第68話 お医者様の真実

「フフ。接待とは考えたな。だがわしは国立大卒の本物の医師。わしに接待を持ちかける愚かな営業はおらんのだ」

 青木はすでに壁の用を成さない「壁」をまたぎ、かつて部屋だった「部屋」に侵入した。それから身長3メートルほどに戻った。

「哲学せざるを得ないだろう」

 京介が色葉に言った。色葉はなんとなくうなずいた。

 屋外と化した屋内で、青木は一同を見まわす。

「こやつらがおぬしの〈仲間〉か。わざわざ死にに来るとは」

「さあ、ラノベの時間よ!」

 色葉が叫んだ。

「あの〈敵〉を相手に、ラノベPTでラノベらしさを取り戻すのよ!」

「そういうことなら、よっしゃ!」

 敏吾はさっと腰を割り、拳法の達人を思わせるポーズを取った。

 色葉は足元のモップを器用に蹴り上げた。くるくるとまわりながら落下するモップの柄をつかみ、モップを武器にすることによる逆にかっこいいのではないか的異化効果に期待しながら、自分なりに構えた。

「ほう。なかなかさまになっておるな、クソラノベどもよ。それほどまでに〈バトル〉をしたいのであれば、しかたがない。教頭もお望みだ。どこからでもかかってくるがいい」

 敏吾は残像を残しつつ床を蹴った。宙に浮いたまま間合いを詰め、「でやあぁぁぁぁっ!」と叫びながら青木の顔面にこぶしをたたき込むッ。

 バキィ!

 青木は顔面そのもので打撃を受け止めた。「なっ?」とおののく敏吾にギロリと目玉を向け、ハエでも追い払うように手のひらを振った。

 ぴくぴくと床にうつ伏せる敏吾を見下ろし、言った。

「おぬしの推薦状は取り消しだ」

 青木の視線が色葉に向かう。色葉はやや内股で、だが床はしっかりと踏みしめ、京介をかばうように前に立ち、モップの先を向けて牽制した。一歩、青木が踏み出した。

 敏吾が突然反転し、ネックスプリングで跳ね起きた。若干のふらつきはあるものの再び構えを見せ、なにを思ったか利き手のこぶしを握りしめ、こめかみに青筋を立て、奥歯をぱきぱきと鳴らしながら息みはじめた。

 ほんのわずかに驚いた様子で青木が言った。

「IQ1150か。こぶしの一点にすべてのIQを集中させている」

 青木の説明どおりだった。敏吾は「だっ!」と手のひらを向け、尾を引く黄色いエネルギー弾のようなものを放った。奥歯を鳴らしこめかみに青筋を立ててまで息んだからには、それなりの成果が期待できるはずだった。

 だが。

 青木は逆水平チョップでこともなげに弾き飛ばした。

 エネルギー弾のようなものはテラス付近にいた色葉の鼻先をかすめ、放物線を描いて紺碧の海に落下した。海面がぐんと持ち上がり、驚いたサメが鼻先を見せ、逆ジョーズの様相で遠洋へ逃げていった。

 青木が痺れる手を押さえながら言った。

「この程度か。所詮は高校2年生、IQで教師に勝てるわけがないのだ」

「ぐっ」

 IQのほとんどを使い果たした敏吾が肩を落とした。

「すまん。京介。おれはもう、脳が」

 京介は素朴な疑問を口にした。

「おまえはいつからそんなかっこいいことができるようになったのだ」

「わかるだろう。ラノベだからさ。そしてラノベに『なぜ』は御法度だ。まあ、怒りが発端となったんだろうな。あえて言うなら」

「おれにもできるのか」

「むろんだ、親友よ! ラノベを思い出せ! ラノベならばそんな傷、どうってことないはずだ! むしろ傷を負っているのは、ぼくら〈仲間〉全員がやられたあと満を持して登場するための設定なんだ! そうでなくてもそういうことにするんだ! だれも気づかない!」

「いや。ふつうに痛い」

「痛みなどまやかしだ! きみは悟りを開いたんじゃなかったのか? それとも都合のいいことだけは『現実だもの』か? 色葉の言うとおりさ。きみは恐れている! 恥ずかしがっているんだ! ぼくだって恥ずかしい!」

「……………………」

「そのとおりだ! きみの言うとおりだ! ときにその〈長すぎる3点リーダー〉は、禅に通じるものがあるとは思わないかい?」

「たしかに」

「ラノベは哲学的なんだぜ。ラノベで哲学しようと思っている限りはね」

 割れた床ののぞき窓から水柱が立ち上がった。背の高くなった春が宙で一回転し、水滴をまとわりつかせたレイピアを青木の頭上へ突き出しながら降下した。

「ご覚悟ッ」

 青木は切っ先を腕で受け止めた。2センチほど刺さった刃を引き抜き、適切な応急処置を施したあと、宙で静止したままの春の頭をむんずとつかみ、床へたたきつけた。

 春は伏したままぴくりとも動かなくなった。

「そろそろ全滅するぜ、友よ」

 敏吾の呼びかけに、京介は必死で考えた。だがなにを考えることがあるだろう。それでも哲学づいてしまった京介の体と心は、衝動的な行動を忌み嫌い、カントのように規則正しい生活を欲した。コールリッジのように話しかけられるのを嫌がった。ソローのように湖畔の丸太小屋で暮らしたかった。

 敏吾が叫んだ。

「そうやって一生考えているがいいさ! ぼくは失望したぜ!」

「フフ」

 青木が色葉の眼前に立ちはだかった。右の口の端を歪め、べろりと舌なめずりした。

「一ツ橋色葉。おぬしには入学時から目をかけておった。おいしそうな隠れDカップだ、とな。だがわしは、生徒は食わん。生徒を食う教師は最低だ」

「どうするつもりなの」

「こやつらを死なせたくなくば、わしにしゃぶしゃぶをつくるのだ。特製の『スパッツしゃぶしゃぶ』をな。フフ」

 色葉の武器であるモップをそっと取り上げ、闘牛士のバラよろしくくわえ、真っ二つに噛みちぎった。

 木片を食いながら言う。

「ほかの女子生徒は、みんなつくった。しかも嬉々として。ときに頼みもせずに。なぜかわかるか。みんなわしを尊敬しているからだ。わしを欲しているからだ。みんなしてわしにまとわりつき、奪い合う。しょっちゅうすてきと言われる。患者と向き合う真剣な横顔がかっこいいと言われる。白衣がダンディーだと。中には自らわしの愛人になりたいと申し出る女子もおる。わしは強制していない。おぬしにも強制しない。だがわしは、患者と向き合う真剣なわしの横顔は、どのような女子をも痺れさせる。よっておぬしも痺れる」

「わかりました」

「フフ。お医者様は英雄にして最強の職業。男なら一度は体験せねばな」

 色葉は青ざめた顔でスカートをたくした。

 京介はというと、一連のラノベ展開のあいだじゅう、ずっとイスに腰を下ろしたままだった。〈桜色の唇〉を震わせながらのろのろとパンツを下ろす色葉を見つめ、自分でも驚くほど冷静に思考を巡らせていた。われわれは色葉の作戦どおり、ラノベらしさを取り戻すべく、さっさと逃げずにあえて〈無駄な会話〉をつづけ、青木に気づかれ、あえて全員で〈バトル〉すなわちラノベリハビリを敢行した。リハビリすなわち理学療法は、聞くところによるとかなりしんどいらしい。つまりラノベリハビリにおいては、このようなしんどい状況も想定されてしかるべきだったはずだ。色葉はリハビリとして演技しているのだろうか。〈お約束〉どおり〈主人公〉が颯爽と止めに入ることを期待して。それにしては〈桜色の唇〉の震え方が尋常ではない。目の端に浮かぶ玉のような涙はいまにも破裂してこぼれ落ちそうだ。それどころか、いまにもぱたりと失神してしまいそうだ。助けなくていいのだろうか。でもまあ、どうせラノベだしね。助けなくてもなんかうまいこと展開して全員無事で終わんじゃね?

 青木が色葉にスパッツを放った。

「おまえのおケツにはちょっときつめサイズだが、そこがいい。さあ、わしの目の前で生着替えを果たすのだ」

 スパッツを拾い、こくりとうなずく。

「……めろっ」

 気づけば京介は、絞り出すように発していた。

 青木が色葉をじっとりと見下ろす。舌の先が口のまわりを一回転した。

「……めろっ!」

 2回目を発した。なにが「めろ」なのか。自分は「めろ」と叫んでなにを伝えようとしているのか。理由はわからない。ただ色葉を助けたい、その一心で発せられたセリフだった。

 青木が鼻で笑った。

「『めろ』と叫ばれても、なんのことだかわからぬな。おお、いいぞ、それでこそわしの一ツ橋色葉だ。ときに、スカートが邪魔だ。まずスカートを外し、上着をおへそのあたりまでたくしながら、腰をくねくねさせてスパッツを履くのだ。これは医師としての命令だ」

「やめろっ!」

 京介は満を持してフルで発した。

「や」の現出とともに、迷いは消えた。迷いとはなんだったのか。すなわち、女の子ピンチ→怒る〈主人公〉、のラノベコンボだ。あまりにあんまりなラノベの〈お約束〉だ。つか、はじめから逃げればそもそもピンチに陥らなかったわけじゃん? それで「やめろ」とか叫ばれてもしらけるだけなんですけど。おまえら頭悪すぎ。

 関係ない。

 みんながどう思おうと関係ないのだ。

 おまえらは勝手にしらけていろ。

 どれだけ女の子ピンチ→怒る〈主人公〉ありきの展開だろうと。

 おれは助ける。

 なぜなら。

 それこそがラノベだからだ。

 バカにしているわけではなく。

 京介は前髪で目つきの悪さを隠しながら、ゆっくりと立ち上がった。瀉血による傷はすでに癒えている。なぜならラノベだからだ! 色葉をかばうように青木の前に立ち、すでにパンツを脱ぎスパッツを太腿あたりまで履きかけスカートを外しかけている色葉をそっと制した。もの言わずパンツを拾い、顔を背けたまま渡す。色葉は後ろを向き、お尻を軽く突き出しながらいそいそとパンツを履いた。まさにしゃぶしゃぶの様相だったが、京介はちらとも目を向けなかった。

 男だからだ。

「怖かった」

 色葉が背中に寄り添ってきた。ぬくもりが衣服越しに浸透し、京介の折れないハートに火を灯す。ふたつの柔らかななにかがむにゅりと触れ、ラノベのパワーが全身に満ちた。

 青木が3メートル上空から見下ろし、言った。

「ようやく〈バトル〉をする気になったか」

 京介はうなずいた。

「熱膨張だ」

「人様のネタで戦うのはやめるのだ」

「ではオリジナルで行くぞ」

「かかってくるがいい」

 そして〈バトル〉がはじまった。

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