第73話 第5次産業革命とToI(インターネットのTシャツ)

   さいたまにおける猫階級の状態 フリードリヒ著


 労働者諸君!


 ぼくは一冊の本をきみたちさいたまの無能階級に捧げる。第5次産業革命以後、日本国民の格差はえげつない勢いで広がりつづけている。すべてはToI(The T-Shirt of Internet)、つまり「インターネットのTシャツ」と呼ばれる一連の「革命」に端を発しているのだ。量子コンピュータの実用化とユニクロによるVR綿紡績用機械の登場により、生産性は飛躍的に向上した。ただし向上したのはVR生産性のみだったのだ!

 ToIとは、ユニクロのTシャツにインターネットを接続することではない。きみたち無能階級労働者ひとりひとりが持つ固有のインターネットに、巨大なひとつのTシャツが接続する未来なのだ。するとどうなったか。きみたちはTシャツではなく、インターネットを着ることになった! すなわち〈VR〉! 搾取されるきみたち無能階級労働者の「現実」は、〈VR〉とリアルがうらおもてになっているのだ。まさにTシャツのように。

 現実はきみたち無能階級にとって、どんどんつらいものになってきている。あるアンドロイド製造下請け会社では、ねじ一本締めるのにも工学の学位が必要だ。MBAを取得してようやく日雇いの土木作業員の口を見つけられる。ハローワークではおばちゃん職員がなぜかフランス語で応対する。超高度経済成長がつづくエリートぞろいの日本では現在、エリートどうしの格差が問題となっている。だがきみたち無能階級の格差問題は、ニュースにもならない。なぜならきみたちは、「現実」には存在していないからだ。そもそも労働力として認められていないからだ。「現実」にきみたちのできる仕事はない。現在の日本においては、無能階級は格差の定義からすら外れているのだ。きみたちはゼロ、ナッシングなのだ。

 かつてはきみたちも、手に職を持っていた。フロムエーやan、リクナビ派遣などを見ては仕事を探した。そしてきみたちの職を奪ったのは皮肉にも、かねてから恐れまくっていたターミネーター由来の「機械」ではなく、同じ人間だった。人間がつくった社会、システムだった。そしてさらなる皮肉がある。きみたち無能階級を救ったのは「機械」だった。

〈VR〉の世界には居場所がある。〈VR〉世界はマッシブリーに大規模なマルチプル多人数無能階級プレイヤーにあふれ、それぞれが役割を演じ、つらい現実を忘れ、跳んだり跳ねたり、恋をしたりする。〈VR〉通貨で買い物をし、生活し、エキサイティングな人生を楽しむ。生きていると実感する。

 かつてはそうだった。

 そして現在、無能階級労働者は、その名のとおり〈VR〉世界で仕事をしている。なぜ仮想世界で働くのか? そこへ至る道こそが、〈VR〉世界の管理者であるユニクロの、卑劣にして巧妙な手口だったのだ。ぼくはすべてを伝えよう。ぼくは中流階級の仲間との交流やパーティー、ポートワインやシャンパンを犠牲にして、余暇時間のほとんどすべてを〈VR〉労働者たちとの付き合いに当てた。〈VR〉世界にログインしたあと、ぼくはさいたま新都心駅近くの紀伊國屋へ立ち寄った。求人誌のコーナーには、VRフロムエーやVRリクナビ派遣が並んでいる。掲載されているのは、ユニクロの求人ばかりだ。ぼくはVR本屋のNPC店員にたずねた。なぜユニクロばかりなのか? ユニクロオンラインだからだと店員は答えた。至極もっともな答えだ。

 ユニクロオンラインはかつては、よくある非常に嘘くさい中世ヨーロッパ風ファンタジー世界だった。いつからリアルさいたまを完全再現しようとしたのかはわからない。プレイヤーはさいたま新都心からスタートする。新都心合同庁舎2号館2階正面玄関から歩行者デッキへ出ると、ひとりの少女に声をかけられた。少女はNPCで、インチキ中世風の格好をしていた。庁舎ならスーツではないのか? ぼくの質問を無視し、少女はざっくりと世界観を説明した。最後に少女はこう言った。おまえは村から出てきたばかりの労働者なので、工場で働かなければならない。宿屋にいるジャイルズさんに話しかけるといい。気に入られれば仕事を見つけられるだろう。モンスターを倒せばお金が手に入るじゃないかとぼくは言った。少女は首を振った。そんなものはリアルではない。現実にあなたは、VR労働者として、糸を紡ぎ、布を織らなければならない。それこそが〈VR〉世界におけるリアルライフなのだ。

 財産も小作地もないぼくは、織工として1日14時間働きながら、多くの無能階級プレイヤーに話を聞いた。なぜ〈VR〉でまで貧乏人を演じるのか? そもそも働く必要はないのだ、食わなくてもいいのだから。答えは決まって、リアルだから、だった。狩り場に行こうと誘っても、サボればクビになると言って断る。一体どういうわけだ? 工場はひどい環境で、労働者は週に5日、身を粉にして働き、給料は週にたったの100ユニクローネだ。労働者はわずかなユニクローネで、かちかちのパンや塩入りのバター、混ぜ物をした砂糖、腐った肉などを買う。満足に食べられなければ、肉体は衰弱し、やがて病気になる。病気になれば当然働けなくなる。一家の大黒柱が倒れれば、結末は悲劇的だ。だが思い出してほしい。ここは〈VR〉なのだ。病気になったら道ばたに生える薬草を食べればいいではないか。ではなぜ食べないのか? 答えは聞くまでもない。リアルではないからだ。

