第75話 神との久々な会話 くさいたま新都心へ

 京介はジョン・ハチソン研究所315階のヴィランスイートで、中央に位置するただ1床のベッドに横たわり、灰色の顔をした主治医に医療用台車のモニター越しに見つめられながら、心を邪悪に染めていた。床には大量の血痕をがんばって掃除したと思わせる黒い染みが広がっている。おそらくあそこで裏切り者を始末したのだろう。モダンなルームは月明かりが満ち、壁にはビクトリア朝時代の不穏な家族写真がかけられ、なぜか部屋の一画にプールがあり、磨りガラスの仕切りの向こうにはインチキくさい仏像が数体並んでいた。

 ベッドサイドには、看護疲れでそのまま寝ましたといった感じで色葉がベッドに伏し、寝息を立てている。首の角度から頬に添える手、わずかに開いた〈桜色の唇〉から漏れる呼気まで、完璧な〈お約束〉の体勢だ。

 京介は手を伸ばし、色葉の髪をひと房つかみ、そっと持ち上げた。手を離すとアホのような毛はそのまま形を保ち、こうべを垂れる稲穂のように頭のてっぺんで揺れた。

 これでいい。

 春はいつの間にかネグリジェを着てベッドに潜り込み、ぴたりと添い寝をしていた。こちらの〈お約束〉もすばらしい。フラックスを思わせる黒髪のにおい、色のない唇、繊細な睫毛。かすかに上下する小ぶりな胸、たまに触れ合う脚の感触。

 京介は春の黒髪を4房つかみ、アホ毛4本という前人未踏の領域に踏み入った。

 これでよし。

〈お約束〉の見本市のただなか、心が邪悪な京介は天井を見上げ、考えた。

 いまならできるかもしれない。

 つまり胸を。同時多発的に。片手で1玉ずつ。

 もちろん本意ではない。人でなしの行為であることも理解している。だが自分は、ラノベの使徒なのだ。これはラノベの使命、神の試練。つまり神のせいだ。言うなれば。

 UFOキャッチャーも羞恥に顔を赤らめる手つきで、京介は景品に向かってゆっくりとクレーンを動かした。

 そのとき。

 布団の中でスマホがウイーンと震えた。京介はポケットから取り出し、電話の主を確認し、思わず笑みをこぼした。どさりと枕に頭を預け、天井を仰ぎながら、声を出して邪悪に哄笑した。

 無駄に体力を消耗したあと、通話を開始した。

「おい、岸田京介。久しぶりだな!」

「相変わらずいい声だ、神よ」

「どうだ、大塚明夫そっくりだろう? おまえに言われる前に自分で言ってやったぞ。まじめな話、あれから考えを改めたんだ。そこまで似ているのなら、たまには期待に応えるべきだ、とな」

「若者に寄せはじめたのか」

 神は無視して言った。

「ところでおまえ、〈VR〉は好きか」

「〈お約束〉を選り好みできるのか」

「まあな。おまえは絶体絶命の〈打ち切り〉を見事回避した。文字どおり、死の宣告からの生還だ。正直、わたしも驚いた。『え、まだつづくの?』って」

「だから休みがちになった」

「人聞きの悪いことを言うなよ。とにかく、さいたまは〈VR〉だ。肝に銘じておけ」

「すべて虚構、ということか」

「そうだ。そのつもりで望まなければ、おまえに勝ち目はない」

「肝に銘じよう。だれに勝てばいいのかはさておき」

「あらためて考えてみれば、不勉教信者は関東第一高校の生徒でなくても構わない。さいたまには150万を超える労働者が存在している。労働者なら、あっさり入信するだろう。高校の外堀から埋めていくのだ。まずはさいたま、そして一気に関東平定と行こうじゃないか」

「できればはやい段階で気づいてほしかった」

「そうじゃない。おまえの〈返し〉は、そうではないはずだ」

「…………気づくの遅っ!」

「よし。それと寝る前に、ちゃんと〈ヒロイン〉の胸を揉めよ。この絶好のチャンスを逃すおまえではないはずだ。そうだな?」

 京介は通話を終了させた。


   ◇


 翌日。

 寝不足ながらも邪悪なシャワーを浴びてさっぱりした京介は、アホのような毛を揺らす色葉と春を従え、浦安の国家転覆をもくろむ何者かの追跡と銃弾を交わしながらタクシーで空港へ向かった。

 すでに離陸準備を整えたMH-53ペイブロウに次々と乗り込む。

「せめてパイロットとして、役に立たせてくれたまえ!」

 ヘルメットをかぶった敏吾が、後部ハッチからキャビンをのぞき込んで言った。

「ケガの具合はどうだい、親友よ!」

「一晩でなかったことにした」

「さすがはラノベだな! ところで、〈かのじよ〉たちとの一晩は、どうだったんだい? うらやましいねえ、こいつ! このこの!」

「いろいろできるおまえこそうらやましい。IQを自在に操り、旅客機やヘリのパイロットまでこなす。今後の活躍ぶりによっては、〈彼女〉をつくることもできるだろう」

「なにをおっしゃるうさぎさん。ぼくの生家は人間生理学研究所だぜ! 目下試験管で培養中さ!」

「つくるというのはそういう意味ではないのだ」

 というわけで、一行は満を持して浦安国際空港から飛び立った。

 ヘリは現在、都内上空を重々しく北上している。そこへ赤い朝日と山々による凹凸のスカイラインを背景に、イナゴを思わせる黒々とした大群が、不気味な羽音を立ててあらわれた。

 色葉がヘルメットのマイクを口に近づけ、敏吾に言った。

「ドローンに気をつけて」

「がってん承知の助!」

 実用化から10年、関東の上空150メートル付近は常時35万体のドローンで埋め尽くされている。なにをそんなに配達するものがあるのか? かつての時代、インターネット通販市場の爆発的な拡大により、日本の流通は壊滅寸前にまで追いやられた。当時の問題を簡単に説明すると、あなたの頼んだアダルトグッズは翌日届くが近所のコンビニにはパンがない、といった状況だった。各通販サイトやモールは、注文確定画面において「あなたの注文は、あなたの見知らぬ乳幼児、子供、お年寄りなどの生活に悪影響を及ぼします」といった文言を掲載する義務を課された。それでもコンビニにパンが訪れることはなかった。食料品や生活必需品の価格は高騰した。新たな流通システムの構築がわりと本気で叫ばれていた。

 ドローンの実用化については、当時の専門家や専門家を名乗る厚顔無恥な人物などが概して否定的な意見を述べていた。日本の密集した住環境では現実的ではない、というわけだ。

 かつての専門家や専門家を名乗る人物は、想像力が欠如していたわけではなく、期待される意見をテレビなどで言ってお小遣いをもらいたいだけだった。そのようなちんけな輩がかつての時代には大手を振ってお小遣いを稼いでいたのだ。超高度教育によって国民のメディアリテラシーが専門家レベルにまで向上した結果、専門家を自称する者は専門家ではないという共通認識が生まれ、いわゆる専門家はメディアから一掃された。ニュース番組は本来の姿、すなわちニュースを伝える番組へとその姿を取り戻した。

 バカな足ひっぱりがいなくなると、日本の技術水準は加速度的に上昇した。ドローンについても、かねてから楽観的だった技術者があっさりと実用化に成功した。

 結局、自宅に届けなくても構わないのだ。カスタムメイドの洋服を翌日発送するほどの時代、ドローンは、ほかならぬあなたにお届けする。あなたの位置はグーグルが見ている。すべての企業があなたを知っている。基本的な個人情報はもちろん、勤め先から行動範囲、日別の行動パターン、家族構成、交友関係、車体番号、好きなアダルトサイト、初体験の日時場所まで、あなたのすべてを知っている。ドローンはそうしてあなたを追い詰め、注文の品を指定日時どおりにお届けする。もちろん受け取ったあとのレコメンドも忘れない。

 ひきこもりについては、住居のベランダに射出する方法が採られた。精神医学および社会心理学の国際研究グループによる調査結果によって、ひきこもりでも自宅ベランダくらいは外出できるだろうという結論に達したのだった。

 アマゾンのドローンが一体、ヘリに近づいてくる。マザーコンピュータ『アレクサ』からの指示を受け、ドローンは鮮やかに迂回し、脇を通り過ぎた。そこへヨドバシカメラのドローンが音もなくあらわれ、アマゾンのドローンに背後から近づき、急激に速度を上げ、タックルした。プロペラを欠いたアマゾンのドローンは、平均的な日本人女性の声を模した合成音声で「梱包状態はいかがでしたか?」と繰り返し叫びながらきりもみ落下し、埼京線の線路上にアダルトグッズをぶちまけた。

