第3話 大ゆとり天使ガブリエルの ラノベのすゝめ

 3ヶ月後。

 モテない冴えないごくふつうの高校2年生を約90日間にわたり追求しつづけた結果、無理もないが心が失調した。

 名状しがたき不安とパニックを抑えきれなくなり、京介はその日の放課後、新橋駅から徒歩1分の心療内科、『新橋メンヘらクリニック』を訪れた。


   ◇


「ごくふつうの高校2年生になりたいって?」

 デスクの向こうで医師が手を組み、言った。

 京介はうなずいた。

「なんでまた?」

「ごくふつうの高校2年生でなければならないからだ」

 医師は診断をはじめた。死にたいと思ったことはあるか。事故やケガを起こしやすいか。朝はとくに無気力か。食事はおいしくいただけているか。総じて人生がつまらなく感じるか。

 エコーで甲状腺を調べたあと、医師が言った。

「まったく問題ない。心も体も健康そのものだ」

「それが問題なのだ」

「健康なのが問題だっての? ん、待てよ。ごくふつうの、高校2年生…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 医師は顎をいじりながら3点リーダーの数だけ考えた。

「ちょっと、質問してもいいかな」

「するがいい」

「きみは異性にモテたいと思ってる? しかも、大勢の異性にだ」

「はたから見れば明らかにモテているが、当人に自覚はない。そういう高校生におれはなりたい」

「きみは冴えてる?」

「実際はそれなりに冴えているが、本人は冴えていないと思い込んでいる。そういう高校生におれはなりたい」

「人付き合いは苦手?」

「苦手だと思い込んでいるが、意外と口数は多く、会話は毎回それなりに成立している。だがたいていの場合、自分からは行動を起こさない。女子のほうからどんどんやってくるのだ。ほぼリアクションがメインで、女子が次々と放つ突拍子もない言動に対しセンスのかけらもないツッコミを返す。そういう高校生におれはなりたい」

「ひとりのときはぼんやり窓の外を眺める?」

 京介は思わず身を乗り出した。

「そうだ。そのとおりだ」

「ちょっと、IQ測らせてもらえるかな」

「なぜだ」

「いいからいいから。おい、女の看護師!」

 医師は戸口のほうに呼ばわった。

 引き戸が開き、看護婦が顔をのぞかせた。

「なんでしょう」

「セクシーなおまえ! おまえはいつ見てもセクシーだな! お尻ふりふりさせながらIQメーター持ってきて!」

「わかりました」

 医師のキャラクターが豹変したことに一抹の不安を覚えたが、京介は黙ってイスにすわりつづけた。

 女の看護師と呼ばれた看護婦が、指示どおりお尻をふりふりさせながら機材を抱えて戻ってきた。デスクの上にどんと置き、やはりお尻をふりふりさせながら診察室を出た。京介はお尻から机上の機材に目を移した。小型アンプのような黒い無骨な機械で、ツマミやメーターがいくつかついている。本体からはひもが2本出ていて、その先には握ってくれといわんばかりの銀色の円柱がくっついていた。

「『ハバード=カンプフ電子精神メーター』だ。学校でも見たことあんだろ? これからIQオーディティング、やるからね。ほら、その電極棒を両手に持って。持って持って」

 京介は電極棒を握った。医師がスイッチを入れ、質問をしたとたん、機器は火花を散らし、白煙を上げ、最終的に爆発した。


   ◇


「これで2台目だ! うへえ!」

 爆発音が診療所内に轟き、衝撃が壁を揺るがした。額に入れた医師免許ががたりと床に落ちた。

「こりゃひでえ! げほ、げほ。跡形もなく吹っ飛んじまった! なんてIQだ! あんた天才だよ! 宇宙人だ! すげえ!」

 すすだらけの顔に髪を爆発させた医師が叫んだ。

「おい、女の看護師! 替えの電子精神メーターを持ってこい! なに? もうない? なんてこった! ところであんた、すんごいね。すんごいIQだね。てことは、高校の成績も、すんごいすんごいなんだろ? どのくらいすんごいの」

