第4章

さいたまにおける猫階級の状態

第72話 職員会議再び

「吉田! このバカ教師!」

「てめえバレー部の顧問だろうが!」

「悠宇ちゃん(仮名)はなあ、てめえらのガキどもにいじめられてんだよ!」

「死んだらてめえのせいだからな!」

 洞窟内にペアレンツの罵声がこだまする。会議開始から10分、糞まみれのテーブルに居並ぶローブ姿の教師は、だれひとり口を開こうとしなかった。

 張り合いがないからか、やがてペアレンツも静かになった。

 教頭が口を開いた。

「そうですか。青木先生が」

「今月いっぱいで退職となりました」

「原因はなんです?」

「下痢だそうです」

「ブリストル排便スケール Type10。もはや水ですな」

「もうけっこう。あの男の排便スケールの話など聞きたくありません」

「申し訳ございません」

「おそらく、やる気をなくしたものかと」

「いいでしょう。去る者は追わずがわが校のモットー。それに、もとから青木先生になど、期待していませんでした。恵まれない容姿というコンプレックスをバネに猛勉強した男など、権威を奪われればこのようにもろいもの。そもそも教育者として不適格でした」

「フロイトの呪縛から逃れられなかったのだ」

 フードをかぶった教師たちが含み笑いを漏らした。

「医学など! もはや終わった学問ではないか」

 教頭はさっと手を振った。

「お医者様は大変なのです。たいして給料も高くないのに、朝から晩まで働き詰め、おまけに当直までこなさなければならない。ところで『病は気から』と言いますが、わたしは生まれてこのかた、風邪すらひいたことがない。なぜだかわかりますか?」

「教頭先生があまりにも美しいからであります!」

「点数稼ぎはやめなさい、吉田先生。罰としてハンドボール部の顧問に任命します」

「申し訳ございません」

「ですがその答えは正解ですよ。美人は、なによりの健康法なのです。みなさん、美人はいいですよ。一度経験してごらんなさい。世の中は常にバラ色、悩みなどこれっぽっちもない。これっぽっちも」

 教頭はこぶしでテーブルをたたいた。

「そう! わたしには悩みなどなかったのです! ただのひとつも!」

 教師たちは互いに目配せし、意味ありげな沈黙を保っていた。

 教頭は「ふう」と深呼吸し、ローブの懐をごそごそし、写真を取り出した。

 しげしげと眺める。

「岸田京介はタヒチを脱出した。その後の所在は、どなたかご存じですか」

「気象庁からの報告によると、さいたまへ向かったと」

「現在、一行はくさいたま地区におります」

 一同がざわめく。

「なんのために、あのようなスラムへ。あの高校生どもは、なにを企んでいるのだ」

「まさか」

「まさか、なんだ。さいたまには一体なにがあるのだ」

「知らないほうがいい。おまえは紀州産南高梅の梅酢を切らし、オーストリアから緊急帰国したばかりの音楽教師だ」

 教頭がフードの奥から見まわし、言った。

「さあ、今度はどなたが立ち上がりますか。岸田京介を〈バトル〉で打ち負かし、わがもとへ連れてくる気骨のある先生は?」

 ひとりの教師が手を挙げた。

「わたしが」

「これはこれは。遺伝経済学の第一人者、林先生ではありませんか」

「恐れ入ります」

「恐れ入る必要はありません。ヤバすぎてその分野にはだれも近づかないという意味で言ったまでです」

 林は「ふっ」と笑い、フードの奥に薬指を突っ込んだ。おそらく眼鏡を持ち上げたのだろう。

「さいたまとなれば、このわたしが担当するしかありませんでしょう」

「このヅラ野郎」

 教頭が唐突に暴言を吐いた。

 林は口元に穏やかな笑みを浮かべたまま言った。

「それがなにか」

「なんでもありません。あなたを試したかったのです。報告によれば岸田京介は、ゆとりの精霊を召喚し、〈ヒロイン〉ふたりに乗り移らせ、汚い言葉遣いで青木先生の身体的特徴をあざけることで撃退した。それがラノベかと言われれば微妙ですが、勝てば官軍。同じように心が折れてもらっては困るのです」