 ヨドバシカメラのドローンは満足げに上下したあと、方向転換し、配達業務を再開した。今日はゲームの発売日、遅れるわけにはいかないなの! そこへ怒れる女神『アレクサ』の勅命を受けたアマゾンのドローンが3体、ヨドバシカメラのドローンを剣呑に取り囲んだ。威圧的に高度を保ちながら、平均的な日本人男性の声を模した合成音声で口々に警告を発する。

「なンかしとんじゃいワレ」

「いてまうぞコラ」

「おどれ南港に沈めたろか」

 アマゾンのドローンは都内上空で殴る蹴るの暴行を繰り広げたあと、本日発売のプレイステーションREALを強奪し、唾を吐きかけ、ゆうゆうと飛び去った。行く先は群馬。そこではリアルVRMMORPGゲーマーが、リアルと虚構の区別を完全に見失いながら到着を待ちわびているのだ。

 ヘリの反対側では、楽天のドローンがゾゾタウンのドローンにちょっかいを出していた。

「明子ちゃん、ええやろ。尻くらいなでさせてえな。どんだけ貢いだと思てんねん」

「フン! ウチはそんな安い女とちがうわ。あんな安もんのネックレス貰ろたくらいで、あんたのもんになると思ったらおおまちがいなんやからね!」

 それはともかく。

 春は機内の共通規格アタッチメントで非常用バッテリーを充電しながら、やや内股で脚を投げ出し、温泉に浸かっているような面持ちで色葉に言った。

「便利なおなごよのう」

「でしょ?」

「あたくしたち、さいたまでは、どうなる?」

「そこまで具体的なことは言わなかった。炎上を恐れたのかも」

 キャビン中央に仁王立ちする京介が軍曹的に言った。

「なにをこそこそ話しているのだ」

「わたしの侍女。つまりいわゆる〈メイド〉ね。未来が予測できる子なの」

「〈メイド〉、だと?」

 京介は目をすっと細めて言った。

「なぜ連れてこなかったのだ。かねてから〈ヒロイン〉が足りないと考えていたのだ。〈メイド〉ならば完璧だ。いますぐ引き返すのだ」

「ラノベが嫌いなんだって」

「好きでやってる人、いる?」

 春が言った。敏吾を含め全員が沈黙した。

 ヘリの機首方向12度東の上空では、ヤマト運輸の猫型軍用機バトネコヤマトが、日本郵便のポスト型貨物機ゆうびんレッド号の後方に位置し、警告なしの機銃掃射を浴びせかけていた。

 貨物機は炎を上げ、信書やメール便を撒き散らしながら、ヘリ前方をゆっくりと落下していく。

 航路を西に調整しながら、敏吾が言った。

「なんだか悪い予感がするなあ。さいたまの住人は、全員中卒なんだろう。荒っぽいやつらかもしれん」

「その差別意識よ。実際見てもいないのに、学歴だけで決めつける。それにわたしたちは、もうエリート候補なんかじゃない。ラノベなのよ」

「むしろ最下層なのだ」

 京介が引き継いだ。

「おれは先の戦いで、ラノベのなんたるかを知った。〈テンプレ〉とはつまり、平等への祈りなのだ。ラノベはあえてバカを装い、言外にみなに伝えているのだ。平等の大切さを」

「人間は平等じゃないんだぜ。わりとまじめに」

「だが祈ってもいいだろう。それこそが祈りの本質」

「だな」

 ドローンほか空の迷惑者たちが消え、前方がきれいに開けた。その代わりなのか、機内に得も言われぬ悪臭が漂いはじめた。

 色葉は鼻をつまみ、つぶやいた。

「なんのにおいだろう」

「β-フェニルエチルアルコール、メチルシクロペンテノロン、イソ吉草酸、γ-ウンデカラクトン、スカトール。すべての臭気を検知」

 春が機械的に言った。

「くっせ」

「くさがってはいけない。それはエリート意識だ。意識がそうさせているのだ」

「嗅覚まで支配するエリート意識すごっ!」

「いい〈返し〉だ、色葉よ。それでこそおれの〈ヒロイン〉だ。くすりとも笑えない」

「点数稼ぎよ。ま、たまにはね」

「いろは。成長したな」

 いろいろなめんどくささが展開されるなか、ヘリはかつてのかわぐち市上空に差しかかった。東京都との県境、すなわち荒川沿いには、アメリカ合衆国大統領閣下も賞賛を惜しまない高さ8メートル厚さ60センチの硬質コンクリートの壁が、くさいものに蓋のことわざを体現するかのようにうねうねとつづいている。壁の手前には、あまり印象のよくない有刺鉄線の柵がびっしりと張り巡らされている。

