第54話 元サブヒロインたちのその後

 そのころ春は、浦安公国の春ちゃん広場にいた。トレビの泉を明らかにパクった春ちゃんの泉の縁に腰掛け、抜けるような〈青空〉をぼけっと見上げていた。

 春の人工脳内部に目を向けてみよう。夜空の星のまたたきのように活動電位が発生し、あやふやな長期記憶が人工大脳新皮質上をたゆたっている。記憶の中心には、ひとりの男子がいた。勇ましく頼りがいのある、おそらく高校2年生であろう男子の顔が、抽象的な像を結び、浮かんでは消える。だがそのような男子に出会ったことはない。そもそも男の子と手をつないだことすらないのだ。単なる空想、白昼夢、アンドロイド白馬に乗った人造王子様の夢にすぎない。

 たいくつやー。

 なぜ最近になって退屈を覚えはじめたのか。春は違和感の正体を探ろうとした。春は物心ついたときから、浦安公国の公女として、一般ピープルとはちょっぴり異なる日常を送っている。ずっとそうだったし、ロイヤル生活に満足していたはずだ。

 国家転覆をもくろむ何者かによる屋上からの狙撃を受け、春は後頭部にちくりとした痛みを覚えた。弾丸は形のいい頭蓋骨をかすめ、軌道を変え、髪の毛数本を持ち去りつつ上空へ消えた。

 春は400メートル彼方の弾丸の尻をぼけっと見つめた。

 国家転覆をもくろむ何者かによる火炎放射を受け、春はむずむずとしたかゆみを全身に覚えた。目の前をカスタム仕様のカトラス442コンバーチブルが横切り、サブマシンガンを抱えた国家などは比較的どうでもよさそうなチンピラ4人組が春に向けて一斉掃射した。くすぐられるような感触に、再び漠とした記憶のようなものが蘇った。

 それにしても。

 たいくつやなー。

 春は立ち上がり、うーんと伸びをした。おっさんのように肩をぐりぐりまわしながら振り返り、宮殿風の彫刻を見上げた。センターに位置するのはもちろん、ポセイドンならぬ浦安公タカシ1世だ。そのほかの彫刻は、すべて春だった。いろんなポーズを取っていて、モデル本人がうらやむほどに楽しそうだった。

 コーラを湛える黒々とした泉を見下ろす。ポケットからメントスを取り出し、ぽちゃんと投げ入れた。

 泉は空高くコーラを噴き上げた。

 マンネリやなー。

 春は泉を離れ、春ちゃん通りを歩いた。首をひねり、頭をかきむしり、プール後のように耳をとんとんした。どうしても思い出せない。そして妄想でもない。ほんの少し前に、現実に起こった出来事なはずなのだ。そこにはなにかがあった。胸躍るエクスペリエンスがあった。なにかの感触、強いて言うならたくましい男子に抱っこしたりおんぶしたり肩車したりしたときに似た感触を、頭ではなく体が覚えている。

 イタリアンマフィア風の男が突然目の前にあらわれ、春の頭をバットで横殴りした。春は目を閉じ、胸に手のひらを当て、暖かに宿る炎の正体を探った。

 思い出したい。

 そして、もう一度。


   ◇


 上原アリシャは独身キャリアスパムウーマンとして、それなりに充実した日常を重ねていた。具体的には、仕事帰り、自宅マンションに戻り、風呂上がりにダイニングテーブルにすわり、テレビを見ながら頬杖をつき、ひとり缶ビールをぷしゅっと開ける日々だった。

 あーあ。いい男いないかなー。

 という日々だった。

 同僚の男は、遺憾ながらどれもアウトオブ眼中だった。軽蔑しているわけではない。芸能人やプロ野球選手の妻になりたいわけでもない。ただ、妥協するつもりはないだけだ。上原はおのれの美貌、おのれの価値を知っていた。よき妻、よき母となる以前に、個人としての幸福を追求したい。それが高望みなことなのだろうか? 隠れ社会主義国である日本において、西洋的価値観を全面に押し出しすぎているのだろうか? トレンディすぎるのだろうか?

