第43話 作戦開始! そしてはるいろレジデンスの実態調査

 京介と色葉が謎のお泊まりをしているころ、世界の花市場に異変が起きていた。

 日本から9100キロ西に位置するオランダのアールスメールでは、早朝から一切の花取引がストップしていた。みるみる萎れ、価値を失っていく花を見つめながら、商人たちは困惑の表情を浮かべていた。そんななかアムステルダム・スキポール空港へ空輸されてきたのは、コロンビア産のパニエ、ケニア産のエプロンドレス、ジンバブエ産のカチューシャだった。サッカー場120枚分に相当する敷地に、産地直送のジャパニーズ・メイド服が敷き詰められる。商人は首をひねり、はたして取引していいものかどうかと悩んだ。

 花といえば花か。

 世界の花市場はまちがったかたちで再開した。花時計は価格を決定し、ただちに梱包され、指定の住所へ速やかに空輸された。半日後、約40万着の『花』が、千葉県市川市のかつてアマゾン市川フルフィルメントセンターと呼ばれた巨大倉庫に搬入された。

 だれの仕業かは言うまでもない。


   ◇


 翌日の昼休み、京介は満を持して大規模改宗作戦を開始した。そして遺憾ながら、一晩寝たことで作戦の9割はすでに忘却の彼方だった。だが大事なのは計画ではない。大事なのは、おのれを信じ、〈仲間〉を信じ、最後まであきらめず、前へ進みつづけることなのだ。

 だから作戦を忘れても構わない。

 ポケットに入れたスマホが、ホカロンのように熱を帯びている。100%充電で家を出たにもかかわらず、バッテリー残量は3%だった。約60%は神の仕業だった。

 昨夜、ふたりきりになった17歳の高校生男女のあいだになにがあったかはさておき、ちょっぴり寝不足の京介は、キンコーズの欄間看板が掲げられた雑居ビルの前に立ち、かつての一般国道15号第一京浜をうかがっていた。

 いまのところ人ひとり見かけない。まさに死んだ街のように静まり返っている。

「京介。昨晩はなぜ電話、出なかった」

 春が言った。

「なにもなかったのだ。本当に」

「ではなにかがあったのだな?」

「そうだ。なにかがあったのだ」

「ではそれを言え」

 京介は春の口を手のひらで押さえ、スマホを持った方の手でじたばた暴れる体を押さえつけた。しばらくじたばたわーわーきゃーきゃーをつづけていると、ふいにスマホを持った京介の手が春の胸に触れた。

「あっ。そこは…………」

 Qi充電がはじまった。

 ということでおもしろネタを交えつつしっかり尺を稼いだあと、京介はあらためて作戦を振り返った。

 少なくとも振り返ろうとした。

 あの作戦が作戦どおり進行しているならば、『はるいろレジデンス』ではいまごろ、女将のファンによる共同生活がスタートしているはずだ。レジデンスは現在、浦安テクノロジーによるラノベ訓練キャンプと化している。作戦は完璧だ。ほとんど覚えていないが。

 問題は、小料理屋におとずれない生徒だった。

 京介は腕時計を見ながら春に言った。

「そろそろやってくるだろう。持ち場につくのだ」

「おっ」

 春が指さした。

 男子高校生3人組が、かつての大門交差点を南に横断し、談笑しながら徒歩でやってくる。

「なぜ徒歩か」

「送迎バスに乗りそびれたのだろう。おそらく先の金杉橋バス停で乗り込むつもりだ」

 京介は指の関節をボキボキと鳴らした。

「まずはあいつらから血祭りに上げよう」

「でも、たったの3人、相手にしても」

「むしろ好都合だ。このあと繰り広げられるであろう大規模改宗作戦について、やつらを相手にセリフでわかりやすくみんなに説明できる」

 3人がじゅうぶん近づいてきたところで、京介は建物の影から変質者のように飛び出し、立ちはだかった。そしてコートの前をはだける代わりにぐいと指を突きつけ、3人に申し渡した。

