第53話 ラノベ破戒録キョウスケ

 翌日。京介は思い出の場所巡りをしていた。

 かつての住居、ゼルコバテラス・ノースは、なぜか表参道ヒルズごと更地にされていた。都心とは思えない見晴らしのよさに不安を覚えつつ、跡地で野宿した。たき火に当たり、ぱちぱちとはぜる音に耳を傾け、アメリカ人のようにじっと炎を見つめる。するとどこからともなく、戦記もののラノベがやってきた。〈主人公〉は自分の身長はありそうな剣を造作もなく片手に持ち、教祖である京介に一礼したあと、おなか丸出しの鎧を纏った女4人を呼び寄せ、たき火に加わった。ジャンルがジャンルだけに、全員まじめくさった顔をしている。〈主人公〉は京介に、アメリカの映画やテレビドラマの要素を取り入れたいのだが問題はないか、シリアスな戦記ものに果たして〈混浴〉は必要なのか、必要なのであればシリアスさを失うことなくエロ要素を取り入れるにはどうすればいいのか、などをたずねた。てきとうにやればいいのだ、と京介は答えた。あまり考えすぎるな、若いの。京介は炎を見つめ、喉を震わせ、自虐的に笑った。おれのようになりたくなければな。去り際に〈主人公〉はカメオ出演を依頼したが、京介は固辞した。おまえらにまで迷惑をかけるわけにはいかない。

 翌朝。アメリカンにくすぶるたき火に水をかけたあと、ファミリーマート表参道北店に立ち寄り、菓子パン数点とプリンと雪印コーヒーを購入し、公園で燃料を補給した。もぐもぐしながらスマホを見下ろし、アドレス帳を開いた。

 だれひとり応答しなかった。神にいたっては圏外だった。

 舞台にでも出演しているのかな。京介はスマホをポケットに入れ、公園をあとにした。なにせ正体は大塚明夫だからな。

 色葉。嗚呼。

 せめてひと目だけ。

 京介は動く死体のようにさまよい歩く。いつの間にか森に足を踏み入れていた。関東第一高校を取り巻くグリーンベルトだ。銀色のフェンスをよじ登り、森を抜け、関東第一高校の敷地内に入る。見覚えのあるヒルズに、見覚えのないヒルズ。あの上海タワーも臍を噛んだと言われる全長752メートル(最頂部)の第21校舎ヒルズが、『はるいろダンジョン』を文字どおりブチ抜き、骸骨の指先を天に向けていた。

 バス停でちぃばすを待つが、いっこうにやってこない。やってくるのはグーグルのストリートビュー撮影車のみだった。撮影車が計4回通り過ぎたあと、京介は立ち上がり、最寄りの地下鉄の駅へ向かった。

 虎ノ門保健室にたどり着く。中に入ると、ロビーには色とりどりの巨大なバケツがびっしり山積みになり、文字どおり行く手を遮っていた。トタン製で、直径36センチ、高さ65センチの70リットル入りバケツだった。ロゴには『OBAKETSU』と書かれている。

 何度も保健の先生を呼んだ。

 地下鉄で大門駅へ向かう。増上寺カウンセリングルームももぬけの殻だった。徳川将軍家墓所にはハゲタカが数匹、夕飯でも待っているかのようにたたずんでいた。将軍の死肉をついばむには少なくとも180年は遅れている。

 キノコのような全方位カメラを背負ったグーグルのストリートビュー旅人が、大殿の前で下手くそなお辞儀を繰り返していた。柏手を数回打ち、しめ縄をガラガラと揺らす。

 日本橋ダイヤビルディング地下1階に向かった。せめてスタバ人魚の姿をひと目見たい。だがスタバ人魚はおろか、上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲すら存在しなかった。代わりに営業していたのはふつうのブルーボトルコーヒーだった。

 振り返ったとたん、ポリッシュした通路をグーグルのストリートビュー三輪車がとおりすぎていった。

 夕方、京介はかつて愛宕警察署と呼ばれた体育館前のバス停にぼんやりとすわり、天を見上げていた。

 そこへ高校生の集団がやってきた。男子ひとりにつき4人から6人の女子を引き連れ、どこへかそぞろ歩いている。女子はどれも、ひと目見て「ああ、あれだな」とわかる〈属性〉を持っていた。男子はどれも目つきの悪さを前髪で隠し、モテない冴えないごくふつうの17歳を忠実に実践している。信者の大群に思わず顔がほころび、京介は思わず立ち上がり、駆け出していた。

