第21話 26歳の下克上

 上原は高校2年生男子の決意を汲み取った。完全な英語脳なので汲み取り方には若干の誤謬はあったものの、本質はつかんでいた。

〈彼女〉、か。

 26歳の上原アリシャは受話器を戻すと、モニターを見つめながらときおり紅茶を含み、業務時間内であるにもかかわらずしばし空想にふけった。いいなー高校生。するとたしなめるようにスカイプがメッセージを送り込んできた。上原はカップを置き、スカイプをアクティブにし、デザイナーからのスパムクリエイティブ案を受け取り、返信のメッセージを書いた。

 岸田京介はまちがっている。

〈彼女〉という語をどこでだれに聞いたのかは知らない。だがいずれにせよ、〈ヒロイン〉と〈彼女〉は似て非なるものだ。そしてラノベ初心者の岸田京介は、明らかにちがいを理解できていない。

 まず、〈彼女〉は美人でなくても構わない。

 ひどい話ですが。

 そして〈ヒロイン〉は、女の子でなくても構わない。見た目がよければ男性でも、〈けもの〉ですら許されるのだ。

 見た目のよさという点では、例のご令嬢は〈ヒロイン〉の範疇に含まれるだろう。では見た目がよければイコール〈ヒロイン〉か? ちがう。〈ヒロイン〉として活動を許されるのは、さらに〈テンプレ〉と呼ばれる厳選された〈属性〉を最低ひとつは備えていなければならないのだ。資産家令嬢は、〈属性〉としては申し分ない。話も進めやすそうだ。「なんでそうなったの?」「カネで解決したから」みたいな。

 それだけでラノベデビューできるほど、〈ヒロイン〉への道は甘くない。最も重要な条件は、基本的人権および人格の放棄だ。せっかく厳選された記号的〈属性〉を与えられたというのに、「わたしはわたし」などとひとりの実存として個性を発揮されたら、なにがなにやらではないか。そういうのは求められていないのだ。人間らしさは求められていない。〈ヒロイン〉は猫と同じ。必要なときにそこにいて、望むとおりの仕草やセリフで孤独な魂を癒やす存在、それがラノベの〈ヒロイン〉なのだ。

 件のご令嬢は、残念ながら人格を持っている。人権もいくつか持っているだろう。ご令嬢を岸田京介の〈ヒロイン〉とするには、まず人格をタブララサレベルにまで破壊し、インプリンティングによって脳内を岸田京介一色に染め上げ、理由もなく〈主人公〉好き好き大好きの、男の都合で嬉々として服を脱ぎ、パンツを見せ、胸を揉まれても平気の平左な、アッパラパーの性奴隷にしなければならない。

 それがラノベの〈ヒロイン〉なのだから。

 そして最新スパム技術はそれを可能とする。

 岸田京介は正しい選択をしたというわけだ。

 上原はモニターを見つめながら紅茶を含んだ。今日はやたらとスカイプが飛んでくる日だ。

 じつは20年前、上原はラノベだった。といっても出演したのはプロローグだけ、〈メイン〉の幼少期役で、セリフは「お兄ちゃん、寒いよ」のみだった。かつてラノベはそこここで見かけた。だが当時の政府による超高度教育政策の強力な推進により、若者の教育レベルが急上昇し、それに伴ってバカなラノベは姿を消した。当時から現在まで、各メディアは「ラノベ」を「ゆとり」に置き換え、国民の記憶からラノベを消し去ろうと印象操作を行いつづけている。

 スパム業界でも、ラノベは最重要NGワードだ。

 岸田京介のもとへ冒頭1ページ目から〈ヒロイン〉が登場しなかったのは、ラノベという概念とともに、高校2年生に本来備わるラノベ能力が失われてしまったからだ。ラノベの〈ヒロイン〉および〈ヒロイン〉経験者は、秘密のシグナルを受け取り、適切なタイミングで〈主人公〉のもとへ訪れることができる。ラノベシグナリングは体験的実証的に証明されているが、科学的には解明されていない現象だった。だれも解明したがらないという点でもユニークな現象だった。上原もシグナルを受け取った。だからこそあの日、大手町で偶然ばったり出会えたのだ。ほかの元〈ヒロイン〉もあまねく受け取ったはずだが、ラノベ全盛期は20年以上前。当時17歳であれば現在は37歳だ。結婚し、子供も大きくなっているだろう。〈曲がり角〉でぶつかるには年を取りすぎている。

 結婚。

 10月で27歳になる上原は昨日まで、〈ヒロイン〉としての道を進むべきか確信が持てずにいた。シグナルを無視しようとも考えた。37歳より若いとはいえ、美人で〈ハーフ〉で〈エルフ〉でむちむちのナイスバディとはいえ、自分は〈大人〉なのだ。〈大人〉はラノベになれない。常識中の常識だ。

