第63話 ネタバレメイドの未来予測

 色葉は一ツ橋屋敷2階の自室の窓辺にすわり、18世紀イギリスの田園風景を眺めていた。

 渋谷なのにカントリーハウスとはこれいかに。一ツ橋氏は素朴な田舎屋敷を好んだ。部屋数はたったの6つ、豪華な舞踏会を開けるような広間もなく、家具も質素なものばかりで、おのれの肖像画を飾って身分や財力を誇示することもない。もともとは商人の出だったらしい。だから身分をわきまえているのかといえばそういうわけではなく、単に好みの問題らしかった。その好みを渋谷区に押しつけた、ただそれだけの話だ。

 父は愛馬を駆り、永田町へ出かけた。久々にロールプレイングゲームをするのだと言っていたが、そのわりに表情は冴えなかった。ファイターの板金鎧を着ていたせいもあり、死地に赴く英雄そのものに見えた。あれほどの真剣な表情を見たのは、ユニクロ買収劇のとき以来だ。一ツ橋氏が手に入れ損なった日本で唯一の企業として、その後ユニクロは文字どおり大きく株を上げたのだった。

 窓辺のイスから立ち上がり、のろのろと勉強机に向かう。トレースしかけの都市構造概念図が広がっている。未来都市計画は苦手だ。まず線がまっすぐに引けない。田園風景ばかり見ているせいか、人工的な秩序に美を見いだせない。なんとかがんばって構想した都市は、洛陽ルオヤンの地下村落そっくりだった。

 色葉は建物つながりで『はるいろダンジョン』を思い出した。あの無秩序さがじつは気に入っていたのだ。そして京介や春はあずかり知らぬことだが、はじめて労働というものを経験したのもあそこだった。額に汗して毒を食わせた。さばき方を誤り爆発した巨大ウナギの血と肉と臓腑を全身に浴び春とふたり笑いあった。総じて楽しかった。

 ちなみにやまいだれのような気持ちの悪い建築物は、現在も関東第一高校上空を元気に回遊している。いずれ解体しなければならないだろう。思い出として残しておくにはあまりに迷惑すぎるし、〈打ち切り〉になったからといってパッと消えるような都合のいい話は現実にはないのだ。

 もちろん責任は感じている。岸田京介のことも。アメリカ人のように片時も忘れたことがないとは言えないが、1日何回かは思い出す。

 会いたいの? わからない。

 電話を掛けてきたフリードリヒと名乗る男によると、京介は教師に捕まり、南国の楽園タヒチで危機に瀕しているらしい。まずどうすればタヒチで危機に瀕することができるのかわからない。それ以前に、なぜタヒチなのか。

 タヒチでラノベ。

 色葉は論理的に考えた。もしフリードリヒがなんらかの意図をもって嘘をついていたとすれば、ロケーションにタヒチなど持ち出さない。ラノベ→タヒチ。さすがのシナプスもそんなアクアラインみたいな結合は果たさないだろう。もし本当に岸田京介がタヒチにいるとすれば、それは新たな〈ヒロイン〉を従えタヒチ編に突入したからではない。南国のリゾート地はラノベが最も忌み嫌うリア充の巣窟。タヒチに転生? 人生が余計惨めになるだけだ。

 岸田京介は、本当に危機に瀕しているようだ。

 関東第一高校に拉致され、リゾートによる強制的なリハビリを受けているのだとすれば。

 あの岸田京介は死んでしまうだろう。

 ラノベの使徒、アンダーアチーバー京介は。

 治るのならいいじゃないか、とふと思った。喜ばしいことだ。フリードリヒの言う「危機」というのはラノベの視点から見た危機であって、実際は愛と良識ある教師による適切な更生プログラムがタヒチで行われているのだ。

 そして岸田京介は戻ってくるだろう。ラノベを忘れ、ごくふつうではない高校2年生として復学する。モテても構わないし、冴えても構わない。取り柄があっても構わない。一から関係をやり直せるかもしれない。なにより会話やアクションのたびにあの〈お約束〉をいちいち気にする必要もなくなるのだ。

 非常に喜ばしいことだ。

 羽田空港に降り立った京介が、キャリーケースを引きずり、到着ロビーに姿を見せる。タヒチでリハビリを終えたその様子は、まさに〈充実〉そのものだ。アロハを着、真っ黒に日焼けし、サングラスをかけている。首に数珠のようなネックレスをぶら下げている。脇にはサーフボードまで抱えている。

 出迎えの色葉に気づき、嬉しそうに駆け寄り、なにを言うでもなくまずジャンピングハイタッチした。

「ウェーイ」

 色葉は弾かれたように振り向き、ドアを見た。なにをするつもりかと自問するよりはやく、侍女を呼ぼうと口を開く。するといつものようにドアが開き、白エプロンとキャップを着けた少女が隙間から顔をのぞかせた。

「お呼びでしょうか」

「まだ呼んでないけど、用はある」

「気づかれたのですね、黒光りした京介様のお顔に」

 色葉はうなずいた。

「消去法ね」


   ◇


 侍女は15歳のとき、つくばの独立行政法人未来研究所からふらりとやってきた。そこへ至る経緯はアインシュタインすら困惑の表情を浮かべるほどで、まともに説明しようとすればそれだけで1冊の本になってしまうだろう。だから説明はしない。

 なぜふらりとやってきたのかというと、物心ついたころから一ツ橋家の侍女になると予知していたからだった。少なくとも本人はそう言っていた。義務教育を終え、中学校の卒業証書を手にその足で一ツ橋家に向かい、勝手に住み込みで働き出した。ほかの女中や料理人、一ツ橋氏自らも、あなたは雇っていないのだ、勝手に働かれては困る、しかもいきなり侍女って、などと道理を言って聞かせたのだが、返ってくる言葉はいつも「その発言も予測済みでした」だった。「お嬢様は、わたしを追い出すことはされないでしょう」とも予測した。実際そのとおりになっている。いわゆるレディースメイドとしてはまったくの無能だった。しかもしょっちゅう色葉の洋服を物欲しそうに見つめ、朝食ではベーコンを物欲しそうに見つめ、夕食では羊肉を物欲しそうに見つめた。だがそのようなハンデを軽々と吹き飛ばす特殊能力を持ち合わせていた。単に思い込みが激しい娘かと思ったが、そうではなかった。未来を予知できる思い込みの激しい娘だったのだ。

 色葉は自分でよそゆきの服に着替え、自分で髪を整え、自分で部屋を出た。

 階段を駆け降りながら侍女に言う。

「タヒチでなにをするつもりか当ててみてよ」

「止まってください!」

 色葉はぴたりと歩を止めた。手すりにつかまり、振り返る。

「気もそぞろなお嬢様は、2段先のステップで足を踏み外します。階段を転げ落ち、頭部に深刻な打撃を受け、3日間生死の境をさまようでしょう」

 ぞっとして階下を見下ろす。

「ありがとう」

「ハッピーエンドで終わりますよ」

「そこまで先の未来は言わなくていいの。もう少し最近ではどうなる?」

「つくばへ行かれるでしょう。そこで京介様とキスします。熱烈なキスを」

「3日以内に限定すると?」

「さいたまへ行かれるでしょう。そこでお嬢様の地位を脅かす強大なライバルが出現します。かなりの美人です。あと、お風呂に入ります」

「明日は?」

「タヒチへ向かい、京介様を助けられます」

「その前は?」

「アンドロイドの女の子と再会します」

「春ちゃんね」

「いいえ。春Mk-2様です。厳密には」

「その前は?」

「コーヒーを飲みに行きます」

「コーヒー?」

「はい。ですがお嬢様が考えていらっしゃるような『コーヒー』ではありません。先ほどお嬢様は、ラノベの〈主人公〉がタヒチにいるのはおかしい、そう気づかれました」

「そのとおりよ」

「ラノベの約90%は学園ものだと言われています。〈学校〉や〈自宅〉で済むことなのに、ラノベはわざわざそんなめんどくさいロケーションを選んだりしないからです」

「そのとおり」

「お嬢様は、チャラいサーファー野郎に変わる前に京介様を助けたい。でもラノベは金輪際ごめんだ。死んでもごめんだ。だからコーヒーを飲みに行こうとお考えになった」

「考えてないんだけど」

「いいえ。考えました。わたしの言うことにまちがいはありません」

「じゃあ、そういうことにする。つまり、わたしは葛藤しているのね?」

「そういった心の動きを、再会したあと京介様にお話しなさいます。瀕死の京介様に」

「葛藤している場合ではなさそうね」

「いいえ。コーヒーを飲み、春Mk-2様と再会し、タヒチへ飛び、京介様と出会うまでは、ひたすら葛藤をつづけていてください。でなければ、京介様は死ぬ」

「死ぬ?」

「はい。死にます。確実に」

「葛藤についてまとめると、こうね? 〈打ち切り〉が決定したあと、わたしは第2の人生を歩もうとした。でもラノベだったあのときの思い出がときおり蘇る。自分の気持ちを押し殺しているのだとはじめから気づいている。でもラノベはクソだ。二度とごめんだ。勉強か、青春か。葛藤のすえ、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけないと悟り、助けに行く。結局、岸田京介のチャラ化を止めるというのは、単なる口実に過ぎなかったのね。この流れでいい?」

「メタ葛藤ですね」

「さっそく飛行機を用意しないと。羽田に連絡して」

「連絡済みです。『コーヒー』は、フラペチーノ®をお召し上がりください」

「コーヒーではない『コーヒー』ね」

「そういうことです」

 階段そのものにすら比喩的ななにかを覚えながら、色葉は広間に降り、小走りに玄関へ向かった。

 侍女が踊り場から声をかけた。

「それとお嬢様、クラブサンドです」

「サンドイッチを食べればいいのね?」

「いいえ。食べてはダメです。はむります。必ずはむること。でなければ、京介様は死ぬ」

「はむはむね?」

「はむはむです」

「ねえ、あなたも一緒に来て。助言が欲しいの」

「イヤです」

「未来が変わってしまうからね?」

「いいえ。単にラノベが嫌いだからです。ラノベは絶対にお断り。それではよい旅を」

 侍女はにこっと笑って手を振った。

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