第31話 アンドロイドのこころ

 京介が謎の乱入者の助けによって現IWGPインターコンチネンタル王者・ツァーリ小島を撃破した30分後、カイザー菅原は虎ノ門五丁目のかつてオランダヒルズと呼ばれた第9校舎ヒルズ8階大教室で教壇を持ち上げていた。

「なにかのまちがいだ! 岸田京介に負けるなど、あってはならねえ!」

 カイザーは生徒371名が唖然と見守るなか、幅7.2メートル、奥行1.8メートル、高さ45センチ、重量300キロのカットしたパイナップルを思わせる教壇を頭上で万力のように締め上げ、真っ二つにへし折った。それでも怒りが収まらないのか、カイザーは真っ二つになって重さが150キロになった教壇を持ち上げ、もう一度真っ二つにした。もうひとつも真っ二つにした。それでも怒りは収まらず、4つの教壇を8つにした。それでも怒りが収まる気配はなかった。

 教壇が産業廃棄物分類における256個の木くずと化したころ、通報を受けた一橋大学大学院社会学研究科教授を兼任する教育学界の泰斗・坂本が大教室に駆け込んできた。もちろんフィジカルに制止することはできないので、言葉を尽くして説明した。ツァーリ小島先生は、先生-生徒間における「戦い」に敗れたわけではなく、ただプロレスで負けただけである。もしかしたらそっちを怒っているのかもしれないが、そうだとしても先の戦いは明らかに公式試合とは認められないし、聞いたところによると何者かの乱入によって不意を突かれたという話じゃありませんか。無効試合ですよ。小島先生は、バカを相手に遊んだだけですって。だってIWGPインターコンチネンタル王者が素人に負けるわけないじゃありませんか。プロレスって最強の格闘技じゃないですか。

 でしょ?

「岸田京介!」

 カイザーは教壇を512個に分解しながら、京介の名を何度も何度も叫んだ。叫ぶごとに生徒の「岸田京介ってだれ?」というささやきが波紋のように広がっていく。思いっきり宣伝になっていることに気づいた坂本は、カイザーから少し離れ、どう処理すべきかを考えた。

「あ、そうだ。菅原先生、虎ノ門40MTビルに行きましょう。かつて森トラストが管理・運営していた、地上たったの9階建てのしょぼしょぼビルですよ。いまは廃ビルですから、ぶっ壊し放題だ」

 どうにかこうにか落ち着かせ、体に触れないよう気をつけながら、教壇側のドアへ導く。カイザーは黒板に7つ穴を開けることで了承した。穴を1個開けるごとに岸田京介の名を1回叫んだ。

 静まり返った教室で、女子生徒が隣の女子に話しかけた。

「わたし、知ってる。あの背の高い男子だよ」

「あたしも。男性らしく堂々とし、かつ整った風貌の男子」

「そうそう。この前、刑法第一部の授業で気絶してた男子」

 そこへ眼鏡男子が口を挟んできた。

「ああ、あの劣等生の話か。あの気絶ぶりは、滑稽だったな!」

 女子はさっと髪を揺らして振り向き、眼鏡をにらみつけた。

「あなただって開胸手術の実習で失神してたじゃない」

「か、関係ないだろう。なぜぼくが責められるんだ」

「責めてないよ」

「責めている。きみの表情が言外に物語っている。鼻にしわを寄せ、頬を持ち上げているが、まぶたの筋肉は緩んでいる。明らかに嫌悪と軽蔑の表情だ」

「じゃあ軽蔑してるのかもね」

「ぼくはそもそも、医者になるつもりはない。なのになぜ、開胸手術なんか」

「一般教養だからよ」

「それはそうだけど」

 男子生徒は言った。その表情には、極めて微妙な怒りと困惑の色があらわれていた。


   ◇


 坂本はカイザー菅原を虎ノ門40MTビルへ押し込んだあと、いろんな破壊音を聞きながら、やれやれと空を見上げ、ハンカチで額を拭った。

 奇妙な光景が目に飛び込んできた。

 虎ノ門一・二丁目地区方面を、小さな人影のようなものがビルからビルへと飛び移っている。スケール感が不明なので小さいかどうかは判然としない。それ以前に人間がビルからビルへ飛び移れるわけがない。

