第76話 しまむらの戦い

 かわぐち市でゴミの山を登っていたのは、慧眼な読者はすでにお気づきのことと思うが、上原アリシャだった。

 ではほかの4名はだれなのか。

「もうすぐ朝日店に着くぞ」

 色とりどりのスカーフを巻いて顔を隠した一団とともに、廃棄物の小丘を登る。上原の見立てでは、家庭系ゴミの丘のようだった。破れたポリ袋からは、ありとあらゆる家庭ゴミがあふれ出している。汚物を取り除いた紙おむつ、干からびた漬物がへばりついた弁当の容器、プラスチックの玩具、丸めたティッシュ、封も開けていないNHKからの請求書、そして生ゴミ。バランスを崩して手をつくと、どろどろに溶融した黒いなにかをつかんだ。

「電線に気をつけろ」

 振り返り、足を引っかけた先を見る。ケーブルがブービートラップのように横切っていた。

 上原は黒いべとべとを黄色いポリバケツにこすりつけた。

 夏の太陽が圧倒的なエネルギーで熱を放射する。信じられないほど巨大なハエが羽音を立て、自身もゴミと化しつつある上原の周囲をいくつも飛びまわっている。ハエの未成年である蛆虫もいた。それからみんなの家にもたくさん住んでいるであろう黒い昆虫が、ときおり顔を出してはさいたまの太陽と熱さに驚き、ささっとゴミの日陰に潜り込んだ。

 ゴミと悪臭とハエにまとわりつかれた上原は、先ほどからよけいなことを考えつづけて無駄にカロリーを消費していた。

 みんな意外とまじめに分別しているらしい。さすがは超高度教育。民度高杉。

 先ほど越えた丘は産業廃棄物だった。石膏ボードやガラス片、コンクリートのかけら、腐った畳、固めた廃油、麻袋に詰め込まれたなにか、古タイヤ、などなどなど。硬いぎざぎざで皮膚を切ったかもしれない。もちろん悠長に腰を下ろして確認できる状況ではない。

 銃で背中を小突かれた。残り少ない力で体を起こし、一歩、また一歩とゴミの丘を登る。ろくに息も吸えない、重くまとわりつく熱と臭気。毛布の例えは本当だ。本当に熱に押し返されて先へ進めないのだ。いずれ撃たれようが顔じゅうハエにたかられようが蛆虫にまみれようがゴミの山に頭から突っ込んで日陰で涼む黒い昆虫とご挨拶しようが、すべてがどうでもよくなるだろう。

 先を登る男が立ち止まり、強烈な太陽光を背に振り返った。慎重だが慣れた足取りで降りてくる。プラ製品がからからと転げた。

 男は上原の前でしゃがみ、リュックを外し、中からなにかを取り出した。

 酸素缶だ。マスクを上原の口に当て、ノズルを指で押した。

「だいじょうぶか?」

 上原は反射的にうなずいた。缶を受け取り、何度も何度もノズルを押した。味がついているわけではないので効果のほどは実感できない。だが心なしか視界がクリアになった気がした。

 男はさらにリュックから取り出した。

「マスクを着けろ」

 上原は手の甲で頬を拭い、防毒マスクを着けた。深呼吸を繰り返すうち、「防」の名のとおり次第に守られているような感覚を覚え、比較的落ち着いた。

 目を上げ、ありがとうと男にうなずく。

「やはり都民に、さいたまの地は過酷すぎるようだな」

 家庭系ゴミの丘を登り終える。上原は防毒マスクを外し、急いで酸素を吸った。マスクを着け、元来た道を振り返る。砂漠めいた廃棄物のうねりが太陽の熱と輻射熱で揺らめき、はるか先まで広がっている。ビルや鉄塔が頭をのぞかせているが、高さの判断はつかなかった。

 ゴミの惑星だ。

 ライフルを抱え顔の下半分をスカーフで隠した男女3名が、力強い足取りで追いついた。女性が上原の前に立ち、ぎらぎらとにらみつけた。髪にはゴミが付着し、脂にまみれ、ほぼドレッドヘア状態だった。ほつれ毛が踊る額は黒く汚れている。年齢はわからない。体は自分よりほっそりしているように見えるが、過酷なバックグラウンドのようなものを全身から発散させている。抵抗すればあっさり組み伏せられるだろう。それにライフルを持っていることだし。

