第20話 彼女をつかむ たったひとつの冴えた犯罪

 京介はJR関東第一高校エクスプレスの7人掛け座席の中央にどっかと腰を下ろし、腕組みをし、目を閉じていた。まぶたの裏には女子の画像が焼きついている。あのあと京介は親友を追っ払い、満を持して左クリックを敢行し、見た。生徒手帳用の写真を見た。統計手法によって切り捨てられた生の情報がこれでもかと詰め込まれていた。

 面食い住職の顔面統計学に嘘偽りはなかった。

 サーフェスを住職に返し忘れたので、ここで見ようと思えば好きなだけ見ることができる。やろうと思えばなめまわすことだってできる。相変わらず学術書を読む車両内の連中に見せびらかすことだってできる。サーフェスは膝の上に乗っている。電源をオンにし、エクセルを立ち上げ、シート2を開くだけだ。

 あとは本人に会い、堂々と話しかける。

 おれの彼女になれ、と。

 だが。

 無理ッ。


   ◇


 新宿駅で京王線に乗り換え、自宅最寄りのゆとりヶ丘駅で降りた。駐輪場で自転車をピックアップし、自宅とは反対方向へ向かった。

 やがて京介は、8番街と53丁目の角にある公衆電話にたどり着いた。

 そこは西東京で最後の聖域だった。

 教化32年現在、関東の公衆電話は不採算を理由にすべて撤去されていた。8番街と53丁目の角にある公衆電話が唯一残っているのは、地域住民が抗議のためボックス内に立てこもり、偽造テレホンカードでダイヤルQ2に電話をかけまくり、無理やり採算を合わせていたからだった。全員スマホや携帯電話を持っていたのだが、抗議するようなタイプの地域住民は、とにかく権力に反抗したいのだ。単なる人生の暇つぶしとも気づかずに。

 京介はボックス脇に自転車を駐め、中をのぞいた。スーツを着たイラン人が電話をかけている。電話のわりに口がまったく動いていない。神妙な面持ちで、ときおり周囲を気にしながら、熱心に耳を傾けている。

 イラン人というだけでおびえて引き返すほど、京介の精神は軟弱にはできていない。ボックスを手のひらでたたき、はやく出ろと申し渡した。

 15分後、イラン人は受話器を置き、テレカを抜き、ボックスのドアを開けた。

 京介はイラン人を見下ろし、言った。

「なにを聞いていたのだ」

「アッラーの声ですよ」

「Q2の番組名か」

「ちがう。ダイヤルQ2、もうとっくに終了しました。でしょ。ここにアッラーがかけてくるのです。おまえも神の声、聞きに来たのですか」

「そうだ。おれは神の使徒なのだ」

「いまてきとうなこと言ったでしょ。まあいいや。それじゃ、さいならサラーム」

「サラームだ」

 イラン人は周囲をうかがいながら、足早に立ち去った。その背中は信者というより明らかに犯罪者のそれだった。

 京介は満を持してボックス内に入り、受話器を取り、左耳と左肩の間に挟んだ。尻から財布を抜き、名刺を取り出し、電話機の上に置いた。

 小銭を投入し、0990ではなく03からはじまる電話番号をプッシュした。

「お電話ありがとうございます。株式会社電通スパムクリエイティブでございます」

「スパコミデザイン部の上原さんを出すのだ」

「お待ちください」

 京介は待った。

「お電話変わりました。This is Uehara speaking」

「おれは日本人だ。重ねて英語で言う必要はない」

「その声、京介くんね? 久しぶり」

「増上寺39代目住職の孫だと聞いたが」

「じいじと会ったの? さすがはじいじ、目のつけどころがニャープね。それで用件は? ううん、わかってる。わたしを〈ヒロイン〉として採用する気になったんだよね。〈エルフ〉であるこのわたしを」

「悪いが大人は、仲間にできないのだそうだ」

 京介は正直に答えた。するとどうだろう、かわいそうに上原アリシャは、心の底から悲しげなため息をついたのだった。

「だよね。26歳はおばさんだよね。10月で27歳だし。無理言ってごめんね」

「26歳は決しておばさんではない。そして個人的には、アリたんラブだ」

「ほんと?」

「本当だ。あなたは美しい。日本の女性は美しい。そうだ、大人は仲間になれないとだれが決めたのだ。おれはおれのやり方でやる! おれのやり方で世界を変えるのだ!」

「じゃあ、〈メイン〉で?」

「その〈メイン〉という語の意味がいまだにわからないのだが、上原アリシャ、おれはあなたを仲間として迎えよう」

「やった!」

 そこでだ、と京介は用件を切り出した。

「これから申し上げる人物に迷惑メールを配信してほしい」

「どういうこと? 騙したい人がいるの?」

「この女子に用があるのだ」

 京介は個人情報を伝えた。

「待って。その子、知ってる。代々木屋敷のご令嬢じゃないの」

「たしかに資産家なのだな? どれほどの金持ちなのだ」

「『渋谷区』って知ってる?」

「いいや。知らない」

「そういうことなのよ」

「どういうことなのだ」

「一ツ橋氏の年収、2億ポンドは下らないって話よ」

「なぜ円ではないのだ」

「それだけお金持ちってことかな」

 京介はポンドを円に換算しようとしたが、しようと考えただけで激しい頭痛に見舞われた。

「でも、ご令嬢とは同級生の間柄なんでしょ? 直接話せばいいじゃない」

「直接話せない」

「なぜ?」

「なぜでもだ」

「どうして」

「どうしてもなのだ」

「そっかあ」

 なにかに思い当たったのか、上原は「うふふ」と笑った。

「そういうことなら、助けてあげられなくもないかな。採用のお礼に」

「いまの『うふふ』はなんだ」

「なんでも。つまり最新スパム技術を駆使し、京介くんが好きで好きでたまらなくなるようご令嬢を騙せばいいわけよね。未亡人の逆援助や還付金の振り込みやパチスロ必勝法みたいに」

「世界を変えるためだ。やむを得ずなのだ」

「わかってるわかってる」

「ああ、世界を変えるのだ。変えなければならない。おれには支援者が必要なのだ。パトロネスが必要なのだ。金は大事だ。なによりも大切だ。金は正義。金は選択肢。金ですべてが買えるのだ! おれは知っている。おれは真実を知っているぞ」

「あとでメールするね」

 上原は電話を切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます