第69話 バトル!

 京介は戦った。アニメ版を視聴済みの有能な読者諸君には、描写はもはや必要ないだろう。あんな感じで戦ったのだ。虹彩が消えた瞳孔オンリーの明らかに正気を失ったと思わせる目を見開いてオオカミのように飛びかかり、なにごとかを叫びながらパンチを放った。長すぎる脚でキックを見舞った。攻撃が当たるたびに可視化したエネルギーが飛び散り、バンガローの壁をずんっ、ずんっ、揺らした。青木の攻撃を受け、ずざざと背中をこすりながら床を滑り、壁に後頭部を強打したりもした。全然痛くなかったが痛いふりをしながらよろよろと立ち上がった。プロレスに似ているなと思った。そんな感じで苦戦していると、突然拳銃が手のひらに出現した。こいつ空気読めないのかなと思いながら見つめていると、拳銃がしゃべりはじめた。異世界のIT系ブラック企業に勤めていたらしいのだが、〈トラック〉に轢かれて死んだあとなぜか拳銃の姿でこの世界に転生したとのことだった。IT系ならプログラミングやシステムなどの知識をフル活用して知的に戦ってくれるだろうと期待したが、そのような専門的な展開はなかった。本当におまえはIT系なのか、そもそもなぜ拳銃なのか、ITと拳銃の特性をどう結びつけ、どう活かすつもりだったのか。すると拳銃は不機嫌に捨てゼリフを吐き、消えた。そして別の世界で農業をはじめた。

 やはり頼れるのはおのれの力のみ。京介は敏吾のように見よう見まねでIQを高めてみた。バンガロー全体が揺れはじめた。いや、地球そのものが揺れている!

「だっ!」

 気合いとともに手のひらを突き出すと、敏吾のよりかっこいい紫色のエネルギー弾が飛び出したので、京介は思わず頬を緩めた。そう、理由などいらない。理性もいらない。なにも考えず、ただひたすら努力すればいいのだ。才能など幻想、どんな無能でも、努力をすれば報われる。そう子供たちに伝えよう!

 ただし苦情は受けつけない! すべて自己責任だッ!

「むっ?」

 青木は京介の「すべて自己責任でお願いします拳」をすんでのところでかわした。頬につ、と血が垂れる。

「いまのはなかなかだったぞ。だが才能のない者は、いくら努力を積み重ねても無駄だ」

「無駄ではない!」

「せいぜい努力する姿が美しいだけだ。ところでおぬしのIQ、だいぶ減ってきたようだな。そろそろ反撃させてもらうとするか」

「おれは勝つ! 努力したうえで!」

 京介は体に鞭打ち、さらに攻撃を重ねた。残念ながらどの攻撃も、青木の体に傷をつけることができない。青木はニヤリと笑みを浮かべた。努力しているうちは勝てん。いまの時代、〈主人公〉ははじめから最強でなければならないのだ。武器としての注射器を両手に構えた青木は、アイデアと中傷に満ちた京介のラノベ攻撃を次々と受け止め、ときにかわしては、体躯に似合わぬ恐るべき正確さで、静脈に針を打ち、未認可の薬剤を注入した。細胞は大空襲の様相を呈しはじめた。チャネルが閉じたり開いたり、阻害したり拮抗したり、もはやなにが禁忌なのかわけがわからなくなった。

 クエン酸回路が代謝を拒否し、京介は膝をついた。これが治験ならいまごろはかなりリッチな生活ができていたはずだ。

 もう、限界だ。

 青木が見下ろし、言った。

「所詮は付け焼き刃の〈バトル〉だ。おぬしの最大の欠点は、『個性』。せめてアリストテレス由来の4元素のいずれかを身につけねば、キャラ立ちしたわしに勝ち目はない」

「ラノベに個性などいらない!」

「そう、4元素など個性でもなんでもない。それこそ〈テンプレ〉だ。だがまじめな話、『個性』とは相対的なものなのだ。あいつが火なら、おれは水。そういうものなのだ。本当にその程度で構わないのだ。〈主人公〉であるおぬしは、ラノベというフィールドにおいて『勝負』しなければならない。あくまでラノベの範囲内で、ラノベのルールに則り、ラノベとしての『個性』を発揮しなければならない。にもかかわらず、おぬしはラノベのフィールドにフルダイブする勇気もなく、中途半端に片足を突っ込んだまま、外野からラノベの世界を仰ぎ見ては、ひたすらラノベをバカにする日々。そのほうが楽だからだ。リスクを負わずに済むからだ。ラノベになりたい、でもなりたくない。うらやましい、でもクソだ。やがて嫉妬は憎悪に転じる。たまにラノベを目指しても、エゴを捨てきれず、ルールを無視し、『編集長、すごい才能があらわれました!』『むむっ!』の夢を捨てきれず、そうして気づけば30歳。そう、いまのおぬしはラノベですらない。ラノベ以下、ワナビなのだ」

 京介はこぶしを握り全身を緊張させながら長話を聞いていた。ワナビ、か。生まれてはじめて聞く術語であるにもかかわらず、京介にはその意味するところが手に取るように理解できた。京介はいわゆる「ワナビ状態」にある自分を素直に認めた。たしかに外野からラノベをバカにしているほうが楽だ。結局、なんでもいいのだ。有名になってちやほやされるならなんでもいいのだ。

 ワナビ状態であるいまの自分が、このままラノベ的な戦い方をつづけても勝ち目はないだろう。

 だがここまで来た以上は戦う以外に道はない。

 京介はあらためて青木を観察した。

 完璧な人間などいない。それは神だ。人間ならば、どこかに弱点があるはず。

 3メートルをゆうに超える体躯。博士号取得者が発する、あの青色の独特なオーラ。そして目に見えずとも感じる、お医者様の絶対的な権威。なぜ世の人間は、お医者様=偉いと決めてかかるのだろう。いざというとき自分の命を救ってくれるからか。だからいまのうちから尊敬しておいたほうがいいよね、罰が当たるかもしれないし、ということか。医師は単なる職業だ。不動産屋と同じ、一般人の知らない情報を持ち、適切に扱う訓練を受けた者というだけにすぎない。つまりあの権威は世間がつくりあげたものであり、そのことはお医者様自身がいちばんよく知っている。医者も人間だ。中には本気で自分を上等な人間だとかんちがいする者もいる。あえて「医師」として振る舞い、下々の尊敬を集め、たくさん本を書く悪賢い者もいる。

 これぞワナビ思考。

 だが、ワナビでいい。まずは認めることだ。嫉妬の炎を燃やせ。

 医者だからってなんだよ。結局同じ人間だろ?

 肩書きとか振りかざしてんじゃねーよ。

 京介は自分の努力不足を棚に上げ、無理やり青木を「同じ人間」というレベルのフィールドに引きずり下ろしながら、なおも青木を見つめつづけた。

 同じ人間なのだ。

 身長は3メートルだが。

 すると青木の側頭部に、カミソリを当てたような青々とした剃り跡が現出した。額から頭頂部にかけては、これまでどおりつるりとしている。京介は小さな変化、きっかけにしがみついた。なぜこれまでは、毛穴ひとつない、全体的につるりとした頭としか見えていなかったのだろう? ラノベ視界によって認識していたからだ。〈バトル〉相手としての強大な〈敵〉、そういう思い込みで自らセル画的に戯画化していたからだ。あの坊主頭は入道的な恐ろしさの演出なのだ、側頭部の毛は単に省略しただけなのだ、と勝手に決めつけて。

 あれは、いわゆるハゲではないだろうか。

 巨躯全体に目をやる。胴に対して脚の長さがかなり足りないように思われた。

 あれは、短足だ。

 さらに顔面を観察し、「観察」の真の意味を理解した。口のまわりを青々とした髭が取り囲んでいる。気持ちが悪いなと京介は思った。だがラノベにおいては、青髭などを下手に描写するとキャラがぶれてしまう。だからこれまでは省略されていたのだ。

 鼻は低く、さらに頬骨がアジア人的にせり出している。白人の鼻が理想とたたき込まれてきた京介は思わず「低!」とつぶやいた。鼻の穴は上を向いている。それによってたくさん空気が吸えるといった利点はないだろう。鼻の穴からは、見るもおぞましい毛がちらついている。上の前歯は隙間が空いていた。

 なにがお医者様だ。

 ただの醜いおっさんではないか。

 京介は思い出した。

 少し前の、青木のセリフ。

「みんなわしを尊敬しているからだ。わしを欲しているからだ」

「みんなしてわしにまとわりつき、奪い合う。しょっちゅうすてきと言われる」

「患者と向き合う真剣な横顔がかっこいいと言われる。白衣がダンディーだと」

 権威。

 そうか。

 京介はだしぬけに、拳法の達人を思わせる構えを放棄した。

「む?」

 青木は眉をひそめ、それから全身をわずかに緊張させた。

「なにか企んでおるな」

 京介は無視して青木の脇をすたすたと通り抜け、壁際の机に腰を下ろした。

 青木はやや驚いた様子で振り返り、言った。

「なにをしておる。なぜ唐突に机に着いたのだ。〈バトル〉はどうした」

 京介は机に置いてあった『バカは治る!』(関東第一高校出版会)を取り、裏表紙を開いた。カバーのそでに印刷された著者近影をにらみつける。写真の中の青木は、知性をうかがわせる穏やかな笑みを浮かべている。フォトショップパワーだ。

 ゆとりの精霊よ、いまこそおれに力を。

 京介はボールペンを取り、青木の鼻の穴から下方向へ線を引いた。

 一本、また一本と、鼻毛を書いていく。

 青木が肩越しにのぞき込んで言った。

「な、なぜわしの顔に落書きを。それに一体なんの意味があるのだ」

 京介は眉毛に取りかかった。一心不乱にペン先を往復させ、眉毛をつなげていく。

「さては気でも狂いおったか」

 前歯は当然、欠けていなければならない。耳から耳へ鉛筆が突き出ていなければならない。赤ボールペンを活用し、斧の刺さった頭から血をびゅーびゅー吹き出させる。仕上げに京介は、向かって右の鼻の穴にペン先を押しつけ、一本の異様に長い鼻毛を描いた。線を下方向ににょろにょろと這わせ、仕上げにくるりと一回転させる。

 これでいい。

 召喚の儀は整った。

 京介はタヒチの空を仰ぎ、両手を天に掲げた。

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