第28話 無駄な会話についての無駄な会話 ペアレンツ法

 京介はかつて表参道ヒルズと呼ばれた渋谷区神宮前四丁目跡地に突如そびえ立ったゼルコバテラス・ノース36階のリビングダイニング中央に仁王立ちしていた。

 正確に言うと、住んでいた。

 全面ガラス張りのシャワールームでイカした圧の水流を顔面にブチ当てたあと、全裸にバスローブを羽織り、深緑色のスリッパをつっかけ、ワイングラスを手に、一面ガラス張りの窓辺に寄り、都内の夜景を見下ろした。静かにグラスを傾け、とくに思うこともないのだが物思いに耽った。

 コーヒー牛乳のおかわりを求め、キッチンカウンターへ向かう。雪印コーヒーをグラスに注ぎ、馥郁たる香りを嗅ぐ。

 カウンターにラノベが置かれている。

 ラノベの隣にスマホがうつ伏せで寝そべっている。

 京介はラノベを手に取り、めくった。カラーページのイラストをしばらく眺め、プロローグの1行目に目を通したあと、ぱらぱらと繰り、閉じた。ああおもしろかった。つづいてスマホを手に取り、慣れない操作で電話をかけた。

 相手はもちろん〈彼女〉だ。

 用件は『アパート』の定義について。

 そうではないのだ、と。

「なぜ? 『ワンルームのアパート』って言ったじゃない」

「ルームが広すぎる。なぜ個人の住居が、ちょっとした教室よりも広々としているのだ」

「でも、憧れの対面キッチンよ」

「憧れの対面キッチンは必要ない。なぜならおれは奥様ではないからだ」

「アンダーアチーバー京介として、これから世界に君臨するんでしょ? はるか高みから人間どもを見下ろし、『まるで虫けらのようだ』と」

「そういう君臨はしない」

「神は戒律で高級レジデンスを禁止してるの?」

「いや」

「ならいいよね。寝室の使い心地はどう?」

「どの寝室だ」

「なーんてね。ちょっとアメリカンジョークすぎたかな。ちなみにリビングダイニングとキッチン、洋室2つとベッドルーム3つはすべて磨りガラスで仕切られているだけの地つづきだから、ワンルームの呼称でまちがいないの。寝室の内装、確かめに行きたいな」

「それもアメリカンジョークなのだな」

「みんなのピンときていない顔が思い浮かぶようね! 野暮を承知で説明すると、男子の家にやってきた女の子が『寝室を見たいな』と言うのは、つまりその気があるってことなのね。そういうアメリカ表現なの。でも実際に使うのはよしたほうがいいと思う。かなり恥ずかしい思いをするから」

「いまのは経験談か」

 色葉は満足げなため息をつき、言った。

「わたし、同級生とこんなにたくさん無駄な会話をしたの、生まれてはじめて」

「おれもだ」

「もっと話しましょうよ。通話料は国が負担するから」

「血税を使ってなにを話す」

「じゃあ、好きな色は? わたしは」

 京介は男の中の男という意味での無駄な会話の中の無駄な会話を遮った。

「それは〈無駄な会話〉ではない。本当に無駄な会話だ」

「無駄な会話に対し『それは〈無駄な会話〉ではない。本当に無駄な会話だ』と答えるのはそれ自体が無駄な会話よね。そしてそれ自体は〈無駄な会話〉に含まれるのかな?」

「無駄だが〈無駄〉ではないと思われる」

「だったらなにを話せばいいの? なにをもって〈無駄な会話〉とするんだろう」

 京介は脳に力を込め、神の教えを思い出そうとした。

「〈無駄な会話〉とは、ページ数を稼ぐために行われるものだ。どうでもいい会話、省略しても構わない会話を延々とつづけるのだ」

「すでにそうなってるよね」

「足りない。足りないのだ、質・量ともに。神の求める〈無駄な会話〉は、こんなものではないのだ」

「そういえば今日、うちの衛星が偶然捉えたんだけど。アベニュー沿いのタリーズバックスコーヒーで女性と偶然ばったり出会ってたよね。だれなの?」

「〈ヒロイン〉のひとりだ」

「ふうん」

「嫉妬したか」

「まあね」

「本当か」

「現在絶賛催眠中だから。あなたがほかの女性と話しているのを目にしただけで八重歯を剥き出しにして周囲に星を飛び散らせながら病的に叫びたくなる。『京介はわたしのものよっ!』なんて」

