第44話 スコラ男子再び 勉強か、それとも青春か

「ア、アンダーアチーバー京介!」

 華奢な男子高校生が、あとじさりつつ、妙に甲高い声で言った。京介は目を向け、おやと眉を持ち上げた。いつぞやのスコラ男子ではないか。女の子のように真っ赤にした顔を引きつらせ、京介を見上げている。京介は〈男の娘〉という人類史上だれひとり思いつかなかったであろうまったく新しい概念をもてあそびながら、じっとりした目つき、あえて略すならばジト目で見下ろした。

 ちなみに残るふたりは、ひとりが粘着質な口調の眼鏡で、もうひとりがやや乱暴な口調の大柄な茶髪だった。まるで互いが互いの存在を補完し合っているかのようなバランスのよさだった。

「こいつ、かわいいな」

 スコラ男子を指さし、春が言った。

「春よ。油を売らず、作戦どおり行動するのだ。例のブツを頼む」

「サー」

 春は国道15号をノミのように跳躍し、アスファルトを痛めつつどこへか去っていった。

 センターに位置するスコラ男子が言った。

「あなたはなぜ、そうまでして『不勉教』を強要するのです? ぼくたち日本国民には、信教の自由があるんだ! あなたが勉強しないのと同じように、ぼくらは勉強する。ぼくらは自由市民だ。奴隷じゃない!」

 残るふたりが、そうだそうだと相づちを打った。

 京介は哀れみをもって3人を見まわした。

「おまえらは、本当に『自由』なのか」

「どういうことだ」

「考えたことはないのか。おまえらが日々やっていることは、唯一、勉強のみだ。まるで年寄りのように、日々同じことの繰り返し。未来ある若者が、そんなことでいいのか。バスケをしたいと思ったことはないのか。パズルゲームで土曜日を半日無駄にしたいと思ったことはないのか。女子と他愛のないおしゃべりをしたいと思ったことはないのか」

「たしかに、少しはおかしいと思うときもある。起きてから床につくまで、ひたすら勉強、勉強の日々。基礎医学を受けた1年生のころなどは、勉強量のあまりの多さに精神を病みかけたほどだ。それでもぼくたちは、勉強をしなければならない! 考えている暇などない! 休む暇などないのだ!」

「それが現実なんだ!」

 茶髪が叫んだ。

「現実、か。茶髪よ、おまえの言い分は正しい。そして『それが現実』というセリフは、言うだけならだれでも言える『真実』だ。考えるのがめんどくさくなったときに思わず発する、大人の意見のように聞こえる便利なセリフだ。それを『紋切り型』というのだ。おまえらは、勉学に励んでいるわりには、おのれの頭で考えることをしないようだ。だいいちおまえらは、どれだけ賢いのかは知らないが、たったの17年しか生きていない。腹の底から現実を知る年齢ではないだろう。まちがっている、ただまちがっている、そう感じたことはないのか」

「なくはない」

 眼鏡が眼鏡を持ち上げながら言った。

「ぼくが思うに、きみは言いたいのはこういうことだろう。哲学における freier Wille つまり『自由意志』は存在するか否かという問題だね。だが意志は、ロボティクスおよび神経科学の分野で否定されつつあるのだよ。われわれは恒常的に、それとは気づかないまま、外部からの刺激に晒されている。自由な意志をもって行動したと信じるその行動は、すでに生化学的に決定づけられた反応であり、その後、その個体は人間としての機能を維持するため、行動の理由を後づけで考える。近代以降の社会が、個の行動という『自由』を、それぞれの個体に要請するからだ。さらに、そのつくられた因果ですら、その後、内部からの刺激となる。なぜ朝食はパンを食べるのか。それはきみが後づけで回路化した理由が、きみにその行動を促した、単にその結果にすぎない。従って、自由意志は存在しない。きみの『まちがっている』という考えそれそのものすら、外部からの刺激によって導き出された生化学的反応にすぎない。『腹の底』というのは、結局のところ、そういうことなのさ。おわかりかな?」