「おまえらの勉強もこれまでだ!」


   ◇


 かつてひじり坂と呼ばれた手前の三叉路に、黒いBMWが停まった。運転席から出た刑法学者の木村は、雑多とした無人の街並みをある感慨をもって見まわした。4階ほどの雑居ビルが、いまにも電線に絡みつきそうなほどごちゃごちゃとひしめき合っている。あの三つ辻の角のテナント、20年前はラーメン屋だった。看板は色あせ、もちろん営業はしていない。左手には薄汚れたマンションがそびえ立っている。どの窓にも生活感がない。

 死んだ街だ。

 木村は嘆息し、眼鏡を持ち上げた。いずれはここも更地にされ、立派な校舎ヒルズが建つだろう。入学希望者は増える一方だ。東北地方からは毎年、集団就職を思わせる中学3年生の大群がやってくる。上野駅をそぞろ歩き、関東第一高校エクスプレスに乗り込み、新橋駅で降車する。広場に出るとまず、3両連節の送迎バスのあまりのかっこよさに驚愕する。興奮混じりにバスに乗り込み、環状2号線通学路の万年桜に胸を高鳴らせ、圧倒的な存在感を誇る第6校舎ヒルズを文字どおりおのぼりさんのように見上げる。在校生の案内でヒルズを見学し、こんなところで勉強できたらさぞかし楽しいだろうねなどと言い合い、すると突然陰から飛び出してきた教師にびっくり仰天する。教師はあらためて自己紹介し、それぞれの専門分野をうまいこと絡めたアカデミック・エンターテインメントを披露する。直径2メートルの回転する巨大なジャイロを指先に乗せてみたり、炭疽菌に感染したあと自ら腰椎穿刺で髄膜炎合併の有無を評価し適切な抗菌薬で治療してみたり、ペットボトルに入れたソラリスの海でかつての恋人を復元してみたり、福祉の大切さを説きエイジズム的偏見を持つ老人嫌いの中学生を厳しく論破し悔悟の涙を流させたりした。そうして教師は、楽しみながらも感心して見つめる若者の姿に、教育者としての喜びをしみじみと覚えるのだった。

 ここ関東第一高校には、希望がある。そしてわれわれは必ず、きみたちの希望を現実のものとする。

 聖坂に正面を向け、木村は思わず顔をしかめた。バカとしか形容のできない建物が目に映る。しかめた顔が、奇妙な建物のシルエットをなぞるように持ち上がる。坂を支点に雑な対数曲線を描いて上空へ展開する『小料理屋 はるいろ』改め『はるいろレジデンス』は、はるか先でほぼ水平に伸び、「階下」の日照を完全に遮っている。

「ああ、木村先生」

 振り返る。上半身裸のカイザー菅原がチャンピオンベルトを肩に乗せ、自転車を漕いでやってきた。

 やかましいブレーキ音を響かせて木村の隣に止まり、浮遊する建物を見上げ、うなった。

「あんな購買などいますぐたたき潰してくれるわ」

「いいえ。いまはレジデンスです。岸田京介に改宗させられた生徒が、集団生活を送っているのだとか。噂によればですが」

「カルトだ」

「『不勉教』というのだとか」

「あのバカ者が。これはもはや、冗談では済まされない」

「緊急学年集会で話す前に、ちょっと中をのぞいてみようと思いましてね。ご一緒にいかがですか」

「悠長ですな」

 ふたりはぶらり途中下車の風情で聖坂を下った。ただし「へえー」と感心して見上げる先には必ず不穏なラノベレジデンスがちらついた。

 カイザーが指をさし、言った。

「木村先生、あの日陰は問題でしょ?」

「動いているんですよ、『建物』自体がね。これはもはや法の問題ではない。政治の問題だ」

「旧港区域を外れることは? 湾内へはみ出したり、霞ヶ関上空を完全に覆い尽くしたり」

「わたしの知るかぎり、どこからも苦情は来ていません。都民はおおかた、われわれの仕事だと思っているのでしょう。関東第一高校の先生がまたなにかをはじめたぞ、意味はわからないが教育のためなのだろう、学研のふろくのようなものなのだろう、とね。いずれにせよ、事を荒立てるつもりはない。お上に協力を要請するとして、どう説明します? 逆に根掘り葉掘り聞かれますよ」

「あのラノベが、関東第一高校の上空にいると知れたら」

「そろそろわれわれも、岸田京介の処遇を考えなくてはなりません」

「教頭はなんと?」

「教頭は関係ない。これは教育の未来に関わる問題だ。万が一にでもラノベが復活するようなことになれば、あのゆとり時代に逆戻りだ。中学生がトーラス体の体積すら求められない、あの暗黒の時代に」

「まさかここまでおおごとになるとは思いませんでしたからな。IQ4600は伊達ではなかった、ということか」

「感心している場合ではありません。こうなれば、もう容赦はしない。ひとりの人間が大勢の人間に悪い影響を与えるのならば、ひとりの人間は排除されるべきなのだ」

「法学者とは思えない発言ですな」

「旧港区は、教育再生特別地区として、教育時間、詰め込み率、体罰の最高限度などの規制を大幅に緩和されている。学校につきものの政治的駆け引き、生徒のご機嫌取り、教師どうしのトラブル、そして教育委員会の監視と『指導』の押しつけ、そんなものとも無縁だ。教育の場は、本来そうあるべきなのだ。高校は自治を認められるべきなのだ。全国の公立学校が好き勝手にカリキュラムを押し出せば、全国の教育レベルに差がつくという意見がある。それはあり得る。もちろん市場原理を過信してはいない。『教育市場』に任せておけば、自然とあるべきところに収まるとは思わない。だが『育ち』、すなわち出自の悪さに嘆く中学生やその親にとっては、これ以上ないチャンスだ。そうでしょう? われわれは成した。これからも成すだろう。未来を変える決意をし、関東第一高校に入学しさえすれば、われわれは必ずその期待に応える。地理的に無理? 引っ越しすら決断できない親の子など、そもそも教育するだけ無駄だ」

「まさに『遺伝』の力ですな。ああ、あそこが入り口のようです」

 一見小料理屋のように見える玄関の引き戸をがらがらと開け、中へ入った。内装は小料理屋そのものだったが、夜逃げ後のように閑散としていた。

 2階へつづく階段を登る。突き当たりのドアは電磁的にロックされていた。

「菅原先生、解除できますか」

 カイザー菅原はパネルの前に立ち、プラスチックの保護カバーを片手でむしり取った。それから剥き出しの回路をしばらくためつすがめつし、「標準規格ですな」とひとりごとを言いつつ、太い指でいじり、器用にバイパスした。

 かちっという音とともに、赤い防火扉のロックが解除された。

「先生、これは」

 奥へ延々と伸びる廊下は、まるで〈通学路〉のように見えた。それも典型的な〈通学路〉だった。具体的な描写の必要もないと思わせるほどの〈通学路〉ぶりだった。〈通学路〉とだけ書けばあとはみんな勝手に想像してくれるだろうという傲慢な意識が、〈通学路〉全体に濃密に漂っている。

「通学路ですな」

 カイザーが言った。木村はうなずいた。

「おはようございます」

 そこへどこからともなく、世界的な数理生物学者にして線文字Aの解読者・岩瀬があらわれた。

「今日はいい天気ですね」

 木村はぎょっとし、唐突に隣を歩きはじめた岩瀬から飛び退いた。

「岩瀬先生。どこからあらわれたのです」

「どこって、あちらから」

 あちらと言いながらどこも指さない。混乱した表情の木村に近づき、さりげなく顔を近づけ、ささやいた。

「話を合わせてください。わたしたちは登校途中、〈通学路〉で偶然出会った。なぜなら、〈通学路〉で偶然出会い、会話を交わすのは、よくあることだからです。それ以外の具体的な描写は、ここでは命取りだ」

「妙な力場に支配されているのですか」

 岩瀬はほんのわずかに首を振った。

「とにかくついてきてください」

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