 気づけばキャビン内の全員が窓に寄り、不道徳な現実を見下ろしていた。

「なぜいままで気づかなかったんだろう」

 色葉がつぶやいた。春が答えた。

「さいたま、これまで行く必要あった?」

 色葉は静かに首を振った。

「だからさいたまはなんの取り柄もなく、まともなお土産ひとつ存在しなかったのね。この事実を隠蔽するために、あえて」

 壁の向こう側は、文字どおりのゴミの山だった。

 ショッピングの成れの果て、そして便利で快適な生活の代償のすべてが、そこにはあった。爆発的な産業廃棄物や一般廃棄物が、車道はもちろん家屋敷やマンションすらも飲み込み、砂漠のようなうねりを見せ、大小さまざまな丘をこしらえている。ヘリから見下ろす限りでは、ゴミの山はかわぐち市全域に渡って広がっていた。

 小丘のひとつを、二本足の何者かが数名、登っていた。背格好から判断するに、成人男女のようだ。京介は身を乗り出し、窓に鼻先をつけた。

 4名がライフルを携えている。残る1名は丸腰で、女性だった。ライフルたちに囲まれながら丘を登っている。女性はつまずき、ゴミの山に四つん這いになった。ライフルのひとりが背中を小突いた。女性がよろよろと立ち上がる。

 さいたまの住民だろうか。やつらは武装しているのか。

 そしてあの女性は。

 ヘリが危険に傾き、京介はもんどり打って反対方向の壁に激突した。

 ヘリはどうにか体勢を取り戻した。その後もヘリは左右に傾きながら、ふらふらと蛇行した。敏吾がマイクに悪態をつきつづけている。

 常識的にシートベルトを着用していた色葉が、ヘルメットのマイク越しに聞いた。

「どうしたの?」

「わからん。ヘリが進むのを嫌がっているようなんだ!」

「そんなバカな」

 かわぐち市を越え、くさいたま市に入った。ゴミの山はかわぐち市を境に途切れていた。かわぐち市はゴミ捨て場らしい。頭を強打したがラノベなのでへっちゃらな京介は、性懲りもなく起き上がって窓をのぞいた。浦和駒場スタジアムが見える。観客席からピッチまで赤一色に染まっている。

 近づくにつれ、レッズが優勝したわけではないことが判明した。赤いフリースがてんこ盛りになっているだけだった。

 色葉が大量のフリースについてコメントしかけたと同時に、ヘリが身もだえをはじめた。

「どうしちまったんだい、まったく?」

 ヘリが身もだえすると大変なことになる。左右の揺れにくわえて前後・上下の六軸に暴れまわる結果となり、なぜか開けっぱなしだった後部のカーゴ扉に向かって春がごろごろと転がり落ちた。

「春!」

 春はフックにつかまり、鯉のぼりのようにそよいだ。

「これ以上くさくなったらヘリが持たないぜ!」

 それでも機は東北本線の線路沿いに北上をつづける。

「くさいたま新都心が見えた! たしか着陸できるヘリポートがあったな」

「合同庁舎2号館よ!」

 色葉がマイクに叫んだ。それから全員席に着いてヘルメットをかぶってシートベルトを締めましょうといまさらながら提案した。

「見えた! これより合同庁舎2号館ヘリポートに着陸する!」

 機体が右まわりに大きく旋回した。

「わっ!」

 敏吾の叫び声とともに、浣腸されたような衝撃がキャビン内を包み込んだ。

「1号館のアンテナにテールをぶつけた」

 妙に冷静な報告が行われる。やがてヘリはやや傾きながらゆっくりと左回転をはじめた。ヘリについてなにも知らないにもかかわらず、京介は墜落と死を予感した。

 死を目前に、京介の4600のIQが覚醒した。

 もしかしておれら、もうログインしてんじゃね?

 神は言われた。さいたまは〈VR〉だ、と。たしかに眼下に広がるかわぐち市の光景は現実離れしていた。ゲームの舞台だからじゃね? 現実であんなのってあり得なくね? そしてフリードリヒの本を読んだ色葉も、さいたまの無能階級労働者は〈VR〉で過酷な労働をつづけていると言った。たしか。ちゃんと聞いていなかったが。

 おれらゲームなんじゃね?