 京介は答える代わりにリュックをかきまわし、1学期の通知表を引っぱり出した。

 通知表を開き、医師の顔面に突きつける。

「なんだあ、こりゃあ!」

 医師は声を裏返して叫んだ。

「こりゃひでえ! なんて成績だ! なんでそのIQで、こんなクソみてえな成績しか取れないの? そうか! わかったぞ! あんたの病名がわかった! すげえ! マジかよ!」

「なんという病気なのだ」

「アンダーアチーバーだよ! あんたアンダーアチーバーなのさ! あんたは今日から、アンダーアチーバー京介になるんだよ! すげえ!」

 なにがすごいのか京介にはいまいちピンと来なかった。

「治療法はあるのか」

「ないね! 代わりにこいつを持っていきな!」

 プラスチックのボトルを投げてよこした。

 京介は受け取り、ラベルを見た。

「この薬はなんだ」

「メチルフェニデート系のラノベール™錠って商品さ! そいつはキクぜ! なんだかわかんないけど、食えば心が落ち着くからさ。1回につき100錠、いや、200錠かな。なんでもいいや。とにかく食えよ。ほら、さっさと食えよ!」


   ◇


 新橋メンへらクリニックを出たあと、京介は医師の指示どおり、ラノベール™錠の巨大なボトルを開け、100錠~200錠をがさりとつかんで口に入れ、メントスのように貪り食った。

 歩道を歩きながら、ハムスターのように頬を膨らませ、ごりごりと奥歯を鳴らす。すると突如金縛りに襲われた。

 空を見上げると、大天使ガブリエルがあらわれ、こう言われた。

め」

 ガブリエルは文庫サイズの本を渡した。

 京介は受け取り、開き、ぱらぱらとめくった。

「なんだこれは」

「いいから誦めよ」

 本は280ページほどの厚さだった。難しい漢字には振り仮名がふってあり、本文のあいだに白黒イラストが計10枚ほど挿入されている。男と女が会話している。延々と会話している。

 京介はあらためて表紙を見た。正気を疑う格好をした未成年と思しき女子が、犯してくれと言わんばかりのポーズを取っている。

 京介は本を閉じ、天使に言った。

「おれには誦めない」

「なんで?」

「活字が苦手だからだ」

「じゃ、おれが誦むわ」




  「二度死ね―――――――――――――――――――――――――っ!」

   グッワッシャーン! ドガシ! ガガガガッ。ゴス。

  「…………」




 京介は朗読を遮り、天使にたずねた。

「いまのはなんだ」

「神の言葉」

「なぜ擬音語だらけなのだ」

「でも、情景がありありと思い浮かばね?」

 京介は首を振った。

「情景どころか、まったく意味がわからなかった」

「ま、ラノベが失われたこの世界じゃあ、しょうがないのかね。とにかく啓示は授けたかんな。おまえはこれから、神の声を人間どもに伝え、世界を正しきラノベの道に導くんだ。それがおまえの使命、宿命なんだってさ」

 京介はあらためてたずねた。

「おまえは何者なのだ」

「よくぞ聞いてくれました! えっと、おれさまは、大天使ガブリエル様さ!」

 自称天使はわざわざ横を向き、繊細な顎を持ち上げ、薄い唇に蛇のような笑みを浮かべ、さらさらの黒髪をかき上げ、「ふっ」と言った。

 ただの自己紹介であるにもかかわらずなぜわざわざそのようなポーズを取ったのかはわからないが、手間のわりにたいしてかっこよくもなかった。

 片目を開け、おうかがいを立てるように言った。

「どう? 天使らしいっしょ」

 どうも好きになれないタイプだった。

「世界を変えるのはやぶさかではない。だがなぜ、おれなのだ」

「知らね。神のご意志なんだよ。おれはただ伝えに来ただけ」

「なにかを伝えるなら、擬音語や3点リーダーではなく、正しい日本語で伝えるべきだ」

「ミステリアスじゃね? ではまた」

 天使ガブリエルは無駄に大きな翼を広げ、チャラチャラと飛び去った。顔を上げ、天使の背中を追っていると、突然世界が京介の目の前で瓦解した。




   誦め、「創造主たる主の御名において、

   いとも小さい凝血から主人公をば創りなし給う」

   誦め、「汝の主はこよなく有り難いお方。

   筆もつすべを教え給う。

   未知なるラノベを教え給う」と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます