第3章

バトル展開は突然に

第51話 職員会議のつづき セリフによる読みやすい前回までのあらすじ

 教頭が言った。

「岸田京介。その生徒は何者ですか」

「やつは頭がおかしいのだ」

「教育者らしく答えてください。冷静に、客観的に」

「えー、先生方はすでにご存じとは思いますが、岸田京介の問題行動を時系列でまとめましたので、ここであらためて振り返らせていただきたいと存じます。まず、事の発端は教化32年4月某日、幾何学IVの授業において、岸田京介は窓際のいちばん後ろの席にすわり、窓の外をぼんやりと眺めはじめました」

 ひとりの教師が、それがどうしたと隣の教師にささやいた。

「ラノベですよ」

「ああ」

「えー、その後突然、授業をボイコット。発言によると、理由は『まちがっているからだ』とのことでした。その後3ヶ月間、毎日、授業開始から〈放課後〉まで、ひたすら窓の外を眺めつづけました。その間は〈親友〉や〈幼馴染み〉、〈生徒会長〉その他生徒会の面々、〈転校生〉のいずれも話しかけてこず、かなり寂しい思いをしておりました」

「〈放課後〉? ということは、横顔に夕日を浴びていたのか?」

「どうやらそのようです」

「それがそもそもの原因だろう。なぜだれも気づかなかったのだ」

「いまさら責任を追及してもはじまらない。つづけてください」

「えー、夕日を浴びつづけた3ヶ月後の6月、木村先生の刑法第一部の授業において、はじめて例の『二度と勉強しない』宣言を行いました。高校は本来授業をする場所ではない、男女が寄り集まっておしゃべりをする場所なのだ、というのがその理由のようです」

「まさにラノベだ」

「先生方の難しくて長々とした特別講義により、その日は岸田京介を打ち倒したかのように思われました。ですが、関東第一高校には、協力者が多数いた模様です」

「〈大人〉の協力者が?」

「ちぃばすの運転手はすでに身柄を拘束し、現在は礼文島の施設で、窓の外をぼんやりと眺めて過ごしております。もちろん、17歳の高校2年生とはちがう意味で」

 5秒ほどの沈黙が職員室を包み込んだ。

「保健の先生も協力者だろう? たしか、伊達とかいったな。あの女には、われわれを恨む動機があるからな」

「いちおう現在も、森トラストは旧港区に籍を置いています。まだ旧港区すべての土地を収用できておらず、また女性ということもあり、あまり手荒な真似は」

「例の地上げ屋を送り込め」

「わかりました。その件はのちほど。えー、その後岸田京介は迎瀬先生のソラリス学において、〈転校生〉の〈彼女〉をゲット。〈メイン〉の〈ヒロイン〉の名は一ツ橋色葉。〈水着〉姿もすでに披露済みです」

 鋭いささやきがいっせいに巻き起こった。

「高校2年生女子の〈水着〉だ!」

「もはや手遅れではないのか?」

 教頭が手を上げ、制した。

「つづけてください」

「えー、岸田京介は〈彼女〉ができたことで調子に乗り、自ら神の使徒と名乗り、新興ラノベ宗教『不勉教』を立ち上げ、次々と信者を獲得。恐るべきはその後の展開です。〈無駄な会話〉や〈ループ〉でページ数を稼ぎ、教師を油断させたところで〈下手な料理〉や〈メイド服〉、〈チート〉などのゴリゴリの〈お約束〉を駆使し、最終的に高校2年生男女67388人の信者を獲得いたしました。現在は『はるいろダンジョン』と呼ばれる例の施設で、信者とともに〈テンプレ〉共同生活を送っております」

 ひとりが手を挙げ、言った。

「岸田京介は胸を揉んだのか?」

「いえ、わたしの知る限りでは、まだのようです。触れても〈ラッキースケベ〉程度で」

「まだ勝機はある」

「胸を揉んでいたら一巻の終わりだった。まさに文字どおり」

「以上が、岸田京介の所行の数々です。えー、それで、どのような処分を下すか、についてなのですが。教頭先生、ご意見は」

 教頭は頬杖をつき、資料に目を落としていた。京介の生徒手帳用写真をひたすら見つめている。

 1枚めくり、1枚戻し、再び写真を見つめたあと、言った。

「アンダーアチーバー京介」

「そのように自らを名乗っているようです」

「ヒーロー的な?」

「ええ」

「IQが空欄のようですが」

「市販の機材では測定不能だからであります」

「推定では、4600と」

 ざわめきが走る。

 教頭は手を上げ、さっと振った。

「つまり、こういうことですか。たかだかIQ4600の高校生ひとりに、あなたがた優秀な教師が、そろいもそろって振りまわされている、と。青木先生」

 巨大な影がゆらりと動いた。身の丈は3メートルをゆうに超えている。

「たしかあなたのIQは12000でしたね」

 うなずいた。

「わしは14歳で東北大学医学部を卒業後、東北大学助教授を経て17歳で渡米、アメリカ全州の医師免許を2年で取得した。その後韓国の26の専門医資格をコンプリート、つづけてドイツ、イギリス、フランスへ飛び、やはりすべての専門医としての資格を取得、および医師会への登録を果たした。『ひとり総合病院』『瀉血のヒロ』と呼ばれ、世界中の医師や医学者から恐れられておる」

「免許はたくさん集めればいいというものではありませんが、あなたの努力は認めます」

「経歴自慢をしてしまい申し訳ございません」

「いいえ! 経歴はおおいに自慢されて然るべきです。あなたは恵まれた境遇になかった。貧しい家の出ながら、勉学に精を出し、アルバイトをしながら大学へかよった。かつかつの生活費で、ろくに食事も採れず、以前から欲しかった教科書を古本屋で見つけては、本を取るか、今晩の夕食を取るかと悩む日々。あなたはそのような青春時代に、慚愧の念を覚えていますか? ああ、おれは勉強しかしてこなかった、と?」

「後悔しておりません。教頭」

「〈青春〉など!」

 青木はげっぷをした。

 教頭は驚いたように面を上げた。だがフードの奥に隠された素顔は見ることができない。

「昨晩は少しばかり飲み過ぎたようです」

「気をつけてくださいよ。もう20代ではないのですから」

「専門家としての意見を言わせていただくなら、〆のラーメン、あれがいけなかった。とんこつの濃厚さがいけなかった。スープを飲み干したのがいけなかった」

「いけませんよ」

 教師のひとりが身を乗り出し、教頭に言った。

「お言葉ですが、教頭。たかが一生徒のために、主幹教諭のひとりである青木先生の『力』を解放すると?」

 教頭は答えず、両手で頬杖をつき、両足をぶらぶらさせながら資料に目を落としていた。

「自主退学を勧告すべきです」

「恐れているのですか、トンプソン先生?」

「まさか」

「これはいい機会です。思えばこの20年間、関東第一高校は順調にいきすぎていた。ここらへんで壁にぶち当たるのも悪くありません。さらなる進歩と発展のために」

「し、しかし」

 青木が立ち上がり、トンプソンの背後に立った。がばりと両腕を広げ、元プリンストン大学教授の肩をがっちりとつかみ、軽々と持ち上げた。

「な、なにを」

 青木はトンプソンの体を床と水平に持ち上げ、恵方巻きのように頭頂部からかぶりついた。

 身の毛もよだつ悲鳴と咀嚼音が職員室に響き渡る。テーブルに居並ぶ教師は顔を伏せ、ある者は耳を塞いだ。教頭だけが、わずかにのぞく口元を愉快そうに歪め、様子を見守っている。

 やがて青木は、確率偏微分方程式理論に多大なる貢献をした外国人教員J・H・トンプソンを、革靴ひとつ残さず平らげた。

「フィールズ賞の味がするわい」

 げっぷ混じりに言い、口元をぬぐった。

「青木先生は優秀な人材を文字どおり体内に取り込むことによって、自らのIQを高めることができるのです!」

 居並ぶ教師全員が知っているにもかかわらず、教頭はわざわざ青木の特殊能力を力強く説明した。

「さあ、ゆくのです、青木先生! 岸田京介を食べておしまいっ!」

 青木がうなずき、背を向けた。

 そのとき。

「教頭。あなたはまちがっている。この展開はまちがっている」

 人差し指の指紋を青木に向けたまま、教頭はきょろきょろした。

「だれです? いまわたしを頭ごなしに否定した先生は?」

 テーブルの端にすわる発言者が手を上げた。ゆっくりとフードをつかみ、背中へ引き下ろす。木村の変わり果てた姿に、教師全員が息を飲んだ。かつての黒々とした七三分けはほぼ白髪化し、顔は痩せこけ、眼下は落ちくぼみ、そのうえ眼鏡を新調していた。お茶の間の主婦なら真っ先に癌を疑ったことだろう。

 ひそひそとささやき合う教師を制し、教頭が言った。

「木村先生。どういう意味です、展開がまちがっている、とは?」

「あなたがやろうとしているのは、〈バトル展開〉だ。つまり、IQが戦闘力代わり、ということでしょう? まさにラノベだ。思うつぼではありませんか」

 ひとりが口を挟んだ。

「〈バトル展開〉はラノベではない! 少年マンガだ!」

「そうだ。なんでもかんでもラノベで括るな!」

「年寄りの冷や水だと笑われるぞ!」

 木村は知ったか発言をした教師をにらみつけた。

「わたしはラノベを知っている。ここに居並ぶ教師のだれよりも。わたしは体験したのだ。ラノベを侮るな」

 発言者は笑みを貼りつけ、気まずげに顔を伏せた。

 教頭に向き直り、言った。

「ラノベはすべてを貪欲に飲み込む。マンガだけではない。量子力学もだ。飲み込む先はおもに素人ブログやウィキペディアだが、その一貫したお気軽さこそがラノベの恐ろしさ。クソだクソだと囃し立てているうちに、気づけばすべてがラノベになる」

「では木村先生、あなたはどうしろとおっしゃりたいのです?」

「教育をすべきでしょう」

「なぜです」

「なぜ? なぜ教育をするのか? 教師だからですよ! 岸田京介が4600の高IQに見合った成績を取れないのは、われわれ教師にも責任の一端がある。資料を見てください。中学から高校1年までの成績は抜群だ。幼少より『なぜなぜ』に取り憑かれ、空の青さを、鳥が飛ぶ理由を、電磁誘導の原理を、しつこく両親にたずねては困らせ、公式を頭から信用せず、一から解を導き出してようやく腑に落ちる、『この子は少しおかしいのではないか』とまわりが心配するタイプ、いわゆる天才だ! やつはおそらく、17歳の高校2年生になり、自ら進んでバカを選択したのだ! なぜラノベの道を選んだのか、理由はわからない。だがやつを侮ってはいけない! ラノベを侮ってはいけない! そしてラノベへの対抗手段はただひとつ、教育だ!」

「文系はお気楽でいいですな」

 木村は顔を上げ、座高だけで背の高い女子ほどもある青木をにらみつけた。

「法学が文系だというのですか」

「ちがうというのか。条文の暗記に、法の解釈。屁理屈をこねるばかりで、手業の訓練もない、お気軽なお勉強学問だ。無益とは言わぬが、死にかけている者を前に哲学談義をしてなんの意味がある」

「実学偏重の空気が全体主義を生んだのです」

「わしは否定はしない。おおいに思考し、語り、書くがよい。だがいまは、役に立たん」

「やつを治療できると?」

「わしをだれだと思っておる。学業不振高校生、いわゆるアンダーアチーバーは、治療可能な病だ。実際は単なる統計上の分類にすぎない、だがわしが病気と言えば、それは病気なのだ。PDE5阻害薬はPDE5の作用と競合的に阻害し、平滑筋細胞内のcGMP濃度を高める作用がある。代表的な薬剤はシルデナフィルクエン酸塩である」

「それはバイアグラのことでしょ」

「フフ。よくぞ見破った」

「常識ですよ」

「まじめな話、岸田京介はカルバマゼピン一発で治る。ナトリウムチャネルを阻害することにより、大脳神経細胞の過剰興奮を抑えることができるのだ。もちろん外科的に治療も可能だが」

 青木は太い指でおのれの額を指した。

「100均のアイスピック。こちらのほうが安上がりかな? フフ」

 教頭がさっと手を振った。

「もうけっこう。木村先生、フードをかぶってください」

 木村はフードをかぶり、もごもごと言った。

「雰囲気を壊してしまい申し訳ありませんでした」

「いえいえ。ここ、糞が落ちてきますからね。あなたのような優秀な教師を、感染症でなくすわけにはいきません」

「痛み入ります」

「なるほど。17歳の高校2年生が、ラノベを武器に、学問へ牙を剥いた。おもしろいではありませんか。教師たるもの、ラノベのひとつもできずにどうします。ときにはバカな若者へ寄せた発言をする、それが〈大人〉の余裕というものでしょう」

「せっかく根絶したのに」

「青木先生。ではさっそく、『補習』をお願いしますよ。特別な補習です。意味は、ちゃんとわかっていますね? すべてあなたにお任せします」

「承知しました」

 教頭が立ち上がったことで、職員会議は終了した。教頭は大きすぎる杖をつきつき、でこぼこの地面に何度もつまずきながら、唯一の出口である鉄のポールへ向かった。えっちらおっちら登りはじめたのを見て、教師も立ち上がり、パイプイスを片づけ、後につづいた。

 場の空気の動きに、ペアレンツが覚醒した。四つ足で檻の中を巡り、教師の背に罵倒を浴びせかける。

「青木! バカ教師! 補習なんかするんじゃねえよ!」

「うちの大輔(仮名)はなあ、塾があるっつってんだろ!」

「夕飯、2回つくれってのかよ! 代わりにてめえがつくれ!」

 木村はひとりテーブルにすわり、しばらくペアレンツの声に耳を傾けていた。

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