エピローグ:「帝都」

第209話

「あ~あ、酷ぇなあ、こりゃ」


 無精髭を生やし、騎士服をだらしなく着崩した男は、瓦礫の山と化した都市ブラーチェの港を見て、他人事のようにそう言った。


「で? これをやった奴は?」

「あそこです、パラディン閣下」


 閣下。都市の参事会員が男の事をそう呼ぶと、男は辟易した表情で、老齢の参事会員を見下ろした。

 パラディンなど、閣下と呼ばれるような御大層な称号では無い。しかし、それを指摘する事すら面倒だったので、男は参事会員の呼ばせたいように呼ばせてやる事にした。

 男の名前はランディ・バックレイ。栄えある神殿騎士団パラディンの第三席である。だがその当人はどこか無気力で、目が死んでいる。言葉遣いも適当で、とても「栄えある」という外見、態度では無かった。

 それを認識していても、パラディンというものは、一都市の一参事会員程度に逆らえる存在ではない。これの癇に障るだけで、最悪、都市に先日の魔獣騒ぎ以上の災難が降りかかる事だってあり得る。老齢の参事会員はそう思っているに違いなく、ランディを腫れ物に触るように扱った。

 参事会員に案内されて、ランディは堤防の階段を上がった。港からよりもここの方が、町に何が起こったかを良く見渡す事が出来る。


「あれ、か……」


 それが目に入って、流石にランディの瞳は真剣味を帯びた。

 突堤の一つに、巨大な魔獣の死体が、大型船を係留するための太いロープで、これでもかと執拗に縛られている。のこぎりの刃のような牙の生えた口から、赤い舌がだらりと垂れ下がっているのが見えた。

 一見するだけで分かる。対軍級か、それ以上の強力な魔獣だ。このブラーチェよりも上流にあるポロンの町が、あれを発見して即座に、神殿騎士団にパラディンの出動を要請したのは適切な判断だった。

 ランディは、ここしばらくずっと、直轄領外での任務に当たっていた。そんな彼がここに居るのは、選帝会議の布告によって、全てのパラディンに帰還命令が下ったからである。南の高地領邦に居た彼は、帝都に戻るために、陸路で大陸を北上していた。

 そしてその“ついで”に、レニ川を下って結界内に侵入した魔獣を討てと、総長と総主教の連名での指令があったのだ。


 川沿いの都市に被害を及ぼすかもしれない魔獣を討伐しろというのは、久々に分かりやすい、それ以上にやりがいのある任務だった。少なくとも、どこかの領主への挨拶だとか、どこかの伯が催す式典に参加してこいとか、そういうものよりはずっと良い。

 なのに、ランディがブラーチェに着いた時には、魔獣は既に倒された後だった。都市と魔獣の激闘が終わったのは、もう三日も前の事だとランディは説明を受けた。

 拍子抜けしてはいけないのだろう。だが、ランディは拍子抜けした。


「それにしても――」


 魔獣が間違いなく死んでいるのを再び確認し、だらけた表情に戻ると、ランディは参事会員に尋ねた。


「この町の戦力で、良くあれを倒せたなあ」


 それは、ランディの正直な感想だった。港に入って、今は街の復興の手伝いをしている、帝都から派遣された三隻の軍船は、ランディと同じく戦闘には間に合わなかったと聞いている。という事はこの都市の人間たちは、独力であれと戦ったという事になる。

 あの魔獣を倒すには、ランディでも鎧袖一触という訳にはいかないだろう。大したものだと、ランディは素直に都市民の頑張りを称賛した。

 しかし、参事会員はランディの言葉を聞いて、少し慌てた表情をした。


「え、もしや報告が有りませんでしたか?」

「何が」

「申し訳ありません。ですが、あれを倒したのは、町の住民ではないのです」

「別に、申し訳無いって事はないけどよ……」


 では、どこかのよそ者があれを倒したのか。ランディは改めて魔獣の死骸を見た。魔獣の腹には、十字に裂かれた傷がある。あれが致命傷になったのだろうか。


「あれを倒したのは、たまたま町に滞在しておられた騎士様と、銀色の髪の娘です」

「は?」

「騎士様の方は、どこぞの由緒正しい御令嬢に仕える騎士様です。騎士様は非常にお強く、御令嬢も非常にお美しい方でしたが、お忍びで旅行をしていらっしゃるという事で、お名前は明かしていただけませんでした」

「お、おい、大丈夫か……?」


 ランディがそう尋ねたのは無理もない。彼は、いきなり何の妄想を語り出したのかという目つきで、参事会員を見ている。幸い、彼のその視線に気付かなかった老参事会員は、頷きながら言葉を続けた。


