第42話 同時多発大規模改宗作戦

『小料理屋 はるいろ』は現在、関東第一高校の5分の3、約1200ヘクタールを覆い尽くすまでに成長していた。なぜ建物が成長するのか? 過去最高の売上を記録するたび、色葉は喜んだ。色葉が喜ぶと、一ツ橋氏が喜んだ。一ツ橋氏が喜ぶと、世界経済が喜んだ。とくに喜んだのは浦安の株式会社ジョン・ハチソン研究所だった。

 小料理屋の安定的成長と小料理屋の物理的成長はまったく歩調が合っていなかった。古典計算機と量子計算機の論理ゲート数くらい歩調が合っていなかった。一ツ橋氏とジョン・ハチソンが調子に乗り過ぎたのだ。増築はその場の思いつきで行われたが、決してただの「思いつき」ではなかった。アドホック工法と呼ばれる、あらかじめ工場で製作した住居ユニットと廊下ユニットを無計画に継ぎ足していく現在最先端の建築工法で、できあがりはちょうどアビタ67のような外観だった。アビタ67はアートだが、こちらは単なるおふざけだった。建材には反重力プレートのほか石炭灰とフロギストンの結合物が使用され、夏涼しく冬温かい、日本の風土にマッチした住環境を提案、しかも宙に浮いているので耐震性もバッチリなのだった。

 何事にも限度というものがあるが、『小料理屋 はるいろ』もすでに小料理屋としての限度を軽々と超えてしまっていた。規模の必然により、小料理屋は『はるいろレジデンス』として、入居者を募集する運びとなった。小料理屋のときと同様、募集は結果オーライの成り行きを見せた。関東第一高校の生徒が家族を伴い、ぞくぞくと内覧希望や入居の申し込みをしてきたのだ。日々の通学時間がどれだけ減るかを考えれば、間取りのわりに多少高くてもじゅうぶん割に合う。時は金なりと言うが、エリート高校生の時はダイヤモンドの輝きを放ちつづけている。

 女将からビルオーナーへ華麗なる転身を遂げた春と色葉は、入居にあたり条件をつけた。全室ひとり暮らし専用とし、家族との入居を断った(〈妹〉なら可)。すると生徒の両親は、自立の訓練にもってこいだなどと都合のいい解釈をし、ひとり暮らし(またはふたり暮らし)をあっさりと認めた。

 なにが行われるかも知らずに。

 ちなみに一階部分は商業用のテナントとして貸し出され、するとどこからともなくあらわれた上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲がいつの間にか収まっていた。コーヒー業界の謎は深まる一方だが、やはり一階部分にコーヒーショップがあると箔がつく。


   ◇


 京介は上島プロントベローチェドトールタリーズバックスコーヒー珈琲に仲間を集め、同時多発大規模改宗作戦の最終確認を行っていた。ちなみにいちばんよくわかっていないのも京介だった。

〈彼女〉ひとりひとりに目を向け、重々しくうなずく。

「春」

「サー」

「おまえの役割を言ってみるのだ」

「かわいいお嫁さん」

「それは将来的な話だろう」

「あたくし、トラックの運転手よ。ブ、ブ、ブルブルブルー」

「色葉。おまえの役割はなんだ」

「レジデンスの管理および人数分の〈メイド服〉の発注業務」

「人数分だ。忘れるな。アリたん」

「できるだけ多くの女子生徒を啓蒙し、〈ヒロイン〉候補生としてレジデンスに送り込むこと」

 京介は再び重々しくうなずき、カップを持ち上げ、皆の衆にロゴを向けた。

「このロゴを見るのだ。まちがった世界の象徴だ。スタバ人魚は冒頭より、もの言わず、おれに語りかけてくれていたのだ。世界はまちがっている、世界を変えるのよ、と」

〈ヒロイン〉が3人、ぐーっと顔を近づけ、ロゴを見た。スタバ人魚はいろいろとあきらめたらしく、床に布団を敷き、お客様に背中を向けてふて寝していた。

「謎の第三勢力ね」

 色葉はつづけて京介に言った。

「ところで、あなたの役割は?」

「見てのお楽しみだ」

「またはじまった。わたしたちは楽しまなくていいの。この作戦は失敗するわけにはいかない。ちゃんと言って」

「細工は流々、仕上げをごろうじろだ」

「なにをごろうじればいいのかをその口で言ってみてよ」

「世界を変えるのだ!」

 一同は解散した。


   ◇


 色葉は千代田区外神田三丁目の『秋葉原アキバ博物館』から当時のメイド服を取り寄せ、『はるいろレジデンス』第4居住区の一室で広げた。第4居住区は現在、京介が自宅として使用している。つまり色葉は男の子の部屋にふたりっきりという状況だった。ゼルコバテラス・ノースでもふたりっきりになりはしたが、広さがほぼ教室なのでふたりっきりと呼ぶにはふたりっきり感に乏しかった。部屋の間取りはちょうど8畳分、まさに典型的な高校生男子の自室が完全再現されている。もっとも"毒蛇"ランディ・オートンのサイン入りポスターが典型的と言えるならの話だが。

