしにあらわれたのか」

 上原は首を振った。

「わたしはもう、ラノベはできない。ふとした拍子に胸を触らせたり、ふとした拍子に〈馬乗り〉になったり、〈着替え〉をのぞかれたり、〈お風呂〉に入ったり」

「なぜできないのだ」

「モデルになったから」

「なんのモデルだ」

「恋愛禁止なの」

 京介はよくわからないまま一歩踏み出した。ゲートを越えかける。

 上原が手を上げて制した。

「入管ゲートから出てはいけない。説明しても理解できないでしょうけど、あなたたちはいま、リアルな存在なのよ」

「だが神が、さいたまは〈VR〉だと言われた」

「さいたまはふたつの顔を持つ。ゲート脇にスペースがあるでしょう。そこから出れば、あなたたちはその瞬間、〈VR〉世界に突入する」

「なぜ知っているのだ」

「しまむらがわたしに告げた」

 色葉が反応した。

「しまむら?」

「そうよ。しまむら。わたしは単独でさいたまへ入場したあと、しまむらパトロールに救われたの」

「しまむらパトロール?」

「そしてしまむらとともに、リアルさいたまでユニクロと戦う決意を固めた。このコーデも、すべてしまむら」

「しまむらとはなんです? もしかして、衣料品店ですか」

「正確にはアベイルだけどね」

「そのTシャツも?」

「しまむらよ」

「そのストールも?」

「ジーンズも、パンプスも、すべてしまむら」

「なんておしゃれなの」

「気がついたようね。ところで色葉さん。あなたは、ユニクロを何着か持っているでしょう」

「もちろん持っています。ほぼ全身ユニクロの日もあります。でも、上原さんのお召し物、ユニクロよりおしゃれに見える。なぜかはわからない。そしてユニクロより、バラエティ豊かな気がします」

「さすがの見識ね。あなたもわたしのように、しまむらコーデでおしゃれにキメて街へ繰り出したくなったでしょう。でも、ひとつだけ言わせて。なぜしまむらは安いのか、その安さの理由を説明させて。しまむらは、決して安かろう悪かろうではない。しまむらはユニクロやGAPのようなSPA、つまり製造小売業ではなく、各アパレルメーカーから仕入れ販売を行う業態なの。まあいわゆるふつうの小売業ね。でもしまむらは、バイイングに際し、厳しい4つの掟を掲げ、その結果コストを抑えることができている。すなわち発注品の全量買い取りによって仕入れ値を抑え、全国に整備された最強の自社物流網によって店舗間移動を適切に行い、在庫リスクを軽減している。つまり、企業努力の結果の安さなの。決して『高見え』ではないの。お値段以上なのよ! そしてなぜ、しまむらはユニクロとちがい、あれほどバラエティに富んでいるのか。ユニクロの少品種大量生産とは真逆の、多品種少ロットの販売ポリシーを採用しているからよ。そしていくらそのサンダルが人気爆発しても、しまむらは売り切れご免、追加発注は基本的に行わない。ではわれわれおしゃれ求道者にできることとはなにか? 日々の店舗チェックを欠かさないこと。いいなと思ったら即購入すること! 売り切れてからでは、あのロングカーディガンは二度と手に入らないと心得よ! わかった?」

「わかりました!」

 京介が心の底からの悲痛な叫び声を上げた。

「さっきからなんの話をしているのだ!」

「現実の話よ」

「安さの秘密の話だろう」

「言っておくけど、わたしはひとつもふざけていない。〈無駄な会話〉でページ数を稼いでいるわけでもない。稼ぐのはあなたたち。わたしはもう、ラノベではないのだから。話をつづけると、かつてしまむらは、北は北海道から南は九州・沖縄まで、全国約1400店舗を出店し、奥様のファッションを実効的に支配していたのね。でも、致命的な欠点があった。あまりに奥様すぎたのよ。当時の若者は、田舎の服屋だと言って見向きもしなかった。そこへ目を着けたのが、ユニクロよ。ユニクロはナンバーワンファストファッションブランドとして全国に勢力を拡大し、結果しまむらは次々と閉店に追い込まれ、現在さいたまに数店舗を残すのみとなった。さいたまは株式会社しまむらの総本山、世界で唯一ユニクロの支配を免れている県なの。その安さと品質、ついでに武力で必死に抵抗している。でもユニクロは、包囲網を狭めつつある。さいたま市北区のしまむら本社も、陥落寸前。もししまむらが絶滅してしまえば、わたしたち若者のファッションはどうなるか。バラエティに富んだわたしらしいコーデはどうなるか!」

「しまむらは失われてはいけない」

 色葉が言った。京介は悲痛に問いかけた。

「なぜおまえまで洋服ネタに乗っかるのだ」

「だっておしゃれだもの。安くておしゃれでバラエティに富んだ洋服屋さんは絶対の真実。ですよね?」

「そのとおりよ。わたしはいま、しまむら店員や有能なパートさんとともに、ファッションモデルとしてゲリラ活動を行っている。しまむらは奥様だけでなく、若者に寄せる決断を下した」

「いまこそ全国の若者に真実を伝えるべきです。しまむらはおしゃれなのだ、と」

「そうそう」

「そうそう」

 京介は女どもを一喝し、ファッション関連の話を打ち切った。

「ルックスが悪ければどのようなファッションも無に帰す! これが究極の真実、ファイナル・トゥルースだ! ついでにおれはユニクロが好きだ! ユニクロさえあればいいとすら思っている! おれたちはいますぐ脇のスペースを抜け、〈VR〉世界に突入しなければならない! リアルさいたまのファッション戦争に巻き込まれるのはごめんだ!」

「えー」

「リアルさいたまは、ユニクロとしまむらのファッション戦争で、死の街と化している。電気ガス水道は来ているから生活自体は意外と快適だけどね。さいたまの本当の窮状、あなたたちが告発すべき窮状は、〈VR〉世界にこそあるのよ。さいたまの真実、中卒の人々の真実は、ユニクロオンラインの中にある」

 京介はとりあえず行動に出た。ゲート脇のスペースに歩み寄り、見えない壁を探すように、おそるおそる手のひらをかざす。抵抗はない。一歩踏み出した瞬間、上原アリシャの姿が消えた。

 思わず身を引く。

 映像的に復活した上原が、京介を真正面から見つめ、言った。

「最後に忠告する。ユニクロオンラインを甘く見ないで。なるべくリアルと同様に立ち振る舞うのよ」

「ビルの屋上から飛び降りてはいけないのか」

「ひと昔前の〈VR〉なら、問題はなかったでしょう。ただの迷惑者として処理されるだけで済んだ。でもユニクロオンラインでは、そうはいかない。あなたが考えている以上のリアルなのよ。つまり、現実逃避のための〈VR〉ではなく、現実として構築された〈VR〉なの。だから、高いところから落ちれば骨折する。おなかが空いたら食べること。少女に突然話しかけられても、ほいほいついていかないこと。わかった?」

 京介は再びゲート脇に手を差し伸べた。手首から先がざっくりと消えた。

 手を引っ込めて言う。

「上原アリシャよ。なぜラノベをやめてしまったのだ。なぜ同行を申し出ないのだ。〈大人〉の分別か。おれはあの、昔の大人げないアリたんが懐かしい」

 上原はしばらく考え込んだあと、言った。

「わたしはいま、ある意味現実と虚構の狭間にいる。26歳OLとして、高校2年生男子を愛してしまった。愛していることに気づいてしまった」

「えっ? なんだって?」

「黙って聞いて。わたしは〈ヒロイン〉になることをあきらめきれず、〈主人公〉であるあなたに執着した。〈メイン〉の栄光をつかみ取るため、〈主人公〉のあなたを利用しようとした。でもあなたは、どこまでも純粋だった。そしてどこまでも男だった。ひとこと『おっぱい揉みたい』と言えば揉めたのに、『直でスパッツ履いて』と言えば履かせられたのに、〈ハーレム〉状態であるにもかかわらずひとつも調子に乗らず、ラノベの〈主人公〉にあるまじき常識を保ちつづけ、世界を変えるという目的から目をそらさなかった。そうしていつしか、あなたを見る目が変わった。わたしは本気で、この人と一生をともにしたいかも、と思った。あなたは美人で〈ハーフ〉の申し出を断れない。でも、その結果は? 地域社会の秩序を乱す、リアル年の差国際カップルよ。両親や親族にどう説明できる? 10歳年上なんです。しかも父方の実家がポーランドなんです。ラノベらしくない発言でごめんね。とにかくわたしにもうラノベはできない。なぜならわたしは、〈主人公〉ではない、素のあなたを好きになってしまったから。だからわたしは、モデル活動をしながら、あなたの帰りを待つことにする。キスを」

 上原はストールに手を添えながらモデル歩きでゲートまでやってきた。唇に指先を当て、ゲート越しに手を伸ばし、京介の頬に触れた。

 ほんの一瞬、恥ずかしげに顔を伏せた。そのあと睫毛を持ち上げ、京介を見て言った。

「愛してる。〈伏線〉として」

「おれもだ。多少強引な気もするが」

「わたしのもとへ、とは言わない。でも生きて帰ってきてね」

「さらばだ。上原アリシャ」

 頬が熱を帯びている。ハーフによる間接キスで男としてひとまわりもふたまわりも大きくなった京介は、必ずリアルに戻ってくるという決意を胸に、ゲート脇のスペースを抜け、力強く〈VR〉へログインした。上原アリシャは消えた。

「なぜ悲しくないんだろう」

 後を追ってログインし、鼻息荒く出口へ向かう京介の背中を見やりながら、色葉はつぶやいた。ふとネタバレメイドの未来予測を思い出した。さいたまでは、強大なライバルがあらわれるという。上原アリシャのことだろうか? それとも新たな〈ヒロイン〉だろうか?

 そして、お風呂。

 リアル〈VR〉でお風呂。

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