 ある日、ぼくはひとりの無能階級労働者プレイヤーと出会った。年齢は37歳、現実での職歴はなし、関東第一高校の一期生になり損ねた、ユニクロオンラインの最古参だ。当時はこうではなかったと語る。〈VR〉らしい〈VR〉だった。すべてが嘘くさい中世ヨーロッパ風の街並みだった。モンスターもいた。いい狩り場もあった。スキルもアビリティもレベルもあった。

 そして楽しく暮らせていた。

 暮らせていたというのは、現実世界で、という意味だ。職歴なしでどう楽しく暮らせるのか? どこから収入を得ていたのか? 〈VR〉からだと答えた。

 ユニクロオンラインには取引所が設置されている。ログアウト時、仮想通貨ユニクローネと円を交換できるのだ。つまり、現実世界で働き口のない無能階級にとっては、〈VR〉と現実の双方が「リアル」だったのだ。〈VR〉で働き、現実世界で円を使う。ただゲームを楽しんでいたわけではなかったのだ。

 だが当時のユニクロオンラインは、ゲームとしても楽しめた。ゲームで楽しみながら働き、週末にはユニクローネと交換した円で、羽振りよく消費する。人生は総じて最高だった。当然プレイヤーは増えつづけた。関東第一高校をドロップアウトした者も混じっていた。

 街並みが変わってしまったのはなぜだろう。いつからなのだろう。無能階級労働者から聞いた話を総合すると、ユニクロは無能階級をびっくりさせないよう、少しずつ、〈VR〉世界に真のリアル、つまり現実リアルを創造したようだ。中世ヨーロッパもどきの平和ボケした街並みは徐々に消え、代わりに白煙吹き出す大工場があちこちに建設された。リアルに悪人風の大資本家NPCがプレイヤーを集め、工場で働かせた。やがてモンスターが消え、クラスもスキルもアビリティも消え、武器も防具も消え、勇者も魔王もお姫様も消えていた。

 そしてついに、絶対確実な「死」の概念が、ユニクロオンラインに導入された。いくら大量に課金しても、リアルなVR死からは逃れられない。つまり永久BANだ。アカウントは個体情報によって識別されているので別垢はそもそも不可能なのだ。死と同時に、リアルな飢え、リアルな痛み、そしてリアルな悪臭が拡張パックとして追加された。すなわち、食べなければHPが減る。鞭でたたかれても減る。0になれば、死。現実に仕事の口がない無能階級にとって、〈VR〉での死は、すなわち現実での死に直結する。プレイヤーは〈VR〉にしがみついた。労働の苦痛に耐え、飢えに苦しみ、わずかなユニクローネで、命ならぬHPをつないだ。

 ログアウトしてみて、ぼくは気づいた。ユニクロオンラインの物貨は高く、ユニクローネはほとんど価値がない。だが残りわずかなユニクローネを抱えてログアウトし、円と交換すると、なんとぼくは86万円を得た。のちに調べたところによると、平均的な無能階級プレイヤーは週に110万円ほどを得ていた。これは中産階級の最下層よりも多い収入だ。プレイヤーはいま、〈VR〉で貧困と苦痛にあえぎながら、現実世界では羽振りのいい生活を送っているのだ。

 賢明な読者諸君は、ユニクロにどんな得があるのかと思ったことだろう。現実世界では、ユニクローネは貨幣として認められていない。つまりユニクロが、無償で金をばらまいているのと同じことなのだ。ここで思い出してほしい。無能階級は、〈VR〉でしか働けず、ほとんどの時間をユニクロオンラインで暮らしている。現実世界ではたくさんの円を持っている。マネーを満足に使えるのは現実世界のみ。未来はないが金はある。企業にとっては理想の消費者だ。新たな優良顧客層の出現に、産業界が気づかないはずがない。

 深刻な大気汚染と水質汚染が進む〈VR〉世界では、ありとあらゆるところに広告が表示されている。ぼくははじめ、広告を広告と気づかなかった。赤錆の浮いた野立て看板には、食欲をそそるハンバーグが描かれている。ユニクロオンラインにびっくりドンキーは存在しない。食べるとすれば、ログアウトしてからだ。ぼくは〈VR〉空腹を抱え、徐々に減っていくHPにおびえながら、しばらく看板を見つめていた。ログアウト後、まっしぐらにびっくりドンキーに飛び込んだのは、言うまでもない。