 先ほどマスクを渡したリーダーらしき男が、上原のそばに立ち、北東を指した。

「アスファルトが見えるだろう。岩槻街道だ」

 500メートルほど先に、南北に伸びる幹線道路が揺らめいている。現在位置から見てかなり下方にあったが、距離と同様まともな判断ができているとは思えない。国道の向こう側はゴミがなかった。ゴミの終点といった風情だ。

「朝日店はすぐ先だ」

「なんのお店です?」

 上原はマスク越しにもごもごと言った。

「朝日店というからにはチェーン店なんですよね」

「あんたは知らない。かつて知っていた者も、いまでは忘れているはずだ」

「なんていうお店ですか」

 男はトランシーバーを手に、岩槻街道を見下ろしながら言った。

「コントローラー。こちら店長だ。服を頼む。めぼしい女性を見つけた。どうぞ」

 上原は耳を澄ました。

 コントローラーと呼ばれた相手が応答した。

「了解。奥様のお財布に優しい各種婦人服をそちらへ配送する」

「奥様じゃない。若い独身女性だ。おばちゃんルックの婦人服ではダメだ」

「われわれはアパレルショップではない。安さと品揃え、それがわれわれ」

 ザーと言い、通信が終了した。


   ◇


 最後の丘を降り、岩槻街道にたどり着いた。マスクをくれた男がほか3名にうなずく。全員がライフルを構えて散開し、通りや建物の隙間をのぞき込んだ。

 ひとり取り残された上原は、交差点へ顔を向けた。LED信号機が見える。赤、青、黄色、すべて消えている。通りに沿って田舎くさい電線が張り巡らされている。右手のゴミの山は、もろにケーブルに触れている。もちろん被覆されているから電気が流れることはない。だがここは通常の環境とは異なる。いろんなヤバいガスが吹き出しているはずだ。

 国道の先の結節点に目をやる。細切れの用地に、ゴミのせいではなく元々薄汚れていた昭和の建物が雑然と列を成している。民家にコンクリート塀、シャッターの閉じた店舗。はるか先にオレンジ色の看板が見えた。吉野家だ。もちろん営業はしていないだろう。

 上原はこっそり振り返った。連中は周囲の安全確認をつづけている。意識が朦朧としていますといった足取りで交差点へ向かった。車道にはゴミが散乱しているが、車が通れないほどではない。国道は明らかに意図して清掃されている。

 道路照明灯のひとつが点灯していた。

 上原は思わず歩き出した。

 数歩進むと、肩をつかまれた。

 交差点付近で、4名の男女が自然に上原を取り囲む格好となった。周囲の安全は確保されたようだ。

 上原は重い腕を持ち上げ、降参のポーズを取った。そして意を決してたずねた。

「あなたたちは、だれなんです」

「あんたはGAPだろ?」

 リーダーではない、飛び抜けて背の高い男が言った。上原は刺激しないよう、質問にだけ答えた。

「いいえ。わたしはGAPではありません。GAPで働いたこともない。GAPを着ているだけの、ふつうの人間です」

「ふつうの人間だってよ」

 背の高い男が喉を鳴らし、肩を揺らした。

「これ見よがしにおしゃれしやがって。あんたはキャンペーンモデルかなんかなんだろ」

「はい?」

 リーダーが制した。

「この女性がモデルと決まったわけじゃない。それに都内には、おしゃれ目的で洋服を着る人間もいるんだ」

 どういうローカルルールかまったくわからないが、連中にとっては洋服のメーカーがなによりも重要らしい。生かすも殺すも選んだメーカー次第。そしておしゃれをすると銃を向けられて怒られる。

