第11話 地獄の授業録その1 刑法第一部

 第6校舎ヒルズの住宅用エレベーターが37階A大教室を一直線に目指す。多くの生徒が不審げな眼差しを向けるなか、京介は試合を直前に控えたボクサーのようにひざまずき、手すりに寄りかかり、神に祈りを捧げていた。どの神かはこの際どうでもよかった。




   神よ、あきらめの悪さをわたしに与えてください

   変えられないものを無理やり変えるために与えてください

   変えるべきものを変える勇気を

   そして、変えられないものと変えるべきものを

   区別できない愚直さをわたしに与えてください




 1コマ目は刑法第一部だった。

 エレベーターを出てすぐ、無機的な白い天井と灰色のタイルカーペットが眼前に広がる。約1000坪の完全な無柱空間を、簡素な間仕切りが迷路のように縦横に並んでいる。大勢の生徒の気配が漂うも、無駄な会話は一切聞こえてこない。聞こえてくるのはページを繰る音、ペンをノートに走らせる音のみだった。

 ほかの生徒とともに間仕切りを抜け、定員500名のA大教室に入る。

 いちばん後ろの窓側の席がうまいこと空いていたので、どっかと腰かけ、頬杖をつき、ぼんやりと窓の外を眺めた。37階A大教室の「窓」は南側の壁一面におしゃれな曲線を描き、都心の眺望をこれでもかとばかりに見せつけてくる。ぼんやり眺める感にかなり乏しいものの、ないものねだりはできない。

 教壇側のドアが音もなく開き、法服を着た教師がテキストを小脇に抱え、しずしずと入場してきた。教壇に立ち、起立、礼、着席のあと、裁判長のように告げた。

「それでは9時3分、第3回刑法第一部の授業を開廷します。ちょっと遅刻してしまいました。ごめんなさい。ではさっそく、わたしの代表的著書である『シン刑法総論』(関東第一高校出版会)の932ページを開いてください」

 教師は一点に目を留め、薬指で眼鏡を持ち上げた。

「そこの少年A。きみはたしか、岸田京介くん(17歳)でしたね。なぜ天板の上がきれいさっぱりしているのです? わたしの代表的著書である『シン刑法総論』(関東第一高校出版会)はどうしました」

 京介はきっぱりと言った。

「ない」

「忘れてきたのですか」

「そうではない。あえて持ってこなかったのだ」

「なぜです」

「二度と勉強しない。そう誓ったからだ」

「なぜです」

「関東第一高校の超高度教育はまちがっているからだ。それが答えだ」

「なるほど」

 薬指を立て、再び眼鏡を持ち上げた。




   木村雅英 プロフィール


 刑法学者の父と翻訳家の母のあいだに産まれる。子守歌代わりに判例を読み聞かされて育ち、幼くして刑法の魅力に取り憑かれる。5歳でドイツ語とフランス語を独修。刑好きが高じ、やがて自らも刑をつくりはじめる。8歳のころ同級生の美加ちゃんをキス2年の刑に処し、運悪く全国ニュースで取り上げられ全国的な話題となる。キスの権利を奪われた腹いせにさらなる猛勉強を重ね、1993年東京大学法学部を卒業、その後東京大学法学部助手、東京都立大学法学部助教授を経て、2018年7月フライブルク大学(ドイツ)に客員研究員として招かれる。

 2020年、丸美屋ののりたまを切らして緊急帰国。その後友人と原宿をぶらついていたところを関東第一高校の教頭にスカウトされ、関東第一高校の教師を勤める。日本大学大学院法務研究科教授兼任。

 著書には高校生向けの代表的な教科書『シン刑法総論』(関東第一高校出版会)のほか、2000万部のベストセラーとなった一般向け専門書『完全死刑マニュアル』などがある。




 木村が言った。

「テキストはすべて頭の中、というわけですか」

「そう思いたければ思うがいい」

「ではまず、あなたの氏名・年齢・職業・住居・本籍をお答えください」

 京介は答えた。

「ありがとうございます。ではそこのあなた、検察官として起訴状を読み上げてみてください」

 男子生徒がノートを手に立ち、起訴状とやらを読み上げた。

「被告人、岸田京介は、教化32年6月15日8時58分、関東第一高校第6校舎ヒルズ37階大教室において、教科書を持たずに授業に臨んだものであります。こちらはシン刑法第118条第1項第1号の違反にあたります」

「ありがとうございます。そして岸田京介くん、きみには残念ながら、黙秘権はありません」

「黙るつもりはない」

「冗談はさておき、質問。刑法とはなにか」

「死刑にする方法がたくさん書かれた本だ」

 大教室が死んだように静まり返っている。

「では死刑とは?」

「悪いやつを殺す刑だ」

「悪いやつとは?」

「法律違反をした者だ」

「法律とは?」

「やってはいけないことだ」

「ファック・ユー」

 木村は眼鏡を押し上げ、押し殺した声で言った。

「黙って聞いていれば、悪いやつだの、やってはいけないだの、バカ丸出しの発言の数々。岸田京介よ、おまえは死刑だ。おまえの無知は死刑に値する。バカな高校生に明日はない。20年前、政府は超高度教育政策を強力に推進し、その結果日本経済は再生した。それどころか予想をはるかに上まわるぶっちぎりの超成長だ。実質GDPは10年平均で32%アップ。働く意欲と高度な技術とさらなる経済成長への期待感でいまなお急上昇スパイラルの真っただ中だ。もはや現在の日本にバカの居場所はない。そしてこうしているいまも、アメリカやイギリス、ヨーロッパ諸国に散らばる優秀な日本人学者が、わが関東第一高校の教諭となるべく、ぞくぞくと緊急帰国を果たしているのだ。岸田京介よ、生産性ゼロのバカなおまえは、もはや国民ではない。いますぐ法の裁きを受け、死ぬがいい」

「そこまで言わなくても」

 女子の声が言った。

 木村はさっと眼鏡を上げ、教室を見まわした。

「だれです、いまバカの味方をした女子は?」

 反応はなかった。

「まあいい。さて、少年Aよ。おまえの有罪は99.99%確定しているが、判決を下す前に、言い残したことがあれば聞いてやろう」

「ある」

「言ってみなさい」

「おまえら教師はまちがっている。関東第一高校はまちがっている。現在の超高度教育はまちがっている」

「ほう。それで、どうまちがっているというのだ」

「どうもこうもない。まちがいはまちがいだ。そしてまちがいは、正されなければならない」

「教育のどこがまちがっているのだ。勉強をすれば、賢くなれる。賢くなれば、将来の選択の幅も広がる。いい仕事に就けば、いい給料をもらえる。幸福な人生を送れる。そうだろう? それのどこがまちがっているというのだ」

「そのような社会はいずれ滅びるだろう」

「なぜそう思う」

「善い行いに理由などない。だがおまえら教師は、大人は、いい人生を送りたければ勉強しろと言う。そのような条件つきの教え自体がまちがっているのだ。その理屈ならば、幸福な人生を手に入れたあとは勉強しなくてもいい、ということになるだろう」

(善意志、だと?)

 木村の顔が眼鏡とともに曇りはじめた。

(こいつ、カントを知っているのか? まさか。単なる偶然だ)

 京介がつづけて言った。

「おまえは法学者でありながら、結果のみをよしとするのか。この超高学歴社会そのものが、おまえの大好きな法とその歴史に真っ向から対立しているではないか。まちがっているとは思わないのか」

「おまえ、本当は勉強ができるんじゃないのか? おい!」

 京介は夢から覚めたように目を上げ、頭を振った。

「なぜ驚いた顔で見つめているのだ」

(えい、クソ)

 木村は突然黒板に向き、力強い筆致で板書をはじめた。

「では死刑執行前に、少しばかりシン刑法について勉強してみようか。どうだ、ん?」

 京介は手の震えを必死で押さえた。

「どうした? 勉強と聞いて震えるのはなぜだ? 心と体が一致していないのか? 本当は勉強したくてたまらないのではないのか? してもいいんだぞ? 賢くなってもいいんだぞ?」

「おれは勉強しない! 誓ったのだ!」

「なぜだ!」

「それが本来あるべき世界だからだ!」

「それはどのような世界だ!」

 ラノベ。

 京介の脳裏に、正気を疑う格好で卑猥なポーズを取る未成年らしき女子の姿が浮かび上がった。関東第一高校エクスプレスの車内で浮かんだビジョンと同じだ。

 ラノベとは、なんだ。

 一体なんのことだ。

 どこかで耳にしたような気がする。なにかの略称であるような気もする。もしかするとフランス語かもしれない。ラ・ノベー、みたいな。

 脳裏に浮かんだ女子が唐突に制服を脱ぎはじめた。脳裏の中の京介は、教室だか寮だか更衣室だかよくわからないがとにかくなにかの部屋に偶然入室し、偶然着替え中の女子と偶然遭遇した。

