第27話 ドコモが消えた日

 京介はゆっくりと電話ボックスを出た。信じられない思いで両の手のひらを見つめる。

 体じゅうに正体不明のパワーがみなぎっている。

「これが、〈お約束〉………………………………………………………………」

「そうです。それが、神の〈お約束〉です」

 イラン人が京介を見上げ、うなずいた。順番待ちをしていたらしい。

「これで、あなたも、立派なラノベだ。それはそうと、いい〈3点リーダー〉ですね。すぐに使いこなせるとは、筋がいいようだ」

 京介はうなずき返した。

「ありがとう」

「世界を変えるのですよ、岸田京介。ラノベを取り戻すのです」

「取り戻そう。必ず……………………………………………………………っ!」

「あまり使いすぎないでね」

 イラン人はボックスに入った。


   ◇


 ボックスから少し離れたところでなおも手のひらを見つめていると、夜風が甘い香りを運び、京介の鼻先をかすめた。

 5メートルほど先の歩道に、色葉がうつむきがちに立っていた。

「なぜここがわかったのだ」

 色葉は人差し指を立て、夜空を指した。

「星にたずねたの」

「そうなのか」

「ええ。静止軌道上のね」

 京介は駆け寄り、手を取って言った。

「聞いてくれ。今日、おれは神の声を聞いた。神が語りかけてきたのだ」

「前日の日経平均株価は?」

「日経平均とはなんだ」

「頭は正気のようね」

「信じてくれるか」

「もちろん。神はなんて?」

「汝、スマホを持て、と。さっそくおれにスマホを用意するのだ」

「なんならゴーグル型にする? イヤピース型とか」

「そういう未来ガジェットはいらない。ふつうのでいいのだ」

「キャリアは?」

「どこでもいいが、ではドコモで頼む」

「わかった」

 ふいっ、という指笛が、深夜の8番街にこだました。

 それからふたりはどちらからともなく歩き出し、やがて散歩になった。言葉はない。ふたりで歩く、それだけで満足だった。ふたりは無人の公園を見た。あっちの公園は日々賑わっているのに、なぜここの公園は浮浪者の溜まり場になっているのだろう。ふたりは街の景観を損ねる電線類を見た。地中化すれば景観が改善され歩道も確保できるうえ地域の活性化にもつながるのにね。道路に背を向けて建っているヘンなかたちの建物を見上げた。道路拡幅のための一部用地買収によって有効活用しにくい建物になってしまったんだなあ。道路と街を一体的につくり替えていったほうがコスト的にも負担が少なくスマートな都市環境を地域住民に与えられるのにね。

 だが今宵、都市計画の話題はいらない。

 そのころ日本国内では、NTTドコモおよびドコモ系MVNOの回線すべてが通信不可となっていた。何者かによって強奪された周波数は総務省によって近々オークションにかけられ、代々木屋敷の一ツ橋氏がすべて落札する運びとなっていた。電波監理審議会委員5名は孫の代までかけても食べ切れないであろう山吹色のお菓子を手に、嬉々として総務大臣に答申した。一ツ橋家ご令嬢の彼氏である岸田京介が「ドコモがほしい」と言ったのであれば、当然ドコモは差し上げるべきである。なぜなら差し上げなければご令嬢はたいへんガッカリし、ご令嬢がガッカリすると一ツ橋氏もガッカリし、一ツ橋氏がガッカリすると世界経済が混沌に陥るからである。

 ドコモが消えた夜空を見上げ、京介は言った。

「おれは家を出た。自ら勘当させられたのだ。帰るところはない」

「ではさっそく、わが代々木屋敷へ」

 色葉は京介の腕を取り、絡め、甘えるような表情で見上げた。

「『京介フォン』(愛称:京ぽん)の受け渡しをしたいの。両親はキツネ狩りの視察で、先ほど本場イギリスに出かけた。まあわたしがけしかけたんだけどね。とにかくこれで1週間は戻ってこないでしょう。招待をお受けいただけますか?」

 あまりの愛おしさに京介は思わずうなずきかけ、ハッとわれにかえり、振り払うようにかぶりを振った。そして実際に色葉の腕を振り払った。

「いや、ダメだ。おれは神と約束したのだ」

「なんの約束?」

「〈お約束〉だ」

「なんのお約束?」

「〈お約束〉は〈お約束〉だ! おれは常に〈お約束〉に従わなければならない」

「なんの話かわからないけど、とりあえず住むところは必要でしょ?」

「代々木屋敷に住むことはできない。なぜかわかるか? 〈両親〉が『出かけた』のであれば、いつかは必ず戻ってくるからだ。面倒だから『まあいいか』と途中からなかったことにすれば、だれかが指摘する。必ず指摘する。『海外行きっぱなしかよ』と。ああ、だが、それも〈お約束〉のひとつなのか。それでこそなのか。わからない。使徒となったばかりのおれにはわからない。とにかく、おれの住むところへは、〈両親〉が戻ってきてはまずいのだ」

「それが〈お約束〉?」

「神は言われた。『いっそ死んだことにしろ』と」

「さっぱりわからないんだけど」

「とにかく、おれはひとり暮らしを開始する。アパートを用立てるのだ!」

「イエッサー」

 色葉は不機嫌に言った。

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