第15話 ヒロインの品格その1 美人で資産家の令嬢(髪色は個人の好み)

 京介は虎の門病院保健室から飛び出した。かつての環二通りを駆け、かつて外堀通りと呼ばれた幅員27メートルの「廊下」のど真ん中に仁王立ちし、とくに意味もなく空を見上げた。

 あの子はきっと、美人にちがいない。

 そしてきっと、資産家の令嬢にちがいない。

 アッシュブラウンにちがいない。

 ふつうに考えれば、というより考えるまでもなく、あの女子が美人で資産家令嬢で髪色がアッシュブラウンである可能性はゼロだ。だが保健の先生は、妄想は必ず現実になると言った。いい年をした大人が、真顔で。

 本当にそうなるのなら。

 あの女子を探すのは問題ない。顔も名前も判然としないが、会えばわかる。あの声、あのにおい、あの感触でわかるのだ。

 だがもし、万が一、あの女子がアッシュブラウンでなかったなら。

 資産家の令嬢でなかったなら。

 美人でなかったなら。

 …………。

 信じることだ。

 現実的になれ。

 いや、逆だ。妄想的になれ。

 この新たな現実、どちらかと言えばちょっと狂い気味の現実を受け入れるのだ。

 京介は新たな現実へ向かって歩き出した。かつて赤坂交差点と呼ばれた五叉路に立ち、無人の通りとビル群を見まわす。無人なのはもちろん、授業中だからだ。保健室常連の京介にとって、無人の廊下は見慣れたものだった。あらためて見まわしてみると、東京都内のように見えた。現在は無人だが、授業が終わると、一斉に生徒の移動がはじまる。各校舎ヒルズには赤や緑の送迎バスがあらかじめスタンバイしている。生徒は次の授業が行われるヒルズへ向かうバスに乗り込む。そしてバスは休み時間10分以内に次のヒルズへ送り届ける。各生徒の履修登録データおよび各ヒルズ間の距離データがあれば、ルートの適正化は容易だ。ここには一般市民というカオスは存在しないのだから。

 校舎ヒルズは現在、32本のみだった。全校生徒32万8000人に対して教室が足りない状況なので、1年生は現在、ヒルズより背が低くて見た目もしょぼくて具体的なビル名は控えるがとにかく全体的にかっこ悪いあり合わせのビルで授業を受けている。京介もかつてはそうだった。2年になり、満を持してヒルズ族デビューを果たしたが、とくに感慨はなかった。思ったのはただひとつ、なぜヒルズなのか、なぜヒルズにこだわるのか、だった。

 関東第一高校構内では現在、新たに6基の校舎ヒルズ建設が進められている。かつて東京ミッドタウンと呼ばれた更地を送迎バスで通りかかった際、地獄の入り口のような巨大な穴を見たことがある。

 見れば見るほど、かつては東京都内だったとの確信が深まっていく。自称前区長の武井雅昭によれば、港区と呼ばれていたらしい。なんとも滑稽な名称だが、おそらく真実なのだろう。あのとき毛嫌いせず味方につけておけば、役立つ情報を聞き出せたかもしれない。

 だが〈大人〉だ。〈大人〉を仲間にすると〈打ち切り〉になるらしい。

〈打ち切り〉とは一体。

 そのとき。

 新橋方面から珍しいバスがやってきた。送迎用の3両連節ではなく、ちっちゃなやつだった。白い車体の側面には、子供のいたずら書きのようなかわいらしい図柄がプリントされている。京介は知らなかったが、かつての港区コミュニティバス、通称『ちぃばす』だった。

 バスはとことこと京介の前を通りすぎた。京介はバスを追った。追い抜き、進行方向に飛び出し、強引に停車させた。乗降口をたたいて開けろと叫び、バスジャック犯のように乗り込んだ。

 授業中なので当然、乗客はいない。京介はいつものように一番前の席にすわり、白手袋の運転手に押し殺した声で話しかけた。

「なにも聞かず、おれの言うとおりにするのだ」

「それはきみの出方次第だな」

「すべての校舎ヒルズをまわってもらいたい」

「なにするつもり?」

「女子を探すのだ!」

 運転手は驚いたように振り向き、しばし逡巡したあと、サングラスに手をかけ、ゆっくりと外した。しわの刻まれた優しげな目で京介を見上げ、うなずいた。

「美人の資産家令嬢か。よく気がついたね。さすがだよ、岸田京介くん」

「バスの運転手なのに味方なのか」

「運転手にもいろんなやつがいる。関東第一高校をよく思っていない運ちゃんも、なかにはね」

 運転手は前を向き、エンジンを低く唸らせ、ちぃばすを発進させた。大径のハンドルにかっこよく手を添えながら、年の功を思わせる穏やかな声で言う。

「髪色は、アッシュブラウンか」

「どういうネットワークを介して耳にしたのかは知らないが、そうだ」

「〈絵師〉が困惑するんじゃない?」

「その絵師とは一体なんなのだ」

 運転手はハンドルから手を離し、完全に振り向いて言った。

「世の中には、いろんな髪色があるんだ。きみが考えている以上に、いろいろね。そして髪毛の色は、べつになんだって構わないんだ。クリムゾンレッドでも、ペールブルーでも、ピアノブラックでも。なんならトラディショナルな金髪の巻き毛でも構わない。ようは、ちがいがわかりさえすれば、それでいいのさ。おれの言ってる意味、わかる?」

「前を見て運転するのだ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 バスはかつての虎ノ門二丁目西交差点を直進し、かつての虎ノ門三丁目交差点を勝手に右折した。

 第6校舎ヒルズが左手にそびえ立っている。

「磁気マーカーによる自動運転だよ。現在芝ルートを走行中」

 バスはとことこと自動走行する。かつて愛宕警察書と呼ばれた剣道場の前のバス停に、野外授業を終えた生徒が45人ほど並んでいた。運転手は涼しい顔で無視し、次の交差点を左折した。

 かつて御成門交差点と呼ばれた四つ辻に差しかかると、運転手は秘密のスイッチを押し、手動運転モードに切り換えた。かっこいい効果音とともに、車体がぐんと持ちあがる。折りたたまれた4つの車輪がアスファルトに接地したのだ。

 ちぃばすは芝ルートを離れ、麻布方面へ向かった。

「職務規程違反ではないのか」

 運転手は穏やかな笑みを浮かべたまま運転をつづける。

「どこへ向かっているのだ」

 やがて麻布台一丁目でちぃばすが停まった。

 運転手はフロントガラス越しに外を指し、言った。

「あそこからはじめるといい。交換留学生も多いしな」

 昇降口がプシューと開いた。京介はバスを降り、ステップに片足を乗せたまま、竣工間もない地上330メートルの第11校舎ヒルズを見上げた。

「おれの探している女子は、外国人ではないと思うが」

「でも、選択肢のひとつとしてはアリだろ? ひとりいると、スケールが広がる感じがするし」

「ちなみになに人を選べばいいのだ」

「そりゃもう、ドイツ人だ。ドイツはいい。ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン、これだよ」

「なにがこれなのだ」

「わかんないかなあ。まあ、でも、〈メイン〉はやっぱ日本人だよな」

「メインということは、つまり」

「そういうこと。〈ヒロイン〉は、ひとりだけじゃない。ひとりだけじゃダメなんだ」

「世界を変えるためには、複数の女子が必要なのか」

「お望みとあらば、5人でも6人でも。ただし〈属性〉はかぶらせないようにね。ひとつ忠告してもいいかい」

「なんだ」

「きみの探している〈メイン〉、どんな性格?」

「会ってもいないのに性格がわかるはずはないだろう」

「ほら、また悪い癖だ。きみの妄想は、必ず具現化する。どんな性格も思いのままだ。そして女の子は、見た目だけじゃない。性格も重要なんだ。どんな性格?」

「優しい性格だ」

 わずかにため息をついた。

「京介くん、それじゃダメだ。〈ヒロイン〉の性格は、破綻していなくっちゃ」

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