 黒のワンピースに、エプロン、カチューシャ、リボン。どれもが時代を感じさせるデザインだった。

「これを着れば、お客さんが全員信者になるの?」

「そうだ」

「衣服としては機能性皆無ね」

 色葉はソーダ味の棒アイスをくわえながら、パニエを持ち上げ、自らの腰に当てた。

「見れば見るほど正気とは思えない」

 京介はあずきバーに勢いよく前歯を立て、3分の1ほどをぎりぎりとねじり上げるように噛みちぎった。

「人間はそうそう変わるものではない。かつて男を虜にできたのなら、いまも虜にできるはずなのだ」

 強靱な奥歯であずきバーを咀嚼しながら、色葉の胸周辺に視線をさまよわせる。〈メイド服〉とは対照的な、だらりとしたネズミ色の部屋着を着ている。

 部屋着と同様のリラックスした調子で言った。

「今日は疲れたね。春ちゃんはいったん帰国したし、上原さんは資料の作成。明日が勝負ね。同時多発大規模改宗作戦が成功すれば、信者数は閾値を超える。そうすればあとはもう、大腸菌のように繁殖を待つだけ」

「なぜゼルコバテラス・ノースを解体したのだ。対面キッチンのよさがわかりかけてきた矢先に」

「あと何日か覚えてる?」

 色葉が唐突に言った。京介は首を振った。

「1週間よ。あと1週間で、わたしは催眠から目覚め、岸田京介、あなたの元から去ってゆく」

「本当に催眠状態なのか」

 色葉は膝を抱え、なにかを思い出すようにやや上方へ目をやり、嘆息した。微笑みをたたえ、京介を正面から見つめ、言った。

「〈彼女〉になってからの2週間は、楽しかった。そっちはどうだった?」

 楽しい、だと?

 京介は咳払いをし、答えた。

「おれは、楽しむためにここにいるのではない。世界を変えるために活動しているのだ」

「そんなこと言って、ほんとは楽しかったと思ってるんでしょ? わたしたち、いろいろやったよね。小料理屋は経営したし、刑事裁判も経験したし、浦安にも行けたし。2週間まるまる勉強していないわけだけど、その代わり、いろんな体験ができた」

「あと1週間しかないのであれば、よけいに楽しんでいる暇はない」

 色葉はアメリカ人のように両手を広げ、言った。

「気づかない? ここは港区内。港区は時間が拡張されているでしょ? ここにいれば、一日の主観時間は平均96時間になる」

「どこかで聞いた話だ」

「長く感じられるだけ、って話もあるけどね。とにかく、これでもっと、いろんなことができる。〈無駄な会話〉もたくさんできる。ほら、なにか話してよ。無内容で、知性のかけらも感じられない、役に立たない話を、一晩じゅう交わしましょうよ。わたしもいまは、〈語尾〉を使いたい気分。使いたい気分なのですにゃあ、なんちゃって。そうだ、名前を執拗にまちがえつづけるっていうのはどう? そしたらあなたは『訂正する気もとっくに失せたよ』って言うの。楽しそうじゃない?」

 一体どうしたというのだろう。京介は色葉の顔を見つめ、言われるがまま、〈無駄な会話〉を口にしかけた。だが言葉が出てこない。ただページ数を稼ぐだけの、削除してもいっこうに問題のない、あのすばらしき〈会話〉が出てこない。もう一度、色葉を見た。なにかを言わなければいけないのはわかっている。だが言えば言うほど、真実から遠ざかっていく、そんな気がするのだった。