 信者は使徒・京介の姿を認めると、ややおざなりながらもその場にひざまずいた。

 京介はテンションの異様な低さに気づいた。

「おまえたち、なぜ静かなのだ。〈ハーレム〉状態でありながら」

「いや、ちょっと」

「なにがちょっとなのだ」

「ちょっと話題が、思いつかなくて」

「話題もなにもない。ただしゃべればいいのだ」

「ぼくは、ラノベの教えに忠実に従っているまでです。『男からは話しかけることなかれ』と」

「たまになら話しかけてもいいのだ」

「難しいなあ」

 京介は振り向き、機能性ゼロの衣装を着た〈魔法少女〉に言った。

「こいつを殴るのだ」

 胸にワンドを抱えた女子は、ぽかんと見上げて言った。

「なぜですか」

「話題づくりだ」

「でも、理由もなく殴るのは、ちょっと」

「理由など後づけでどうにでもなる。だいいち、〈メイン〉がそのような心構えでどうするのだ。おまえは〈メイン〉ではないのか」

「はい。わたしは5番目です。それより聞いてください、アンダーアチーバー京介様。わたしの登場シーンについてなのですが、とにかくものすごく不自然だったのです」

「不自然さこそ真骨頂だろう」

「ゆるゆるとした〈日常〉が繰り広げられているところへ、わたしは突然、このような格好で登場したのです」

「シュールな笑いを誘ったのだな? みんなをくすりとさせたのだな?」

「はい。4コマ目のことでした」

「4コマ目とはなんだ。マンガと混同してはならない」

 後ろ手に縛られ猿ぐつわを噛まされた女子が目に留まった。縛られ方から顔の汚れぶり、もつれた髪に目に溜めた涙、頬に残る平手打ちの痕まで、妙にリアルだった。引くぐらいリアルだった。冗談の範疇を軽々と超えているように思われた。

「おまえを拘束しているのはだれだ」

「おれっす」

 金髪をつんつんに逆立てた男子が手を挙げた。

「なぜこのような仕打ちをしたのだ」

「すいません。いや、ていうか、これっていう女子、なかなか見つかんなくて。で、いつまで経ってもラノベをはじめられなくて、やべえ、このままじゃ地獄に墜ちる、って思って。だからほかのやつの〈ヒロイン〉を拉致して、自宅で監禁してるんすよ。おれだってこんなこと、したくないっすよ。でも神の教え、絶対なんすよね? てか陵辱系、新しくないすか」

「ラノベに新しさはいらないのだ」

「ラノベ聖書の巻末に書いてたじゃないすか。『あなたらしい物語を』って。これが『おれらしさ』っすよ」

「らしさを出すのは〈テンプレ〉をマスターしてからだ」

「てか、逆っすよ。逆に考えてみてくださいよ」

 京介は逆に考えず、少年犯罪者を追い払い、女子の拘束を解いた。

「ああ! ありがとうございました!」

 無理もないが女子は本気で礼を言い、本気で京介に抱きついた。

「怖かった、わたし」

 むにゅ。

「あー、ずるーい。わたしもわたしも」

 ぺにゅ。

「京介様ぁ、わたくしも怖かったですぅ」

 どっかーん。

「アンタたち、一体なにやってんのよ!」

「アンタこそなによ!」

「ケ、ケンカはやめてください~」

 ドカ。バキ。ズガガガン。

 失われる小説らしさとともに、女子がにわかにラノベづいてきた。

「「「「「京介様ー!」」」」」

 計5名に同時にハグされ、京介は新たな章のはじまりを予感した。

 だが。

「おまえら、京介さんとは話すんだな」

「しょうがない。使徒だしな」

「京介さん最強」

「△」

「ウラヤマシス」

 嬉々としてモブ化する男子信者たちに一抹の不安を感じる。ラノベの未来はどうなってしまうのか。そもそもラノベに未来があっていいものだろうか。それはともかくとして。

 女子をひとりずつ引きはがす。そこへグーグルのストリートビュー撮影車が通り過ぎた。

 と思ったら停まった。

 特殊装備のプリウスは路肩に寄ったあと、後部座席のドアを開き、白衣を着た男ふたりを射出した。白衣ふたりはまっすぐ京介に近づき、両脇をがっしりと抑え、信者が唖然と見守るなか、車内に引きずり込んだ。

