第36話 それでも京介はやってない(やってるけど)

 見事ラノベの自炊に成功した京介は、データをEPUBに変換し、KDPに登録し、税に関するアンケートに答えたあと、Kindle本としてアップロードし、他人の著作物で満を持して電子書籍デビューを果たした。

〈下手な料理〉ってなに?

 はじめは印税率70%に目がくらみ、250円で販売を開始したが、まったく売れなかった。電子書籍あるあるを身をもって体験した京介は、分をわきまえ99円に値下げした。それでも売れなかった。無料キャンペーンを3日間ぶっつづけで行ってみたが、やはり1冊も売れなかった。

 そもそもアマゾンで売る必要はなかったのだが。

〈下手な料理〉ってなに?

 ひと足はやく日本に帰国した上原アリシャは、五反田のスパムビルへ向かい、23時半にもかかわらずC階で元気に仕事をつづけるスパムプログラマー・山野辺に相談を持ちかけた。山野辺は夜景の見えるレストランでの食事を交換条件に、電子書籍化したラノベを関東第一高校の生徒全員のメールアドレス宛に送信した。ただ配布するだけでは芸がないので、謎の未亡人からあなたの口座に5000万円のお小遣いが振り込まれている旨のメッセージを添えた。

 色葉は財力をフル活用し、本当にお小遣いを振り込んだ。やがて噂は野火のように広がるだろう。賢い関東第一高校の生徒とはいえ、金には勝てない。金は正義。金は選択肢。金ですべてが買えるのだ! 5000万円あれば、どれだけのテキストをそろえられることだろう? さあ、添付ファイルを開くのだ! さらなる知識と自分自身の向上のために!

 春はとくになにもしなかった。強いて言えば、夏服を一式買いそろえた。

 これでいい。1冊も売れないのはアマゾンの陰謀なのだと自らに言い聞かせながら、京介は色葉とともに京葉線の最終電車で浦安を出国し、東京駅の長々とした通路を歩き、山手線に乗り込んだ。

〈下手な料理〉ってなによ?


   ◇


 そして現在、京介は山手線の車両内で、腕時計の針を日本時間に戻そうと四苦八苦していた。

「浦安との時差は9時間。でしょ?」

 色葉が京介の腕時計をのぞき込みながら言った。

「とにかく9時間進めればいいのよ。いま浦安はサマータイム中だから」

「針を進めればいいのはわかっている。時差が9時間あるのも不問に付そう。だがなぜ、冬では時差が10時間になるのだ」

「そういうものなんだってば」

 わざわざ時間のかかる山手線に乗ったのは、京介なりに考えがあってのことだった。どうでもいいサマータイムについてしつこく食い下がっているのも、やはり考えがあってのことだった。

〈ループ〉で損ねた機嫌を直さなければ。

 色葉は一見、平然としていた。あまりにも平然としすぎていた。はじめは〈ループ〉のせいで覚えていないのかもしれないと思ったのだが、貼りついたような笑顔と慇懃な話しぶりに考えをあらためざるを得なかった。叫んだり殴ったり後方まわし蹴りしたりするよりよっぽど恐ろしかった。

 本来ラノベの〈ヒロイン〉は、このような複雑な感情は持ち合わせていないはず。

 だいいち描写できないし。

 だが。

 これがおれたちのラノベなのだ。

〈下手な料理〉ってなんなの?

 色葉は強硬手段に出た。京介の腕ごと時計を持ち上げ、竜頭と呼ばれるつまみをぐりぐりとまわし、無理やり針を日本時間に戻した。

「これでよし」

 ああ。会話のネタが。

「最寄り駅に着くまであと8分か。今日はなんだか疲れたね。理由はよくわからないけど」

 京介は時計を見た。日本は0時を過ぎていた。車両内はまさに0時過ぎの山手線の様相だった。

 45秒ほど会話がなかったので、京介はとにかく口を開いた。

「ところで、〈下手な料理〉とは一体なんなのだ」

「わたしにわかるわけないでしょ」

「つくるのは〈ヒロイン〉なのだそうだ」

「〈下手な料理〉を?」

「それを〈主人公〉が食べるのだそうだ」

「ふうん」

 色葉は赤と青の双眸を斜め上に持ち上げ、思案げな表情で固まった。

「〈下手な料理〉、ね」

「世界を変えるいいアイデアが思いついたのか」

「べつに」

 そうだ。京介は気づいた。この気まずすぎる状況を打破するチャンス。

 大きく咳払いしたあと、言った。

「おれは、料理を食べたいと、思っている、いるのだが!」

「神の教えだからでしょ」

「そうではない。おまえの料理を食べたいのだ。心から」

「言っておくけどわたし、料理は得意だからね」

「下手でなくてもいい。おいしい料理でも構わないのだ」

「それだと神の意に反するんじゃない?」

「なんでもいい。あれはただの大塚明夫だ」

「じゃあ、今度?」

「ちなみにどんな料理が得意なのだ」

「いろいろあるんだけど、たとえばね」

 色葉はぽつぽつと語りはじめた。

 京介は「へーえすごいじゃん」「えっマジでそれつくれんの?」「鉄人じゃね?」などと大げさに驚きつつ、とにかく気持ちよく語らせようと努めた。駅を2つ通過したころになると、色葉は得意げに得意料理を並べていた。やがて古今東西の代表料理がもれなく並び、いくらなんでも得意すぎじゃね?と思ったのだがここで下手に反論すれば元の不機嫌色葉ちゃんに逆戻りだ。