 プレイヤーは広告を見、サンプルを提供され、欲望を刺激される。すべて現実世界で買える商品だ。プレイヤーは現実に戻るやいなや、ぼくと同じく、つらい〈VR〉体験を癒やそうと消費しまくった。各メーカーやサービス業者からの広告掲載の依頼は増えつづけ、広告単価はみるみる上昇した。ユニクロは広告収入により躍進し、もはやTシャツどころではなくなった。実際Tシャツの製造販売は、広告事業の隠れ蓑として行われている(だからあれほど安いのだ!)。これこそがToI、インターネットのTシャツと呼ばれる産業革命の正体だったのだ。

 もうひとつ、疑問が残る。〈VR〉労働者が生産した〈VR〉衣料品は、一体だれが着るのか? だれも着ない。当然だ。すべて〈VR〉世界での出来事なのだから。きみたちは労働力として、日本から必要とされていない。大量に消費すること、消費マシーンとしての価値をもって、ようやく国民としての権利を得ているのだ。こうしてユニクロ、電通、各メーカー・サービス企業、そして無能階級労働者、すべてが幸せになった。まさにWIN-WIN。

 だがぼくは、こんな世の中はまちがっていると思う。


  ◇


 さて、猫だ。ユニクロオンラインに猫がログインしはじめたのは、15年ほど前かららしい。直接の原因はわかっていない。猫の労働市場への参入後、余剰な労働力を抱えることになったユニクロは、JAAA(日本広告業協会)のリアルVR研究会の席で、ひとつの提案をした。現実世界におけるさらなる消費拡大のためには、新たな格差が必要である。無能階級が見下し、優越感に浸れるような、低いレベルでの格差を創出しなければならない。その点、猫はうってつけ。

 アバターならぬニャバターは、アイルランド人移民もかくやという貧困に人為的に突き落とされた。ほとんど文明も知らずに成長し、若いときからありとあらゆる欠乏に慣れ、粗暴でミルク飲みで、将来のことなど気にしていない。猫歴史学者トマス・ニャーライルに語らせよう。「猫はぼろを着て、すさんだ笑いを浮かべながら、どんなマウスでもクリックしてやろうと待ち構えている。カルカンしか買えない賃金でも構わない。調味料は塩すらもいらない。猫は手当たり次第、豚小屋でも犬小屋でも満足して眠る」

 猫が食べるのはカルカンで、カルカンのみだ。それ以上稼げばミルクを飲んでしまう。〈VR〉労働者はクリック上手な猫に仕事を奪われ、やがて賃金は猫基準になった。無能階級は猫を憎み、御者は馬車で通りかかると猫に鞭を打った。差別は憎しみを燃料に、恨みのタービンをまわし、無能階級に偽りの優越感をもたらした。差別感情が行き渡ったところで、ユニクロは通貨ユニクローネを切り下げた。つまり同じ1ユニクローネで、これまでより多くの円を得られるようになったのだ。さらなる現実世界での収入増は、さらなる消費、そして新たな消費を生んだ。食料品や生活必需品以外の、たとえばこれまでは高価で手が出なかった、おしゃれでちょっと風変わりなデザインで自分のステータスが上がったような気がする北欧家具などが急激に売れはじめた。単価の高いインテリア業界やジュエリー業界などの新たな顧客を開拓し、管理者であるユニクロの思惑どおりになった。

 ユニクロは満足しない。〈VR〉世界だけではなく、現実世界でも同様の格差が必要だ。だが現実の猫はかわいいので、なかなか差別には至れない。しかも相手は動物。いかな無能階級でも、リアル猫を相手に優越感には浸れないだろう。ユニクロは考えた。現実にも直立した猫が必要だ。言葉を話し、見た目のまったく異なる猫人、フェリス・サピエンス・コーピアスの創造。

 さすがの電通も、神をも恐れぬユニクロの攻勢にひるんだ。そこまでして儲けなくてよくね? だがユニクロは、すでに猫用のクルーネックTシャツを開発していた。そして真の黒幕、さいたまを実験場とし、ユニクロと共同で〈VR〉経済をつくりあげた、あるひとりの狂った遺伝経済学者に、遺伝子改良による擬人化技術の可能性を問うた。

「できるできる」

 黒幕は安請け合いした。幸いなことに、教化32年現在、猫人は現実に誕生していない。だがアンドロイドがそのへんをうろついている時代だ。日本の科学技術ならば、どんなことでも実現可能なのではないか。そう考えると、ぼくは空恐ろしい気持ちになる。


   ◇


 以上が真実だ。長すぎてだれも読んでいないだろう。そして岸田京介、きみも確実に読んでいないはずだ。だからここで1行にまとめる。ある関東第一高校の主幹教諭は、ユニクロおよび電通と手を組み、さいたまの地に中卒の無能階級労働者を集め、大規模な〈VR〉経済実験を行い、さらなる経済成長を実現させた。だがこれらは明らかに倫理に反している。人間の尊厳を脅かす行為、活動だ。

 岸田京介。さいたまの窮状を告発するのだ。どうせまとめすら読まないんだろう。だったら頭のいい一ツ橋色葉に読ませるのだ。きみはなにも考えなくていい。とにかくさいたまへ向かうのだ。さいたまには邪悪が潜んでいる。悪を倒せ。世界を変えろ。以上だ。

 さいたまの現実を知れば、国民はきっと気づくはずなのだ。さすがにこれはやり過ぎだ、と。

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