第65話 さいたまドラゴンとの戦い そして

「彩の国、さいたま!」

 さいたまドラゴンが共通語で叫んだ。

「さいたま! さいたま! さいたま!」

 1レベルのヒーローたちは扇状に散開し、それぞれの武器を手ににじった。

 さいたまドラゴンは首をもたげ、コウモリに似た翼を広げ、ぎしぎしと腱を鳴らした。せまい洞窟内に甲高い声が響き渡る。

「わらわはさいたま市のPRキャラクター、つなが竜ヌゥじゃ。ヌゥが名前で、つなが竜は二つ名のようなもの。人間どもが、わらわの自宅へ一体なんの用じゃ」

 短剣を手にしたシーフの松野が一ツ橋にささやいた。

「攻撃か? 退避か?」

 ファイターの一ツ橋氏が青ざめた顔で答えた。

「まだ命があることに感謝するんだな。ドラゴン退治は、おれたちには荷が重すぎる」

「そのとおりじゃ!」

 盗み聞きしていたらしいさいたまドラゴンが叫び、哄笑した。赤い爬虫類の目でぎらぎらと見下ろす。

「そなたらなど、わらわの翼のひと振りで殲滅できる。鉤爪の一閃でそなたらのはらわたをえぐり出すじゃろう。わらわがひとたびくさい息を吐けば、そなたらは全員苦しみもだえながら死ぬのじゃ」

 そのくさい息は、息だけにすでに吐き散らされている。決してせまくはない洞窟内に、荒川を思わせる強烈な臭気が充満している。

 一ツ橋氏は鼻をつまみながら、後方に位置するエルフの上原とクレリックの伊達に言った。

「わたしと松野が注意を引きつけよう。隙を見て逃げ出すんだ」

「わかりました」

 いそいそと背を向ける上原の手を伊達がつかんで引き戻した。

「ここでだれかが死ぬにしても、無駄死にであってはならない。それに、下っ端のさいたまドラゴンを倒したところで、世界はなにも変わらない」

「どうする」

「情報を持ち帰るのよ。わたしたちは〈大人〉なのよ。情報こそが〈大人〉の最大の武器」

 伊達は前へ進み出て、共通語でさいたまに話しかけた。

「誇り高き竜族が、なぜ人間に仕えているのです」

「あの者たちは、ただの人間ではないぞ。関東第一高校の教師は、竜族をも凌駕する頭脳の持ち主じゃ」

「あなたは騙されている」

「なぜ教師はいつも悪者扱いなのじゃ。なぜ教育以外の目的があると考えるのじゃ。愚かな人間は、いつもそう。都合の悪いことが起これば、すぐ他者のせいにする。大組織には裏があると勘ぐる。じゃが現実は、ゲームのようにはゆかぬぞ。理路整然としているように現実が見えたのならば、それこそがまやかし。理解できない、ゆえの真実ぞ」

「あなたたちさいたまならば、わざわざ関東第一高校と手を組まなくてもいいではありませんか」

「さいたまとて万能ではない。生き残るためには、世の趨勢を常に見極めねばならぬ。関東第一高校の教師は、強大な力を持っておる。その気になれば、さいたまを滅ぼすこともできた。栃木、群馬、茨城、神奈川、そして浦安を除く千葉も。じゃが関東第一高校は、関東6県をお見捨てにならなかった。それぞれに役割をお与えになったのじゃ」

「さいたまは、どのような役割を与えられたのですか」

「どうせわらわの牙にかかる身、冥土の土産に教えてつかわそう。わがさいたまは、産業を与えられた。革命的な産業じゃ」

「革命的な産業とは?」

「冥土の土産に教えてつかわす。紡績機じゃ」

「紡績機とは?」

「冥土の土産に教えてつかわす。ユニクロじゃ」

「ユニクロ?」

 一ツ橋氏が伊達にささやいた。

「よくしゃべるドラゴンだな」

「雌だからよ」

「なんじゃ、有識者のくせに、これらのキーワードにピンと来ぬのか」

「もちろん、ピンと来ています。つまりさいたまでは、産業革命が進行中なのね?」

「ただの紡績ではないぞ。〈VR〉紡績じゃ」

「〈VR〉?」

「そなたら〈大人〉には、〈VR〉の意味がわからんじゃろう。どれだけさいたまの『若者』に人気か、わからんじゃろう」

「〈VR〉って知ってる?」

 伊達は比較的若い上原にたずねた。

「いいえ、わたしも日々のリアルが充実しているので、若者のカルチャーには弱いんです。でも産業革命の意味はわかる。関東に高校生が32万8000人しかいない理由も」

「つまり低賃金労働者。さいたまの『若者』」

 ハッと目を見開いた。

「入試に落ちた元中学生ね?」

「20年間落ちつづけた元中学生たち、です! ところで伊達さんは、さいたまへ行かれたことがおありですか?」

「一度もない」

「なぜ?」

「行く理由がないもの」

「そのとおりです! わたしも行ったことがない。一度も行ったことがない。出かけ先の候補に上がったことすらない。なぜならさいたまには、なんの取り柄もないからです!」

「さいたま西部ライオンズ!」

 さいたまドラゴンが叫んだ。

「浦和レッドダイヤモンズ!」

「伊達さん、関東第一高校の教師は、真実をひた隠すために、さいたまの取り柄のなさを逆に利用したのではありませんか?」

「十万石まんじゅう!」

「充分あり得る」

「中卒の人間が、さいたまの地で暮らしている。革命による新たな産業の創出、そして資本家によって労働力を搾取されている」

「あり得る」

 さいたまドラゴンが怒りの咆哮を上げた。

「そなたら、ディスりすぎじゃ。命が惜しくはないのか?」

 伊達が上原の肩をつかんで後退しつつ、全員に言った。

「情報は得た。なんとかして逃げましょう」

 松野が言った。

「お宝は?」

「わたしたちには、さいたまドラゴンは荷が重すぎる。あの体躯が示すとおり、問題が巨大すぎるのよ。いったん退いて、有識者に話を聞きつつ、作戦を練り直しましょう」

「ラノベノミクス3本の剣ってなんだよ?」

「わからない。でもさいたまには秘密があり、打倒関東第一高校の鍵となることはわかった。いまのところはそれで充分よ」

「さいたま!」

 さいたまドラゴンが叫んだ。

「さいたま! さいたま! 真実を知ったそなたらを、わらわがすんなり帰すと思うのかえ? そなたらは、いまここで、わらわの牙にかかるのじゃ」

「ということは、真実なのね?」

 さいたまドラゴンは伊達の問いを無視した。

「じゃが、あっさり倒してしまうのもつまらんよのう。ちょうど退屈していたところじゃ、わらわとひとつ、賭をせぬか? わらわの鱗にかすり傷のひとつもつけられたら、全員を生きて帰すと約束しよう。ついでにさいたま名物も持たせてやろう」

「さいたま名物とは?」

 ドラゴンは口ごもった。

 メイジの武井がその隙を突いた。もごもごと呪文をつぶやき、さいたまに指先を向ける。ほとばしり出た炎の矢は、まっすぐさいたまドラゴンの鼻先へ向かう。

 さいたまドラゴンはくさい鼻息でいとも簡単に吹き飛ばした。

 松野が武井の背中をどついた。

「ここでマジックアローを使ってどうするんだよ。帰路もあるんだぜ」

「死んだら元も子もないでしょう」

「〈大人〉のロールプレイングゲームよ。知恵を使うのよ!」

「さいたま! さいたま! さいたま!」

 さいたまドラゴンは激しく暴れ出した。

「退屈じゃ! 怖じ気づいたか?」

 一ツ橋氏が一歩踏み出し、青ざめた顔でドラゴンを見上げた。

「わたしが囮になろう」

「一ツ橋さん!」

 伊達がゲームとは思えない迫真の演技で勇者の背中に呼びかけた。

「次の次のセッションで蘇らせてくれ。レベル差が出るのは致し方ない」

「〈大人〉はゲームばかりしているわけにはいかないのよ」

 一ツ橋氏は雄々しく伊達を振り払う。ひとり竜の前へ進み、剣を高々と掲げ、鬨の声を上げた。

 戦士の挑戦を受けたさいたまは、赤い目でぎらぎらと見下ろした。くさい鼻息を吹き出し、爬虫類の口が笑みのようなものを浮かべる。

「おい、おっさん。女ども。いまのうちに逃げるぞ。命あっての物種だ」

 アラインメントがカオティックの松野がささやいた。

「逃げられると思うのかえ?」

 そのとき。

 背後に異質な気配を感じ、一ツ橋氏は思わず振り返った。居並ぶパーティーメンバーをかき分け、規則正しい歩調で、ロングコートを着た男が歩いてくる。一ツ橋氏は2つの意味で混乱し、剣を下ろした。男はもちろん、仲間ではない。そしてファンタジーですらなかった。

 白髪を後ろになでつけ、右目が不自由なのか黒いアイパッチをつけている。時代錯誤ならぬジャンル錯誤のコートと軍靴、さらに悪いことに、手にはドイツ製の回転式拳銃が握られていた。

 一ツ橋氏は眉をひそめた。

「おまえは」

 一ツ橋氏が言いかけると、軍靴が地を蹴った。

 男はコートをなびかせ、一ツ橋氏の脇を通り抜け、まっすぐさいたまへ向かった。さいたまドラゴンは首を巡らせ、男に気づいた。赤い目で睥睨し、笑みらしきものを浮かべた。鼻先を男に向け、息を吸い込んだ。ぱっくりと口が開いていく。

「逃げて!」

 だれかが叫んだ。伊達さんだろうと一ツ橋氏は考えた。力強い腕につかまれ、引きずられる。あの男は一体何者なのだ?

 咆哮とともに洞窟全体が揺れた。石のかけらがぼろぼろと降り注ぐ。引きずられ、鼓膜をつんざく死の大音響に震えながら、一ツ橋氏の目は、男の背中に釘づけになっていた。だれかが声を上げた。死のブレスが放射状にまき散らされた。

 男が跳躍した。

 一ツ橋氏は天然の柱の陰に身を隠した。だがドラゴンのブレスにかかっては、こんな柱など役に立たない。わたしたちは全滅するのだ。ドラゴンと男の姿が柱の向こうに消える瞬間、一ツ橋氏は見た。跳躍した男が軍靴で洞窟の外壁を蹴り、宙で一回転したあと、拳銃を構えた。

 まるでゲームだ。

「伏せろ!」

 松野が言った。さらばだ、旧友よ。一ツ橋氏の心は驚くほど穏やかだった。頭を抱え、目を閉じ、神に祈る。どうか死が、速やかに訪れますように。

 銃声。


   ◇


 揺れが止まった。一ツ橋氏はまぶたに力を込め、目を開こうとする。いや、天国かもしれない。だれかが体を揺する。やめろ。このまま眠らせてくれ。

 松野が言った。

「起きろ。ゲームは終わりだ」

「ゲームは終了です」

 GMこと文部科学省初等中等教育局局長の前田が、スクリーンの向こう側から宣言した。

「不本意でしょうが、冒険は成功です。さいたまドラゴンの財宝を手に、あなたたちは街へ戻った。宿屋で分配しますか?」

 ファイターこと一ツ橋氏は、文字どおり夢から覚めたように目をしばたたいた。宿屋を見まわす。すでにスタッフによる解体作業が行われている。ケータリングのお姉ちゃんも消えていた。宿屋は徐々に会議室らしさを取り戻していく。

 全員生きて帰ってきた。ドラゴン退治に、さいたまの秘宝。レベルアップは確実だろう。壁の時計は11時40分を指している。メイジこと武井はあくびを噛み殺し、うとうとしている。シーフこと松野は、だらしなくイスに背を預け、物憂げに20面ダイスをもてあそんでいる。

「意匠を凝らされたひと振りの剣がある。ギルドの魔術師に鑑定してもらったところ、魔力が付与されているとわかった。魔術師は、ラノベノミクス3本の剣のひとつ、大胆な〈混浴〉ソードかもしれないと言ったが、はっきりしたことはわからないと付け加えた」

 一ツ橋氏は壁に寄りかかって腕を組む男に気づいた。

「あなたはだれだ。勝手にゲームに乱入して」

「あとだ。財宝を分配し、レベルアップしろ」

 エルフこと上原以外の全員がレベルアップした。

 一ツ橋氏があらためて言った。

「さあ、これでセッションは終了だ。冒険の邪魔をした理由を聞かせてほしい」

「アイパッチの理由もな」

 松野が付け加えた。

「アイパッチは気にするな。言えることはただひとつ。このような会議は、なんの役にも立たない。有識者がどれだけ膝をつき合わせて話し合ったところで、世界はなにも変わらないのだ」

 伊達が言った。

「〈大人〉が世界を変えなければならないのです」

「いや。ラノベは再び動き出した。〈ヒロイン〉たちは自力で、おのれの運命、使命に気づき、まだ見ぬ続巻へ向け、一歩を踏み出したのだ」

「つまり?」

「もはや〈大人〉の出番はない、ということだ」

 伊達は変わらず厳しい表情を保ちつづけている。上原は〈大人〉ともラノベとも取れない中途半端な表情を浮かべ、ぴちぴちの革パンツ越しに内腿を掻いた。

 一ツ橋氏は呆けたような表情で木村を見上げたまま、ほんのわずかに肩を落とした。

「終わり、か」

「気持ちはわかる。男はいくつになっても、英雄になりたいと願うものだ。だがこのようなテーブルでのトークは、はっきり言って時代遅れだ。やればおもしろいのは、わたしも知っている。しかもかなりおもしろい。しかも教育効果まである。だがデジタル慣れした若者は、いくら押しても決して食いつかない。スターターセットを買いに走ったりもしない。4面、6面、8面、10面、12面、20面、そしてゴルフボールのような100面ダイスに胸を躍らせたりもしないのだ」

「いい線行っていたと思うんだがな」

「ラノベの再始動と合わせて、もうひとついいニュースがある。関東第一高校は、ラノベに寄せる結論に達した。悪役に徹し、ラノベにはラノベで対抗するつもりだ」

「ついに高校を動かしたのね。それで京介くんは? いまどこに?」

 木村は伊達に目を向け、それから上原に視線を移した。

「上原アリシャだな?」

 上原は顔を上げ、木村を見た。白髪とアイパッチとガリガリの頬が、どういうわけかひとつの記憶を呼び覚ました。

「木村先生? 刑法学者の木村先生ですか?」

「あのときから変わっていないようだ」

「ほんとですか? まだ高校生に見えます?」

「お世辞だ」

 作業員がひとりやってきた。テーブルを片づけたいのだがまだゲームをされるのでしょうかと文部科学省初等中等教育局局長の前田におうかがいを立てる。前田は腕時計を見、一同に会議の終了を告げた。

「ラノベノミクスってなんなんだよ?」

 松野が前田に食い下がる。

「その剣がさいたまの地に眠っているのか?」

「ゲームの中の話ですよ、松野さん」

「てことは、比喩なんだな? 規制緩和、つまり政策だ」

 前田はひとことも発せず、無表情で会議室をあとにした。

 取り残されたヒーローたちは、ドリルや金属音でやかましい会議室で輪になって立ち尽くし、考え深げにしばらく沈黙していた。解体の邪魔だからどけと作業員に怒られたので、みんなでテーブルを隅っこへ移動させてひとまず腰を落ち着かせた。

 全員の視線が自然と木村へ向いた。

 上原が代表して言った。

「ラノベの敵、関東第一高校の教師であるあなたが、なぜここへ? 〈仲間〉になったのですか」

「かんちがいするな。わたしの心はいまも教頭とともにある。だが悪役のだれかが、組織を裏切り、正義の味方に加わらなければならないのだ」

「それはラノベじゃない。少年マンガです」

「ちがう。知ったかぶりではない。おまえらは知らないかもしれないが、わたしは知っている。ラノベの歴史をな。ラノベはユダヤ教、キリスト教、イスラームと聖典を一にするアブラハムの宗教。つまりすべての起源なのだ。ラノベが少年マンガに寄せたのではない。少年マンガがラノベに寄せたのだ」

「そのような歴史は聞いたことがありません」

「上原アリシャ。おまえは岸田京介の〈ヒロイン〉だった。年のころは26、しかも10月で27歳になる、本来ならばとうてい受け入れられない〈ヒロイン〉。持ち前の美貌と強引な性格によって〈ヒロイン〉の座を無理やり手にした。〈打ち切り〉となったあと、なにもかも忘れ、もとの生活へ戻ろうとした。だが不満は募るばかり。おまえは忘れてはいない。ラノベの栄光を一度味わった者は、忘れることなどできないのだ。さあ、これからおまえはどうする? この先世界は、どちらへ転ぶかわからない。ラノベの〈ヒロイン〉になるか、〈大人〉か。選ぶならいまのうちだ」

