第52話 打ち切り後の世界

 京介は『はるいろダンジョン』最奥の間で金色の錫杖をもてあそびつつ玉座に収まっていたがいつまで経っても〈勇者〉がやってこないので次第に自分の立ち位置がわからなくなり小腹も空いてきたので自ら〈ダンジョン〉区画を抜け〈通学路〉廊下を渡り外へ出た。

 小料理屋の引き戸をガラガラと開け、外へ一歩踏み出す。その瞬間、グーグルのストリートビュー撮影車が目の前を通り過ぎていった。

 撮影車のカラフルな尻を見送り、それから空を見上げた。

 ラノベにはもってこいの、抜けるような〈青空〉が広がっている。

 神の教えに従うならば、このような〈青空〉が広がっている日には、ぎゃーぎゃー好き勝手にわめき散らす〈ヒロイン〉たちの後につづき、うれしいくせにつまらなそうに肩を落とし、やれやれ感を注意深くかもしながら、市営プールか遊園地に向かわなければならない。

 みぞおちあたりにざわざわとした不安感が渦を巻いていた。

 昨日の夜、色葉は上原アリシャとともに、第6校舎ヒルズからヘリで『はるいろダンジョン』へ帰投した。錫杖を手にヘリポートで出迎える。京介はドクロの面をかぶっていた。ビックリさせようと思ったのだ。色葉はちらと目を向けただけだった。上原アリシャと今後の『ダンジョン』運営について語り合いながら、鉄製の階段を降りる。京介は色葉の背中に声をかけた。色葉が振り返った。

 その目つきにどきりとした。

 自分を見る目つきが明らかに変わっていた。瞳の色そのものもちがっていた。あの鮮やかな赤と青の双眸が、わずかにくすみ、茶色みがかった黒がにじみ出ていた。

 京介は胃袋をざわめかせながら最奥の間に戻り、玉座に腰を下ろし、ドクロの面をかぶりながら錫杖をもてあそんだ。すでに魔王を演じる気分ではなかった。てかそもそも魔王じゃないし! おれ〈主人公〉だし! 気分を盛り上げようと自分自身に寒々しく返した。空気が寒くなっただけだった。

 いまにしてみれば、理由は明白。

 京介は腕時計を見た。

 一ツ橋色葉とのあの感動の出会いから、22日が経過していた。

〈青空〉を見上げながら、無駄だと知りつつ何度も指折り数えた。

 いや。

 気づけば京介は駆け出していた。かつての有栖川宮記念公園を駆け抜け、関東第一高校のグリーンベルトに侵入し、銀色のフェンスをよじ登り、グリーンベルト外縁のすぐそばに口を開ける出入口から東京メトロ日比谷線広尾駅に入場した。新章の冒頭だから走ったわけではなかった。もちろん何者かに追われているからでもなかった。みんなの興味を惹くためにとりあえずアクションを起こしてみたわけでもなかった。その行動にはだれもが納得するまともな理由があった。

 サブリミナル催眠の更新が必要なようだ。

 色葉に会いたいのだ。

 あの色葉に。


   ◇


 京介は恵比寿駅で山手線に乗り換え、五反田駅に到着した。西口から環状六号線枝線に飛び出し、サラリーパーソンを次々と追い抜いた。大崎橋を渡り、首都高速中央環状線との交差点で立ち止まった。関東第一高校とは異なり、交差点のど真ん中に立ってきょろきょろするとクラクションで怒られた。両脇をぷんすかと車が通り過ぎる。ここは品川区西五反田。交差点付近には高さ10階ほどの控えめなビルディングが建ち並んでいる。校舎ヒルズのような圧倒的存在感はないものの、その代わり人の営みがあった。

 大崎広小路交差点を直進し、京介は電通スパムBLDGにたどり着いた。

 エレベーターに乗り、5階へ向かった。

 扉が開くやいなや飛び出し、受付カウンターの電話機にかぶりついた。受話器を持ち上げ、内線番号をダイヤルした。

「上原アリシャを頼む」

「失礼ですが、どちら様でしょうか」

「おれはアンダーアチーバー京介。IQから期待される力よりはるかに低い学業成績を示す者」

「はい?」

 京介は常識的に言い直した。

「岸田京介だ」

「どのようなご用件でしょうか」

「おれは上原アリシャに会わなければならない。いますぐ」

「少々お待ちください」

 しばらく経ったあと、女性が言った。

「あの、上原はあいにく、外出しておりますが」

 京介はスパムビルを飛び出した。再び大崎橋を渡り、サラリーパーソンを次々と追い越し、五反田駅で山手線に乗り、東京駅で降車し、動く歩道も使わず長い長い通路を駆け抜け、京葉線に乗り込んだ。