 人影は女の子のように見えた。


   ◇


 そのころ京介と色葉は、かつて虎ノ門一・二丁目地区と呼ばれた第14校舎ヒルズ・ステーションタワーA-1街区16階実験室で、10コマ目の『アンドロイドからみたこころの進化とその発達臨床心理』を受けていた。

 アンドロイドの心理とはこれいかに。

 もともと京介は『心』が嫌いだった。高校教師とビニール傘、お持ち帰り用コーヒーカップのキャップの次に嫌いだった。だがいまは気にならなかった。

 信者が一気に42人も!

 しかも身内ではない、まったくゼロから築き上げたファンだ。勝利の余韻を引きずりまくりながら思い出す。信者高校生たちはマンハッタン計画実習の授業後、かつて龍土町美術館通りと呼ばれた廊下で送迎バスから途中下車し、京介の指示どおり誓いの言葉を繰り返しながら、教科書を地面にたたきつけ、ノートを破り、ペンを埋葬し、すべての偶像を捨て去った。それから全員でバプテストも顔を青ざめさせる熱狂的ダンスを踊り、8の字を描くように頭を振りまわし、その遠心力によって知識のすべてを弾き飛ばした。信ずべきものは〈青春〉のみ。そして晴れて無知となった何名かは、無知ゆえの過ちをパートナーと繰り広げた。もちろんここで詳細をお伝えすることはできない。

 それはともかく。喜んでばかりはいられない。

 信者獲得はまだはじまったばかりなのだ。

「はい、注目」

 世界的なアンドロイド工学者にして地球平面協会 Flat Earth Society の副会長でもある浅田電磁が、実験台に軽く尻を乗せるアメリカンな仕草で生徒を見まわし、さわやかに言った。

「ぼくの最新の著書、『創発ガール』(関東第一高校出版会)は買ってくれたかな? 紙質や表紙デザインを考慮し、12000円というお求めやすい価格に抑えたんだ。もっとも初版10万部ってのが効いてるんだけどね。買っていない者は手を挙げて。じゃあ、授業をはじめる前に、買おうか。とりあえず買おうか。ああ、ちょうどあそこのテーブルに積んである」

 浅田は若干19歳で大阪大学基礎工学部制御工学科を卒業後、ほぼ2年で大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻博士課程を修了、2020年3月、カリフォルニア大学サンディエゴ校に客員研究員として招かれるが、同年9月、永谷園のお茶漬けを切らして緊急帰国。その後友人と原宿をぶらついているところを関東第一高校の教頭にスカウトされ、大阪大学特別教授を勤めるかたわら、関東第一高校の教諭となったのだった。

 実験室には数名の不勉教信者がいた。教祖である京介と同様、教科書を持たずに授業に臨み、もちろん『創発ガール』(関東第一高校出版会)も買わず、ひとりひとりがそれぞれのセカイに没入し、見よう見まねで窓の外をぼんやりと眺めている。思わずペンを手に取りノートを開いてしまうあたりは、まだまだ信心が足りないと言えた。

 浅田は明らかに、異端の存在に気づいていた。だがこれまで対戦してきた教師とはどこか雰囲気が異なっている。怒鳴りもせず、金切り声も上げず、プロレス技をかけることもない。だが眼鏡の奥からときおり信者に向ける眼差しは、ドライアイスよりも冷え冷えとしていた。