「おまえはそれ以上しゃべるな」

 スコラ男子が叫んだ。

「いずれにせよ、ぼくたち3人を改宗したところで、どうにもならないではありませんか! 関東第一高校には、32万8000人の生徒がいるんだ!」

「そんなことはわかっている」

「あなたひとりで全員を改宗することなどできない!」

「ひとりではない。おれはひとりではないのだ。そしておまえらも、いずれ3人ではなくなる」

「どういうことだ?」

 そのとき。

 気管支を患ったような重く低いエンジン音が、かつての大門交差点方面から聞こえてきた。バランスのいい3人組が一斉に顔を向けた。3両連節の送迎バスが、北側から交差点へ向かってげほげほとやってくる。すぐ後方に別のバスがつづいている。

 バスは必ず交差点を直進し、こちらへやってくる。すべてのバスが必ず同じルートを採用する。

 京介が3人に言った。

「本日の16コマ目の授業がなにか、忘れたわけではあるまい」

 スコラ男子はすでに気づいていた。

「もちろんだ! 学年集会! 緊急学年集会に変更になったんだ!」

「内容も覚えているだろう」

「『不勉教』を名乗る反社会的勢力の現状と対応について」

「そうだ。おれの地道な草の根活動が、ついに高校を動かしたのだ。学年集会を開かせたのだ! そして学年集会とは、学年全員が集まるもの。一網打尽にはもってこいだ」

「一網打尽? すべての2年生がこのルートを通るとは限らない! ここを通るのは、ひとつ前の15コマ目の、授業を、受けた」

 スコラ男子はセリフの後半部分をフェードアウトさせたあと、右手のひらを口元に添えつつ驚愕の表情を浮かべて「あっ」と口走った。

「そのとおりだ。自分で言って自分で驚愕したついでにぜんぶ説明してみるか」

「ひとつ前の15コマ目の授業が、『あの教育』だから」

「だからおれは、このルートで待つことにしたのだ。『あの教育』を受けたおまえらが、バスに乗り、体育館へ向かい、あの交差点から南へのこのこやってくるのだ。おれの役割はおまえら男子の改宗、そして男女が必ず別々に受けなければならない『あの教育』を履修したばかりの男子は、もっとも御しやすいだろうと考えたのだ」

「くっ」

 ちっちゃくくやしがるスコラ男子を見下ろし、ついでに言った。

「そしてついでに、おまえが送迎バスに乗らず徒歩で歩いていた理由も、これではっきりした。おまえは『あの教育』を受けるたびに、いても立ってもいられなくなり、そして」

 スコ男子が両手を振りまわしながらわめき散らした。

「た、体調不良だ! 体調不良だったんだ」

「そうだろう、そうだろう。あの衝動のコントロールの仕方について、具体的な方法をスライドで見せつけられるのだ。心中穏やかではないはずだ」

「バスを止めさせてはダメだ!」

 スコラ男子は車道に飛び出し、「おおい」と叫びながらバスに手を振った。

 眼鏡が声をかけた。

「やつはひとりだ。心配ないだろう」

 茶髪がつづけた。

「あのバカになにができるってんだ」

「わからない。でも、ものすごくイヤな予感がするんだ! おおい、止まるな! 立ちはだかったら轢き殺してでも直進するんだ!」

 そのとき。

 気管支炎どころか重篤な肺気腫を患っていそうな10トンダンプが、バスの進行方向からごほごほとやってきた。先頭のバスは、もちろん気づいている。だが道路法の制限を超える3.9メートルの車幅を持つ送迎バスは、その大きさゆえに迂回不可能、減速せざるを得ない。

 先頭のバスが路肩に寄りつつ停車した。後続のバスは右側を追い越すこともできず、ふん詰まりの様相を呈しはじめた。そうして4台の送迎バスが停車し、京介と春と3人組の前でダンプと向き合う格好となった。

