第49話 ワナビの青春

 セミナー終了後、ほぼ全員が〈ヒロイン〉候補生として『はるいろレジデンス』に向かった。もちろんヒルズ出入り口には教師が待ち構えているはずなので、当初の計画どおり、屋上から一ツ橋家のヘリでピストン輸送した。上原は屋上へ出た。赤々とした夕日が輝いている。

 慧眼な読者は、たった850名増えたところで男子に対して数が少なすぎるとお思いのことだろう。そんな慧眼なあなたは先のセミナーを読み返したうえ、商取引の歴史を軽く振り返ってみるといい。

 そう、マルチだ。

 女子のネットワークを軽く見てはいけない。

 女子が女子を一定数勧誘すると、レジデンスの家賃が少し安くなる。さらに勧誘すると、〈主人公〉男子がちょっとだけ男前になる。もしくはかわいくなる。金太郎飴の例えも金太郎に失礼であろうあの無気力ぶり、ヘタレぶり、やれやれぶりを発揮する一山いくらの〈主人公〉から、下読みも「そう来たか!」と思わず膝を打つ無限の可能性に満ちた〈主人公〉が与えられるのだ。さらに勧誘すると、〈絵師〉と呼ばれる衣装係が有能になる。顔かたちまで変わってしまうのが難点だったが、すてきな衣装でより魅力を伝えることができるばかりでなく、その有能さによって本文とイラストのちぐはぐさでみんなを混乱させることもなくなるのだ。

 もちろんランクが上がれば、〈ラブコメ〉内での序列も変わる。やがて恐るべき下克上が繰り広げられるだろう。〈サブ〉に転落した女子は、腹いせに〈主人公〉をとくに理由もなく蹴ったり殴ったり後方まわし蹴りしたりすることだろう。〈メイン〉を切望するあまり手段を選ばず性表現的に一線を越えようとする女子もあらわれることだろう。そうしてみな、下着姿になる。意味もなく〈混浴〉に誘う。〈主人公〉に〈馬乗り〉になる。すべては人気のため。未来のため。アニメ化のため。

 それがラノベ。それこそがラノベ。

 それこそが女子。

〈ヒロイン〉になりたい、それは女子にとっての根源的な願望なのだ。


   ◇


 上原は無人のヘリポートに立ち、横風を受けながら夕焼けの空を見上げていた。なびく髪は大人の色香を否応なしにふりまく。艶っぽさを抑え甘酸っぱさを放出するのが喫緊の課題だったが、いまはフェロモンがまき散るに任せよう。

 一ツ橋家のUH-60ブラックホークが、バラバラというローター音とともに上空にあらわれた。ビル街の気流と場の雰囲気という2つの空気を同時に読みながらしばらくかっこよくホバリングしたあと、垂直に機体を沈め、H文字のど真ん中にランディングした。

 いまのところ〈メイン〉の一ツ橋色葉がキャビンから飛び降り、ハリ・ツヤ・コシのすべてを兼ね備えたアッシュブラウンの髪をなびかせながら、〈サブ〉で10月に27歳になる上原の元へ駆け寄り、成果をうかがうように見上げた。

「成功よ」

 上原は色葉の若々しい肉体と染みひとつない乳白色の肌を見下ろしながら笑顔で答えた。

「よかった」

「京介くんは?」

「いまごろは『はるいろレジデンス』改め『はるいろダンジョン』最奥の間で、玉座に着き、頬杖をつきながら錫杖をもてあそんでいるはず」

「位置的には〈魔王〉ね」

 ふたりは中腰でヘリに駆け、キャビンに乗り込んだ。

 ヘリはやや右側に傾きながら、ふわりと離陸した。

 色葉はパイロットに、しばらく関東第一高校の上空を旋回するよう指示した。

 右手に浮遊する『ダンジョン』を見ながら、向かいの席にすわる上原に言った。

「これで世界は変わる。あと少しで、岸田京介の信じた未来が実現する」

「まだまだよ。ほんの第一歩にすぎない。関東第一高校との戦いは、はじまったばかりなのよ」

「ひと息ついたら、上原さんにお話ししたいことが」

「なに?」

 色葉は『ダンジョン』を見つめたまま、微笑みを浮かべた。

「いえ。あとにしましょう。いまは乾杯を」

 色葉は上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲のお持ち帰り用カップを上原に渡した。自分のカップを取り、キャップを親の仇のようにむしり取ると、乾杯、と軽く持ち上げ、唇をつけた。

 乾杯。

 美少女だ、と上原はあらためて思った。地味な印象を周囲に与えがちなのは、あまりに完璧すぎるゆえなのかもしれない。嫉妬で網膜が焼き焦げるほどの美しさ、愛らしさ。上原はおのれの気持ちを受け入れた。一ツ橋色葉の潜在能力を認めた。あの地味さの奥には、秘められし魅力が眠っている。

 顕在化させてはならない。

 いまに見ていろ。


   ◇


 何割か脱会はあったものの、最終的に関東第一高校の高校2年生67388人、全校生徒数の約20.5%が不勉教に改宗した。知の探求を捨て、〈青春〉を、自分の人生を取り戻すため、〈主人公〉たちはそれぞれラノベを持ち、授業中にぱらぱらとめくった。「…………」や「――――ッ!」などのセリフとも呼べないセリフに神はどのような意図を込めたのかを熟考し、信者仲間と話し合い、ときに実践した。突飛な展開をいかに解釈するかを、なぜ美しい女性が次々と理由もなくあらわれては〈主人公〉に好意を持つのかを話し合った。コメディを謳っているにもかかわらずくすりともできないセンスの欠如を、薄っぺらいキャラクター造形に隠された真意を読み取ろうとした。

 個人の尊厳を無邪気に踏みにじる安易な差別的描写について考えた。

 読めば読むほどに混乱する。下手な文章、延々とつづく不必要かつ退屈な朝のやりとり、明らかに事実と異なる、まるで取材もせず頭の中でてきとうに考えて書き散らしたかのようなディティール。だがこれは神の書物、神の言葉。一介の信者が一度流し読みした程度で理解できるわけがないのだ。

 ラノベを閉じる。

 さあ、読むのはここまでだ。

 いまこそぼくたちのラノベをはじめよう。

 17歳の高校2年生にしかできない、ラノベを。

 ぼくにもできる。きっとできる。

 だれだってできる。

 あの程度でいいのなら。

 あんなてきとうで許されるのなら。

 ぼくのほうが45倍有能だ。

 さあ、ラノベをはじめよう。そしてラノベの神を、岸田京介しんさいんを、あふれんばかりの才能で驚かせてやろうじゃないか。

「編集長!」

「なんだね、編集者Aくん、息せき切ってあらわれたりして」

「こ、このラノベを。信じられないほどの完成度です!」

「むっ! こ、これは…………………………………………………………………………」

「ぜひデビューを! ぼくが全責任を取ります!」

「その必要はないぞ、編集者Aよ」

「な、なぜです?」

「なぜならおもしろいからだ! すばらしいからだ! これはまったく新しいタイプのラノベ! ページをめくるたびに想いがあふれ出してくるようだ! 10年に1人、いや100年に1人の逸材! ついに本物の才能があらわれたのだ! 編集者Aくん、すぐに連絡を取って!」

「わかりました!」

 ぼくたちの戦いはこれからだ!

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