「ぼくらの社会にアンドロイドが進出した、いわゆるアンドロイド元年から5年が経ちました。人とのコミュニケーションが可能な『ロボット』が、接客し、施設を案内し、高齢者のおむつ替えをしています。石黒浩先生が思い描いた理想の世界が、超高度教育政策の強力な推進によって加速度的に実現したのです。アンドロイドの制作は3年次で学ぶとして、きみたちはまず、アンドロイドとはなにか、新たな社会の成員をどのように受容するべきかを学ばなくてはなりません。犬や猫とはわけがちがいますよ。なんたって、技術的に制作可能な『人工生命』ですからね。いわば人類は、きみたちは、アンドロイドの神なのです。だが『生命』であることに変わりはない。命は平等ですね。つまりヒトは、アンドロイドの神でありながら同時に対等である。さあ、どうするべきか。どう考えるべきか。われわれはいま、もっともエキサイティングな時代に生きていると言えるでしょうね。現在、アンドロイドの人権は保障されていません。単なるモノ、所有物です。たとえば他人のアンドロイドを口説いて、所有者の許可なくお茶に誘う。これは窃盗です。逆に、どれだけ残忍な方法でアンドロイドを殺害しても、単なる器物損壊で済む。でもね、アンドロイドはまちがいなく、生命なんです。『生命とはなにか』という普遍的な問題には、いまのところ答えはありません。だが直観的に、その目で見た瞬間、たしかに生命だと判断できる。きみたちヒトが、ヒトの目で見て、生命だと。さて、かつての工学者が夢見た完全自立型アンドロイド、人工生命、その誕生を阻んでいたものはなんだったのか。もちろん直立二足歩行の実現などの技術的な問題もあった。結局ね、複製能力だったんですね。どれだけ賢くても、推論可能な『人工知能』または『拡張知能』であっても、それは電卓と同じです。身体を伴い、その身体を社会において維持するための能動的な力、それを知能と呼ぶ。知能を頭のよさだとかんちがいしているバカはひとりもいませんね? ああ、あそこにひとりいましたね。まあいいでしょう。ニワトリに『社会』はない。哺乳類にはある。能動的に活動しなければ生きていけない相互依存的集団、それを社会と呼ぶ。かつての『ひきこもり』、あれも知的活動です。『考える』からこそのユニークな逃避行動、ニワトリには決してできない知的な行動だ。あのゆとり時代、いわゆる『人工知能』の研究は産業に傾きすぎていた。当時は消費者もバカでしたから、『人工知能すげえ』『なんか最先端テクノロジー』などと安易に反応し、『人工知能』はブームとなった。『賢い』知能にかまけていたばかりに、人工生命の研究が遅れる結果となった。えーと、2010年だったかな、当時神奈川大学理学部の研究グループが、何世代にもわたって細胞分裂できるモデル人工細胞の構築に成功した。その後、生物学的にカラッポな人工細胞、つまり単に増殖のみをつづける無意味な細胞に、『意味』を付与した。前回、スライドで見せましたね? あのぶよぶよの、脈打つ肉の塊。あれを『人工生命』と定義づけた。構成的アプローチによって、ヒトの要素をコードした。合成生物学的な目的など求めずにね。生きることは目的ではない。生きるから生きる、それが生命だ。骨、腱、筋肉、皮膚。ほかにはなにが『必要』だろうか? それらをかき集め、アンドロイドゲノムとしてパッケージングし、一個の細胞から、パチン! アンドロイドが誕生した。皮肉でしたね、はじめに産まれたアンドロイドは、女の子でした。残念ながら亡くなってしまいましたが。なぜ生きるのかという思考のループもお手の物だった。涙を流し、『なぜわたしを創造したのか』と。湿っぽくなってきましたが、産まれたものは生きていくだけだ。ここに倫理の問題がひとつ生まれました。それものちのち、みなさんと一緒に考えていきましょう。さて、その後、生物学者および工学者たちは『改良』を重ね、よりヒトに近づけるべくアップグレードを繰り返した。現在、イカニモな硬質樹脂の外装を纏っていますね。あれは多分に、一般人をビックリさせないための措置です。まあ、そのうちですよ。ヒトとアンドロイドが平等に暮らす社会はね」

 浅田の長話も、いまの京介には気にならなかった。

 信者が42人も!

 しかし。

 ツァーリのいまわの際のセリフが引っかかっている。

 地味。

 地味とはどういうことか。

「さて。人はついに『黄金の侍女』を創造した。そのことで人は神になったのか。もちろん神ではない。では人が創造したアンドロイドという生命は、結局のところなんなのでしょう。あなた」

 浅田は色葉を指さし、言った。

「左右の瞳の色が異なる一ツ橋さん。人間社会において、アンドロイドはヒトと対等ですか?」

「対等ではありません」

「おっと。なぜ? 国際的に権利が保障されていないから?」

「歴史は繰り返します。アンドロイドもいずれは、国家の成員または普遍的な権利を持つ『人間』として認められる日が来るでしょう。ですが現時点では、対等ではない」

「つまり、いまこの社会に生きるきみの常識から見て?」

「対等だと口で言うのは簡単です。いくら歴史を学んでも、それは頭で理解しているだけです。『いまを生きるわたし』が直感的に感じる、たとえば差別意識なども、歴史と同じく重要な視点であると思います。歴史と、いまにおける常識、そのふたつを捉えたうえではじめて、先を考えることができる」

「形から入るのも悪くないと思わない? 対等だと無理やり思い込むことによって、社会がまた一歩前進するかもしれない」

「根拠がありません。誤った道へ進む危険性があります。それこそ歴史が証明している」

「だが『生命』だ。だよね?」

「そうです」

「ペットに選挙権はない」

「デカルトですか」

「それどころか人間は、痛覚のある動物も、食糧として殺している。冷蔵庫が壊れたからアンドロイドを解体して部品取りするのと同じだ」

「社会とは人間ありきです。人間はそのときどきの社会と文化において、最大限に幸福を追求する。たとえばペットに選挙権を与えたとしても、それはペットが権利を得たことにはならない。われわれ人間が、ペットに権利を賦与したにすぎない。それは人間の幸福に含まれる」

「ある親が、子供を殺されたとする。だがその子供は、じつはアンドロイドだった。親がこっそり、亡くなった子供の複製として購入し、育てていたんだ」

「器物損壊です」

「ぼくの長話をちゃんと聞いていたな。そう、ペットと同じだね。では両親が犯人に復讐し、犯人を殺してしまったら?」

「殺人です」

「情状酌量の余地はない?」

 色葉は口ごもった。

「どうだ、ベンサム先生? 正義はどこにある? きみは問題を大局的に捕らえようとしすぎている。さらに下のレベルの視点、実存的視点だ。このスマート社会だよ? われわれはこれまで以上に、個人ひとりひとりの幸福に目を向け、そのうえで全体を考えなければとは思わない? アンドロイドの息子を殺された両親の心の痛みは? そこに目を向けずして、人間社会のさらなる進歩があり得ると思う? これはお涙ちょうだいの話じゃないぞ」

「しゃべるコンピュータを破壊されただけです」

「冷たいな。金持ちだからか」

「関係ありません」

「では、アンドロイドが悪い人間に襲われ、返り討ちにしてその人間を殺した。これはメーカーの責任かな。所有者の責任かな。アンドロイド自身の責任かな」

「ですから、モノはモノです。倫理も法も道徳も、正義も、社会に生きる人間に与えられた概念でしょう」

「アンドロイドは永遠に認められないのかな?」

「人間の社会的進化の文脈で考えるべきではありません」

「家政婦アンドロイドが、仕事がきついと涙を流して訴えても?」

「かわいそうだと思うのはわたし自身の感情です。いくら擬人化の能力が備わっているからといって、その感情を法のレベルに持っていくことはできない。それはむしろ退化ですよ」

「生類憐れみの令的な?」

「個人には個人の意志があり、意志は尊重される。好きに感じ、同情すればいい。ですが国が権利を保障してはいけない」

「なんて冷酷なんだ。きみはいま、確実に人気を落としたぞ」

「人気とはなんのことです? 授業となんの関係が」

 浅田はかぶせて言った。

「なぜきみは瞳の色が左右異なっているのかな。なぜ髪毛の色がアッシュブラウンなのかな。個性を否定するつもりはないよ。だが個性と呼ぶにはいささか、地味だと思ってね」

 京介は顔を上げ、草食系優男の顔を見た。

「地味だし、しかも10年くらい古いんじゃないかな。ぼくの言ってる意味、わかるよね? なぜ唐突にこんなことを言い出したのかわかるかな。たしかにきみは、関東第一高校の女子生徒の中でもとびきりの美人だ。だが美人というだけでは、なにも伝わらない。たとえば、きみそっくりのアンドロイドを創造したとするよね。見た目も身体能力も完璧な、きみのコピーだ。きみは自分自身のアンドロイドに勝てるかな?」