「な、なにを着ればいいんでしょうか」

 上原はどもりながら言った。

「どのメーカーを着れば、解放していただけますか。わたし、とくにこだわりはないんです。たまたまGAPを着てきただけで」

 リーダーが言った。

「解放するつもりはない」

「そういえば橋で、あなたは言いましたよね。『ユニクロか』と」

 ほっそりした女性が突然、ライフルを反転させ、台尻で上原の腹を殴った。

「それ以上しゃべるんじゃないよ」

 上原は地面にうずくまり、うなずいた。

 これもうラノベじゃない。


   ◇


 どれだけ時間が経ったのかはわからない。気を失ったつもりはないが、それでこその気絶というやつだ。

 上原はいま、横たわっていた。

 床はひんやりとしている。ほてった体に心地よいが、御影石かなにか、とにかく横になると怒られるタイプの床だった。

 照りつける太陽の熱が消えていた。圧倒的な廃棄物のにおいも。

 薄目を開ける。

 目の前にブーツが立っていた。

 眼球を動かせる範囲で見まわす。

 屋内は広々としている。とりあえず個人の住居ではない。

 光源は見当たらない。だが窓から差し込む自然光のみで充分明るかった。

 首のない裸の胴体が目に留まった。金属の棒で縦方向に串刺しになっている。

 少し離れたところで、ふたりの人物が口論していた。

「あたしは反対だ」

「だがハーフだ」

「自殺行為だよ!」

「だがハーフだ」

「どんだけハーフが好きなのよ?」

「普段着でGAPを着る女性だ。おしゃれだ。ここさいたまにいるだれよりも。そして言うまでもなく、GAPは高級ファッションブランドだ」

 カジュアルブランドなんですけどと言い返しそうになった、そのとき。

 上原の視覚を司る部位を、既視感のまったくない3次元映像が駆け抜けていった。

 ラノベシグナルだ。

「京介、くん……」

 思わず〈リーダー〉つきでつぶやく。なぜこのようなものが見えてしまうのかは自分でもわからない。才能か、精神疾患か。いずれ科学的に解明してほしいと切に願う。だが岸田京介は、さいたま新都心合同庁舎2号館にいる。確実にいる。

 偶然ばったり出会わなければ。

「いつまで寝たふりをつづけるつもりだ?」

 ひとりがせせら笑いながら言った。両脇を抱えられ、無理やり引き起こされる。

「立つんだよ」

 横すわり状態の上原に、女性がしゃがみ、顔を斜めにしてのぞき込み、言った。スカーフは外され、素顔がさらされている。30代だろうか。顔の下半分も黒く汚れていたが、造形は整っていた。清潔にして薄く化粧をすれば云々、といった顔立ちだ。

 脇を抱える男ふたりに言った。

「しっかり立たせな」

「おい、仕切るなよ。パートタイマーのくせに」

「口に気をつけるんだね。あたしがいなけりゃ、あんたらは1日だって店をまわせない。だろ?」

「あんたが特別だからじゃない。世の中には、才能をくすぶらせている奥様が大勢いる」

「そうさ。つまり、あんたら正社員は必要ないってこと」

「なんだと」

 よくわからない口論がつづいた。戦闘員の雇用にも正規と非正規があるのだろうか。

 リーダーが割って入り、やめろと言った。

「パートさんを大切に。いちばん大事にすべきは、最前線に立つ者たちなんだ。戦場でも、店舗でもな。それがわれわれの教えだ」

 上原は男たちの手を借り、立ち上がった。先ほど見た、首のない裸の胴体が目に入った。

 ただのマネキンだった。串刺し死体ではない。

 広々としたフロアには、柱を境に、洋服を満載したハンガーラックがはるか先まで列を成している。柱には「Sale」と書かれたポスターが貼られている。天井には看板がぶら下がっているが、片側の留め具が外れて落ちかかっている。現在の立ち位置からは、かろうじて「ファッションセンター」の文言が見えた。

 髪を揺らして振り返る。無人のレジカウンターが並んでいた。

 ここはかつてのアパレルショップのようだ。だがそのわりには華やかさがない。ライティングの問題なのか、どの洋服もおばちゃん風のデザインだからか。

 肩をどつかれ、向き直った。

 どうにかして逃げなければ。岸田京介に偶然ばったり出会わなければ。意外なことに、あきらめるという選択肢は浮かばなかった。

 いちばんものわかりのよさそうなリーダーに言う。

「聞いてください。さいたまには、大勢の人間がいる。そうですよね?」

 リーダーがかすかに驚いたような表情を浮かべた。外したスカーフが首元を彩っている。残念なことに男前だった。

「なぜそう思うんだ」

「さっきの国道です。信号が消えていた。県警は機能していない。だからそのような銃で自衛する必要があるんですよね」

「それと大勢の人間がいることになんの関係がある?」

「道路照明灯のひとつが点灯しっぱなしだったんです。自動点滅器の故障でしょう。そう、なぜか電気は来ている。そして国道はなぜか清掃されていた。地域住民のボランティア活動じゃありませんよね? なぜ国交省は管理をつづけるんです? 物資や人をよそから輸送するためでは?」