 喜ばしくも主観的時間がみるみる加速する。

 そのとき。

「この人ラノベです!」

 突然手首をつかまれた。


   ◇


 京介は見下ろした。

 身長155センチほどの中学生と思しき女子が、ぐいと顎を上げ、京介をにらみつけていた。

「わたしに無理やりラノベを見せつけたでしょ?」

「なんのことだ」

「14歳の未成年女子に卑猥な表紙を見せ、嫌がる様子を楽しんでいたでしょ?」

「なんのことだ」

「リュックに入っている! 隠すの見たんだから!」

 色葉は京介のリュックをつかみかけたが、中学生のほうが速かった。リュックの蓋をぺろりと開け、中に手を突っ込んだ。

「やめるのだ」

「ほら、ラノベ! この人、ラノベを持っています!」

 得意げに車内に振りかざす。その表紙はラノベ以外のなにものでもなかった。弛緩した表情を浮かべた〈ヒロイン〉が大量の肌色をおっ広げ、犯してくださいと言わんばかりのポーズを取っている。

 すると京介の背後に立っていた30台半ばほどの屈強なサラリーマンがまるでラノベ犯罪を予期していたかのようにくるりと振り向き、京介の右腕を取り、背中側にねじり上げた。流れるようなプロの動作だった。

「いいコンビね」

 色葉が平然と言った。

 すでに静かだった深夜の山手線車両内が、別の意味で静まり返った。乗客数名はめいめいのスマホをにらみつけ、小学生由来のバリアーを張り巡らせてお近づきを拒否している。屈強な男性が女子中学生に「訴えますか?」とたずねた。女子中学生は一瞬なんのことかわからないといった表情で見上げたあと、あわてた様子でうなずいた。

「次の駅で降りましょう。もちろんおまえもだぞ、このクソラノベ野郎」

 京介もうなずいた。

 色葉はやれやれと肩をすくめ、中学生女子の前に立ち、目線の高さまで腰を落とし、話しかけた。

「わたしは一ツ橋色葉。一ツ橋の名前は、聞いたことがあるよね?」

 中学生女子は驚きの顔で見上げ、言った。

「あ、あります。あの、資産家の」

「そう、資産家なの。すごいよね。資産を、たくさん持っている家、ってこと。そして世の中、お金があればなんでもできる。中学生のあなたにもわかることよね?」

「あの」

「被害者のわりには言動がはっきりしすぎじゃない? あなた、もしかして」

 中学生はハッとし、そのあと思い出したように目に涙を浮かべた。俳優志望かなにかだろうか。

「怖かった。あんなことされて、わたし」

「なに言ってるの? あなた、痴漢犯罪とかんちがいしてない?」

 中学生は右目だけ涙を引っ込め、言った。

「えっ?」

「児童ラノベに係る行為等の規制及び処罰に関する法律、通称『児童ラノベ法』はね、ラノベの所持または提供した者を処罰するための法律なの。女子中学生に表紙を見せること自体はなんの罪にも問われない」

「で、でも、あんな卑猥な表紙を見せつけられて、気分が悪くなりました」

「それはあなたの勝手よ。さっきのラノベは、あなたがリュックに入れたのよね?」

「いたいけな女子中学生が嘘をつくとでも言うのか?」

 色葉は屈強な男性に振り向き、言った。

「サラリーマンが、こんな深夜になにをしているんです?」

 1.5秒ほど間を開けてから答えた。

「の、飲み会の帰りだ。新人の歓迎会で、盛り上がって、それで」

「サラリーマンをよく知らないみたいですね。飲み会のあと深夜の山手線に乗ったサラリーマンは、乗降口付近で膝を抱えてうずくまるか、大の字に寝転がっていなければならないのよ。ネクタイを頭に巻き、寿司折りを利き手にぶら下げながらね」

「ネ、ネクタイは、これから巻こうとしたんだ!」

 やはり。

「とにかく、下手な真似をしたら許さないからね。あなた、奥さんはいる? 子供は? そして『いたいけな中学生』が、こんな深夜になにをやっているんだろうね?」

 京介は形勢逆転の一部始終を他人事のように眺めながら、脳内で色葉のラノベ検定を行っていた。

 3点。

 ラノベ感ゼロ。

 電車が減速した。人もまばらな深夜の代々木色葉駅にすべり込む。色葉は呆然と立ち尽くす京介の手を取り、自称サラリーマンの男性を目で牽制したあと、女子中学生に話しかけた。

「だれの指図かは知らないけど、法曹界の人事はお父様が牛耳っているの」

「わかりました」

「思いのままなのよ。有罪も、無罪も、刑罰の種類すらも」

 ふと言葉を止め、眉間に軽くしわを寄せ、左側に目を泳がせた。

 泳がせた目を戻したあと、京介の脇腹をつついて言った。

「ねえ」

 呆然顔の京介がゆっくりと見下ろした。

「ねえねえ」

「なんだ」

「やっぱり有罪よ」

「なぜだ」

「捕まるべきよ」

「なぜだ」

「法の裁きを受けるべきよ」

「なぜだ」

 電車が代々木色葉駅に停止した。色葉は片手に京介、片手に女子中学生をつかみ、2人を引き連れ、駅構内をそぞろ歩く。駅員を見つけ、話しかけた。

 事情を聞いた駅員の顔がみるみるこわばった。

 児童ラノベ!

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