 イレギュラーな事態に、バスは片側7箇所の乗降口を開け、生徒を次々と排出した。全員男だった。男子生徒たちはなんだどうしたと周囲を見まわし、やがて京介と春と3人組に気づいた。送迎バスはなおもぞくぞくとやってくる。行く手の異変に気づいたバスが、交差点を右折しようとした。だが付近はすでに三受十字管のような詰まりを見せている。強引に右折しようとしたことで、逆に迂回路を完全に塞ぐ結果となった。蛇腹でつながる連節バスはそう簡単にバックできない。バスは停車し、生徒を吐き出した。全員男だった。男子生徒は渋滞の原因を確かめるべく、京介と3人組のほうへ歩いてくる。かつての国道15号が男子の黒山で埋め尽くされた。

 これほどの人数が意味もなくひとところに集結したのはおそらく関東第一高校創立以来はじめてのことだろう。京介には人数を把握できなかったが、一ツ橋家の人工衛星『かほご』はその数を正確に把握していた。

 その数、55012名。

 東京ドーム約1杯分の男子生徒は、自然の流れで京介を取り囲む。完全にストリートファイトの様相だった。そしていかに賢い高校生とはいえ、これだけの人数が集まり、さらに擬人化を必要としない人型の敵をはっきり認識すると、否応なしに群集心理が働きはじめる。穏やかな問いかけから罵倒に移行するのは時間の問題だった。

「理由を述べたまえ」から「バーカ」へと次第に低俗化する罵声を聞きながら、京介は穏やかかつ堂々と、そしてある種の満足感を覚えながら、その場に立ち、バカアホの声を受け止めた。

 そう。この悪罵こそが高校生らしさ。

「生きて帰れると思うなよ!」

 10トンダンプが突然、死を思わせるアイドリングを開始した。約5万人がぎょっと顔を向ける。ダンプは極めてゆっくりと前進しはじめた。ダンプの正面に立つ生徒がエマージェンシー声を上げた。賢い高校2年生たちは花火大会後の歩道橋のような混乱も見せず、協力し、秩序をもって後退する。ダンプ周辺にスペースがひらけた。

 春の運転するダンプは、右にハンドルを切り、歩道に侵入した。中国製の大型トラック用タイヤが縁石を踏み潰し、ガードパイプを捻じ曲げ、地被植物を圧殺し、そして無人の雑居ビルに頭から激突した。何度も何度も激突した。激突するたびに車体が通りと垂直に位置する。剣呑な尻が高校生に向けられる。

 荷台をゆっくりと持ち上げはじめた。

 大量の〈メイド服〉が、どさどさと高校生たちの頭上に降り注いだ。

 京介が叫んだ。

「おまえら、ここで〈メイド服〉に着替えるのだ!」

「はあ?」

 群衆の中からもっともなリアクションが飛び出してきた。

「なぜだ!」

「なぜでもだ!」

「それに一体なんの意味があるんだ!」

「意味などいい! とにかく着るのだ! 着ればわかる!」

 いくら待ってもだれひとり着ようとしなかった。

 京介は焦って高校生たちを見まわし、それから眉間にしわを寄せ、ついでに握ったこぶしを見つめながら自問した。なぜだ。なぜこいつらは、〈メイド服〉着ようとしないのだ。作戦は完璧なはず。完璧なはずなのだ。ほとんど覚えていないが。

 京介はさらに別の角度から自問した。

 では自分自身は、着ろと言われて〈メイド服〉を着るか。

 着ないな。

 だが。ここはなんとしても、やつらに〈メイド服〉を着てもらわなければならない。着ればわかる。着ればラノベのすばらしさがわかるはずなのだ。! 