 舞浜駅で降車し、入国審査の列に並ぶ。

「パスポートはお持ちですか」

 京介はリュックを引っかきまわした。ポケットもぜんぶ裏返した。

「持っていないが、構わないだろう」

「なぜです」

「春はどこだ」

「浦安にいらっしゃいますよ。いつでもいらっしゃいます。そしてわれわれ国民を圧政によって苦しめつづけている」

「おれの〈彼女〉だ」

「またまたご冗談を。ほかのお客様がいらっしゃいますので、ちょっとこちらへ」

 浦安公国から入国を拒否されたあと、京葉線で東京駅へ引き返し、再び長い長い通路を駆け、山手線に乗り、新橋駅で降車した。日比谷口に出る。SL広場は完全な無人だった。授業中だからだろう。京介はSLに向かって歩いた。しばらくSLの前に立ち、なにかを待った。そのなにかは訪れなかった。永遠に訪れないだろうと京介は直感した。

 SLのそばを通り抜け、かつて柳通りと呼ばれた無人の廊下に出た。

 目の前をグーグルのストリートビュー撮影車が通り過ぎていった。

 遠ざかるカラフルな尻を見つめたあと、京介は北へ歩いた。ビルのひとつに、新橋メンへらクリニックの看板がかかっているのが見えた。

 ここからすべてがはじまったのだ。

 京介は空を見上げた。相変わらずの〈青空〉が広がっている。

 そうだ、と京介は思った。あの空のどこかで、一ツ橋家の人工衛星『かほご』が自分の姿を捉えているはずだ。そして色葉が見ているはずだ。そしてしかるべきタイミングであらわれるのだ。色葉はあらわれる。ふたりは〈偶然ばったり〉出くわすのだ。

 おれは〈主人公〉。ただ〈ヒロイン〉の登場を待っていればいいのだ。

 この抜けるような〈青空〉の下で。

 京介は待ちつづけた。

 日が暮れたあとも、一ツ橋色葉は姿を見せなかった。


   ◇


 京介が五反田を走りまわっているころ、色葉は南青山六丁目のかつて岡本太郎記念館と呼ばれた第18校舎ヒルズ、通称岡本太郎ヒルズの48階大教室にいた。

 平日の午後2時に、なぜ一ツ橋色葉は高校の教室などにいるのか? そこには明確な理由があった。

 高校生だからだ。

 高校生はふつう、高校で勉強する。

 そんなわけで、色葉は授業を受けていた。

 授業は楽しい。学校は楽しい。勉強は楽しい。入学当初はあまりのレベルの高さに中途退学を考えたほどだったが、やがてどの同級生も同じだとわかってほっとし、また教師はどれも超一流のうえに教え方もうまく、ときに厳しく、ときにエキセントリックに、たとえば裁判官の格好をしたりプロレス技をかけたり化け物に変身したりしながら、勉学への興味を失わせることなく、高度な理論を一からわかりやすく説明した。1年生の色葉は蒙を啓かれっぱなしだった。すべての学問分野に感興がわきまくり、宇宙創生レベルで世界が広がった。いままで自分はなにを学んできたのか。世の中には知るべきことが山ほどある。勉強はすばらしい。放課後にモスを食べて男子の話で盛り上がったりする時間はない。

 高校2年生であれば当然、進路についてある程度考えていなければならない。色葉は栄養学と経済学に関心があった。自分に向いているとも思っていた。料理は得意だし、日銀の総裁とも個人的な知り合いだ。だから現在受講中の栄養経済学は、色葉にとって文字どおり世界一受けたい授業のひとつだった。

 栄養経済学の第一人者にして元タフツ大学教授、福田久典の授業を受けられる者が、世界にどれだけいるというのか? 色葉は福田のファンと言っても過言ではなかった。ほとんど祖父と言っていい年齢であるにもかかわらず、ある種の恋心さえ抱いていた。昨年度ベストセラーのひとつに取り上げられた一般向け書籍『ヘリコプターダイエット』(関東第一高校出版会)はもちろん、20年前、列島に爆発的ブームを巻き起こした〈下手な料理〉に警鐘を鳴らす名著『下手な料理は食べるな!』(関東第一高校出版会)まで、福田の著書はすべて読破済みだ。