 そして発進した。


   ◇


 京介を乗せたグーグルのストリートビュー撮影車は、京葉道路を東に進んでいた。現在も撮影しているかどうかは知るよしもない。

 白衣の男に挟まれる格好で、後部座席の真ん中にすわっている。運転手は見覚えがない。グーグルのロゴ入りTシャツを着、グーグルらしい愛想のいい笑みを顔面に貼りつけている。アメリカではいかにも「アジア系」と言われていそうな顔立ちだった。いかにも英語をペラペラと話しそうだった。

 助手席にいる男が、ヘッドレストの向こう側から横顔をのぞかせた。京介は驚いた。男の顔はほとんど骨と皮だった。頬はこけ、目は落ちくぼみ、お茶の間の主婦ならば真っ先に癌を疑うほどの激痩せぶりだった。

 男が何者か、京介は気づいた。

「刑法学者の木村か」

「いちいち名前と肩書きを言わなくてもいい。わたしがだれかは、すでにちゃんと伝わっている」

「言えば確実に伝わるだろう」

「黙れ。ここでは〈説明ゼリフ〉は許さん。ラノベの教えにこだわる前に、自分の置かれた立場を考えろ」

 京介は白衣の男を見た。どちらの白衣も、使い捨ての医療用手袋にサージカルマスク、透明のゴーグルを着用している。まるで京介を保菌者とでもいわんばかりの重装備だった。

 木村が言った。

「一ツ橋色葉はどうした? この3週間、常にそばに寄り添っていただろう」

「おまえの知ったことではない」

「ふられたのか」

「休暇を与えたのだ」

「そうか。〈打ち切り〉か。なるほど」

 京介は面を上げ、おもしろがる木村の横顔を見た。

「ちがう。〈打ち切り〉ではない。なぜならおれはまだ、完全に世界を変えていないからだ。こんなところでは終われないのだ」

「おまえの意志は関係ない」

「おまえら教師の仕業なのか」

「なんでもかんでも先生のせいにするな。〈打ち切り〉は自業自得だ。そうだろう? 3週間というハラハラドキドキの時間制限を無視し、〈無駄な会話〉や〈ループ〉で文字どおり無駄に費やした」

「無駄ではない。無駄ではなかった。無駄ではなかったのだ!」

「いいや、無駄だ。わかっているはずだ。全員がわかっている。『締め切りキツいんだろうな』とな。だが無駄は無駄だ。だれもそのような無駄を望んではいないのだ」

「無駄ではない」

「いいや無駄だ」

「無駄ではない」

「黙れ」

「おれをどこへ連れて行くつもりなのだ。今度はどのような『授業』をするつもりだ」

 木村は答えず、なにかを考え込むような表情を残して前を向き、シートにもたれた。

「事前の公表はなしか」

 まあいいさ、と京介は思った。たとえどんな勝負でも、おれは。

 今度こそは。

「岸田京介」

 木村は眼鏡を外し、グローブボックスから黒いひものようなものを取り出した。頭にたすき掛けし、着け心地を確かめるように何度か調節した。再び横顔を見せる。右目は海賊を思わせる黒い眼帯に覆われていた。

 アイパッチだ。

「なぜ唐突にアイパッチをつけたのだ」

「おまえはもう、授業は受けられない。おまえはこれから〈充実〉するのだ」

 京介が返しの言葉を言いかけたそのとき。京介から見て左側の白衣が、オレキシン受容体拮抗薬のスボレキサント400mgを無理やり口に押し込み、右側の白衣が水の入ったコップを京介の口に当て、鼻をつまみ、注ぎ込み、顎を押さえ、無理やり嚥下させた。

 京介の視界がゆらーりと変化した。

「先生、終了しました。2、3分で寝ます」

「ならば目隠しの必要もないだろう」

「なぜアイパッチをつけたのだ」

「わたしのアイパッチにこだわりつづけていられるのもいまのうちだ。おまえは、教頭を目覚めさせた。主幹教諭を目覚めさせた。越えてはならない一線を越えてしまったのだ」

「まさか、退学になるのか」

「おまえは退学が望みなのか? 残念ながら懲戒退学処分は、学校側のリスクも大きい。なによりわれわれ関東第一高校のイメージが崩れるのだ。よって岸田京介、おまえはアウツ」

 京介はほっと胸をなで下ろした。

「退学のほうがよかったかもしれないぞ」

「どういうことだ」

「起きたときのお楽しみだ。だがそこは文字どおり、そのままの意味で、楽園! 楽の園なのだ。おまえの学則違反を思料すると、15年はリラックスしてもらう計算か。いい色に日焼けするだろう」

 京介はもがいた。

「降ろせ。降ろすのだ」

 死んだ魚をドブでゆすいだような悪臭が車内を満たし、京介の鼻腔を刺激した。窓の外が視界に入る。撮影車は橋に差し掛かっていた。

 荒川を渡っているのだ。

「最後のチャンスをやろう。南国の楽園で〈リアル〉を〈充実〉させたくなくば、不勉教信者を説得し、解散させ、ラノベを捨て、高校に戻るのだ。高校はまだ、おまえを受け入れてくれるだろう。心を入れ替え、勉強し、いい成績を取り、大学へ進学し、立派な学歴を手に、社会へ羽ばたくのだ。それが現代社会における、個人としての最高の幸福なのだ。いまならまだ引き返せる。わたしはおまえに、インスタグラムのアカウントを用意したくはない」

 京介はぐたりとシートに背を預け、必死で眠気と戦いながら、木村を見た。

「教師のくせに、おれの将来を気遣うのか」

「おまえは教師を誤解している」

「教師はみな悪だ」

「おまえは本当の悪を知らない。おまえは未成年の高校2年生、よくも悪くも守られた存在なのだ。ひとたび社会に出れば、吐き気を催すさまざまな邪悪と出会うだろう。おまえはその中で、自らの力を頼りに生きていかなければならない。なぜ前章において、われわれ教師はたいした抵抗も見せず、好き勝手に改宗活動を行わせていたか、わかるか? ラノベの〈敵〉のように立ちはだからなかったかわかるか? われわれは、キャパがものすごく大きいからだ。おまえを信頼し、いずれは正しい道に戻ってくるだろうと信じていたからだ。我慢していたのだ。寛容な精神で許していたのだ。〈大人〉は全員クズだと思いながら卒業してほしくなかった。反抗すれば、痛い目に合う。その因果は社会に出てからの話だ。おまえは子供だ。われわれが守る。学習によって知のなんたるかを伝え、良識ある人生の先輩として善のたしかな存在と協調性の大切さを伝える。おまえら子供を一人前の〈大人〉に育て上げる。それが教育だ。それがわれわれ教師の役割、義務なのだ」

「守ってもらわなくて結構だ」

「どうだ。まだ関東第一高校はまちがっていると思うか」

「……………………」

「まだ〈長すぎる3点リーダー〉を使う余裕があるとはな。それとも本当に答えられなかっただけか。だが、これだけは言っておく。おまえが働きかけなくても、信者の大半は高校に戻ってくる。おまえは無駄死にするだけだ」

「なぜだ」

「それが現実だからだ。ラノベの道は険しい。無駄に険しい。おまえの神、おまえの教えは、そもそも矛盾を孕んでいる。あなたらしい個性を求めながら、同時にガチガチの〈テンプレ〉を強要する。信者たちは心の中でこう叫んでいるだろう。『一体どっちなんだよ』と。『結局どうすりゃいいんだよ』と。おまえは先ほど、ゾンビのように列を成す信者を見たはずだ。ラノベなどだれでもできる? それはまちがいだ。ほかのすべての職業と同じく、結局は才能と適正がものをいうのだ」

「降ろせ。リア充は爆発するのだ。爆発しなければならない。降ろせ。降ろすのだ!」

 撮影車は橋を渡り終え、京葉道路を成田方面へまっすぐに向かう。なぜ木村はアイパッチを着けたのか、そしてグーグルのストリートビュー撮影車は現在も撮影中なのか、京介はいずれも知ることなく、驚愕の表情を貼りつけたまま、人工的な眠りに落ちた。

「降ろへません」




 気がつけば、おれは楽園……!

 南国の島

 リア充の巣食う

 強制リゾート地

 タヒチにいたっ……!

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