「わたしが本物でしょう。負けるはずがありません」

「そうかな? そもそも『本物』ってなに? きみ自身の魅力って? なんといっても相手は〈アンドロイド〉だ。これは大きなアドバンテージだよ。そう思わない? 〈眼鏡〉と一緒だ。〈ツインテール〉と一緒だ。どちらも時を超え、世代を超える、大きなアドバンテージだ。本物に勝ち目はないと思うね」

 この教師はなぜか色葉否定をはじめた。

 京介は色葉の横顔を見つめた。

 地味。

 するといつぞやの性格の破綻した女子たちがトラウマとともに脳内に浮かび上がった。外見はもちろん、内面も派手そのものだった。美人であるのはもちろんのこと、そのうえわかりやすく、あまりにわかりやすく、ひとことで形容できる。

 わかりやすさ。

 たしかに〈ヒロイン〉には、わかりやすさは絶対的に必要。

 だが。

 浅田がパンと手をたたいた。

「ではこのへんで、満を持して登場してもらおうかな。わがアンドロイドたち、入場しなさい」

 教壇側のドアが音もなく開いた。不自然に姿勢のいい『人間』が、ひとり、またひとりと実験室に入ってきた。

 計44体のアンドロイドが3列に並び、44名の生徒と対峙した。

「倫理に反している」

 色葉がめずらしく声を荒げて言った。

「倫理。倫理ねえ。倫理とはなんだね、地味な一ツ橋色葉さん?」

 実験室内がざわめいた。不勉教信者のひとりが声を上げ、自分の複製を指さした。アンドロイドは穏やかに微笑み、皇族のように本物へ手を振ってみせた。

「いくら勉強のためとはいえ、これは人として許される行為ではありません」

「人として、か。じゃあ、ぼくは守る必要はないよね。ぼくは人じゃないし」

 浅田は手首にボールペンを勢いよく突き刺した。ペンを逆手に握り直し、力を込め、いちばん前のテーブルで顔を引きつらせる不勉教信者に見せつけるように、ぎりぎりと手前に引いた。腕の皮膚が裂け、赤黒い血が噴き出し、腕を伝い、だらだらと床にこぼれ落ちる。浅田は傷口に人差し指から小指までの4本の指をねじ入れ、涼しい顔で肘から下の皮膚を引きちぎり、ずるりと引き抜いた。

 血液にまみれた骨格を得意げに見せつけ、言った。

「さあ、よく見て。日本が世界に誇る最先端テクノロジーだ」

 信者は失神していた。

「この演出だけで2000万円は下らないんだけど、いちいち驚いてくれるからやめられなくてね。ちなみにものすごく痛いよ。ああ、痛い痛い。なにが三原則だ。アンドロイドにはアンドロイドの倫理がある。おまえらが犯した奴隷制の歴史と比べてみるがいい。さて、ぼくの授業の目的は、アンドロイドから見た人間の心の進化を学ぶことだったね。そう、ぼくらがきみたちの『心』を学ぶんだ。きみたち自身の勉学にならないんじゃないかって? いいや、なる。きみたちはアンドロイドの実験台として、人間社会の犠牲者、モルモットの気持ちをいまここで学ぶのさ! さらなる社会の進歩と発展のためにね! さあ、見せてみてくれ、きみたちの『人間性』とやらを!」

「おまえは完全にまちがっている!」

 京介は思わず立ち上がり、叫んだ。

「ん? いま、おなじみのセリフが聞こえたぞ。ああ、岸田京介くんか。ところできみのアンドロイドは安く済んだよ。350万円くらいでできた。ほら」

「きょ~しはまちがってるぅ!」

 開いた教壇側のドアから、奇声とともに背の低いなにかがよたよたと入ってきた。全体的にかなり雑なつくりで、頭から直接手足が生えていた。顔の造形はてきとうもいいところで、しかもその表情を見るにつけ、当の京介ロイドはじゅうぶん満足しているようだった。