「わかっていますよ。わたしは青木先生とはちがって、生徒に好かれようとは思っておりませんので。女子生徒に幻想を抱いてもいない。現在の性生活に満足しているからです」

「いいでしょう。岸田京介をどのように打ち倒すつもりですか、林先生?」

「現在、東京都をのぞく関東6県では、わたしの指示・監督のもと、大規模な社会実験が行われております」

「たとえば?」

「たとえば、近親どうしのエッチはタブーとされていますね? そもそもなぜタブーなのか。そしてなぜ、ありとあらゆる娯楽が〈妹〉とのエッチをモチーフとして取り上げるのか」

「あらゆってましたっけ」

「あらゆっていますよ。現在、群馬県前橋市では、17歳男子と〈妹〉を対象とした大規模な実験を行っているところです。現実の社会において、みなが夢みる〈妹〉とのちょっぴりエッチな関係は、果たして許容され得るのか? 結果:され得ります。なぜなら稼得所得の低い者ばかりを集めた実験だからです」

「実験の意味を成していませんね」

「まあ聞いてください。娯楽とは基本的に、バカ向けですね? いかに純粋なバカを育成するかが、さらなる経済成長の鍵となっています。日本は成熟しすぎた。ここ5年の個人消費の対GNP比は下降傾向にある。だってエリートだらけですからね。エリートは無駄遣いなどしない。臨時収入ウェーイとパーリーしたりちょっと豪華なディナーを食べたりなどしない。そういうのは、バカのやることです。でも、そうやってバカがバカっぽく見境なく後先考えず財やサービスにカネを使ってくれるからこそ、経済は活性化し、多様化し、イノベーションのプール、すなわち市場の原始のスープが、とろっとろのこくうまになるのです」

「それはそうですけど」

「われわれ関東第一高校は、エリートを育成しすぎた。だからこれからは、バカも同時に育成しなければならない。ではそもそもバカとは? バカは生まれつきなのか、それとも共有・非共有の環境いずれかの成せる技なのか。一卵性双生児の所得水準は驚くほど似通っているという調査結果があります。つまり、結局のところ、遺伝なんですね。IQしかり、収入しかり。すべては決定されている。人は努力や環境によって変わるという反論は、論点をすり替えています。もちろん非共有環境で、人は変わりますよ。努力もけっこう。でもね、あなたはそもそもあの親から産まれてきたんですよ。育ちが重要だとして、いままでバカだった両親が、子供が生まれたからっていきなり周囲の環境を整えると思います? 生き方を変えます? 付き合う人間を変えます? 書架に本を並べますかね? だから、子はバカな親に与えられた環境で育つ。そして似たようなバカになる。バカどうしは近づくんですね。だから逆に、高級住宅地なるものが存在する。エリート学校が存在する。存在せざるを得ない。環境論者がいう『環境』って、結局そういうことでしょ? 周囲の環境すら、遺伝の成せる技じゃないですか。それを、受験期間が近づくと、親は子にいきなり勉強しろと言い出す。子はちっとも集中できない。なぜだろう? なぜうちの子は? というか、親御さん、あなた勉強してきました? いまも勉強してます? あなた自身がまず変わろうと努力していますか? そう、すべては決定されている。すべては無駄な努力に終わる。バカな親は自らのバカを認め、子のバカを認め、夢を託さず、せめて消費で社会に貢献すべきだ。とまあ、こういった論文をまき散らすので、わたしは世界中の倫理学者から命を狙われているわけです。だがこれほど自明な話はない。でしょ? わたしはね、研究のための研究は我慢できない。わかり切っているのなら、すぐ実行に移すべきだ。つまり、バカをひとところに集め、バカだけが暮らすバカの国を人為的にこしらえれば、確実にバカどうしで交配する。バカの子はバカだ。でしょ? 教頭先生も、そう思うでしょ?」

「ノーコメントでお願いします」

「まあ聞いてください。明確な格差は、経済においても、将来の予測が容易になります。不確定要素による揺れ幅をより小さくできる。リスクを未然に回避できる。日本経済のさらなる成長、自律的かつ安定的な成長のためには、バカ消費者の育成のみならず、帝王学者カイザー菅原先生がおっしゃるような『格差』が必要なのです」

 大柄なローブががたりとイスを鳴らし、林のほうへ身を乗り出した。

「てめえ。おれはエリートとしての気構えを説いているまでだ。人為的に格差をつくれとは言ってねえ!」

「これはこれは、カイザー先生。タッグパートナーであるツァーリ小島先生、残念でしたね。お悔やみを。お友達の木村先生はどちらへ? 最近は高校にすら顔を出していませんね。はて、どこでなにをされているのやら」

「てめえに説明する必要はねえ」

「関東第一高校の成功は、結局、エリートを選抜したからなんですね。入学試験のことじゃありませんよ。わたし、じつは、全員の遺伝子サンプルを採取していたんです。で、こいつはバカだ、と弾く。バカは見ればわかります。遺伝子に書いてある。『わたしはバカです』とね」

「岸田京介を入学させたじゃねえか」

「ふうむ。岸田京介ねえ。やつはある種の天才ですよ。だからこそ、われわれ優秀な教師が、二度も緊急職員会議を開くはめになった。そうでしょ? まあ、見破れなかったわたしにも責任の一端はある。だから責任を取りましょう、と言っているのです」

「任せられん。教頭よ、この男に任せるのはまちがっている。われわれは入学希望者の過度な選別はしていない。すべて教育によるもの。そうでしょう?」

「ちがいますよ」

「なんだと」

 教頭がぱんぱんと手をたたいた。

「林先生、つづけてください。できればもう少し言葉を選んで」

 林は嬉々としてつづけた。

「さて、娯楽はすべて〈妹〉に通ずる」

「その前提がおかしい」

「いいえ! 通じます! 通ずるのです! それはそうと、遺伝的にバカな中卒たちは、現在さいたまに生息しています」

「言葉」

「さいたまはいいところですよ。なんの取り柄もなく、ろくなお土産もなく、だれも行きたいと思わない。バカを囲うには最適な場所だ。だれにも気づかれない」

「だれかに気づかれたからこそ岸田京介が向かっているのでは?」

「あえて、ですよ。まあ実際はあえたわけではありませんが、あえたことにしましょう。考えてみれば、この展開は好都合だ。なぜならさいたまの地には、おっと言うところだった。岸田京介には特殊な能力が、おっと言うところだった」

「言ってもいいんですよ。身内なんですから」

「言いません。言えっこない。とにかく、さいたまでは現在、ユニクロおよび電通の協力のもと、とてつもない規模の経済実験が行われています。そしてすでに日本の消費をバカみたいに押し上げている。これこそ産業革命ですよ。バカどもは大工場で働き、同時に消費マシーンとしての訓練を受けているのです」

「低賃金労働者なら、消費にあまり貢献できないのでは」

「それができるんです。だってみんなお金持ちですから」

 教頭先生は首を右側にひねった。

「なぜ?」

「猫です」

「はあ?」

「正確には〈けもの〉ですが。つまり格差、おっと言うところだった。いや、これは言ってもいいか。格差というものは、2種類あるんですね。社会状態としての格差と、個々の意識の中の格差です。つまり真の消費者というものは、自分がバカだと気づいてはいけないのです。弱い者をいじめ、優越感に浸る。自分のことをすばらしいと考えれば、高級車が欲しくなる。同時にバカなので、食欲も旺盛です。ありとあらゆる産業分野が喜びの声を上げている!」

「労働者はともかく、岸田京介はどうするの?」

「これだけは言えます。やつらクソラノベは、あの現実には対処できない。だって現実ですから。やつらが向かう先には、これ以上ない、現実すぎるほどの現実が待ち受けているのだ。まあ実際は〈VR〉なんですけどね」

「はあ?」

「わたしは〈バトル〉などしませんよ。青木先生の二の舞はごめんだ。岸田京介は現実という〈VR〉世界で、好きなだけラノベをつづけるでしょう。でもまあ、ちょっとは相手をしてやってもいい。弱ーい敵と戦わせたりしてね。よっしゃ勝った、レベルアップ! うわあゴブリンの大群だ、無双無双! ばったばった! 俺TUEEE。そうだ。それでいい。好きなだけつづけろ。好きなだけぬるま湯に浸っているのだ。後戻りができなくなるまで。現実に生きる場所がないと気づくまで」

「猫と戦わせるの?」

「いえいえ。まあ、仕上げをごろうじろ、ですよ。へ、へ、へ!」

「もうなにも言うことはありません。いますぐさいたまへ向かってください。出張費の申請もお忘れなく」

「御意」

 職員会議が終わり、教師たちが解散したあとも、教頭はしばらく洞窟の中に残っていた。

 林由来の頭痛を追っ払ったあと、こそこそきょろきょろし、ローブの懐からごそごそと写真を取り出した。

 異様に気合いの入った岸田京介の生徒手帳用写真をまじまじと見つめる。

 はあ、とため息をついた。

「岸田京介」

 がばりとテーブルに突っ伏し、足をばたばたさせた。

「京介。京介っ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます