第50話 関東第一高校の逆襲

 放課後。授業を終えた教師たちは、それぞれのヒルズを出たあと、教員専用のBMWに乗り込んだ。回遊しながら日照を遮るレジデンスを忌々しげに見上げながら、かつて南麻布四丁目と呼ばれた職員室へ向かった。

 ぞくぞくとBMWが到着し、職員室の周囲はヤクザ映画の様相を呈しはじめる。やがて鉛色の空はこぬか雨を落とし、黒い傘の花が開いた。

 かつての超高級住宅街は、中華人民共和国大使館の建物を残し、更地にされていた。道路はすべて剥がされ、環境省も随喜の涙を流す花と緑による緑化が行われている。有栖川宮記念公園を手本に、庭園や石橋、人工池は言うに及ばず、変化に富んだ地形や渓流、さまざまな草木や花々、虫、鳥などの自然までがすべて人工的に再現されている。なぜ有栖川宮記念公園そのものを利用せずわざわざ一からこしらえたのかは、言うまでもない。学者というものは好奇心の塊なのだ。

 教師たちは6代目の葬式を思わせる神妙な面持ちで、傘を差し、かつての中華人民共和国大使館を目指した。水辺をよちよちと歩くカルガモの親子は、いまは亡き浅田のお手製アンドロイドだった。

 職員室に入ると、教師はだれに指示されることもなく、ある小部屋に姿を消した。中は四畳半の和室で、表向きは比較的問題のある生徒(ローレンツ収縮が理解できないなど)と個別に応対するために利用されていた。中央のテーブルを脇へ寄せ、四畳半専用の正方形の畳を剥がす。暗闇がぽっかりと口を開けている。

 教師は鉄の梯子を降りていった。

 降りた先はパリの下水道そっくりだった。もちろん下水道としては利用されていない。かつて下水道として利用されたこともなかった。ただ世界の学問の首都となるであろう関東第一高校の地下に、歴史ある下水道跡がないのは我慢ならない。ただそれだけのためにわざわざパリから技師を呼んだ。正確に言うと、ジョルジュ・オスマンの直系子孫に工学を基礎からたたき込み、排水設備工事責任技術者を受けさせ、わざわざヨーロッパ史をかつての南麻布四丁目において再現させたのだった。

 人工的な異臭を放つ下水道を東へ歩く。ちなみに西へ歩くと日比谷線に直結する。勝手に「直通」させたことで東京地下鉄株式会社にはものすごく怒られたが、いまとなってはいい思い出だ。

 先頭の教師が防水扉の前で立ち止まり、ハンドルをまわした。巨大な空間に、ネズミ色のロッカーが5列に並んでいる。入り口付近の籠には、会議時に着用を義務づけられた衣類が大量に積まれている。教師たちは健康診断前の着替えを思わせる静寂のなか、服を脱ぎ、タイベック素材の防護ローブを纏い、フードをかぶった。長靴を履き、手袋を二重につけ、護符を首にかけ、隅の壁に立てかけてある簡素な杖を取った。どのアイテムもとくに魔力が付与されているなどといったことはなかった。

 奥の鉄扉を開けると、中央アフリカの鍾乳洞が姿をあらわした。

 教師はやや傾斜した坑道を進んだ。手すりや地表はコウモリの糞で覆われている。腐った果物のようなにおいが充満している。教師のひとりが杖でコウモリを追い払いながら、10万匹のルーセットオオコウモリをわざわざアフリカから取り寄せたのは正解だったと言った。当然のように各種殺人ウイルスの宿主であり、ちょっと指先を傷つけただけでエボラで死ぬかもしれないが、このリアリティのためならその程度のリスクは負うべきだろう。そもそもそのようなおっちょこちょいに関東第一高校の教師は務まらないのだ。

 200メートルほど進むと、かなり大きな空間に出た。天井の高さは10メートルほどもある。床はでこぼこで、茶色い水たまりがあり、腐敗したコウモリやスケルトンやゴブリンシャーマンの死体が転がっている。空間の中央には、深さ5メートルほどの巨大な穴があった。約90平米で、ちょうど一般的な職員室と同じ広さだった。

 教師たちは穴を見下ろしながら壁際を進んだ。穴の反対側には、粗末な鉄の檻が並んでいる。閉じ込められているのはコウモリでもスケルトンでもゴブリンシャーマンでもなかった。人の形をし、どれも中年の女性のように見えるが、もしかつては人間だったとしても、その格好や仕草にはすでに人間の面影はない。それらは教師に気づくと、気がちがったようにうめき、叫び、口々に罵倒の言葉を浴びせた。

「菅原! バカ教師!」

「翔太(仮名)の成績が下がったのはてめえのせいだろうが! 家に来て補習しろ!」

「木村! モーニングコールしろって、何度も言ってるだろ! 優斗(仮名)は低血圧で、朝が苦手なんだよ! 教師のくせに、そんなこともわからねえのかよ!」

「安田! てめえの顔は気持ち悪りーんだよ! 授業に集中できねえだろ! 整形しろ!」

 ペアレンツの罵声を聞き流しながら、教師は鉄のポールを伝い、穴へ降りた。

 めいめいがパイプイスを取り、中央の長テーブルに着いた。

「一体どうしたというのです」

 しつこくぶつかってくるコウモリを追い払いながら、ひとりの教師が言った。フードを目深にかぶっているため、個としてのアイデンティティはすでに失われている。

「『職員会議』など時間の無駄だ。20年前、われわれは無駄な会議はしないということで合意したはずだ」

「すぐに終わる」

「安田! この出っ歯! 口がくせーんだよ!」

「うるさいっ」

「安田先生、相手にしないことです」

「よもや会議をするとは思わなかったですからね」

「しかし、まだ生きているとは。すごい生命力だ」

「ペアレンツは放っておきましょう。さて。今年の司会はだれだったかな」

「わたしです」

「では教頭先生が来るまで待ちましょう」

 教師たちはそれぞれ個人的な罵倒を受けながら、静かに教頭を待った。

 ローブを着た小さな人型が、いつからか穴の上の崖に仁王立ちしていた。教師たちをしばらく見下ろしたあと、しゃがんでお尻を向け、ポールを伝ってするすると降りてきた。フードを目深にかぶり、やや猫背で、大きすぎる杖をつきつき、ローブの裾をずるずる引きずり、でこぼこにときおりつまずきながら、とことことテーブルに向かう。

 上座に着き、「ふう」と言った。肩に手をやり、ぐるぐると腕をまわした。

「はじめてもよろしいですか?」

 司会進行役の教師が腰を浮かせ、おうかがいを立てた。

 教頭はこくりとうなずいた。

「えー、では、本日は、先生方もお疲れのところ、遅い時間にお集まりいただきまして、ありがとうございます。なにぶん急を要する『事件』が持ち上がっておりまして、それに」

「はやく本題に入ってくれ」

「わかりました。まず資料を配布しますので、一部ずつお取りになって、お隣へまわしてください。足りていますか? コピー機が糞まみれなので、もし足りなければ、お隣の先生と一緒に」

「一体なんの件なのだ」

「わかるでしょう」

「みなさん、行き渡りましたか? だいじょうぶですか? ああ、すみません。グラフを一部、モノクロで印刷してしまったようです。まいったな。ちょっと失礼して、ヒルズに戻って印刷し直してきますね」

「いいから話を進めろっ」

「本日の議題は、ただひとつです」

 司会進行役の教師は一同を見まわし、くわっと目を見開いた。

「2年Ω組、岸田京介の処遇についてだ!!!!!!!!!!!」

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