第64話 ヒロインたちの再会

 そのころ羽田では、整備を終えた一ツ橋家の旅客機が格納庫から姿をあらわし、誘導も制止も聞かず勝手にD滑走路に待機した。

 純白に輝く超音速旅客機、その名もマネシロアジサシ。最も希少で、最も美しく、最も空のルールを守らない旅客機として知られている。

 管制塔では、航空管制官が美しい機体を見下ろしていた。個人的には我慢の限界に来ていた。だが国がいいと言うのであれば、公務員としては従うしかない。

 管制官はスタッフを招集し、苦々しげな顔でブリーフィングをやり直した。そうしているあいだにも、ありとあらゆる航空会社の旅客機から着陸と誘導の指示を求める連絡が入りつづける。房総半島の沖合い上空は回遊する飛行機で大渋滞していた。静岡県の沖合い上空も同様だった。

 全航空機の発着遅延の案内を出したあと、横田基地と成田空港に泣きついた。無駄なのはわかっている。羽田さんの問題でしょ? うちは一切関係ありませんから! ガチャッ! それから一切の連絡が不能となった。

 もし管制官が一ツ橋色葉の渡航の目的を耳にしていたら、思わず「バカじゃねーの」と叫んでいたはずだ。


   ◇


 アメリカ合衆国大統領閣下も思わず賞賛の口笛を吹いたと言われる広々とした機内の寝室で、色葉はひとりソファにすわり、クッションを抱き、目を閉じていた。ラノベの女の子らしく葛藤しなければ。そしてそのあと、ラノベの女の子はそもそも葛藤しないかもしれないという葛藤がほどなく追加された。

 まずはコーヒーを飲まなければ。しっかり葛藤しながら。

 葛藤のすえ、超音速旅客機マネシロアジサシはシアトル・タコマ国際空港に降り立った。ボディーガード数名を連れ、車でパイク・プレイス・マーケットへ向かった。パブリック・マーケット・センターの赤い看板が見えると、色葉は車を止めさせた。助手席から降り、石造り風の冴えない建物に向かった。不気味なリアル人魚のロゴを確認し、店内に入り、オーダーした。そしてまっすぐ空港へ引き返し、ミラノに飛んだ。エスプレッソバーに立ち寄り、さっとエスプレッソを飲んだあと、まっすぐ空港へ引き返し、再びシアトルに飛び、4番街とスプリング通りの角の不気味なリアル人魚のロゴがあるコーヒーショップでエスプレッソをオーダーし、本場とどうちがうのかを検証した。結論としては、あちらは文化だが、こちらのコーヒーはおしゃれアイテムだということだった。

 そのあとスイスへ行き、アムステルダムへ行き、法の抜け穴を活用した節税の方法を学んだ。

 ついでの節税ツアーを終え、燃料費込みでサラリーマンの平均月収約3年分を費やしスターバックスの歴史を振り返ることで葛藤を見える化した色葉は、管制とのやり取りによると羽田に嫌われたらしいのでしょうがなく横田基地へ降り立った。そして満を持し、日本の記念すべき1号店、銀座松屋通り店へ向かった。

 色葉を出迎えたのは、ロゴの中で囚われの身となったスタバ人魚と、上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲のつぎはぎだらけのキメラ看板だった。

 しっかりとなつかしさを覚えつつ、隠れDカップの胸に手を当て、ロゴから連想するかたちで京介を思い出し、心の揺れ動きに慎重に気を配ったあと、なおもうじうじと葛藤しながら上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲おすすめの期間限定黒糖ミルクフラペチーノ®をオーダーした。

 コーナーの席に着き、使用人にガードされながらひと口食べた。味は黒糖ミルクフラペチーノ®に相違なかった。機械的にスプーンを口に運びながら、店内を見まわす。

 春ちゃんはどこだ。

 おのれの眉間に寄ったしわに気づき、あわてて表情を弛緩させる。ラノベの〈ヒロイン〉らしくしなければ。色葉はすでに織り込み済みの未来を再現すべく、なるべくおいしさを表面に出そうと努めた。ひと口食べるたびに、無理やりおいしーいと声を上げる。ちがうかもしれない。ラノベらしくないかもしれない。ストローをくわえ、ちゅるりとすする。「ん、おいし」とほっぺたに手を寄せ、潤んだ目を細め、感極まったような表情をどうにかこしらえた。

「どう? おいしそうに見えた?」

 ボディーガードは首を振った。まだかわいくないらしい。

 色葉はサンドイッチをオーダーした。ほどなく小さく切ったクラブハウスサンドイッチが運ばれてきた。手を合わせ、うわあと目を輝かせる。ちょいとつまみ、半分ほどを口に入れ、もぐもぐした。

 しまった。もぐもぐではない。

 はむはむだ。

 はむはむ。

 色葉はサンドイッチをはむりつづけた。意外に難しく、しかもだんだんイヤな気分になってきた。最後のサンドイッチ。意を決して手をつけ、はむりの語源であるハムスターのように両手で持ち、長袖から指先がちょこっと出るよう袖を調節したあと、乾坤一擲、渾身のはむりを見せた。

 はむ――――――――――――――――――――――――ッ!

 どうだ!

 そのとき。

「いろは」

 腰まで届く黒髪の女の子が、テーブルの向こう側に立っていた。

「春ちゃんね。久しぶり」

「久しぶりなら、もっと驚け」

「驚くつもりだったんだけど、うちの侍女に未来を予測されてね。いま完全にネタバレ状態なの」

「ちがう。あたくしの成長ぶりのほう」

「ほんとだ。背、伸びた?」

「セクシーだろう。ところで」

 春はセクシーポーズを取ったまま、目玉を左右に動かした。

「京介、どこ」

「ここにはいない。日本にすらね」

「イギリス編に突入したのか」

「ちがう。そういうんじゃないの。無理やりタヒチに連れていかされたのよ。理由はかくかくしかじか。さっそく助けに行かなきゃ」

 色葉は立ち上がり、サンドイッチのかけらをぽいと口に入れた。これまでのぶんを取り戻す勢いで歯を剥き、パンかすを飛び散らせながらがつがつした。

 春が2回まばたきした。

「助け、とは?」

「話はあとよ、と言いたいところだけど」

「ああ、なるほど。理解した」

「道中、長々と経緯を説明したほうがいい? それとも先の『かくかくしかじか』のままで済ませる?」

「当然、おしゃべりを選ぶべきよ」

「ページ数を稼ぐのよね」

「ラノベのように」

「ラノベのようにね」

「そゆこと」


   ◇


 上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲を出、色葉と春は車で横田基地へ向かいながら、〈打ち切り〉後から現在までの経緯を長々と語り合った。本格的にページの無駄なので、遺憾ながら省略させていただく。ちなみにもうひとりの〈ヒロイン〉である上原アリシャの話題は、ただの一度も出てこなかった。

 完全に忘れていたのだ。心の底から。

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