 テキスト『体重分析の基礎』(関東第一高校出版会)を開き、2849ページに目を落としながら、色葉はこのところつづく奇妙な居心地の悪さを覚えていた。

 イスがお尻にしっくりこない。見慣れたはずのヒルズ大教室が、どこかよそよそしく感じられる。なにより教科書の文字が、福田の講義が、まるで頭に入ってこない。

「一ツ橋さん、糖尿病について説明してください」

 福田に当てられ、色葉はあわてて立ち上がった。

「インスリンの作用不足、またはインスリン量の不足によって、血液中のグルコースが高くなり、糖尿病と呼ばれる病気になります」

「経済学的に説明すると?」

「えっと、それは」

 脳内で栄養から経済への橋渡しがうまくいかず、色葉は口ごもった。

 福田の顔に失望の色が浮かんだ。

「血中のグルコース濃度は通常、インスリン等の働きによって需要と供給が均衡し、パレート最適の状態に調節されています」

「どのような要因によって均衡が崩れるのですか」

「ケーキの食べ過ぎとか」

「ケーキとはつまり?」

「えっと、血中グルコース失業が増加するデフレ的代謝異常環境下だから、労働組合、ですか?」

「もう結構。すわって」

 学問の世界は広い。わけがわからないほどに。

 くすくすという声が聞こえ、色葉は耳が熱くなるのを感じた。着席し、小さくなりながら、おそるおそる目を向ける。女子ふたりがこれ見よがしにチラ見し、顔を近づけ、意地の悪い笑みを浮かべつつ、なにごとかをささやき合っている。ひとりは金髪、もうひとりはひとことでは形容できない青みがかった灰色の髪で、それぞれ頭頂にアホのような毛を2本揺らめかせている。わざわざ毎朝あのようにセットするのだろうか。

 異変に気づいたのは、いつごろだったか。いまこうして笑われているのは、答えられなかったからではないのだ。まじめに授業を受ける自分をおもしろがっているのだ。

 大教室を見まわす。色葉から見て桂馬の位置にポジショニングする男子は、机の影でスマホを操作していた。右斜め前の角道にいる男子は、体を完全に横に向け、後ろの生徒と無駄話をしている。

 そして窓際の席にすわる男子は全員、まったく同じフォームで頬杖をつき、ヒルズの全面ガラス張りの窓越しに都内の眺望をぼんやりと見つめていた。

 教壇側のドアが勢いよく開き、スクールシャツをはだけ水色と白のしましま柄のブラジャーをのぞかせた女子が飛び込んできた。パンツはブラジャーとおそろいの柄だった。スカートは履いていなかった。

「こっち見んなーっ! それ以上見たら南港に沈めてヨウスコウカワイルカの餌にしてやる!」

「ちょ、おま! なんで服着てないんだよ?」

 窓際のひとりが弾かれたように席を立ち、叫んだ。

「てかカワイルカって! ちょっとかわいいし! てか南港にいたらそもそもヨウスコウカワイルカじゃないし! てか南港って川じゃないし! 絶滅危惧種だし!」

 そう叫べばおもしろいだろう、笑いと人気を取れるだろう、と期待を込めて発せられたと思われるツッコミのセリフに、賢さをアピールしたかったのか最後にヨウスコウカワイルカが絶滅危惧種であることを無駄に付け加えた。

「もう許さないなのー!」

 覚醒剤常用者を思わせる負のエナジーをまき散らしながら、女子は教壇を駆け抜け、窓際の男子に突進した。と、なにかに足を取られ、プロの仕草であわあわと両手を振りまわした。前のめりにばったーんと倒れるその瞬間、窓際の男子(先ほどの寒々しい返しを叫んだ男子とは異なる)がこれまたプロのスピードで席を立ち、背後に床が広がっていることを確認したあと、わざわざ女子の前に位置し、結果としてふたりはもつれるように倒れた。

 そして。




 少年は目を覚ました。

 目の前には、馬乗りになった半裸の少女。

 やがて見つめ合う、少年と少女。

 そして。




「げほぉぅっ!」

 男子のみぞおちにねじり込まれたのは〈お約束〉中の〈お約束〉、みぞおちにねじ込むならこれ一択と言っても過言ではない、あの〈コークスクリューパンチ〉だった。

 色葉は福田へ目を向けた。福田はダークチョコレートの食欲逓減について淡々と説明している。まじめに授業を受ける生徒を指し、脂肪吸引とマルサスの罠の関連性を問う。福田はもちろん、気づいている。気づいてはいるが、明らかに努力して無視していた。