「…………京、介…………?」

 長すぎる3点リーダーを上下に付け加えながら女子が言った。あわててバスタオルで大事な部分を隠す。女子は全裸だった。京介は呆然と立ち尽くしながら、着替えで全裸になったりしなくね?と思った。わざとやってんじゃないの? そのあとバスタオルの陰にちらつく太ももを見て、われ知らずナイーブな感想をいくつか頭に思い描いた。たとえば「アルビノのように白い肌」などなど。

「うっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 やや内股になりながら女子が叫んだ。バスタオルを押さえていないほうの手でパンパンに詰まったボストンバッグをつかみ、脳裏の中の京介に投げつけた。もろに顔面に命中し、京介は「ぐはぁっ!?」とわざわざ口に出して言いながら床に倒れそのまま気絶した。

 脳裏ではない京介は確信した。

 これが、ラノベだ!

 理想の世界だ。

 この世界を実現させなければ。

「岸田京介!」

 木村が法服の裾を翻し、ぼんやりする京介に振り向きざまチョークの先を向けた。

「これより講義をはじめる! 一言一句しっかりと読むんだぞ、はっはっは!」

 京介はハッと顔を上げた。




   刑法学者木村先生の 刑法とはなんぞや


 はっはっは。岸田京介くん、刑法とはきみが言うような、死刑にする方法がたくさん書かれた本ではないんだよ。刑法とは、犯罪行為を確定し、それによってどんな刑が科されるかを決めるための法律だ。刑の確定や執行は、国の刑事司法システム全体で実行する。執行っていっても、死刑だけじゃないんだよ。罪の大きさによって、いろんな刑がある。悪いやつをかたっぱしから死刑にしていったら、みんないなくなって国も困ってしまう。だよね?

 悪いやつは懲らしめればいい、死刑にすればいい。かつてのゆとり時代、バカがツイッターなどで感情的にぶちまけていたよね。自分は善良だ、無実だと信じながらね。バカ丸出しの行為であり、同時に、だれもが一度は抱く疑問でもある。「悪」とはなにか、とね。バカはあるとき、こうもつぶやく。この程度の犯罪でこの刑は重すぎる、国はまちがっている。あれ、悪いやつは全員死刑じゃなかったっけ? 結局あなたのさじ加減ですか。大昔の支配者は、頭が狂っているやつも含めて、おのれのモラルがすなわち法だった。時代は下り、商業が発展し、庶民が力をつけ、王の支配の「意味」が揺らいだ。個人について、国家について、自由について、あちこちで考えられるようになった。王とかじゃなく、みんなのことはみんなで決めましょう。そうして近代国家が、法なるものができあがった。刑罰もね。王の絶対的な支配から逃れるために国家が存在し、みんなのルールが決められ、みんなでルールを守る。そして国のシステムは、法の下に国民を罰する。だから、国が人を殺すのと、支配者が人を殺すのは、意味合いが異なるんだ。ゆとり時代のバカのように、国を擬人化してはいけないよ。

 さて、大昔の支配者は、みんなが考えるほどバカではなく、自国の統治について自分なりに考えていた。でも途中でめんどくさくなるんだね。だから「悪いやつ」をかたっぱしから死刑にしたり、逆に気分がいいからって寛大に許したり、とにかくアバウトだった。むちゃくちゃ残虐だったり、逆になんにもしなかったり、支配者自体が「法」を冒していたり。俺様ルールは揺れ幅が大きい。いまの常識では到底受け入れられないけど、学ぶべきところはある。支配者はやはり支配者、バカではないので、あえて残虐に振る舞うことで民を怖がらせて治安を維持していたという側面もある。これは機能として、いまの時代にも有効だね。目的刑論というやつだ。快楽よりも刑罰のほうが重ければ、やべー、やめておくべ、となる。いまより治安がよくなるかも。じゃあたとえば、日本国が刑罰を犯罪の抑止力としてガンガン用いはじめたらどうなるだろう。日曜の昼に痴漢常習者をお台場とかに連れていって、みんなの前で残虐に処刑する。痴漢やべー、法守るべ、ってなるよね。効果はありそうだ。でも国がそんなことをはじめたら、それこそ「やべー」よね。そしてきみは、なぜ直感的にやべーと思ったのか。法とはなにか。国家とはなにか。自由とはなにか。なぜ深夜にひとりでコンビニへ行って無事帰宅できるのか。あらためて考えてみると、不思議だよね。だってみんな、法なんか気にしていないんだから。法を気にして生活していない。じゃあきみはなにに守られているのか、そしてなにを守っているのか、って話だね。なぜ「常識じゃん」って思うのか。常識ってなにか。法を「知っている」とはなにか。このあとちょっとディスカッションしてみようね。

 目的刑論と対立する刑罰論に、応報刑論がある。いわゆる「因果応報」だね。バカな岸田京介くんも、例のハンムラビ法典くらいは知っているよね? 目には目を、歯には歯を、っていう、同害報復の法則だ。これはなんとなく、納得できる。悪いことをしたんだから罰を受けましょう、国が罰を与えましょう、っていうね。国民としても、目的刑論みたいに心理的に強制されるより「自由」って気がする。ゆとりのバカどもも、因果応報は大好きだった。でも「当然の報いだ!」って、ものすごい素朴だよね。テレビドラマみたいな。賢いきみたちは、国家それでいいの?って直感的に思ったはずだ。小学生がコンビニで万引きした場合を考えてみよう。応報刑論でいくと、必ず逮捕し、必ず罰しなければならない。ゆとりは嬉しそうに「当然の報いだ! クソガキざまぁ!」と叫ぶ。どこが当然なのかな。ガキ大将に命令されてしかたなくやったのかもしれないよ。許してあげるべきじゃないのかな。ゆとりはそういう浪花節も嫌いだよね。でもいざ自分が逮捕されそうになったり大好きなアニメをポルノとして規制されそうになったりすると表現の自由だ権利だなどと覚えたての言葉をドラマのように叫び出す。ほんといなくなってよかったよね。まあいいや。テレビドラマ的因果応報が現実に起こるとどうなるか、これも興味深い問題だから、あとで考えてみようね。

 あとは、倫理と正義の問題だね。責任を取らせましょう、人殺しだから死刑にしました。で?ってことなんだ。だからなに?って話。というか「責任」ってなに? その概念、科学的に証明されてる? そんな曖昧な根拠で国が人を殺していいの?

 このように、目的刑論と応報刑論は対立し、それぞれに問題がある。だから現在の日本では、相対的応報刑論、つまり多少はビビらせつつ、って考え方が有力だ。つまりきみたちは、ビビりながら暮らしている。国家権力は少なからず、きみたちの人格に介入している。それがきみたちの「自由」であり、同時に万引きしても起訴されない、現代社会の「優しさ」でもある。

 なぜ刑法のみならず法を学ぶのか。第1回の授業でも言ったけど、刑罰とはなにか、犯罪とはなにか、そして犯罪と刑罰との関係は、先に説明した目的と応報の対立のように、決して答えの出ないものだからだ。人間とはなにか、なぜ犯罪を犯すのか、犯罪を犯す人間は生まれつきか、それとも社会の責任か。人間についての答えが出ない以上、人間を罰する刑について、これだという回答はない。でも人間の社会は、前へ前へと進みつづける。価値観は変遷し、技術は進歩する。明治時代の人は児童買春について念頭になかった。強姦罪から強制性交等罪への改正では、性別を問われなくなり、親告罪から非親告罪へ変更となった。社会が要請するからだ。これはすばらしいことだね。そしてその時々でなにを罪とするかを決めるのは、人間だ。刑法は、条文の丸暗記のみならず、条文の「解釈」という方法を必要とする。解釈とは、刑法規範の意味を理解することだ。刑法の理解とは、現行刑法の客観的な意味内容を解釈によって体系的に認識することだ。このバランス感覚だ。だって人を権力で罰することのできるツールを扱うんだからね。「外患の罪カッケー」とかいつまでも言ってちゃダメだよ。たしかにカッケーけどね。かつてのゆとり時代には条文をまさに金科玉条のごとく振りかざして悦に入る真逆のベクトルを誇るバカもいたわけだけど、もうみんな、条文を言葉どおりに「解釈」する愚かさは理解できたよね。

 ちなみにわが国の刑法典は、じつは明治41年以来、全面的な改正は行われてこなかった。さすがに変えなさすぎって感じもあったね。特別刑法をちまちま重ねてもらちが明かない。だからぼくは30年前、法制審議会の委員のひとりとして、刑法改正の草案、名づけてシン刑法を決定した。すぐに成立したね。完璧だったし、委員会のみんなも大喜びだった。みんな、新しい刑法典の全文は、暗記済みだよね? 岸田京介くんはどうかな? 読んでない? まあいいや。せいぜい逮捕されないようにね。これまでの刑法典とは全然ちがっているからね。でも、これだけは言っておこうかな。女の子とキスするのは、よしたほうがいい。死刑になりたいのなら、話は別だけど。

 まあ、いまの高校生はキスの意味すら知らないわけだけど。




「どうだ、よくわかったか、岸田京介!」

 京介は白目を剥いて気絶していた。

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