 このままでは終わりたくない。

 色葉が腰を浮かせ、言った。

「じゃあ、もう遅いし、お夕飯にしよっか」

〈下手な料理〉を思い出し、ぶるりと体を震わせる。だが。ああ、あの料理の数々。やはり色葉の料理は最高だった。最高だったのだ。

 京介は言った。

「では、今夜はカレーをつくるのだ。楽しみだ。おまえのカレーは、天下一品だからな」

 色葉はコンビニ袋をつかみ、表情もなく京介に差し出した。

「日清焼そばU.F.O.が入ってる。お湯を沸かして勝手に食べて」

 京介に背を向け、防火扉に歩いた。

「〈料理〉は、もうつくってくれないのか」

「カップ焼きそば・イズ・マイ・ライフ。そうなんでしょ?」

 京介はコンビニ袋から日清焼そばU.F.O.を取り出し、じっとふたを見つめた。

「それはそうなのだが」

 色葉は防火扉に手をかけ、背を向けたまま言った。

「世界を変えられなくても、わたしはいいと思っている」

「なぜだ」

「もちろん最後の日まで、岸田京介、わたしはあなたについていく。そこは心配しないで。考え方のちがいよ」

「おれは世界を変えてみせる。しかもかなりかっこよく。そうすれば、おまえも」

「楽しければいい。意味などなくてもいい。それがラノベの神の教え。でしょ?」

 ノブをひねり、防火扉を開ける。京介はただ行ってほしくないという気持ちのみで、考えもせずに口を開いた。

「色葉」

「ん?」

「つかぬことをうかがってもいいか」

「なに?」

「おまえは、胸を」

 筋金入りの中年男性も驚いて振り返るほどの盛大な咳払いをし、あずきバーのかけらをカーペットに飛び散らせた。

「だいじょうぶ?」

「おまえは、胸を、特定の男に、揉まれたいと思ったことはあるか」

「ある」

「本当か」

「岸田京介。わたしはあなたに胸を揉まれたいと思っている」

 色葉はやや怒ったような表情を浮かべ、赤と青の双眸で京介を見下ろした。

 京介はさらに咳払いを追加し、言った。

「それは、催眠状態だからだろう」

「どうだろう。でもね、1週間ほど前、あなたが神と話しているのを聞いていたの。『自分の都合で〈彼女〉の胸を揉んだりはしない』って、そう叫んでいたよね。〈お約束〉に逆らい、神に逆らい、揉めば世界を変えられると知りながら」

「まちがっているからだ」

「わたしのため?」

「わからない。だが、とにかくまちがっている! だから断ったのだ」

「わたしが大事だから?」

「〈仲間〉だからだ。〈仲間〉はみな大事だ」

「春ちゃんの胸は触ってたじゃない」

「無理やり揉ませられたのだ」

「そんなの不公平よ。みな大事なら、平等に揉むべき。そうじゃない?」

 京介はもぞもぞとすわり直し、つま先がメッシュ状になった靴下を見下ろし、言った。

「本当に、いいのか」

「うん」

「揉み方が下手かもしれない」

「わからないと思うよ。わたしもはじめてだから。あ、その前に、お風呂に入ってもいい? 見てよ、汗でべとべと。今日も忙しかったから」

 色葉は振り返り、軽やかに京介のもとへ戻った。すとんと正面にすわり、ネズミ色の上着を無造作に脱ぎはじめた。

 インナーからのぞくブラ紐が目に入り、京介はあわてて顔をあさってに向け、もう何度目かわからない咳払いをしたあと、ぶっきらぼうに言った。

「風呂場を使うのは構わない。だがシャンプーが」

「シャンプーがどうかしたの?」

 再び意に反し、盛大な咳払いが飛び出した。なぜだろう、先ほどから咳払いが止まらない!

「シャンプーは、メリットしかないのだが!」

「メリットでいいよ。逆に、なぜメリットじゃダメなの?」

「洗顔料はビオレなのだが!」

「日本人ならビオレだよ。なぜビオレじゃダメなの?」

 京介はうつむいた。

「なんでもない」

「じゃあ、ちょっと待っててね。メリットとビオレで日本人らしくさっぱりしてくるから。そのあとで、今夜はふたりきりで」

 防火扉が重々しい音を立てて閉じ、京介はひとり居住区に取り残された。

 色葉がバスルームに姿を消したとたん、立てつづけにスマホが震えた。電話の主は順に次のとおりだった。春、上原アリシャ、神、ガブリエル、京介の父親、増上寺の住職、2代将軍徳川秀忠の霊、ちぃばすの運転手、保健の先生、新橋メンへらクリニック院長、前港区長の武井、そして締めはなんと、ゼルコバテラス設計者にして日本を代表する建築家・安藤忠雄大先生からだった。

 用件は全員同じだった。

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