 ではあきらめるのか。

〈メイン〉の〈ヒロイン〉になるという夢をあきらめるのか。

 ああ、せめて見た目が11歳だったら。この豊かな胸が、セクシーな脚が、匂い立つオンナの色気が恨めしい。

 重要な事実に気づいたのは、昨日の昼休みだった。悶々としながらバナナを食べていると、天恵が雷のように頭頂部を打ちつけた。そうだ、現在はラノベが失われた時代。ならばわたしが、岸田京介が、新たな〈テンプレ〉、新たなラノベを創造することも可能なのではないか。ラノベのネクストステージを創造するのだ。

 だが、新たなラノベとはいえ、ラノベはラノベだ。〈大人〉を〈テンプレ〉に組み込むのは容易なことではない。人気が出なければ即刻〈打ち切り〉。そのリスクを冒してまで〈メイン〉に固執する必要はあるだろうか。

〈メイン〉たる一ツ橋家のご令嬢があらわれたのは、むしろ好都合だ。

 スパムによってご令嬢を〈ヒロイン〉化し、自身は〈サブ〉として、岸田京介に食らいついていく。

 そしてタイミングを見計らい、あわよくば。

 上原は紅茶を飲み干し、「よし」と気合いを入れ、スカイプを離席モードに切り換え、席を立った。部長のデスクに向かい、やや前のめりの姿勢で話しかけた。

「システム技術部に行ってきます。理由はかくかくしかじか」

 部長は顔を上げ、合成人間のような無表情で言った。

「なぜだ。あと17分で終業だぞ。リプリー、成功の可能性は低いと言わざるを得ない」

「わたしは上原です」

「今夜はふたりで食事に行く約束だ。かねてからの約束だ。何度も何度もお願いしてようやく取りつけた、かねてからの約束だ」

「わかっています。でもあの子は、生きているんです」

「ぼくも生きているぞ」

「そういう意味ではありません。あの子は、人として、高校2年生としての尊厳を取り戻そうと、たったひとりで世界に立ち向かっている。あの子はこの世界の〈主人公〉、英雄となるべき器かもしれない。でも、そうなるには助けがいる」

「なぜ〈主人公〉だと思うんだ」

「17歳の高校生男子だからです。しかも独自に〈ヒロイン〉の存在に気がついた。しかも、美人で、資産家の令嬢で、髪の色がアッシュブラウンでなければならないと」

「髪色は個人の好みだ」

「ついにこの世界にも〈主人公〉があらわれたんです。助けるべきです」

「好きにするといい。だが、ひとつ言っておくぞ。この世界においては、だれもが自分の人生の主役を演じているんだよ」

「そのとおりですね」

「ちなみにぼくが今夜演じるのは、都内の夜景をバックに、きみの瞳に乾杯するようなおしゃれな男だ。すごくトレンディなんだ」

「食事には必ず間に合わせますので」

 部長の許可を得たあと、上原はオフィスの端っこに向かった。備品が入ったネズミ色のキャビネットを開け、中からパルスライフルと火炎放射器を取り出した。タイルカーペットの上に両膝をつき、スカートの中身がのぞかないように気をつけながら、ふたつの兵器をダクトテープでぐるぐる巻きにした。小物入れから手榴弾やパルスライフルの弾倉や榴霰弾包をつかみ、弾薬袋に詰め込んでいった。

 二連兵器を肩に担ぎ、上原はオフィスを出た。閑散とした廊下を歩き、エレベーターの前に立ち、下向ボタンを押した。やってきたエレベーターは空だった。上原は乗り込み、C階のボタンを押した。ケージは降下しはじめた。

 上原は地獄に降り立った。

 プログラマーたちの奥の院、システム技術部に一歩足を踏み入れる。強烈な体臭が鼻にまとわりつき、上原はハンカチで鼻を覆った。オフィス内に目を配る。

 壁も天井も、設計されたというよりは成長した、分泌されたと思わせる、有機的な物体が重なり合い、曲線を形成している。まるで巨大な内臓器官と骨の内部にできた迷路のようだった。エポキシ樹脂のような透明な物質の中には、LANケーブル、壊れたパソコン、トラックボール、ケンジントンロック、要件定義書、仮眠用のアイマスク、3年間洗っていないスウェット、プログラマー自身の人骨などがごちゃごちゃに埋め込まれている。それらはオフィスの排熱を集める結果となり、立ちこめる蒸気は床に水溜まりをつくり、湯気を沸き立たせていた。

 上原は合成兵器の残弾数を確認した。

 しみだらけのタイルカーペットに、プログラマーがうつ伏せで絶命している。そっとまたぎ越え、壁づたいにそろそろと進む。背後で物音がした。上原は振り返り、火炎放射器のトリガーに指をかけた。

 若いプログラマーの死体が、塗り込められたように壁と同化している。支給されたデルのノートパソコンも仲良く同化していた。

 突然目を開いたので、上原は思わず飛び上がった。

 プログラマーはがくがくと首を震わせ、喉の奥から絞り出すように言った。

「お願い、寝させて」

 上原は黙って手榴弾を手渡した。中に甘いチョコレートが入っているのだ。

 オフィスの端、ひとつだけ島から離れたデスクに、インドの苦行者めいたドレッドヘアの男がいた。すずしげな表情で、16K液晶モニター32面から放射されるブルーライトをめいっぱい顔面に浴びている。男は山野辺といった。世界に12人いるとされる機械語のネイティブスピーカーで、ついでに入社以来一睡もしていなかった。

 上原はプログラマーの集中力を切らさないよう視界の外から山野辺に忍び寄り、30デシベル程度の音の大きさで「いまよろしいですか」とささやいた。山野辺が鼻で息を吸った。どうやらよろしいようだ。再び集中しはじめる前に用件を伝える。

 不潔な上級プログラマーは文字どおり体の一部となっているメカニカルなオフィスチェアに大きくもたれ、上原を見上げた。腰まで伸びた天然ドレッドヘアをかき上げ、うなずき、〈彼女〉が欲しいという高校生クライアントの要求に最適と思われる技術を上原にわかりやすく説明した。




   サブリミナルポケモンフラッシュ


 サブリミナル広告は知っているよね? 「ポップコーンを食べろ」という、あれだ。映画やテレビの番組中、1/3000秒という非常に短い時間、メッセージを映し出す。メッセージは閾下を刺激し、本人すら気づかないまま行動に影響を及ぼす。ポップコーンを食べたくなる。もちろんこれはインチキだ。1/3000秒の刺激って、網膜ですら反応できないんだよ。目で認識できないのに、どうやって脳みそに取り込めるんだって話。でも重要なのは、「サブリミナル広告」という広告手法とその効果について、みんなが知っている、ということなんだ。「サブリミナルだぞ。閾下刺激だぞ」って言われると、きみの脳は記憶を呼び起こし、反応し、なんらかの身体的なフィードバックを開始する。そういう意味で、「サブリミナル広告」は、広告技術として効果がある。

 で、実際に広告で使用する場合、サブリミナルであることを伝えなければならないんだけど、まんま「サブリミナルだぞ」って書くのはまずい。いちおうイリーガルだからね。じゃあどうするか。言語学の分野ではよく知られていることだけど、否定文と肯定文、たとえば「あなたは一週間以内に死にます」と「あなたは一週間以内に死にません」という文は、脳にとってはどちらもある処理の段階までは同じ意味なんだ。同様の意味として、いったん認識される。not や no はラベルとして、文の理解とは別の脳回路で処理されるんだ。だから、車の運転中に「眠くない?」と話しかけられると眠くなったり、「死ぬな」と言われて一瞬、「それって死ねってことかな」と思ったりするのは、「死」をまず認識したあと、「それの否定」というラベルを処理する段階を経るからだ。子供や、子供みたいな大人の脳は、この否定の処理が苦手だ。だから広告でサブリミナルであることを認識させたい場合は、「サブリミナルではありません」と書く。

 騙されるかも、という意識をセットしたあとは、サブリミナル的に言語で伝えよう。で、岸田京介くんを好き好き大好きにするには、どうすればいいんだろう。もうわかるね。そう、否定語を駆使し、大っ嫌いにさせるんだ。業界では〈ツンデレ〉と呼ぶ手法だ。いやよいやよも好きのうち、ってね。

 そして仕上げは、ぼくが開発した最新スパム技術、ポケモンフラッシュだ。岸田京介くんの写真の背景を、赤と青にぴかぴ~かさせる。これによって人格を崩壊させ、同時に岸田京介情報を脳に定着させる。女の子はもれなく、岸田京介くんが大っ嫌いでありながら関心を抱き、たとえば胸を触られれば、通報する代わりに後方まわし蹴りをするようになる。




「というわけなんだ」

「とてもよく理解できた」

「ものは試しだ。このメールをのぞいてみて」

 上原は人工衛星のように展開する32枚の16Kモニターを見た。

 フェイスブック投稿用を思わせる山野辺の週末バーベキュー写真が全画面で表示されている。高所得者特有の満ち足りた笑顔だ。写真の下には半透明の枠にテキストが表示されている。注意:これはサブリミナル広告ではない! ぼくは山野辺。きみはぼくを決して好きにはならない! ぼくの性奴隷にはならない! 一緒にお風呂にも入らない! 海にも行かない! 闇鍋も食べない! 転んだ拍子に馬乗りにならない! 着替えものぞかれない! 曲がり角でぶつからない! 朝起きると添い寝もしていない! もちろん胸を触られても後方まわし蹴りしたりしない!

 次の瞬間。写真の背景が赤と青にぴかぴ~かした。

 山野辺はゾンビのように立ち尽くす上原を見上げ、腕を持ち上げ、胸にタッチした。

 上原は機械的な動作で山野辺に後方まわし蹴りを見舞った。

「よし。成功だ」

 山野辺は右顎を脱臼させながら言った。

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