第39話 『小料理屋 はるいろ』誕生秘話

 春ちゃん色葉ちゃんがその細腕で切り盛りする『小料理屋 はるいろ』は、関東第一高校の敷地内、港区三田四丁目のかつてひじり坂と呼ばれた急な坂に突如開店した。

 なぜ小料理屋なのか? そしてなぜ、他人に供するだけで犯罪となり得る〈下手な料理〉をわざわざ高校生に食わせるのか?

 神は言われた。

「岸田京介。おまえは〈料理〉を食べ、胸の奥に灯る暖かさに気づいた。そしてその暖かさを燃料に、自分でも気づかないまま、〈寒々しい返し〉を何度も口にした。驚いただろう。これこそがラノベにおける〈下手な料理〉の真実だ。ラノベの正体なのだ。ゆえに〈ヒロイン〉のこしらえた〈下手な料理〉の高校生に食べさせれば、ラノベ化は必至というわけだ」

 そのためには〈購買〉として、ファージのように敵の懐に潜り込み、構内で小料理屋を開店する必要がある。だがそのようなバカな真似を高校が許すはずもない。


   ◇


 その日の夜、色葉は代々木屋敷の父の書斎に顔を出した。

「お父様」

 一ツ橋氏は帳簿から顔を上げ、鵞ペンをガラスのペン立てに起き、老眼鏡を外して言った。

「どうした、色葉。また四国でも欲しくなったのか」

「四国はひとつきりですわ、お父様」

「まあ、ふつうならな」

 色葉は計画の詳細を告げ、淑女らしく礼儀をわきまえておねだりした。

 その夜、一ツ橋氏は愛するひとり娘のため、国土交通省土地・建設産業局長の村田と都内某所でおいしい夕食を食べた。村田はあくまで私見だがと前置きしたうえでこう述べた。事業を名目に件の土地を召し上げるのは難しいだろう。そもそも港区の土地所有権はグレーであり、港区がいまも区として存在しているのか、区が区全体を高校という公共施設として所有しているのか、逆に関東第一高校が港区全体を乗っ取っているのか、だれにも定かではないのだ。

 貸し切りのびっくりドンキーでチーズバーグディッシュ600gを食べながら、局長は付け加えた。

「20年来の教育ブームですからねえ。超高度経済成長は関東第一高校の超高度教育のおかげ、って、国民みんなが思っています。事実はどうあれ、あの高校と対立するのは、立場を危うくしますよ。いかにあなたでもね」

「だが娘は、旧港区に小料理屋を開きたいんだ。言うまでもなく、金の心配はいらない」

「金の問題じゃないんですよねえ」

「わかっている。ハンバーグの問題だろう」

 村田は意味ありげな視線を向けながら椀を持ち上げ、みそ汁を飲んだ。

「では、全国に334店舗を展開する世界最強のハンバーグレストラン、びっくりドンキーのすべてを、あんたに差し上げよう。これで特製ブレンドのチーズの秘密はあんただけのものだ」

「たしかに、このチーズの謎を知ることができたなら、ぼくの将来は約束されたようなものだ」

「そうだろう」

「小料理屋ねえ。ん? もしかしてそれ、〈お約束〉かな。いや、ちがうな。ふつうであれば〈喫茶店〉、もしくは〈ケーキ屋さん〉だ。近年では〈居酒屋〉もしくは〈食堂〉。小料理屋は聞いたことがない。バリエーションだろうか? そういう話がかつてあっただろうか」

 一ツ橋氏は口を挟まず、村田の発言に注意深く耳を傾けていた。

 村田はハンバーグから顔を上げ、言った。

「現在、世界に立ち向かっている〈主人公〉は、なんという高校2年生男子ですか」

「岸田京介くんだ」

「いい名前だ」

「そうか? ふつうの名前だと思うが」

「それに、いい目をしている」

「会ったことがあるのか」

「ハンバーグは好きなのですか?」

「関係があるのか」

「関係ありますよ。一ツ橋さん、あなたが思っている以上にね」

 一ツ橋氏は頭を振った。

「とにかく、現在の寡占状態はまちがっている。いずれ関東第一高校は、デビアスのようになってしまうぞ。『教育は永遠の輝き』というやつだ。日本の教育だけではない。優秀な人材を政・財・官に送り出すことにより、日本がひとつの高校の意のままになる。やつら教師が、日本を支配する日が必ずやってくる。考えたことはあるだろう」

「あそこの教師の給料、安いって聞いていますよ」

「そもそもなぜ、区をまるまる高校にできるんだ。あんたら国土交通省も、一枚噛んでいたんじゃないのか」

 村田は驚いたように言った。

「覚えていないんですか」

「当時は渋谷区の買収でなにかと忙しかったんだ。情報は寸断され、NHKの集金人を追い払うので手一杯だった。教えてくれ。どういう経緯で関東第一高校は誕生したのか」

「わたしの口からは申し上げられません。とくに一ツ橋さん、あなたにはね。国防の問題にも関わるし」

「やつらの狙いはなんだ」

「狙いって、教育、じゃないですか」

「バカな。使命に燃えた高校教師など聞いたことがない。絶対に裏がある。日本国の実効的支配だ。それ以外には考えられない」

「教師はね、教育者として人の役に立ちたい、そういう志を持って教師になるものです」

「そのあと現実を知るんだろう」

「ええ。そして知らぬ間に、組織という怪物に押しつぶされる。でも、だからといって、当時の心意気まで嘘だったとは、だれにも言えないでしょう? みんな教師を誤解している。政治ともっとも縁遠いはずの教育者が、文部科学省、都道府県および市町村教育委員会、そして学校という縦割り組織に組み込まれたとたん、わけのわからない『政治』を求められるようになる。教育の本質は強制だ。自らが信じる正義を、殴りつけてでも教え込む。師弟関係とは、つまるところそういうことでしょう? そこへ登場したのが、関東第一高校です。革命ですよ。まさに革命だ。教育の政治からの独立により、戦後からつづく日本の教育問題というあくたから這い出した。全国の教育者はみな喝采している。モデルケースとして世界じゅうが注目している」

「だがまちがっている」

「どうまちがっているというんです?」

「たとえばだ。そもそもなぜ、これほどの成果を上げられたんだ」

「優秀な教師ばかりですから」

「なぜ校舎はすべてヒルズなんだ」

「最高の教育には、最高の施設。だからですよ」

「校舎ヒルズの建設は現在、どこが請け負っているんだ」

「森ビルさんでしょ。ヒルズといえば森ビル。旧港区の代表的地場産業だ」

「それはおかしい。森ビルは、足立区に本社を移転したじゃないか。社長も替わった」

「『移転』ね」

「やはりあんたらは、知っているんだな。関東第一高校の秘密を」

 村田は答える代わりにハンバーグを食べた。まるで区画整理のように、弧を描くはしっこを箸で直線に切り取り、召し上げるように口へ入れた。職業病だ。

「とにかく、関東第一高校には、だれも手出しできません。出そうとも思わない。そうでしょう? 仮に裏があるとしても、たとえば世界征服をもくろんでいるとか、悪の帝国を築くとか、そんなことを考えているのだとしても、〈大人〉は手出しできない。高校2年生男子に任せるしかないんです」

「〈大人〉にもやれることがあるはずだ」

「だれも望んでいませんよ。それにお嬢さんは〈メイン〉でしょう? あなたが表立って活躍すれば、お嬢さんの将来を潰すことになる。つまり、一般文芸化だ」

「それは困る」

「困るでしょう。イラストがなければ魅力も半減だ。文字だけでどうやって〈ヒロイン〉に萌えればいいんです?」

 村田は指を立て、カリーバーグディッシュ600gを追加注文した。ハンバーグ狂いの後頭部を見ながら、一ツ橋氏はふとひらめいた。

「そうだ。いいジャーナリストを知っている。フリードリヒというドイツ人で、マル経の共産主義者だ。若く、熱意に満ちた、弱者の味方だ」

「くれぐれも無理はされないように」

「もちろん無理はしない。無理をするのはフリードリヒだ」

「なるほどね」

 一ツ橋氏は小指をくわえ、ふいっと指笛を吹いた。あまりに複雑な経緯を経るため詳細は省くが、これでフリードリヒは祖国ドイツを離れ、日本でお笑い芸人として活動するかたわら、関東第一高校の闇に勝手に鋭く切り込んでくれるはずだった。そして本を出版するはずだった。