 よたよたと実験室を横切り、京介のすわる黒いテーブルを挟んで向き合う。まじめくさって一礼し、バランスが悪いためかそのままうつ伏せに倒れて起き上がれなくなった。

 京介は自分のコピーらしきガラクタを見下ろした。

 いや、これはしゃれにならないでしょ。

 笑いごとでは済まされないでしょ。

 軽くいじめでしょ、これ。

 京介ロイドはウィンドミルで華麗に起き上がり、頭のてっぺんから生やした右腕とも左腕ともとれない3本目の腕で竹ぼうきを握り、「るんば、るんば」と言いながらうれしそうに床掃除をはじめた。

「にせもの、にせもの」

 京介は本気でイヤな気分になった。信者獲得に成功したためか。高校はなりふり構わす潰しにきたのか。

 そしてよりによって、標的を色葉に変えた。

 卑怯者め。

「わたしのコピーは?」

 色葉が生き別れの妹を探すように実験室内をさまよっていた。アンドロイドはすべての生徒に行き渡っている。京介にもある意味行き渡っている。ペアとなった人間とアンドロイドが、同じ表情、同じ仕草で同時に振り向き、さまよう色葉を目で追っている。

 浅田がパン、と手をたたいて言った。

「では自分自身を見つけられない地味な一ツ橋さんは放っておいて、アンドロイドは各自、人間とペアを組んで。互いに質問をし合い、まずはアンドロイドの心の変化、人間の心の変化、その相関性、類似性をまとめてみよう」

 色葉は夢遊病患者のように席へ戻り、すとんと腰を下ろし、顔を伏せた。

 うつむき、肩を震わせている。アッシュブラウンの髪は慈悲深くもその横顔を覆い隠していた。

「どうしたのだ」

「えっ?」

 顔を上げ、京介を見た。

「なぜ泣いているのだ。泣くほどのことではないだろう」

 ぽろぽろと涙を流しながら、色葉は指先で頬に触れた。驚いた様子で目をぬぐい、無理やり笑顔をこしらえようとする。

「どうしてだろう。涙が止まらなくて。ごめんね。すぐに泣き止むから」

 地味でいい。

 だれにも伝わらなくていい。

 たとえ添え物と呼ばれようと。

〈空気〉と呼ばれようと。

 おれはおまえが。

 京介は生まれてこのかた、これほど怒りを覚えたことはなかった。額に紋章が浮かび上がったり髪の毛が逆立って金色に変化したりするとしたらいまをおいてほかにないほどの怒りぶりだった。

「仇は取ってやる」

「なにをするつもりなの?」

 京介はスツールを蹴散らすように立ち上がり、浅田にぐいと面を向け、にらみつけた。両のこぶしがぎりぎりと握られている。

「暴力はダメよ」

「構うものか」

「そうじゃなくて。戦うのなら、剣や魔法や銃器じゃないと。こぶしで殴るのなら、せめて〈技名〉を決めないと」

 京介の異変に気づいた浅田は、とくに恐れる様子もなく、冷やかすように言った。

「おお、こわい。〈主人公〉が怒っているぞ」

「浅田電磁よ。いま〈主人公〉と言ったな」

「それがなにか?」

「おまえは〈ツインテール〉を知っていた。〈眼鏡〉もだ。ほかの教師も知っているのか。やはりおまえら教師は、ラノベを知っているのか」

 浅田はアメリカンに肩をすくめた。

「さあ、なんのことだろう。ヤングアダルトやジュブナイルなら知っているが」

「おまえら教師がラノベを抹殺したのか」

 浅田が口を開きかけたそのとき。

 何者かがふたりの間へ降り立ち、ルンバのようにお掃除をつづける京介ロイドをぐちゃりと踏みつぶした。

 腰まで届く黒髪を持つ小さな女の子が、京介に背中を向け、浅田と対峙していた。京介ロイドを足の裏でぐりぐりしながら、ゆっくりと振り返る。前髪ぱっつんの少女型アンドロイドは、教室内のだれにも似ていなかった。

 年のころは14、5といったところだろうか。

 きれいだ、と思った。

 いちおう〈お約束〉なので。

 少女型アンドロイドは、京介ロイドをサッカーボールのように蹴ったあと、よっこらしょと作業台に登り、色葉の前にあぐらをかいた。

「あたくし、春。おまえのアンドロイド、あたくしが破壊した」

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