第59話 アンドロイドの乙女心

 そのころ春は、ネグリジェの裾をずるずる引きずり、シンデレラ城の廊下を歩いていた。

 大きすぎるネグリジェは、浦安公タカシ1世の本当の娘、16歳で暴走消防車に轢かれ亡くなった本物の春の、いわばお下がりだった。なんだかんだと言っても、寝間着はこれがいちばん落ち着く。本物の春ちゃんは、ずいぶん背が高かったようだ。

 いつになったら追いつけるかなー。牛乳たくさん飲まなきゃなー。気分をアゲようとそんなことを考えてみたが、うきうきの種はため息とともにあっさり霧散した。アンドロイドは成長しない。ただひたすらアップグレードあるのみ。

 春は扉の前で立ち止まった。腕を振り上げ、ごんごんとノックした。

「どうぞ」

 両開きのドアを開けたとたん、0.54インチのマグナム弾が眉間に突き刺さった。

 デザートイーグルの銃口を向け、浦安公が叫んだ。

「テロリストめ! 思い知ったか!」

「パパ。あたくしよ」

「なんだ、春か。どうした、眠れないのか」

 春はこくりとうなずき、額のマグナム弾を手で払った。うつむきがちにずるずるとベッドに向かう。

 ベッドにすわった浦安公が、心配げにのぞき込み、腫れ物に触るようにたずねた。

「なにか、悩みでもあるのか?」

「はい」

「そうか。あれだな、好きな子ができたんだろう?」

 ちゃう、と頭を振る。

「隠さなくてもいい。おまえも17歳だ、彼氏のひとりやふたり、欲しくなっても不思議じゃない。それが人として、いや、アンドロイドとして、自然なことなんだ。一体どんな子だ、ん? 言ってみなさい。パパ、話のわかる男だからな。まあ、ラノベ好きのアニオタなら話は別だが」

「あたくし、生きる意味、欲しい」

 タカシ1世は顔を上げ、そっとため息をついた。壁に飾った鹿の剥製に目をやる。鹿の隣には右から順に、娘を轢き殺した中年男性、娘に言い寄った当時の同級生、許可なく娘の肩に触った当時の変態中年教師の剥製が、それぞれ断末魔の声を上げながら雁首を並べていた。

 デザートイーグルをナイトテーブルに置き、春を呼び寄せた。

 抱っこし、黒髪にキスする。

「なるほど。生きる意味か」

「ちかごろ退屈でさー」

「いいかい? おまえは、王女様だ。それが仕事だ。おまえの公務は、悪漢に襲われ、誘拐され、パパに救出されることなんだぞ」

「あたくし、強すぎる」

「そうだな、でも」

「あたくし、趣味、必要」

「春。アクセントがちがうじゃないか。何度も言っているだろう。本当の春は、もっとすらすらとしゃべったぞ。格助詞をしっかり使いこなした」

 じつに陰気な春の眼差しに気づき、浦安公は押し黙った。

「ほんとの春ちゃんじゃなくて、すまんことです」

「いや、おまえは春だ。いや、おまえはおまえだ。つまり、おまえはおまえなんだ。すまなかった。そんなつもりじゃなかった」

「パパ」

「なんだ」

 春は自分の頭に指を立て、言った。

「解体して」


   ◇


 かくして春は、解体の運びとなった。

 かつての順天堂大学医療看護学部跡地には、容積率上限や日影規制を緩和されまくった地上315階建て高さ1070メートルのジョン・ハチソン研究所がそびえ立っている。ちなみに設計はロックスター・ゲームスではなく、クアンティック・ドリームが主体となって行われた。そのためなのかビルは、いかにも富と権力のシンボルといった外観となった。しかも周囲には常に暗雲が立ち込めていた。暗雲込みでの工事発注だった。

 開業後まもなく、なぜか世界中から次々と富豪が訪れた。どれも死期の近い老人ばかりで、あまりに物欲しげな目で暗雲立ち込めるビルを見上げるので、浦安公はピンときた。最上階の美術館を取り壊し、代わりに邪悪なフロアを用意した。余命いくばくもない大富豪は、正気とは思えない額の「入場料」を言い値で払い、邪悪なフロアでベッドに横たわり、人工透析を受けながら悪漢をかっこよく演じた。おのれの寿命を呪い、人の生のはかなさを思い、だがあくまで穏やかな調子で、体調を管理する邪悪な医師や邪悪な使用人、そして突然姿をあらわすサタンの化身を思わせるミステリアスな黒幕と浮き世離れした会話を交わす。悪魔との契約、そして世界の混乱。やがてあらわれる、それぞれが心に傷を負ったヒーローたち。命が惜しいのではない。わしは生きた証が欲しいのだ! その効果は新たな老人医療と言っても過言ではなかった。1週間も悪漢を演じると、憑き物が取れたように体が軽くなり、さらなる富の独占への気力が沸いてくるのだ。もしあなたが資産1兆円以上の富豪で人生に倦んでいるならば、ぜひ一度はジョン・ハチソン研究所のヴィラン・スイートに訪れたい。ステレオタイプの癒やし効果を実感できるはずだ。