 教壇側のドア付近が騒がしくなり、腕章をこれ見よがしに着けた〈生徒会長〉が10人ほど立てつづけに乱入してきた。つづけて〈バニーガール〉風の女子、〈巫女〉風の女子、〈メイド〉風の女子、そして〈妹〉風の女子の計23名が乱入し、待ってましたとばかりに叫び出す男子ひとりにつき女子5人の割合で、身の毛もよだつ「グループセッション」が開始した。

 学級崩壊の4文字すら生ぬるい。

 物理的に授業の継続が不可能になったところで、福田はテキストを閉じ、脇に抱え、静かに教壇側のドアへ歩き出した。教室を出る瞬間、色葉は福田の横顔に失望の色が浮かぶのを見逃さなかった。頭を振り、ほんの少しため息をつくのを見逃さなかった。

 視線を感じ、色葉は顔を向けた。

 狂騒のなか、いがぐり頭の男子が、猫の額にしわを寄せ、色葉をじっと見つめていた。


   ◇


 放課後。色葉は新橋駅行きの送迎バスに乗っていた。いちばん前の席にすわり、万年桜のドームをフロントガラス越しに見つめる。いちばん前の席にすわったのは、「なんでもいちばん」がモットーだからではなかった。

 後ろにいる人たちと関わりたくないからだった。

「ちょ、おま、スパッツの下、下着履いてないの?」

「そ、そうだけど」

「スパッツ直! スパッツ直! 男なら一度はスパッツ直!」

「その席にすわるな」

 下着関係ではないセリフが聞こえ、色葉は振り返った。

 栄養経済学の授業で見かけた坊主頭の男子が、ポールを握り、片足に重心を乗せ、真剣な表情で見下ろしていた。

「その席にすわっていいのは、あの男だけだ」

 色葉は前を向き、そっけなく言った。

「なぜわたしにつきまとうの」

「やれやれ。ぼくのことまで忘れてしまったのかい」

「いま会話をする気分じゃないの。わかるでしょ?」

「わかるぜ」

「きゃぁっ! 変質者!」

「だ、だれが変質者だぁっ!」

「ぼくもこのところ、頭痛と耳鳴りがひどくてね。穴という穴から知識が漏れ出しているような感じだ」

「とにかく、わたしのことは放っておいて。あなたとわたしは他人。それどころか、わたしたちはライバルなのよ」

 敏吾は立ち去らない。なにかを話したいが言葉が見つからない、といった風情だった。

「あなたも哲学購読の予習、あるんでしょ? ドゥルーズの『意味の論理学』の逐語訳」

「す、すごい弾力だ…………っ!」

「ああん。兄様ぁ。そんなに強くしたら、形が崩れてしまいますぅ」

「過去は変えられないんだぜ、きみ。自分の顔を鏡で見てみたまえよ」

「なんのこと?」

「気づいていないとは言わせないぜ。きみの瞳の色さ。元の茶色がだいぶ戻ってきたようだが、片方には赤、片方には青が、いまもまだ残っている。だろう?」

 色葉は敏吾から顔を背け、サイドの髪で顔を隠した。右方向へGを感じた。バスはかつてマッカーサー道路と呼ばれた環状2号線を抜け、第一京浜へ左折している。ハンドルを切りながら、ナス型サングラスをかけた運転手が、色葉にちらと横顔を向け、口の端に意味ありげな笑みを浮かべた。色葉は反射的に目を伏せた。腹立たしくなり、バッグをかきまわし、ルクレティウスの『物の本質について』を元の10倍の分量で10倍難解に解説した一昨年のベストセラー、『物の本質についてについて』(関東第一高校出版会)を取り出した。天から飛び出たしおりをつまみ、読みかけのページを開く。ちなみに著者は哲学の巨人としてすでに世界中で伝説となりつつある関東第一高校教諭・筒井俊彦だった。45カ国語を操り、たまに書くナンセンスSFはその概説のみで博士論文として通用するほどだった。生徒のみならず、ほかの教師からも一目置かれる存在だった。

 ひとつ欠点があるとすれば、高校に来ないことだった。

 色葉はまわりを締め出し、つづきを読み進めた。案の定、頭に入ってこない。集中しろと言い聞かせるごとに、焦りが募り、よけいに集中できない。目の端にちらちらと、いがぐり頭の日焼けした顔がかすめる。

 バタンと本を閉じた。思い切って顔を上げ、敏吾に言った。

「わたしは、ラノベとはなんの関係もない」

「どこがだい。きみは〈ヒロイン〉じゃないか。しかも〈メイン〉の〈ヒロイン〉だ」

「わたしが〈ヒロイン〉? あのクソラノベにおける〈ヒロイン〉? 中身すかすかのくせに無駄に印字されているからメモ紙の用すら成さない、あのラノベの〈ヒロイン〉? わたしが? しかも〈メイン〉?」

