第2章

そして青春《ラノベ》は動き出す

第23話 一ツ橋色葉とのさまざまな出会い

 翌朝。

 掛け布団越しに不審な重みを感じ、京介はゆっくりと目を開いた。

 重みは股間を中心に、優しく柔らかく広がっている。決して重くはない。圧迫感もない。金縛りでもない。病的な下腹部の痛みでもない。むしろ軽い。冬に重ね掛けしたお布団のような心地よい重みだった。そのまま布団越しに抱き締めたくなるような重みだった。

 だが。不審であることに変わりはない。

「おお、岸田京介!」

 重みは突然、芝居がかった口調で声を張り上げた。

「あなたはなぜお寝坊なの?」

 京介は反応しなかった。

 ちがうか、と重みはつぶやいた。そいうんじゃないか。

 軽く咳払いをしたあと、重みは言った。

「起きなさーい! お・き・な・さーい!」

 ぱしぱしと京介をたたきはじめる。痛みはなく、やはり冬に重ね掛けしたお布団のように心地よい打撃だった。もっとやってほしいくらいだった。

「もう! お兄ちゃんったら!」

 あ、お兄ちゃんじゃないか。

 血縁関係じゃないか。

 妹じゃないか。

 京介は満を持して頭を持ち上げ、叫んだ。

「おまえはだれだ!」

 両目が重みの正体を見たその瞬間。掛け布団が顔面にまとわりつき、京介の視界を遮った。布団越しに足の裏のようなもので顔面をぐりぐりされる。

 ああ。

 もっと。

「ということで、ごめんなさい、ちょっと出直してきます」

 ふいっ、という指笛が聞こえ、重みが消えた。

 次の瞬間、窓ガラスが砕け散る音が聞こえた。

「突入! 行け! 行け! 行け!」

「せま苦しい6畳間、クリア!」

「勉強の形跡がない机、クリア!」

「センスのかけらもない洋服ばかりの収納、クリア!」

 明らかに土足で、布団の周囲を歩きまわっている。どこから疑問をぶつけるべきかを考える間もなく、掛け布団を引っぺがされ、ふたりの男に脇の下をつかまれ、無理やり起こされ、壁際に押しつけられた。

「お嬢様、〈主人公〉を確保しました」

「ご苦労様」

 女の子の声に、京介は振り向こうとした。

 力強い手で強引に正面を向かされる。

「悪いけど、なかったことにして」

「わかりました。おい、そこの一兵卒、例のカクテルを持ってこい」

 3秒後、左の二の腕にかなり太い注射器が突き刺さった。

 岩山を思わせる迷彩服にベストを着けた兵士が、注射器を引き抜いたあと耳元で言った。

「なかったことにするんだ。いいな?」

 京介はうなずいた。

「撤収!」

 畳をどたどたと踏みつけながら、数人の兵士が窓へ向かう。急激に意識が遠のくなか、女の子がアッシュブラウンの髪を揺らしてのぞき込んできた。にこっと笑い、「ばいばい」と手を振った。笑顔がかすんでいく。

 そしてなかったことになった。


   ◇


 翌朝。

 京介はなにごともなく目を覚まし、きっちり布団を畳んだあと、なぜか靴跡だらけの部屋を出て、1階へ降りた。

 キッチンでは、父がすでにテーブルに着き、新聞を広げ、コーヒーを飲んでいた。母は流しに立ち、その背中のオーラのみで朝の食卓を実効的に支配していた。ここ2週間ばかり、「朝はベーグル」というマイブームを大航海時代のイギリスばりに押しつけている。

 京介は言葉にできない違和感を抱えながら、テーブルに着いた。マイブームとして押しつけられたベーグルを手に取る。ヤマザキ春のパンまつりを思わせる白い大皿には、塩胡椒が振られた目玉焼きに、レタスとキュウリのベーコンサラダが添えられている。

 ベーグルをかじり、もちもちの食感を受け入れる。まずくはない。決してまずくはない。

 だが。

「おれはシャウエッセンが食べたい」

 京介が言うと、父親がおびえたように皿から目を上げ、細かく頭を振った。

「行動心理学者を敵にまわすな。だまっておいしくいただくんだ」

「学者である以前に母親だ」

「そして栄養士でもある。これがどういうことかわかるか?」

 母がテーブルに着いたので、父はあわててコーヒーを飲んだ。馥郁たる香り、といった満足げな表情を浮かべ、朝食に取りかかる。信じたくないものを無理やり信じさせられているような表情だった。

 一家4人がそろったところで、満を持して朝食の儀を開始した。

「色葉ちゃん、どう? 『朝ベーグル』は、日本の朝食におけるスタンダードになり得るとは思わない?」

「アリだと思います」

 京介は右手を見た。

 深い緑色のブレザーをぴたりと身につけ、白いスクールシャツに赤いリボンを胸元に踊らせる女の子が、顔を伏せたままもくもくとサラダを食べている。表情をうかがい知ることはできないが、髪色はまちがいなくアッシュブラウンだった。

「おまえはだれだ」

 女の子はフォークをぴたりと止めた。

 父親が左手から言った。

「どうした、京介。寝ぼけてるのか」

「そうだ。おれは寝ぼけている。だから、こいつがだれなのかを説明してくれ」

 正面の母親が言った。

「あんた、なに言ってるの。3歳のときからの〈幼馴染み〉を忘れちゃったのかい? そこまでバカになってしまったのかい?」

 京介は右手に視線を戻した。

「もしかして、おまえは」

 言い終えるよりはやく、女の子はさっと顔を上げた。

 赤と青の双眸で京介を見据える。

「やっぱり、こういう出会い方は地味だよね」

「地味以前の問題だ。おれに幼馴染みの同級生はいない。おれの人生の一部を勝手に修正するのはまちがっている。そしてこれは『出会い』ではない。厳密には」

「出直してきます。では」

 小指をくわえ、ふいっと吹いた。

「突入! 行け! 行け! 行け!」

 庭に通じる大窓が内側に向かってたわみ、破裂音とともに爆発した。キッチンに立ちこめる白煙の奥から次々と、岩山を思わせる迷彩服にベストを着けた兵士がアサルトライフルを構えて侵入してきた。

「せま苦しいキッチン、クリア!」

「10年前の冷蔵庫、クリア!」

「不揃いで安物の食器ばかりの食器棚、クリア!」

「シャウエッセンを確保! シャウエッセンを確保!」

「よし。やれ」

 一家3人の頸動脈にかなり太い注射器が突き刺さった。

「なかったことにするんだ。いいな?」

 薄れ行く意識のなか、なぜかフライパンから立ちのぼるシャウエッセンの芳醇な香りが京介の鼻腔をくすぐった。


   ◇


 翌朝。

 京介はなにごともなく目を覚まし、布団を畳み、めずらしくシャウエッセンメインの朝食を満足のうちに終え、身支度もそこそこに、手ぶらで玄関を出た。

 どん☆

 死角から飛び出してきたなにかにぶつかり、京介はわずかによろめいた。そのなにかはビル解体用の鉄球とは真逆の、ふわりとした柔らかさと軽さ、そして甘やかな香りを兼ね備えていた。弾き飛ばされたのはむしろふわふわ玉のほうだった。

「いったあ~」

 京介は足元を見下ろした。女の子がおでこをさすりながら、内股で地面にへたり込んでいる。デフォルトでさえ短いスカートの裾がはだけ、太ももが規定以上に露出し、暗色のスカートとのコントラストによりさらに白くまぶしく激しく光り輝いていた。

 京介は3秒ほど太ももを凝視したあと、はだけたブレザーからやはり激しく光り輝くスクールシャツの白とリボンの赤、そして規定以上に大きな胸の膨らみに5秒ほど目を奪われた。

 校則違反だ。

 女の子が赤い右目をぱちりと開け、見上げた。

「やっぱ古いかな」

「おまえは一ツ橋い」

 言い終える前に、京介の脳が内側から炸裂した。うつ伏せでどうと倒れる。脊椎のあたりにかなり太いなにかが突き刺さっているような感触があった。

 女の子は立ち上がり、背を向け、手を後ろに組み、首をかしげながら、往年のチャップリンを思わせるムーブで立ち去った。

 古いか。

 30年ほど古いか。

 ちがうんだよね。そうじゃないんだ。

 もっといい出会い方があるはずなんだよねー。

 女の子のつぶやきが遠のいていく。

「いいかげんにしろ」

 京介は不機嫌に失神した。


   ◇


 翌朝。

 なぜか体じゅうに注射跡をこしらえた京介は、とにかく家を出た。

 薬物でひたひたになった脳みそは、もう限界だと京介に語りかけた。無意識下からの要請を受け、自分でもよくわからないまま、角を曲がるたびに立ち止まり、さっとサイドステップし、なぜか必ず衝突しようと待ち構える柔らかな何者かを回避した。向こうも学習したのか、ときに同じ方向へステップした。ときにどん☆とぶつかったが、京介は大きく腕を広げ、柔らかな何者かをしっかと受け止め、決して転ばせることはしなかった。

 何者かは食パンをくわえはじめた。その意図はよくわからない。

 やがて曲がり角に平穏がおとずれた。代わりに何者かは、空から降ってくるようになった。ちょうど京介の進行方向に、スカートを風にはためかせ、ネックレスを効果的に浮き上がらせ、アッシュブラウンの毛先を繊細になびかせ、目を閉じ、仰向けでふわふわと降りてくるのだった。

 やはり食パンをくわえていた。

 空から落ちるのに慣れていないせいか、はじめのうちは単なる自由落下だった。べちゃっとアスファルトにつぶれては、起き上がり、制服の乱れを直し、指笛を吹き、Mi-24ハインドに回収され、はしごに捕まりながら、片手を顔の前に立てて「ごめん、もう1回」と謝った。

 7回目の降下中、京介は落下地点にダッシュし、受け止めた。お姫様抱っこの状態で、空から降ってきた不思議な女の子を見下ろす。

 京介は力強くうなずき、言った。

「おれはこの出会い方がいいと思う」

 女の子はぱちりと片目を開け、赤い瞳で見上げ、言った。

「でも、ありきたりじゃない?」

「だからといって奇をてらう必要はないのだ」

「出会いとは、一度きりの特別なもの。今後の関係発展にも影響を与えるのよ」

「作為的に一度きりにしようとするのはまちがっている。おれはもう限界だ。なぜ限界なのかはわからないがとにかく限界だ」

「それではまた」

 京介は後頭部を原始的に殴打され、視界が暗転した。

 ふいっ。

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