「そうだ。奪い合いをするのだ。明日から」

「奪い合いをされるほどの男だと思ってるんだ」

「思っていないが、そういうものなのだ」

「わたしもその〈ヒロイン〉?」

「もちろんおまえも〈ヒロイン〉だ。しかも〈メイン〉の」

「〈メイン〉の〈ヒロイン〉って、なにをどうすればいいの?」

「通常であれば、おれに対し、理不尽に暴力を振るう。とくにこれといった理由もなく、日常的におれを殴ったり蹴ったりするのだ」

「そういうのはちょっと、イヤかな」

 至極もっともだと京介はうなずいた。

「では偽善的な物言いだ。おれがあと一撃で教師を打ち負かすなどの状況下において、目に涙を浮かべながら命の尊さを切々と語るのだ」

「命って平等じゃないのよ」

「そういうことを素で言ってはいけない。みんなに嫌われてしまう」

「みんなって?」

「みんなはみんなだ。みんなはいまも、おれたちの一挙手一投足を観察している。だが集中力は長くはつづかない。しょっちゅう目を離してはスマホをいじる、移り気な方々だ」

「なんだかよくわからないね」

「とにかくおれたちは、みんなの興味を引きつづけなければならないのだ」

「だから暴力を振るったり涙を流したり、理由はともあれ派手な行動を取るのね。なるほど」

「わかってきたか」

「打倒関東第一高校を粛々と進めてはいけない。あっという間に終わってしまうから」

「そういうことだ」

「そして〈無駄な会話〉を交えつつ、そのラノベとやらを、長々だらだらとつづける」

「そうだ」

「催眠の期限は3週間なんだけど」

 あっ、と京介は口走った。

「ではギリギリまで〈無駄な会話〉で引き延ばし、きっかり3週間後に世界を変える」

「なぜあえて縛りを課すの?」

「しかもかなりかっこよく変える」

「そうすればわたしが本気であなたを好きになるかもしれないから?」

「本当に催眠中なのか」

「わたしが好きなの?」

「来たな。そしてその答えは、こうだ。え?」

「わたしが好きなの?」

「なんだって?」

「わたしが好きなの?」

「え? なんだって?」

「何度でも繰り返すよ。わたしが好き?」

「よし。だいぶページ数を稼いだようだ」

「耳が悪いの? それとも頭が悪いの?」

「そろそろ電話を切ったほうがいい。みんなの怒声が聞こえてくるようなのだ」

「じゃあ、また明日ね」

「また明日だ」

「一緒にラノベっぽく、和気藹々と登校しようね。屋上のヘリポートで待ってて。ヘリはなにがいい?」

「ティーガーを頼む」

「わかった。無駄に武器を積んでくるね」

「ああ」

 スマホをカウンターに置く。「ああ」という先ほどのなれなれしい返答が蘇り、体じゅうにさぶいぼを立てた。

 一ツ橋色葉は催眠状態なのだ。本当に好きなわけではないのだ。

 明日は教師をひとりかふたり、かっこよく抹殺してみようか。

 そうすれば。

 スマホが震えた。

「京介か。お父さんです」

「なんだクソ親父」

 父親は5秒ほど沈黙したあと、言った。

「その言葉遣いはなんだ」

「神は言われた。高校2年生の父親は、生きていてはいけないのだ、と。もしどうしても生きていてほしいのならば、せめてクソ親父でなければならない、と。大手製薬会社の主任研究員ではなく、ギャンブル狂いのヤクザ者でなければならないのだ。おれは親父に生きていてほしい」

「〈お約束〉か」

「そうだ」

「わかった。いや、なにも言うな。おまえの言いたいことは、よくわかっている。わかっていたんだ、ずっとな。おれだけじゃない。数は少ないが、おまえの味方は都内にもいる。ひとりではここまで来られなかったんだぞ、このバカ息子」

「うるせえクソ親父」

 親子は親密に笑い合った。

「京介」

「なんだクソ親父」

「それはもういい。手短に話すぞ。長電話は危険だからな。母さんが連れていかれたよ。感情的な母親の処罰及び口やかましさの規制等に関する法律、通称『ペアレンツ法』が執行されたんだ」




   感情的な母親の処罰及び口やかましさの規制等に関する法律


第一章 総則


(目的)

第一条  この法律は、感情的な母親が平穏かつ健全な高校生活を著しく害し、及び担任をいじめることによる快感がこの種の母親を助長するとともに、これを用いた教育活動への干渉が健全な経済活動に重大な悪影響を与えることにかんがみ、感情的に行われた理不尽な要求等の行為に対する処罰を強化し、(中略)母親の没収及び追徴の特例等について定めることを目的とする。


(定義)

第二条  この法律において「ペアレンツ」とは、共同の目的を有する多数人の感情的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。


(後略)




「と、いうことなんだ」

 京介は聞いていなかった。ごく自然に、右の耳から左の耳へと受け流していた。

「要約してくれ」

「つまり、高校は同法の施行により、長年の宿敵だった生徒の母親を特別公務員として逮捕・拘留できるようになったんだ」

「はじめからそれだけを言えばいいのだ」

「気をつけろ。関東第一高校は、おまえが考えているような戦い方はしない。たとえば正々堂々の殴り合いや、技名を叫び合いながらのスタイリッシュな異能バトルなどだ。いくらおまえがしようとしても、相手は分別のある〈大人〉だからな。まずはどうにかして、多数の生徒を味方につけ、こちらのフィールドに引きずり込むんだ」

「わかっている」

「じゃあな。父さんはだいじょうぶだ。もちろん母さんもだいじょうぶだ。殺しても死なないことは、おれがいちばんよくわかっているからな。久しぶりに独身生活をエンジョイするよ。あれ、この惣菜、チンしてもいいのかな。わからないな。とにかく、おまえもヒルズ族になったからって羽目を外すなよ」

 みたび電話が鳴った。今度は神からだった。

「スマホの具合はどうだ、わがしもべよ」

「もはやこれなしでは生きていけそうにない」

「〈お約束〉は実践しているか」

「常に」

「よし。では明日から布教活動を開始する。明日の朝は、はやめに家を出ろ。そして登校する高校生たちを待ち構え、わが『不勉教』の教えを説いてまわるのだ」

「不勉教とはなんだ」

「名前があったほうが便利だろう。さあ、元気よく登校し、世界を変えるのだ」

「神よ、ひとつ頼みがある」

「なんだ」

「『キッチンじゃ負けたことないんだ』と言ってみてくれ」

「おまえもしつこいやつだな。おれは大塚某ではない。二度と言うな」

「では『オセロット!』とだけ」

 神はガチャ切りした。

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