 ちなみに事業から外されたロックスター・ゲームスは、裏切り者のゼネコンを抹殺したあと、嫌がらせとしてテニスコートの端にジャンプ台を設置した。スピードのある車でうまくジャンプすると、一気にお台場までショートカットできるうえ東京湾岸警察署のご厄介になれる。

 それはともかく。

 春は地下13階の春ちゃん研究センターで、手術台に横たわっていた。

 台の上には、蜂の巣を思わせる無影灯がぶら下がっている。おなかの上で両手を組み、手術室を見まわす。集中治療室と手術室と工作室がごっちゃになったような空間だった。

 ここであたくしが生まれた。

 人間の技術者や、キャストと呼ばれる脳みそのないお手伝いドロイドが、周囲をやかましく走りまわっている。床には鋸くずや金属くずが散乱している。

 あたくしというアンドロイド春は、ここにたしかに存在している。たしかに存在していた。

 これでいいのだ。

「春」

 浦安公が見下ろし、懇願するように言った。

「考え直してくれ」

 春は首を振った。

「あたくしの脳、なにか詰まってる」

「それは、思い出というんだ」

「思い出せないのなら、思い出、意味あるの?」

 浦安公は涙を流した。おれがまちがっていた、と何度もつぶやき、偽りの生を与えたアンドロイド春に、何度も何度も謝った。

「いいのよ、パパ」

「ちょっとよろしいですか」

 脳みそグループ主任技師が浦安公に近づき、言った。

「王女様の脳みそを解析したのですが、ひとつ気になることが」

「なんだ」

「岸田京介とは何者ですか」

 春は目をぱちくりさせ、ふたりを見上げた。

「知らない」

「そうか、彼氏か。いいんだぞ、隠さなくても」

「記憶にございません」

 技師が浦安公に言った。

「思い出せないわけはありません。時間的にも最近のことですし、他記憶との連想度も異様に高い。原因はわかりませんが、たしかに王女様の脳みそは、ふん詰まりを起こしているようです。取り出してみますか?」

「よし」

「パパ。やめて」

「なにを恥ずかしがっているんだ。彼氏とのラブラブ記憶くらい、のぞいたっていいじゃないか。パパとしては、おまえの彼氏は知っておきたい。おまえが選んだ男なのだから、まちがいはないと思うがな。かっこいい男なんだろうな。身長は185センチ以上か? 竹を割ったような性格で、頼りがいのある男か? ららぽーとに半日付き合える体力と気力の持ち主か? 指ぬき手袋にバンダナを常時巻いているようなやつだったら、パパは決して許さないぞ」

「だから思い出せないのよ」

 技師がいそいそと戻ってきた。ハンディクリーナーとパーマ用促進器のあいのこのような器具を手にしている。

「陛下、これで王女様の記憶を吸い上げます」

「やれ」

 技師はわっか部分を春の頭にかぶせ、スイッチを入れた。たしかな吸引力を思わせる吸い込み音とともに、なぜか中年男性が缶コーヒーをすするような音が頭蓋内を満たした。

「気持ち悪い」

「気分が悪いのか?」

「お、音が。きちゃない」

 浦安公が技師に言った。

「どういう原理なんだ」

「磁気カードと同じですよ。人間どうしでも、相手の気持ちがなんとなくわかった、そんなときがあるでしょう? あれも磁性体の磁気変化による電磁誘導が生じたためなんですね。この器具は、『わかった』を強制的に吸い上げる、いわば掃除機ならぬ、掃

 浦安公は眉をひそめて言った。

「だじゃれか?」

「だじゃれです」

 技師はこくりとうなずいた。

「でも、それが人間というもの。そうでしょう?」

「そうだな」

 そのころ春の脳内では、だじゃれ掃除機のずるずるの音にかぶさるように、中年男性が柔らかいものを咀嚼するくちゃくちゃという音が響き渡っていた。ずるずるくちゃくちゃの音はさらに、飴を口の中で転がすちゅぱちゅぱかちかちという音、勢いよく鼻水をすするズゴッという音、不必要としか思えない執拗な咳払いの音、男らしく手で押さえず100%ばい菌を周囲にまき散らすブアッという盛大なくしゃみの音が渾然一体となり、やがて扁平足でどたどた歩きまわる音、ボールペンのノック部分を粋な感じで机にチャッとたたきつける音、キーボードのエンターキーをッターン!とたたく音、話しはじめに口を開いたとき否応なしに弾けるチュパッという音が、よだれを思わせるにおいとともに追加された。