「銀髪の娘の方は、良く分かりません。余りに動きが速かったので、誰も良く顔を見ておりませんでした。しかし町の者は皆、娘が銀髪だという事は覚えておりました。私も参事会堂の窓から戦いを見ておったのですが、その娘の髪の輝きだけは良く見えました。ですが残念ながら、その娘は魔獣に呑まれて――」

「おい、誰か! 治癒士を呼んでくれ!」

「閣下、どうかされましたか? どこかお身体の具合でも……」

「いや、具合が悪いのはあんただろ。ちょっと休んだ方が良い。働き過ぎは良くないぞ」


 どこか恍惚とした表情で戦いの思い出を語る老参事会員を、ランディは駆けつけてきた治癒士に引き渡した。幸い、港の周辺は野戦病院のような事になっているので、治癒士はそこら中にいる。


「やれやれ、魔獣が出たショックでおかしくなったのか……?」


 一人になったランディは、寝癖の付いた頭をぼりぼりと掻きながら堤防を下りた。適当にその辺の人間に話しかけて、何があったのかを聞き出すつもりだ。痴呆が始まった爺さんに案内されるよりは、一人で歩き回った方が正確な話が聞けそうだと彼は思った。

 瓦礫と化した倉庫や、滅茶苦茶に割れた民家のガラス窓を横目に見ながら、ランディは町中をぶらつき、魔獣との戦いについて住民に尋ね回った。それはさして難しい作業では無かった。何故なら、町のあちこちで会話している人々は、誰も彼もが都市と魔獣の戦いについて話していたからだ。

 そして分かったのは、驚くべき事に、あの老参事会員の言っていた話は、ほぼ正確な説明だったという事実だ。


 グリーブを履いた銀髪の娘が飛び回って、魔獣とほとんど一人で戦っていた。

 銀髪の少女が溺れかけていた自分を引き上げて、港まで投げ飛ばした。

 小柄な娘が、素手で魔獣をしばき倒していた。あれは確かに銀髪だった。

 娘は水の上を歩いていた。太陽の光を受けて、娘の銀髪があり得ないくらい美しかった。


「いやあ、俺はほとんど気絶してたから分かんねぇんだけどさ。銀色のまぶしい光がして、それから港に放り投げられたんだ。あれが、皆の言ってる娘だったのかもな」


「死ぬかと思った。魔獣がこっちに倒れてきて……。あの子が、それを両手で支えたんだ。鍛えたら、俺もあんな風になれるのかな」


「私は恥じ入っています。市民を守るべき衛兵の我々が逃げ惑い、躊躇している中で、あの少女だけが、果敢に魔獣に立ち向かった。我々は、あの少女の力よりも、心に学ばなければならないと思っています」


「それがね、すっごい美人の子だったのよ。え? そうよ、遠くて顔は良く見えなかったわよ? でも、あれは美人よ。間違い無いわ。あんた何? あの子の知り合い?」


「きれいな髪だったの! 私もあんなきれいな髪になりたいと思った!」


 確かに、率先して怪我人の救助に当たり、最後に魔獣の死を確認した騎士の話なども出て来た。だが、誰が魔獣を倒したのかと聞けば、市民たちは即座に、それは銀髪の少女だったと答えた。

 既に三日経ったというのに、どの顔も興奮して、銀髪の少女の物語を語り合っていた。

 まるで、勇気と力に満ちた比類無き英雄が、銀色の光をまとい現れて、都市を厄災から救ってくれたかのように。


「はは、何が英雄だよ。この町の奴らは、夢でも見てたのか……?」


 ランディは半笑いでそう言った。しかし、彼の目は笑っていない。

 英雄。勇気ある者。勇者。その単語が、彼の頭から離れなかった。


「英雄なんて、そんなよ……」


 馬鹿馬鹿しいと言おうとして、ランディの言葉は途切れた。彼は少しうつむき、その目は地面を見ている。

 彼はパラディンだ。この大陸において、神殿騎士団のパラディンこそが、英雄と呼ばれるべき存在だ。事実、だらしない格好をしていても、彼はそこらの人間よりも圧倒的に強い。あの魔獣も、彼ならばさして苦労せずに倒せただろう。

