第3話

『第2工場、非常!第2工場、非常!』


その非常ベルは、仕事がひと段落ついた丁度ちょうど昼間に鳴った。

所内には非常事態の発生を報せるベルがけたたましく鳴り響き、機械音声が発生現場を伝える。

それが、所内全体に心臓を締め付けるほどの緊張感と恐怖、そして何よりも形容けいようがた高揚こうよう感をもたらす。


所内は一気に蜂の巣をつついたような騒ぎとなったのだが、役割をそれぞれが把握はあくしているため職員ほぼ全員が一目散に非常事態の発生した第2工場へとけ出す。

俺もそれに続き、食べていた飯を放り出して現場である第2工場へと走ったのだった。


工場に着いた時には、すでに騒ぎの原因となった収容者は「管区かんく機動警備隊」と呼ばれる塀の中の機動隊員達により取り押さえられ床に拘束されていた。


「全員目を閉じて下を向け!作業を止めろ!」


事の発端ほったんとなった人間を除き、他の被収容者達は全員その方向を見る事のないよう指示を受ける。


そして、訳も分からぬままに非常事態に駆けつけた俺にとってはその惨状さんじょうに恐怖を覚えた。


床一面にブチまけられた飯、血のついた下着を着て口や鼻から血をながし床に伏す男、眼を血走らせ肩で息をし強く拳を握りしめている興奮した様子の男。

そして両者を壁側に追いやる形で両腕を取り制圧せいあつする警備隊。


そのどれもが、俺の知っていた日常とはかけ離れたものであることは、誰の目にも明らかであった。


「おう、離せやオヤジ。俺はもうなんもせんからよ」

「ダメだ。そのまま連行する」

「なんでや!?そいつが悪いんやぞ!テメェの食ったくせしやがってコッチに手ェ伸ばしやがってオラァ!」


まだ興奮冷めやまないのか、現場を指揮する職員の回答に逆上し、職員の制止制圧を振り切って襲い掛かろうとする。

しかし、両腕を取る職員に完全に動きを制止されて前には進まない。


「やめなさい!暴れるのはやめなさい!……仕方ない、飛行機で連行を保護室収容とする」


指揮者のその指示に、周囲を警戒していた職員の1人が暴れていた男の両足を取る。

両手を広げ、足を取られ、まさしく「飛行機」と呼べるポーズのまま運ばれていく。


殴られ、怪我をした方の男は鼻を抑えつつ職員の指示に従い医務室へと向かうようだった。


「警備隊を残し、撤収」


指揮者のその合図で残りの職員が一斉に動き出すと、他の収容者達は何事もなかったかのように再び作業に戻る。

刑務所の中では、このようなことは割と日常茶飯事であるのだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



その日、俺の勤務は夜勤だった。

非常ベルがあったために、昼メシもまともに食べられなかったからか階段を登る足取りは、足枷あしかせでもつけたかのように重かった。


夜間の巡回は、職員たった1人で百何十人、下手をすれば何百人の被収容者を受け持つ。

定められた巡回時間を守り、建物の中をひたすらに巡回する。

それは、深夜であろうとも未明であろうとも早朝であろうとも変わらない。


彼らの中には、覚醒剤の後遺症で強い睡眠導入剤を飲んでなお、全く眠れぬ夜を過ごす者や、何を考えてか真夜中に掃除なんぞを始める者、「拘禁こうきん症」と呼ばれる精神異常をきたして突発とっぱつ的に発狂する者、自身の罪の意識にさいなまれ自殺や自傷を企図する者などがいる。

もちろん、その他にも違反行為を惹起じゃっきしていたり、逃走企図している者もいるが……


彼らが万が一にも、自殺や逃走、それ以外の事故などが無いように、社会の治安維持の縁の下の力持ちの一助となる為に。

我々は日々、文字通り「命を賭けて」巡回をする。


それは例え、

日が明けようが

年が明けようが

時代が明けようが


我々は今日も変わらず舎房を巡る。


何故ならば、「刑務所は治安の最後の砦」であるからだ。

職員一人一人は、その高い意識を持って刑務所における刑事司法の完全な遂行を全うする。


ふと、窓の外から日が昇るのが見えた。


こうしてまた、新たな一日が始まる。

何も変わらぬ塀の中の、何も変わらぬ日々だけれども、舎房しゃぼうの窓から見る空は確かな変化を教えてくれる。

鬱屈うっくつとした鉄格子に囲まれた、ほの暗い舎房の中から、私は今日も命をけて次の朝日を浴びる。

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「舎房の窓から見る空は」 やきざかな @yakizakana11

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