「うえー」

 春は白目を剥きはじめた。

 技師は春の頭からわっかを外し、古めかしい計器の振れる針を確認したあと、浦安公に言った。

「あらかた吸い終わりました。さっそく映像に出しますか? ああ、ちょうどあそこに、韓国製プロジェクターと100インチスクリーンがある」

「よし。映せ」

「や、やめ」

 作業用ドロイドのキャストがフロアの照明を絞った。技師は器具を韓国製プロジェクターに接続し、再生ボタンを押した。

 ダビングを繰り返したビデオテープのような、不鮮明な映像が流れはじめた。

 どことなくいかがわしい春の一人称視界には、常にひとりの男が映っていた。

 春は小さくなりながら、顔面を電気的に真っ赤っかにし、湯気を立ち上らせていた。

 浦安公は腕を組み、微妙な表情でスクリーンを見つめていた。娘の成長に頬を緩ませる喜びの表情と、娘を赤の他人に奪われたという憤怒の表情が入り交じっている。

「こいつが、春を近い将来、おれの元から奪い去る男か」

「そゆんじゃないのよ」

「どういうのだ。どこを切り取ってもラブラブじゃないか」

「ただの、ただの知り合い」

「記憶にございませんと言ったばかりじゃないか」

「あの映像、あたくしの記憶。なら、知っているということ。でしょ。ゆえに、あたくし、この男子、知ってる。それで、そう答えたまで」

「なるほど」

 浦安公は映像に映る男を眺め、春に視線を移した。視線の移動を何度か繰り返すうち、浦安国民を圧政で苦しめつづける暴君そのものの表情が、弱々しく頼りない、ひとりの男の表情へと変化していった。春は理解した。掃磁気で吸い取るまでもなく、いまは亡き本物の娘を思い出しているのだ。春に目を落とす。その表情は、ある意味他人を見る顔だった。父親の愛情からの解放。

「春。ひとつ答えてくれ」

「なに」

「一緒にいて、楽しかったか」

 楽しかったか? 春は思考し、答えを導き出そうとする。わからない。思い出せないからだ。春は自分の記憶が映し出された映像を見上げた。どの自分も、笑顔が輝いていた。無邪気にまとわりつき、男子を信頼しきっている。ここにいる春は思わず顔をほころばせた。楽しかったか? そう、楽しかった。これだ。これこそあたくしの人生に足りなかったもの。そしてすでに、それは存在していた。記憶として、実体験として。

 いまこの男子が好きかどうかは関係ない。かつて好きだったという事実、それを思い出したという事実。それだけで、この男子を好きと言える。人間とはそういうものではないか。

 アンドロイドだけどね。

 春は父に顔を向け、ニッと笑った。

「楽しかった」

「そうか」

「楽しかったと、記憶が語っている。もっと楽しみたいと、あたくしは語る」

「パパ、ものすごく複雑な気持ちだが、決して反対はしないぞ。おまえの彼氏、ちょっと頭は悪そうだが、なかなか男前じゃないか」

「でしょ」

 浦安公は春を抱きしめた。

「解体は中止だ。よかった。本当によかった」

「あたくしも」

 憑き物が取れたように嘆息し、浦安公が言った。

「さっそく会いにいくといい。おまえの自由だ。だが立場は忘れるなよ」

 春は手術台にすわったままもじもじをつづけた。

「どうした」

「だって」

「なにがだってだ」

「嫌われるかも」

「嫌われる? なぜ嫌われるんだ。映像の中の男子が、常にやれやれ感を醸しているからか? あれは、恥ずかしがっているだけなんだ。おまえは世界でいちばんの美人だからな」

「でも、あたくし、17歳にしては、ちっちゃすぎよ。バランス、悪くない?」

「だが、おまえはおまえだ。いきなり背を伸ばしたいと言っても」

「伸ばせますよ」

 技師が口を挟んだ。

「さすがに小学6年生程度の身長ですからね。国際アンドロイド法で規定された身長伸び率上限とスリーサイズのバスト/ウエスト比およびヒップ/ウエスト比をオーバーしなければ、人為的に成長させることは可能です」

 春が顔を輝かせた。

「おれは小さいままがいいんだがな」

「パパ。娘とは、いつまでも小さくないものよ」

「そうだな。それじゃ、しかたない。成長させてやってくれ」

 かくして春は精髄を抜き取られ、記憶と人格を手土産に、新たな肉体、春Mk-2へ乗り換える運びとなった。

 USBフラッシュメモリの中の春が、技師の手のひらの中でこそこそと言った。

「新しい体、リクエストできる?」

「ええ。ご希望は」

「Dカップにして」

 技師は女子高校生に迫られた中年男性のようにおびえた様子で浦安公へ振り返った。

「王女様は、童顔でいらっしゃいますから。お顔とのバランスが、ちょっと」

「骨、細くして。スカート履くから。あと、透明感。それと心のキャパと、コミュニケーションスキルと、それから」

 女性が憧れる女性の要件を無邪気に挙げていく春を制し、技師は大人の回答をした。

「技術的に難しいんです」

「じゃ、いっこだけ」

 ちょこっと鼻を高くしてもらった。

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