第57話 資本主義の罠

 京介とフリードリヒはグリーンパールゴルフコースに出た。先を行くフリードリヒは、カート道路を飛び越え、わざわざバンカーに入り、必要以上に足跡をつけたあと、向こう側の椰子の木の林に飛び込んだ。

「空港はすぐそばだ! 日本に帰ったら、さっそく支部をつくろうじゃないか! ぼくときみ、そしてカールとで! 3人寄れば共産党支部! わくわくしてきた!」

「カールとはだれだ」

「革命だ!」

 民家がちらほらとあらわれ、やがてからからに乾いたアスファルトの道路に降り立った。ふたりは駅伝選手のように道なりに南東へ走り、ガソリンスタンドを左折した。

 視界が急激に開け、空港が目前に広がった。

「あそこだ! あの赤い飛行機!」

 フリードリヒが指さす。京介は顔を向けた。たしかに赤いセスナ機がちんまりと座している。

 セスナ機の前に、滑走路には場ちがいと思われる長いテーブルが置かれていた。白いクロスが掛けられ、さまざまな料理が大皿に乗り、ずらりと並んでいる。その脇には移動式屋台のトラックが5台、ひさしを持ち上げた状態で停まっていた。数人の男が屋台から大皿を持ち出し、テーブルに置いては戻りを繰り返している。

 長テーブルの中央には、髭面の男がすわっていた。すわるだけでなく、料理を食べていた。首にナプキンをつけ、ステーキを切ってはフォークを口に運んでいる。11人全員が遅刻した最後の晩餐のような光景だった。

 フリードリヒとともに駆け寄ると、男は顔を上げ、厳かに言った。

「タヒチ島にも幽霊が出る。共産主義という名の幽霊がな」

「カール!」

 どこが口だかわからないほど大量の髭を生やした男は、重々しく杯を掲げ、立派な腹を突き出しながら言った。

「逃走で疲れただろう、同志よ。ラクレットチーズをかけたマグロはどうかね?」

 フリードリヒはマグロの乗った皿にとろけるチーズをうやうやしくこそげ落とす屋台の男を呆然と見つめ、生唾を飲み込んだ。そのあとなにか大事な用を思い出したようにカールへ振り向き、叫んだ。

「なぜ空港で食事を! セスナはすぐに飛べるのか!」

「ああ。だが脱出は、これを食べ終えてからでもいいだろう」

「これをぜんぶか!」

「当然だ。シードルはどうだね? そこの若者と3人で、まずは乾杯といこう。偉大なる資本主義経済に」

 カールは屋台の男から杯を受け取り、シードルを一気に飲み干した。満足げな息を漏らし、ナプキンで髭を拭いた。

 フリードリヒはぶるぶると顔を震わせ、言った。

「いま、資本主義と言ったか!」

「同志よ。おまえは知っているだろう。わたしは祖国を追われ、イギリスへ渡り、家族を抱え、食うや食わずの貧しい生活を送っていた」

「だからぼくが援助した!」

「おまえはいい。おまえは工場の経営者だった。結局、資本家ではないか。なにかおかしいと薄々感じていたのだが、生活費ほしさに黙っていたのだ。だが、すべてはもう過ぎたこと。過ぎたことなのだ。中国料理はどうだね? エビチリを用意させよう。これがなかなかいけるのだ」

「やめるんだ!」

 フリードリヒはカールの首元をつかみ、ナプキンをもぎ取った。

 カールは静かに同志を見上げ、言った。

「共産主義などクソでも食らえだ」

「なっ!」

「ついでにラノベもクソ食らえ。野菜のパイはどうだね? どうやらわたしひとりでは食べきれないようだ。処理を手伝ってほしい」

 カールはロブスターのバニラソースを口に運んだあと、顔を上げ、遠い目をした。

 もじゃもじゃの髭が風にそよいでいる。

 同志の異変に気づいたフリードリヒが、はっと顔を上げ、弾かれたように振り返った。京介も同じほうを見た。そこには屋台の男たちが5名、いつの間にか白衣を着け、料理の代わりに薬剤のボトルを手に、一列に並んでいた。

 ひとりが京介に言った。

「岸田京介。おまえは医師の忠告に従わず、自己判断でリゾートを拒否した。もはや手術以外に助かる見込みはない」

 フリードリヒはカールに詰め寄り、叫んだ。

「どういうことだ! まさか、きみが」

「ああ。裏切った。わたしは自ら進んで買収されたのだ。ワッフルはどうだね? カリカリでうまいぞ」

 カールはもぞもぞと腹を動かし、げっぷをした。

 白衣がふたり、京介の両脇をがっちりと押さえた。京介は観念し、利き手の袖をまくり上げ、白衣の男に差し出した。髭のドイツ人ふたりについていかなくて本当によかったと思ったが、必ずしも薬効によるものではなかった。

 色葉。

 白衣は京介の腕を取り、穿刺部位を確認したあと、肘関節上部を駆血帯で駆血し、拇指を中にして手を握るよう説明し、消毒綿で穿刺予定部を中心から外側に円を描くように皮膚を消毒し、穿刺部の皮膚を末梢へ伸展させ、注射針を刺入した。

 ゆら~りと視界が変化する。

 フリードリヒもしぶしぶ白衣に向かい、憎々しげににらみつけながら、ジャケットの袖をまくり、注射器を持った白衣に腕を差し出した。

 白衣が顔を見合わせた。

「おまえはだれだ」

「ぼくはフリードリヒだ!」

「〈端役〉に用はない。テーブルに着き、食事を堪能するがいい」

「生クリームたっぷりのクレープはどうだね?」

 フリードリヒはカールの頬を張った。

「痛い。だがこれは肉体的な痛みだけではない。友達を失ったという、精神の痛みでもあるようだ。いや、わたしは耐えてみせよう。タヒチ名物、バニラのアイスクリームにありつくまでは」

 フリードリヒは目を真っ赤にし、母国語を叫びながら走り出した。

「ここで注射しなかったことを後悔するぞ! 必ずきみたちを告発する!」

「思想は個人の自由だ。法の許す範囲でだが。さて」

 京介は両脇をつかまれた。

「青木先生がお待ちだ」


   ◇


 そして京介は、ビーチに浮かぶ水上バンガローのひとつ、モーレア島を訪れたら絶対泊まりたいソフィテル・モーレア・イア・オラ・ビーチ・リゾートの一室に監禁された。

「さあ、ラウンドを再開しよう。おまえのスライス病を、一刻もはやく治さなければな」

「なぜスライスするのだろうか」

「ダウンブローを意識するあまりアウトサイドインに振っているからだ。右肩が出ないように、こうやって」

「こうか」

「ちがう。こうだ」

 ゴルフ上級者の白衣が、扉に札をかけ、ひっくり返した。

 札には「手術中」と書かれていた。

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