第22話 神(CV:神)

 受話器を置き、関東で唯一の公衆電話ボックスから出ようとした瞬間、ベルが鳴った。

 京介は受話器を取り、耳に当てた。

「もしもし」

「人間ってのはおもしろいよな」

 低く抑えた男の声が言った。

「だれがかけたかわからないのに、電話が鳴ると思わず取ってしまう」

「どちらさまだ」

「おっと切るなよ。おまえを監視しているぞ。正面にあるビルの7階の窓、ピンクのカーテンがかかっている部屋が見えるだろう」

 京介は通り向かいのビルを見上げた。7階の窓のひとつに、ピンクのカーテンが風に揺れている。

「嘘だよ。おれはそこにはいない」

 声には聞き覚えがあった。京介は思い出そうとし、ふとその声が、実生活で聞くたぐいの「声」ではないことに気づいた。このような声を持つ人間は限られている。テレビやラジオの向こう側から聞こえてくるたぐいの声だ。

 京介は声の正体を思い出そうとした。

 この声はたしか。

 あれはたしか。

 京介の両目が通常の1.3倍ほどに見開かれた。

 メタルギア!

 すばやく周囲に目を配ったあと、京介は意味もなく右耳から左耳へ受話器を移動させた。

「おまえはだれだ。名を名乗るのだ」

「おれはだれでもない。何者でもない」

「大塚明夫先生か」

「ちがーう。そして仮にその大塚某だったとしても、おまえの『先生』ではないな。おまえは声優ではない。声優の卵でもない。ただ声がかっこいいから尊敬しているというだけだろう。だから敬称は『さん』でじゅうぶんだ」

「大塚さん」

「それでいい」

「なぜおれの目的を知っているのだ」

「簡単なことさ。おれは神なんだよ」

「そのとおりだ」

「比喩ではないぞ。おれは正真正銘の神、セム的一神教神なんだ」

「スネークだけにか」

「うまいこと言ったな、気に入ったぞ。だが何度も繰り返すように、おれは大塚某ではない」

「神がおれになんの用だ」

「おまえはいま、たったひとりで世界に立ち向かっている。あの日おまえは、17歳の男子高校生はモテない冴えないごくふつうの存在でなければならないと気づいた。窓際の席にすわり、夕日を顔に浴びながらぼんやりと頬杖をついた。そして〈ヒロイン〉の存在に気づいた。たしかに世界を変える資格はあるようだ。そもそもおまえに、世界を変えるという啓示を与えたのはなんだと思う?」

「ラノベール™錠だ」

「ちがう。ガブリエルだ」

「あれはV系バンドのボーカルだ」

「見た目は気にするな。とにかくおまえは真実に気づいた。だがそのあとのおまえは、なんともお粗末だ。そうだろう? 大きな声で『まちがっている』と叫んでいるだけだ。あろうことか〈大人〉とばかり会話し、せっかく見つけた〈ヒロイン〉に声をかけることすらできずにいる。いまのままでは、世界を変えることなど到底不可能だ」

「なにが必要なのだ」

「知りたければ、おれと契約しろ」

「同じ事務所に所属するのか」

「ちがーう。何度言ったらわかる。おれは大塚某ではない。神だ。おまえは神の使徒となり、おれの教えを広めるのだ」

「それで世界を変えられるのか」

「約束しよう。神の有用性は歴史が証明している。さまざまな意味でな。ムーサー、イーサー、ムハンマド、そして岸田京介。1500年の時を超え、マジで本当に最後の使徒、アンダーアチーバー京介が、いまここに爆誕するのだ!」

「いい声だ」

「おだてても無駄だぞ。いいから黙っておれと契約しろ。そうすれば必ず、おまえとおまえの子孫を約束の地へ導いてやる。神の約束は、ただの約束ではないのだ」

「どんな約束だ」

「〈お約束〉だ」

「〈お約束〉とはなんだ」

「胸を触ってもおとがめなしだ」

 答えになっていないような気がしたので、京介は神に聞き返した。

「胸を触れば、通常なら刑法176条、強制わいせつ罪が適応される。6ヶ月以下10年未満の懲役だ。もっともおまえは未成年だから、少年法の庇護の元に置かれる。初犯なら示談か、せいぜい鑑別所送りだ。それでも社会からの制裁は免れない。だがおれの使徒になれば、まずまちがいなく、おとがめなしだ」

「なぜだ」

「〈お約束〉だからだよ」

 京介はコミュニケーションを終わらせることにした。

「大塚明夫よ。申し出はありがたいが、おれはだれの胸も触るつもりはない。おれに〈お約束〉は必要ない。おれはおれのやり方でやる」

「いずれわかる。おまえはいずれ必ず、〈ヒロイン〉の胸を触ることになる。水遊びすることになる。〈混浴〉することになるんだよ! いいかげん目を覚ませ、岸田京介!」

「おれは家へ帰らなければならない。とっくに門限を過ぎている」

「門限?」

 神は意外そうに言った。

「なんだ、おまえの家には〈両親〉がいるのか」

「家には親はいるだろう。通常は」

「そういうのは感心しないな。ただひとこと、『両親は海外にいる』とだけ言えばいいんだ。それだけでおまえはひとり暮らしだ。だいいち〈両親〉がいる家で、おまえはどうやって胸に触るつもりだ? ん?」

「切るぞ」

「おっと切るなよ。切ったらおまえを殺」

 京介は切った。

 しかも言い終える前に切った。


   ◇


 件名:上原です

 本文:お世話になっております。


    代々木屋敷のご令嬢、一ツ橋色葉さんの催眠に成功しました。

    わたしは詳しくありませんが、今回の催眠は、

    サブリミナルポケモンフラッシュという

    最新スパム技術を応用したものです。


    効果は3週間。それまでに世界を変えてくださいね。

    なお本サービスは、3週間後の〈ヒロイン〉との仲を

    保証するものではありません。

    用件のみですが失礼いたします。


    追伸:勢い余ってばらまきすぎました。職業病ですね。



 件名:Fw: 上原です

 本文:お世話になっております。


    わたしも催眠にかかってしまいました。

    医者の不養生とはよく言ったものです。


    今度、お食事でもいかがですか?



 件名:Fw:Fw: 上原です

 本文:お世話になっております。


    おばさんじゃイヤだよね。


   ◇


 再起動を繰り返すマイクロソフト・サーフェスの画面を見つめながら、京介は両親のいる自宅の寝室で、今日という日を振り返っていた。あまりにも長すぎる今日という日だった。

 パソコンは青息吐息でデスクトップを立ち上げ、当然のように壁紙に設定した一ツ橋色葉の画像を表示する。「突然あらわれる両親」という危険も顧みず、京介は食い入るように生徒手帳用の写真を見つめた。その笑顔、その目、その鼻、その耳、その唇。すべてが完璧だった。

 神の御技だ。

 いきなり画面が真っ青になり、白文字で「問題が発生したため、PCを再起動する必要があります」と表示された。

 マイクロソフトめ。京介はため息をつき、サーフェスの電源を落とした。寝床に入り、掛け布団を頭からかぶった。

 これで一ツ橋色葉は、本当に〈彼女〉になってくれるのだろうか。

 期限は3週間。

 3週間で世界を変えなければならない。

 期限を過ぎると嫌われるらしい。

 嫌われたくないな、と京介は思った。

 なに。3週間で変えればいいのだ。

 できればかっこよく。

 超かっこよく。

 そうすれば。

 たぶん。

 ZZ。

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