 港は破壊し尽くされた。死傷者だって多く出ている。魔獣が出現した時にランディが居合わせれば、犠牲はこれよりもっと少なく済んだはずだ。

 だがしかし、ランディがあの魔獣を倒したとして、市民たちにこれほどの勇気を与える事が出来ただろうか。


 英雄は身の危険も省みず、どんな強敵も恐れず、誰かのためにただ戦う。

 ふとランディは、自分が一介の騎士候補生だった頃の、パラディンに対する憧れを思い出しそうになった。


「そんな、まさかな……」


 今の、淀んだ瞳で無気力に笑う彼は、あの頃の彼と何が違うのだろう。まさかと言って、彼は何をそんなに否定したいのだろう。

 ランディは顔を上げた。破壊された港の向こうに、大河を挟んで、沈みゆく太陽が見える。

 魔獣と戦った銀髪の少女は、最後の最後、魔獣に呑まれて死んだそうだ。誰もその娘の、名前すらも知っていなかった。

 そう、町の英雄は、唐突に現れて、そして死んだ。


「……銀髪の、娘…………」


 ランディは、会った事も無いその娘の姿を、頭に思い描いた。



「フロイド、あなたはもう少し、あの町に残りたかったのではないですか?」


 帝都を目指してレニ川を下る船上で、日傘を回しながらアルフェは笑った。沈む夕陽に照らされたその笑顔は、何かの心の屈託が晴れたような、爽やかなものだった。フロイドはそれを見て、同じように笑った。


「あまり長居をすると、灰色の髪の御令嬢と、銀髪の怪獣娘を結びつける市民も出てくるのでは? 早めに出てきて正解というものだ」

「そうですか。……そうですね。でも――」


 笑顔を少し曇らせて、アルフェは言った。


「あの町で、あなたを真の騎士だと言って称賛する人も居ました」


 アルフェは都市ブラーチェで、自分を魔獣に呑まれて死んだように見せかけて、その後は髪を染め直し、何食わぬ顔で令嬢の演技を続けた。堂々としていると、以外とバレないものだ。誰もアルフェが魔獣と戦っていた娘だと気付かなかった。

 それが少し可笑しく、アルフェは笑う。そして同時に、フロイドに対して申し訳無く思う。

 銀髪の娘が姿を消すと、市民の注目は、負傷者の救出に率先して当たった騎士に集まった。市民たちはこぞってフロイドに親愛の握手を求め、感激のあまり涙をこぼす者までいた。

 戸惑いながらも、フロイドはその握手に応じていた。アルフェはそれを、濡れた身体で瓦礫の陰から見ていたのだ。ずっと裏道を歩いてきた男が、人々の感謝を受け、はにかんだ笑顔を見せていた。


「もしもあなたが、あの町に留まれば……」


 だからこそ、アルフェはフロイドに申し訳無く思う。もしフロイドがあの都市に留まれば、この男は再び、日の当たる場所に出て行くことができたのではないか。


「良いんだ」


 寂しい微笑みで己を突き放そうとする主を前に、フロイドは言った。


「俺は貴女に付いて行く。貴女を主と仰いで、そのために戦う。誰に何を言われても、それは変わらない。例え、貴女自身に言われてもだ」

「頑固ですね」


 呆れたように、アルフェは笑った。

 アルフェは本当に、良く笑うようになった。

 そうさ、とフロイドは頷いた。笑っているのは、彼もだった。


「貴女も、いい加減に諦めたらいい。――俺は今、胸を張れている。今の俺は、俺の生き方を、誰に向かっても自慢できる。恥じる事など何も無い。だから、これでいい」


 アルフェはそれ以上の説得を止め、フロイドに背中を向けた、

 地平線に沈む大きな夕陽が、目に痛いほどにまぶしい。


「フロイド、一つだけ、言っておきますね」

「ん?」


 背中越しの主人の言葉に、フロイドは返事をした。


「もしも私が、どこかで死んでしまったとしても、……仇なんか、討たなくてもいいですよ」


 フロイドは笑顔を消した。アルフェには、魔獣の腹の中で、怒り狂って叫ぶ臣下の声が聞こえていたのだ。アルフェが呑み込まれた後、フロイドは主の仇だと言って、敵いそうもない魔獣の前に一人で立った。

 フロイドは無言で、何も答えない。アルフェもそれきり、景色を見つめて何も言わない。


 自分自身が師の仇を討ちたいと願っているのに、アルフェはフロイドに、自分の仇は討たなくてもいいと告げた。

 そこに、それ以上の意味は無い。これからの戦いの中で、例え自分が志し半ばで果てたとしても、自分の仇は討たなくてもいい。アルフェはただそう思ったのだ。だから、そのままの想いをフロイドに伝えた。

 それでアルフェの目的や行動が変わる訳ではない。アルフェはきっと、師の仇を討つ。自分から大切な人を奪った者を、アルフェは決して許さない。感情を取り戻しても、誰かを救う心を思い出しても、それだけは絶対に変わらない。――変えられないのだ。


 でも、いや、だからこそだろうか。自分に何か有ったとしても、自分の仇は討たなくてもいい。それを一言、アルフェは伝えておきたかった。


「帝都だ! 帝都が見えたぞ!」


 船員の声がして、アルフェとフロイドは、同時に船首の方に顔を向けた。


 二人が考えている事は、異なっているのかもしれない。だが、少なくとも今この時、二人が見ている風景だけは同じだった。

 水平線の向こう、流れの彼方に、途方もなく巨大な都市が見える。


 あれが帝都だ。

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