「ゴミトラックが出入りしている」

「ただゴミを捨てるだけならインフラは必要ない」

 リーダーは口元に笑みらしきものを浮かべて黙った。

「お水を1杯、もらえますか」

「ここにきれいな水があると思うか」

「蛇口をひねれば出てくるのでは?」

「あんたにやる水なんかないよ」

 女性が口を挟んできた。

「みなさんは、たしかに薄汚れていますが、そこまでではない。原始的な生活に逆戻りしたわけではないのは、見ればわかります。アメリカのテレビドラマと同じですよ。みなさんはなにかと戦いながら、夕どきにはコンロでカップスープをこしらえたりするんですよね? そして、みなさんのためだけにインフラが維持・整備されているわけではない。別の者たちのためです。それも大勢の」

「テレビドラマ?」

 リーダーが口走った。

「わたしはこのために、さいたままでやってきたんです。あの人たちは、どこに住んでいるんです? 入試に落ち、社会から追放され、わたしたちの目から隠されつづけてきた、虐げられた人たちは? この事実を、都内の人間は知らない。わたしは証拠をつかみ、告発するためにやってきた。中卒の人々がいまも、さいたまの地で暮らしているはずなんです!」

「あたしらが中卒だって?」

 暴力の気配に、上原は手のひらを向けてあとじさった。

「こいつ、あたしらをバカにしてるんだ! やっちまおう!」

「やめろ」

「スパイかもしれない!」

「やつらのスパイがこんなにおしゃれなはずはない」

「そんなにおしゃれに見えます? 本当に普段着なんですけど」

「なにが『アパレル』よ! あたしたちは、主婦層をターゲットにした衣料品販売店なんだ! 美人でハーフのモデルは必要ない!」

「やつらに勝つには、これ以外に方法がないんだ。いまこそ、おれたち自身が変わらなければならない。主婦層だけではなく、低年齢層にもしっかりアピールするんだ。もっとおしゃれに、アニメキャラとコラボしたりして」

「その洋服がらみの発言がいまいちよくわからないんですけど」

 女性はヒステリー寸前の様相で上原に詰め寄った。ほとんど鼻先をつけ、ぎらぎらとにらみつける。やはり数日に一度はシャワーを浴びているのだろう、煮詰めたような体臭は感じられなかった。

「わたしをどうするつもりなの。殺すつもりですか」

「殺す? 殺されたいの?」

「いいえ」

「奥様の衣料品がなにより大事さ。そうだろう? 若者は、お金を持っていないじゃないか」

 上原は息を吸い、答えた。

「いいえ。若者のファッションも、奥様の衣料品と同じく、大事です」

「なんだって?」

「若者のファッションは大事よ。女の子は、そうして着飾って男の子の気を惹き、理想の伴侶を見つける。現代に限った話ではない。女の子の歴史そのものよ。女の子はおしゃれな洋服を求め、街をさまよう。きゃっきゃと騒ぎながら、本能の目でおしゃれ洋服を品定めする。あなたたちは若者を恐れている」

「もう一度言ってみな」

「何度でも言う。若者を恐れる衣料品店に未来はない」

 女性はしばし逡巡した。

「その人の言うとおりだ。いまこそ変革の時なんだ」

 リーダーが言った。わかってくれ、と手を差し伸べる。女性はしばし逡巡したあと、突然力任せにライフルを投げつけた。リーダーは華麗に片手でキャッチした。お似合いのふたりだなと上原は思った。女性はずかずかと洋服の茂みに向かい、がさがさとかき分け進んだ。何着かを次々とラックから外した。

 戻ってくるなり上原の足元に放った。

「着替えな」

「ここでですか」

 女性は声を立てて笑った。

「フロアのど真ん中で着替えるお客様がどこにいるのさ! 試着室で着替えるんだよ! おしゃれなあんたは、奥様の衣料品でもすてきに着こなせるんだろ? モデルにふさわしいかどうか、あんたのコーデ力を見せてもらうよ!」

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