 上原はうつむいた。

 スタッフが木村の背後に立ち、勝手にロングコートを脱がそうとした。木村は身を引きつつ振り返り、これは衣装ではないとスタッフに告げた。それからいいところなのでしばらく放っておいてほしいと付け加えた。

 スタッフを追っ払ったあと、木村は一同を見下ろした。

「さいたまの秘密に気づいたのは、さすが〈大人〉と言える。ラノベどもは〈学校〉と〈自宅〉を往復するだけ、さいたまという難しいロケーションに踏み入ることは決してなかったはずだ」

「わたしが京介くんに伝えます。〈ヒロイン〉のひとりとして」

「二度と〈大人〉には戻れない。それでも構わないのか」

 上原はうなずいた。それからなぜ木村先生が場を仕切っているんだろうと思った。

「さいたまは、おまえらが思っている以上に危険だ。ラノベ的な危険ではない。リアル危険だ。さいたま問題は、ラノベの手に負える問題ではないかもしれない」

「産業革命。つまり格差ですね」

「さいたまは、ある主幹教諭が支配している。林たいら、通称りんびょう先生」

「りんびょう。聞いたことがない」

「8年前、ペヤングを切らしボストンから緊急帰国。友人と原宿をぶらついていたが、あの男だけは教頭はスカウトしなかった。自ら高校に売り込み、半ば強引に教師として働き出したのだ。ラノベはあの男だけは目覚めさせてはいけなかったのだ」

「と、毎回言うんですよね」

「そうだ。だが恐ろしいことに変わりはない。やつだけは、緊急帰国させるべきではなかった。まるか食品株式会社は、やつのペヤングを切らすべきではなかったのだ!」

 一ツ橋氏が指笛を吹いた。

「紡績機の発明による革命的な産業の発展。搾取する資本家と、搾取される労働者。歴史に学ぶがいい。ラノベでさいたまを救うのだ」

「先生は、現在の日本が、関東第一高校が、まちがっていると気づかれたのですね」

「わたしにはわたしの思惑がある。かんちがいするな」

 木村は立ち上がり、かっこよくコートを翻して背を向けた。軍靴を鳴らし、ドアへ向かった。


   ◇


 上原は永田町合同庁舎を出た。スマホを耳に当てながら正面階段を駆け降りる。京介は電波の届かないところにいるようだった。

 歩道に立ち、深夜の永田町をきょろきょろしていると、伊達が階段の上から声をかけてきた。

「どうするつもりなの」

「わたしはさいたまへ向かいます」

 上原は警備員にハイヤーを呼んでくれと言った。もちろん警備員は首を振った。

「こんな時間じゃタクシーも拾えませんよ」

「わたしのリムジンを使ってくれ」

 一ツ橋氏が姿を見せ、上原に叫んだ。

「さっき指笛を吹いたから、もうすぐやってくるはずだ。さいたまへの侵入経路はひとつ、板橋区舟渡の戸田橋だ!」

「ありがとうございます」

 伊達が階段を駆け下りた。上原の正面に立ち、言う。

「どうやって京介くんと出会うつもりなの」

「必ず会えると信じています。わたしにできるのは、あの人を信じることだけ」

「〈ヒロイン〉だけに?」

「それとラノベシグナルがありますので。ビビッとくるはずです」

「いまはどこにいるの?」

「それが、わからないんです。国内ではない。もしかしたらシグナルも役に立たないかもしれない。でも、わたしは岸田京介を、ラノベを必要としている。〈ヒロイン〉としてか、ひとりの女としてかはわからない。そしてもしかすると、〈主人公〉ではなく、ひとりの高校2年生を、好きになってしまったのかもしれない。バカバカしいと思いますよね」

「あなたの人生よ。あなたが決めることよ」

「伊達さんは、これからどうされるおつもりですか」

「わたしはわたしのやり方でやる。どうやらお別れのようね。さようなら、〈エルフ〉の姫君。あなたのラノベに幸多からんことを!」

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