 京介は天を見上げ、神に問いかけた。

 一体どうすれば、異教徒どもに〈メイド服〉を着せることができるのですか。

 頼みのスマホは仮死状態だ。さすがの神もバッテリー切れのスマホに電話をかけるなどという奇跡は起こせないだろう。

 どうにか説得しなければならない。

 おれ自身の力で。

 だが言うまでもなく、55012名全員を説得するのは並大抵のことではない。

 アイデアがいくつか頭に浮かんだが、どれも刑法における構成要件を十全に満たしていた。

 4600の高IQも、脳の裏側に身を潜めたままだ。

 とにかくやるしかない。

 京介は力の限り群衆に叫んだ。

「聞け! 真の勉強とはなにかを、おまえらに教えてやろう!」

 爆笑が起こった。石つぶてや陶器のかけらを投げつけられる。

「は! 酸塩基反応と酸化還元反応のちがいも知らない者が、なにを言う!」

「水素イオンH+つまり単独の陽子であるプロトンH+が移動する反応を酸塩基反応という。そして電子e-が移動する反応を酸化還元反応という。以上だ」

「なっ!」

 京介は〈チート〉を使い、化学の基本をすらすらと答えた。使いたいときにいつでも使える最強の特殊能力だが、ひとつ欠点があった。使うとあまり気分がよくないのだ。

「勉強など、その気になればいつでもできる。だが〈青春〉は、ラノベは、17歳でなければ体験できないのだ! 女子と交わらぬまま、30過ぎのおっさんとなったおのれの姿を想像するがいい。高校時代を思い返してはため息をつく自分を想像するがいい。立派なおっさんとなったとき、どれだけ女子高校生を求めても、おまえらは決して得られない。女子高校生は、決しておっさんを好きにはならない。それどころかおっさんは、女子高校生を見るだけで犯罪となるのだ」

 京介は恍惚と天を仰ぎ、罰当たりな民に啓示を与えた。




   慈悲ふかき慈愛あまねく大塚明夫の御名において……


   おっさんの話は汝の耳に達したか。

   その日には、うちしおれた顔また顔。

   はげしい労苦に疲れ果て、

   かっかと燃える女子高校生の火に焼かれ、

   煮え湯の残業飲まされて、

   相手とては皺々のおばさんばかり。

   これでは萌えぬ、欲望も充たせぬ。


   また、その日には、さも楽しげな顔また顔。

   己が青春に心充ち足り、

   至高のお風呂場に遊べば、

   ここでは無駄な会話ばかり。

   さらさらとお湯は流れ、

   高くもたげたシャワーあり、

   バスタオルの用意よろしく、

   ふんわりと胸ととのい、

   天国のくせに地獄だと逃げまわる。


   一体おまえら、女子を眺めたこともないのか、その見事な出来ばえを。

   胸々を眺めたこともないのか、その高々と掲げられた様を。

   尻々を眺めたこともないのか、うち立てられたその様を。

   腿々を眺めたこともないのか、光り輝くコントラストを。

   さ、諭してやろう。男子を諭すがわが務め。

   だが、自分から背を向けて信仰しない者は構わぬ。

   そのような者は大塚明夫がいまに最大罰で懲しめ給う。

   どうせおまえらもおっさんになる身。

   おまえらの欲望は決して満たされぬ。




 男子高校生55012名は身じろぎひとつせず、京介の言葉を聞いた。日々の勉強に抑圧された想像力が、男子の生来の欲望が、わずかずつだが蘇っていく。京介は男子の顔また顔に、その蘇りのさまを見た。

 ひとりが叫んだ。

「もっと難しい問題をぶつけるんだ!」

 だれひとりとして蘇っていなかった。京介の気のせいだったのだ!

「やつを倒さなければならない! ぼくら自身の未来のために!」

「量子力学だ!」

「いや、やつにとって量子力学は養分!」

「ちがう。リアル量子力学さ。シュレディンガーの猫は流用できても、パウリの排他律は果たして使いこなせるかな?」

 ひとりが輪の中に進み出た。静かに眼鏡を持ち上げ、言う。

「先生方はお忙しいのだ。ぼくらが代わりに、ここでとどめを刺す」

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