 ハーフってつらい。

 美人もつらい。

 つらいのよ、みんな。思っている以上にね。

 テレビのチャンネルを変え、お笑い番組を見る。バカ笑いが虚しくリビングの空気を満たす。

 村上春樹の新刊を読む。文字が目を素通りし、内容が頭に入ってこない。

 缶ビールをあおりながら立ち上がり、キッチンカウンターに向かい、つまみのカルパッチョを用意する。チョイスがカルパッチョである時点で、21世紀の日本国民としてはアウツなのかもしれない。カルパッチョの代わりにカルパス。カルパスうめー。そして共感に次ぐ共感。親指に次ぐ親指。なんとなく冷蔵庫へ振り返り、ふとカレンダーが目に留まった。

 もうすぐ27歳。

 冷蔵庫を開け、ビールを取り、足の裏で扉を閉め、リビングへ戻る。テレビに目を向けながら、マグロとタマネギのカルパッチョを口に運び、ビールをあおった。「ぷはーっ」と口に出して言いもした。酔いがまわりはじめ、じょじょに思考が現実から遊離していく。個人としての幸福など、幻想なのかもしれない。なにもかも忘れて、ばりばりと働きまくったほうがいいのかもしれない。これまでどれだけのスパムを世に放ってきただろうか。いまの仕事には満足している。自分に向いていると思うし、やりがいもあり、そのうえ社会に貢献できる、すばらしい仕事。

 ピンポーン。

 チャイムが鳴った。上原ははっと顔を上げた。


   ◇


 ドアホンに女性の姿が映っている。上原はモニターをのぞき込んだ。知り合いではない。宗教の勧誘でもなさそうだ。女性は白っぽい格好をしている。さらにモニターに顔を近づけ、上原は気づいた。白衣だ。

 無視しようか。

 通話ボタンを押した。おずおずと声をかけると、はきはきとした声がスピーカー越しに答えた。

「上原アリシャさんのご自宅でまちがいありませんでしょうか」

 一瞬迷ったあと、答えた。

「はい」

「26歳の上原さん?」

「上原です。ただの、上原」

「10月で27歳になる上原アリシャさん?」

 上原は通話を終了しかけた。

「待って。わたしは年齢ネタであなたを冷やかしに来たのではない。わたしは伊達といいます。関東第一高校の養護教諭をしております」

「保健の先生が、26歳のわたしになんの用です?」

「話があります。あなたに伝えたいことがある」

「生理用品の使い方とか?」

「いまはアメリカンジョークに笑い転げている暇はないの。あなたは先日、関東第一高校にいた。覚えているでしょう? あなたは情報商材屋を装い、第6校舎ヒルズを占拠し、女子高校生相手にいかがわしげな〈ヒロイン〉論をぶっていた」

「ヒロイン?」

「岸田京介くんは、覚えている?」

「京介? だれですか」

「覚えているはずよ。あなたは唯一、サブリミナル催眠にかかっていない〈ヒロイン〉だった。自らの意志で、17歳の男子高校生に粘着し、一ツ橋色葉を敵視し、ラノベにおける〈メイン〉の座を虎視眈々と狙っていた。覚えているはずよ」

 なぜ素人が、サブリミナル催眠を知っているのか。

 ラノベ。

 上原は気を取り直し、きっぱりと言った。

「なんのことかわかりません。わたしはただの、広告代理店に務めるサラリーパーソンです。高校2年生男子に粘着? わたしにそんな趣味はありませんよ。おそらく、あなたのかんちがいではないでしょうか」

「やっぱり」

「なんです?」

「〈打ち切り〉だったのね」

 伊達と名乗る保健の先生は、モニターの向こうで、なにかを警戒するように振り返った。向き直り、顔を近づけ、早口で言う。

「よく聞いて。ここからは、〈大人〉が団結し、話を進めなければならない。もはや高校2年生に頼ることはできない。〈大人〉であるわれわれが、世界を変えるのよ」

「なにをおっしゃっているのかわかりませんし、わたしには一切関係ありません」

「あなたが微妙な立場にいるのはわかる。〈大人〉であるあなたが、ラノベ、しかも〈打ち切り〉ラノベに関わっていたと知られたら、どうなるか。あなたは世間の笑いものになる。会社で笑われ、親兄弟に笑われ、親戚に笑われ、姪っ子に笑われる。道を歩けば笑われ、指をさされ、ショップに行けば『すみません、成人の方にスパッツはお売りできないのですが』と笑われる」

「そこまで笑われますか」

「わたしを信じて。わたしも笑われる者のひとり。でも分別をわきまえていたおかげで、ほとんどだれも覚えていないけど」

「つまり、わたしになにをしろと?」

「いまの自分に不満があるなら、ついてきて。もう一度輝けるかもしれない」

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