 致死量を超える塩分とカロリーを誇るカリーバーグディッシュが運ばれてきた。一ツ橋氏は店員の胸ポケットに白紙の小切手を入れ、ビッグボーイの大俵ハンバーグを注文した。とくに意味はなく、強いて言えば嫌がらせだった。

 村田がまるで空腹時のようにバーグに取りかかりながら言った。

「そうそう、建物といえば、おもしろい技術がありましてね」

「どのような技術だ」

「浦安公国のジョン・ハチソン研究所はご存じですか」

 一ツ橋氏はうなずいた。

「その技術というのが反重力プレートなんですが、これ、みんなが考えているより興味深いんですよ」

「どう興味深いんだ」

「建物って、不動産でしょ」

「そうだ」

「民法86条1項には、こうあります。『土地及びその定着物は、不動産とする。』とね。つまり、土地にくっついていなければ、不動産とは見なされないということです」

 一ツ橋氏は反論しかけ、はたと気づいた。

「そういうことか」

「ええ。宙に浮いた『動産』なら、ノートや教科書と同じだ。迷惑度はキャリーケース以上ですがね。お嬢さんの所有にして、小料理屋ごと構内を定期的に回遊させれば、だれも文句は言えない。まさか罰金を払えだなんてバカなことは言い出さないでしょう。あとは空き地でも、道路でも、ヒルズ上空でも、お好きなところで営業すればいい」

「飲食店営業の届け出に、道路占用許可も必要だろう」

「まあ、ふつうの区ならね」

「そうか。すべてにおいて、グレーな土地所有権を逆手に取れるわけだ」

「ええ。向こうが営業に文句をつけてきたら、話を聞くまでです。自ら手の内を明かすような真似はしないでしょうがね」

「さっそく反重力プレートを発注しよう」

「びっくりドンキーの件、お願いしますよ」

 ふたりはしばらく、もくもくとハンバーグを食べた。

「本当はあんたら官僚も、関東第一高校をよくは思っていないんだろう。文科省の連中はとくにだ」

「どうでしょうね。勉強は、絶対に必要だと思いますよ。ただまあ、なんと言いますか、個人的には、最近の世の移り変わりの激しさは、ついていけないとも思っています。もう少し、ゆとりがあってもいいんじゃないかとね」

「お互い老人だからな。新しいことが苦手なんだ」

 村田はぽつりと言った。

「ハンバーグは、いいものです。昔を思い出す」

「〈青春〉か」

「ええ」

「わたしは若いころは、社交そっちのけでロボットものにどっぷりだったよ。サブヒロインに恋をし、大学ノートに下手くそなイラストを描いては、ありとあらゆる妄想にふけっていた。無駄以外のなにものでもなかったが、とにかく楽しかった」

「ぼくは高校球児でした。甲子園にも行ったんですよ。補欠の一塁コーチャーでしたがね」

「ほう」

「でもいまは、あのころのことはほとんど覚えていません」

「わたしもだ」

「現在の優秀な若者たちを見ると、たまに思います。ぼくの、ぼくら世代の高校生活は、あれでよかったのか、とね。野球やロボットものなどにうつつを抜かさず、ひたすら勉強していれば、いまよりももっといい人生を歩めたのか」

「だれにもわからないだろう」

「過ぎてしまったことだ。過ぎてしまったことですよ」

 一ツ橋氏は立ち上がり、村田に礼を言った。

「小料理屋が開店したら、ぜひ娘のハンバーグを食べに来てくれ」

 村田は穏やかに笑い、頭を振って言った。

「〈下手な料理〉は、もう卒業しました」


   ◇


 ちなみにそのころ四国地方では、四国にうりふたつの第2四国が第1四国の南の海上にアトランティスのような不穏さで浮上していた。土佐湾は内海となり、四国とその周辺の歴史に適切な改変が加えられ、事実上八国になった。

 賢明な読者諸君ならばおわかりだろう。愛するひとり娘の気持ちが変わらないとも限らないのだ。「やっぱり四国がもうひとつ欲しい」と言われたら? 「お父様、四国がもうひとつ増えたら、八国176箇所巡りってわけよね」と言われたら? そんなときに四国が四国のままだったら、娘はさぞがっかりするだろう。だからやった。

 それほどまでに愛しているのだった。

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