「しっ! ここでラノベの悪口はやめておきたまえ!」

 ふたりは同時に振り返った。後部座席で〈ハーレム〉を形成する男子1名と女子5名は、ある意味ギャングスタ以上に危険なオーラを発している。反ラノベ思想を知られたらただでは済まないだろう。たとえ連中に思想の意味がわからなくてもだ。

 敏吾は頭を振り、色葉に言った。

「気持ちはわかる。〈打ち切り〉になれば、だれでもやる気がなくなるものさ」

「〈打ち切り〉って?」

「わかっているだろう。わかっているはずさ、賢いきみならね」

「期限が切れたのよ。3週間と定められていたのに、世界を変えることができなかった」

「それは〈打ち切り〉とは関係ない。だれかさくしゃが勝手に決めたタイムボムだ」

「終わりは終わりよ。でもわたしたちの人生はつづく。じゃああなたは、今後もラノベをつづけろっていうの? だれも見ていない、小説サイトで無料公開してすら見向きもされない、退屈の烙印を押されたラノベを?」

「京介はつづけているぜ。いまもきみの登場を待ちわびているんだ! きみを信じて!」

「ラノベはクソよ」

「ちがう。ラノベにもいろいろある。たしかにきみの言うとおり、ラノベの9割9分はクズだ。不勉教信者のラノベも、大半はクズさ。やつらはなにもわかっていない。だが玉石混交はラノベに限った話じゃない。石の割合が非常に高いというだけさ。そしてきみのラノベは、ただのラノベではなかった! 世界を変える力を持つ、神に選ばれしラノベだった!」

「ラノベはラノベよ」

「だがこれを『おっぱい』と呼ぶにはいささかためらいがある」

「お、おっぱいはおっぱいだもん!」

「ラノベはラノベだ。だが」

「放っておいてって言ったでしょう?」

「ぼくは京介が心配なんだ! だがぼくには助けられない。〈親友〉が登場できるのは、きみら〈ヒロイン〉がいてこそなんだ!」

「淘汰よ。退屈だったんでしょうね、きっと」

「退屈なんかじゃない。退屈なんかじゃなかったぜ!」

「人気がなかったのよ」

「それは」

 敏吾は口ごもった。

「ほらね。とにかく、わたしは〈打ち切り〉を受け入れる。その次は? 現実世界で次のステージに進むだけ」

「最後にひとつ、言わせてくれないか」

「なによ?」

「裸スパッツ!」

「関東第一高校の生徒がああなったのは、きみのせいでもある」

「わたしの?」

「裸、プラス、スパッツ!」

「責任を取るんだ」


   ◇


 わたしのせいじゃない。

 色葉は自宅に戻ってすぐ、使用人に命じてヘリを用意させ、調布の一ツ橋衛星情報センターへ飛んだ。机にすわっても勉強に集中できないことはわかっていた。

 ボディーガードとセンター職員を引き連れ、分析部へおもむく。分析官に命じ、直近3週間ほどの衛星画像を用意させた。ちなみにセンター内部は、ハリウッド映画におけるNSAやCIAやCDCのような、隠れてなにかヤバいことを企んでいそうな巨大国家組織の中枢部らしきものが忠実に再現されていた。

 人工衛星『かほご』が撮影した写真が、いわゆるメインスクリーンに映し出される。どれも自分の頭頂部が中央に映っている。そこには常にひとりの男の影があった。ときに男子は影にとどまることなく、走り、叫び、意味不明ながらとにかく気合いを感じさせるポーズを取っていた。

 かつての大門交差点付近で、5万人くらいの生徒に囲まれた男子の写真が映し出された。堂々となにかを呼びかけている。小さな黒髪の女の子がぴたりと寄り添っている。スナップショットが時系列で切り替わる。周囲の男子生徒がどんどん〈メイド〉化していく。

 最後の写真。男はこぶしを高々と天に掲げ、大規模改宗作戦の成功を自ら祝していた。

 わたしはこの男子を知っている。

 敏吾に言われるまでもない。

 3週間どころではなく。ずっと前から知っていたのだ。もっとずっと前から。

 でも。

「責任を取るんだ」

 色葉はバッグから手鏡を取り出し、のぞき込んだ。

 瞳の色は、だいぶ落ち着いてきたようだ。あの信号機のような双眸も、じつはけっこう気に入っていたのだ。

 でも。

 すべては終わったこと。

 楽しかったよ。無意味でくだらなかったけど、楽しかった。

 さようなら。

 そして、ありがとう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます