第10話 港区ヤバい

 京介は閉じかけた乗降口に体をねじ入れ、バスに乗り込んだ。運転手に学生証を提示し、いちばん前の席、運転手の真後ろにどっかと腰を下ろした。

 バスは第一京浜から環状2号線へ右折し、虎ノ門方面へ向かう。かつて危うく「東京のシャンゼリゼ」と呼ばれそうになった1.4キロメートルの区間は、現在、オープンカフェもマロニエの並木も凱旋門もなかった。そこにはただ、遺伝子組み換えによる万年桜が圧倒的に狂い咲いていた。季節など知ったことかと言わんばかりに。

 バスは桜の花びらをまとわりつかせながら、環状2号線通学路をひた走る。桜のドームを見上げ、あまりに荘厳な光景に、京介の心のきれいな部分が反応した。

 振り向き、車内を見まわす。そこにはいつもの光景が繰り広げられている。高校生たちは感動どころか顔を上げもせず、テキストに向かい、ノートに鉛筆を動かしている。単語カードをめくっている。赤シートを出し入れしている。余裕のある者たちは、鉱石でラジオをこしらえていた。蝶を解剖していた。未来都市をデザインしていた。アカゲザルに言語を教えていた。4ビットマイコンでトリリスをプログラムしていた。そこに悲壮感はなかった。さまざまな分野から得た知識を活かし、統合し、拡張し、自らの可能性を無限に広げているのだ。

 楽しそうだな、と京介は思った。

 花びらまみれのフロントガラスに向き直ったとたん、桜のドームが突如として消えた。バスの行く手には、1基の超高層ビルが宗教的にそそり立っていた。周囲のビル群を従えはるか天を突くビルは、かつて虎ノ門ヒルズ森タワーと呼ばれた、全長256メートル、地上52階建ての、その名も関東第一高校第6校舎ヒルズだった。

 京介は白手袋の運転手に話しかけた。

「地上52階建てのビルを校舎として使うのはまちがっている。そう思わないか」

「なんでよ? 最高の教育には、最高の施設だ。じゃあ、きみはなにかい、床がぼよんぼよんする砂まみれのプレハブ校舎がいいっての?」

「だが、まちがっている。まちがっているものはまちがっているのだ」

「まちがってる、まちがってる、か。ククク」

 運転手は横顔を向け、口の端を邪悪に歪めた。

 ナス型サングラスを外す。

「バカめ、おれを味方だと思ったのか。〈大人〉に話しかけるときは、相手をよく見たほうがいいぜ、岸田京介」

「なぜおれの名前を」

「まちがっているのはおまえのほうだ。世界は正しい。日本は正しい。現在の超高学歴社会は正しい。そして港区は正しい判断をした。特別区長として返り咲いた一級建築士であり工学博士でもある原田敬美大先生は、その公約どおり、港区全体の学園都市化をたったの4年で実現させたのだ」

「悪魔の手先だ」

「なんとでも言うがいい。そうそう、前区長の武井雅昭なんだが、あいつはいまごろ、どこでなにをしているんだろうなあ? おおかた千代田区あたりで、のたれ死んでんじゃねえのかな! まあ、いい。そんなに港区の歴史が気になるのなら、登校前に、20年前の学園化基本構想を軽く説明してやろう。なに、ちっとも難しい話じゃないさ。ちっともな!」




   港区学園都市宣言(港区基本構想より)


 かけがえのない美しい地球を守るといった話はさておき、自国の経済発展を願う人びとの心は一つであり、いつまでも変わることはありません。

 私たちも真の高度経済成長を望みながら、文化や伝統をてきとうに守り、格差と競争に満ちたまちづくりに努めています。

 この騙し合いのある郷土、生き馬の目を抜く経済的自由主義のイデオロギーを、これから生まれ育つこどもたちに伝えることは私たちの務めです。

 私たちは、我が国が『勝利三原則』を堅持することを求めるとともに、ここに広くコミック・ラノベ・BLの廃絶を訴え、専門家の書いた役に立つ書籍のみが売れる世界への願いをこめて、港区が学園都市であることを宣言します。


   勉強まみれの世界都心・MI NA TO


 21世紀という新しい世紀の下で、日本経済は長らく低迷をつづけ、高校生は勉強もせず、日々だらだらと遊び呆けています。いま、日本経済の再建を願う国民の期待は限りなく大きなものとなっています。それに応えるだけの可能性に満ちているのが、なにを隠そうわれらが港区なのです。

 なぜ港区なのか。ヤバいからです。

 港区ヤバい。

 港区のなにがヤバいって、まず交通網がヤバい。港区の交通網は陸・海・空、なんでもあり。区内のほとんどの地域が地下鉄駅に10分歩行圏内。超便利。それに東京港は国際物流の要。超要。そして羽田空港へはモノレールや鉄道等で結ばれてて、成田空港にもつながってる。区内のどの地域からも全世界へ簡単に飛び立てる。超飛び立てる。ヤバい。港区ヤバい。

 港区の利点は、さらに超類を見ない。地域が鬼インターナショナル。大使館とか60以上。大使館だらけ。国際的にも屈指のビジネスセンターで、もはや国際人のコスモポリタン・ホームタウン(笑)。いわば世界の最先端。こんな感じで多様性にすぐれた都市環境を備えていることに加えて、しかも便利さ、快適さ、安全性、行政サービスの水準の高さ(苦笑)とかで常に人々の住みたい地域でありつづけてさえいるの。港区ヤバいっしょ?

 港区の鬼ヤバさはおいとくとして、いまの日本超ヤバい。マジで。言葉どおりの意味でヤバい。経済が30年にも渡って超停滞してる。日本経済のV字回復を測るには、まずは新しい社会に対応した若者をどのようにつくっていくかを考えなきゃなんないわけなんだけど、急激な人口減少や少子高齢化、ゆとり教育を主要因として、現在の高校生は活力を失ってる。超怠けてる。で、高校生の再生を進めるためには、これはもう、勉強しかない。しかもただの勉強じゃない。超ガリ勉。尻から血が噴き出すまで勉強。脳幹がヘルニア起こすまで勉強。時間が足りないなら拡張してでも勉強。一日480時間学習。外国人留学生との交流も重要。マジ重要。パツキン超いっぱいで全員パツキンと付き合って英語とか話して全員コスモポリタン。こんな感じで無理やりかつ超いきいきと勉強させて超優秀な高校生を排出したら、もう日本は世界ナンバーワンの経済大国。むしろ宇宙の頂点。天空の覇者。

 いや、港区が考える問題じゃないってのはわかるよ。黙って都民の福祉でも考えてろや、みたいな。でもぶっちゃけた話、いまの日本の高校に、高校生の再生は無理。だから超教育やるとしたら、現行の制度やズブズブの既得権、文部科学省を頂点とする縦割り行政などから解放された、まったく新しい高校をつくんなきゃならない。で、あるときふと、超ヤバい交通網と鬼インターナショナルと常に人々の住みたいクソすごい地域環境とを兼ね備えた港区につくんのがよくね?って考えたわけ。てかもう企業イラネ。酔っ払いサラリーマンもイラネ。居酒屋もテレビ局もシロガネーゼもイラネ。で、こんな感じの高校どうすか、ってサクッとまとめたのが、この港区学園都市計画。

 港区の学園都市、ヤバいよ。完成予想図見てみ? まず広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。広いとかっても、「東京ドーム20個ぶんくらい?」とか、もう、そういうレベルじゃない。港区の2037ヘクタールぜんぶ高校。港区=関東第一高校。約1ケルビン。摂氏で言うと-272℃。ヤバい。寒すぎ。

 それに港区=高校で高校生しかいないから超安全で親御さんも超安心。しかも緑や水辺環境の備わった環境の下で、体育館、購買、運動場、そして校舎がうまく調和した学校コミュニティを実現。で、校舎はぜんぶビル。てかぜんぶヒルズ。おい森、ヒルズつくれや、みたいな。そういう感じで。超レジデンス。

 そんなわけで21世紀の港区は、まちづくり、産業振興、環境共生、福祉・健康、そして子どもから高齢者・障害者のケアまで、すべてがグローバル・スタンダードのやすらぎある都心コミュニティ「MINATO」ブランドを全世界に発信すんのをやめたわけ。ここ重要。超重要。




「というわけだ。ちゃんと理解できたか?」

 京介は理解できていないだけでなく、脳が超ヤバくなっていた。

「さあ、着いたぜ。今日も一日、楽しく勉強しろよ! は、は!」

 運転手の大笑を耳にしながら、京介はゲロ袋に顔面を突っ込み、優しい同級生の肩を借りてどうにかバスを降りた。

 同級生は女子だった。

 右半身に例えようのない柔らかさを感じる。甘やかな香りを感じる。横殴りで吹きつける桜吹雪を浴びながら、かつての愛宕一丁目交差点を渡り、新橋側のエスカレーターに乗り、第6校舎ヒルズの人工地盤上2階エントランスにたどり着いた。

 看板に描かれたドラえもんならぬトラのもんが、リアルな8頭身でふたりを出迎える。ぐいと指を突きつけ、「I want you to really study hard!」と叫んでいた。

 女子が言った。

「乗り物酔い?」

「解説酔いだ」

「なにそれ」

「頼むから、これ以上わけのわからない話はしないでくれ。おれは、難しい話、ワンセンテンスが長い話、改行の少ない話、セリフのない話、イラストのない話をされると、心と体に変調をきたしてしまうのだ」

 フラッシュバックとともに、京介の全身がびくっと痙攣した。

「さあ、校舎ヒルズに入った。あとは自力で教室に向かって。できるよね?」

 3階吹き抜けのアトリウムに膝をつき、うずくまりながら、京介は何度もうなずいた。

「ありがとう」

「お安い御用よ」

 女子は妙に気軽な感じで京介の肩をぽんとたたき、それから耳元に口を近づけ、ささやいた。

「世界を変えるのよ」

 京介は顔を上げた。

 女子の姿はすでになかった。

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