 てことは?

「このままでは墜落死だ! ヘリから飛び降りるぞ!」

 京介はシートベルトに手をかけながら、〈ヒロイン〉ふたりにかっこよく叫んだ。

「死ぬよ」

「死ぬで」

〈ヒロイン〉ふたりは常識的に答えた。

「ではパラシュートだ!」

「使い方知ってるの?」

「知らないが、〈VR〉ならばボタンひとつでかっこよく降りられるだろう! ×か、○か、□か、どれかはわからないが!」

 ふたりは頭を打ったのだと結論づけた。

「いや、パラシュートなどという軟弱なものは必要ない! アスファルトをめくり上げながら片膝をつきかっこよく着地できるはずなのだ!」

 大変遺憾ながら、ヘリは無事くさいたま新都心合同庁舎2号館ヘリポートにランディングを果たした。

 京介は興奮状態のままシートベルトをむしり取り、ヘリから飛び降りた。機体をぐるりとまわりこみ、運転席を見上げ、手のひらで機体をぶったたいた。

 敏吾が操縦席から飛び降り、ヘリの後部へ駆けた。興奮した京介が犬のように追った。

「まずいな。テールローターをやっちまったかもしれん」

 見上げながら敏吾が言った。京介は目を剥きながら何度もうなずいた。

 敏吾はあらためて京介へ振り返り、言った。

「なにをそんなに興奮しているんだい」

「敏吾、ここは〈VR〉だ。おれたちはすでにログインしているのだ。だから無事着地できたのだ。だからおまえはヘリをこともなげに操縦できたのだ」

「いや、回転翼事業用操縦士の免許を持ってる。ふつうに」

「タヒチでIQ弾を操れたのも、もしかすると〈VR〉だったからかもしれない。そうだ。おれたちははじめからずっと、〈VR〉で活動していたのだ。だからあっさり〈彼女〉ができたのだ。表参道に住めたのだ。なにもかもがうまくいったのだ。そうか、そういうことだったのか。おれは生まれたときから、〈VR〉の世界で生きていたのだ。ああ、この世界は現実ではなかった。では現実はどこにあるのだ。おれは果たして存在しているのか。本当のおれはどこに存在しているのだ」

 素朴なSFあるあるで取り乱す京介を、敏吾はそっと抱きしめた。

「どうだ。落ち着いたかい」

「現実ではない。現実ではないのだ」

「気持ちはわかるぜ。はじめての緊急着陸は、だれでも怖くて取り乱すものさ」

「だってすごく揺れるから」

「きみだけじゃない。きみだけじゃないんだ」

 そこへ色葉と春がやってきた。

「なにやってるの?」

「なんでもない。男どうしのスキンシップさ。だよな、親友よ」

 京介は抱擁を解き、目を拭ってうなずいた。

 全員の感情と立ち位置がフラットになったところで、あらためて周囲を確認することにした。まごうことなきヘリポートだった。風はそれほどでもない。さすがは庁舎のヘリポートと言うべきか、ビル壁面から吹き上げ流れ込むビル風は着地面下を駆け抜けている。さいたまがパノラマ状に展開している。ゴミの山もなく、田舎くさいふつうのさいたまだった。ただし静止画のように沈黙している。車は走らず、人間の活動らしきうごめきも見受けられなかった。ひとついいことがあった。あんまりくさくない。比重のせいか、おしっこのようなにおいがするだけだ。

 各人好き勝手に探索したあと、心配げにヘリを見上げる敏吾の元に集まった。

「発作は治まったかい?」

「ああ。世話になった」

「いいってことよ」

「ときに、ヘリが使えなければ脱出は不可能だ。修理できるのか」

「もちろんだ」

「なぜもちろんなのかはわからないが、とにかく頼む。おれはいますぐ、ここから飛び降りなければならない」

 敏吾は目を見開き、額にしわを寄せた。

「まだ具合が悪いのかい?」

「神は言われたのだ。さいたまはすべてが虚構、〈VR〉なのだ、と。ヘリポートから地上へダイブし、アスファルトをめくり上げながらかっこよく着地できるはずなのだ」

「やってみればいいさ」

「やってみよう」

 京介はヘリポートの北側へ向かった。

 戻ってきた。

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