第196話
「クラウスさんって、一人でこんな所に来ていて良いんですか?」
「え?」
急にステラにそんな事を言われて、クラウスは目を丸くした。一昨日彼がこの家を訪ねた時には、ステラは特に嫌がる様子もなく、雑談に応じていた。それが、今日のステラは非常に深刻な顔をして、責めるような口調でクラウスを問い詰めたのだから当然だろう。
クラウスは、若干恐る恐るといった感じでステラに聞いた。
「俺に何か、不手際でも有ったでしょうか……?」
「そうじゃなくって」
「……?」
ステラは苛立っているが、その苛立ちの理由がクラウスには分からないようだ。ステラ自身、内心ちょっと理不尽かなと思いつつ問い詰めているのだから、それは仕方がない事であったが。
「私は若い女の子ですよ?」
自分を若い女の子と言うのはどうなのだろう。問い詰めるうち、ステラにも自分が何を言っているのか分からなくなってきたが、彼女は勢いに任せて喋った。
「そんな女の子が一人暮らししている家に一人で来て、クラウスさんは何も思わないのかって事ですよ」
「それは……、やはり不躾だったと思います。身をわきまえるべきでした」
「いや、そうじゃなくって」
「……?」
「いいから、ちょっと入って下さい!」
娘の一人暮らしの家を訪ねるなと言ってみたり、逆に入れと言ってみたり、ステラの言い分は矛盾していたが、彼女の勢いに押され、クラウスはサンドライト家の扉をくぐった。
クラウスを居間の椅子に座らせると、ステラは少し声を潜め、クラウスに顔を寄せて喋った。ここなら“彼女”は見ていないと思うが、念のためである。
「いいですかクラウスさん。つまり私が言いたいのは、あなたが一人でこんな場所に来てたら、誰か心配する人がいるんじゃないですかって事ですよ……!」
「誰か……? 何を……?」
クラウスも、ステラに釣られて声を潜めている。しかし相変わらず、彼はステラの言いたい事を理解していなかった。業を煮やしたステラは、直接その女性の名前を出した。
「メルヴィナさんですよ……!」
「……は?」
「心当たりが有るんでしょう?」
一昨日、即ち前回クラウスがこの家を見回りに来た時、ステラは彼と一緒になって、大聖堂まで歩いた。クラウスと別れてから、ステラは大聖堂の門前で、メルヴィナがステラの様子をうかがっている事に気が付いた。メルヴィナを捕まえたステラは、どうして彼女がステラの事を見ていたのかを話題にした。
そこで、メルヴィナが言ったのだ。
――……あの、わた、私の知り合いが、貴女と歩いているのを、あの、見て。……ごめんなさい…………。
しどろもどろになりながら、メルヴィナは白い顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。メルヴィナの言葉は断片的だったが、ステラにはぴんときた。
「あなた、メルヴィナさんのお供なんですよね?」
「……え? は、はい、そうです。 それを誰から聞きました……?」
「お兄ちゃんです」
正確に言うと、マキアスはメルヴィナとクラウスの関係について、ステラには語らなかった。だがステラも、メルヴィナに大切な連れがいるらしい事までは、兄からほのめかされていた。それがクラウスの事だったのだと、メルヴィナの態度から、ステラは勝手に読み取ったのだ。
だが、ステラは兄から聞いたという事にして、話を前に進めようとした。クラウスも、マキアスの名前を出した事で納得しているようだ。
「こんな場所に一人で来て、メルヴィナさんに誤解されたらどうするんですか」
と言うよりも、メルヴィナは既に誤解しているに違いない。二人で歩くステラとクラウスの後をつけ、その後にステラの様子を物陰からうかがっていたという事は、つまりそういう事なのだろう。
しかし、クラウスは苦笑すると、ステラのいう事をきっぱりと否定した。
「こんな場所とは……。それに、ステラさんこそ誤解しています」
「そうなんですか?」
「はい。メルヴィナ様……あの方と俺は、そういう関係ではありません」
では、どういう関係なのだろう。ステラも他の年頃の娘並みに、こういう話題には関心があった。彼女は耳を大きくした。
「メルヴィナ様は、実を言うと北大陸の出身では無いんです。あの方は元々帝国の生まれで、さる帝国貴族のご養子です。縁あって、その貴族から俺は、あの方の護衛を仰せつかりました」
「養子?」
「はい。メルヴィナ様は、優れた魔術の才能をお持ちですから」
何だか、結構立ち入った話のようだとステラは思った。貴族の養子になったという事は、メルヴィナは、元は平民だったという意味だろうか。魔術に限らず、優れた才能を持つ平民を養子にする貴族の話は、たまに耳にする。
そう言えば、今まで特に意識していなかったが、メルヴィナとクラウスの家名を、ステラは聞いていない。本人たちがあえて口にしないのならば、立ち入ってはいけない話なのかもしれない。だが、ステラは好奇心を抑えられなかった。
「何というお名前のお家ですか?」
「申し訳ありませんが、それは言えません。一応、お忍びという事になっているので」
クラウスがそう答えて、ステラは顔を赤くした。今のは少し、はしたない質問だったかもしれない。
「ああ、でも、変な家ではありませんよ?」
「それはそうでしょうけど……」
クラウスが初めて冗談らしいものを口にしたので、ステラはちょっと笑った。するとクラウスは、急に表情を暗くし、ここだけの話ですがと言った。
「メルヴィナ様は、あの通りの髪をお持ちですから、幼いころから、色々と苦労をなさっているのです。そのせいか、少しだけ、引っ込み思案な所も有りますが……」
己の心に、メルヴィナに対する同情が湧くのを、ステラは感じた。
光の当たり方で黒っぽく見える髪や瞳を持つ人間というのは、帝国人にもそれなりに居る。だが、あそこまではっきりと黒い人間を、ステラはメルヴィナ以外に知らない。クラウスの言う通り、黒髪を不吉なものと捉える帝国において、彼女は想像できない辛い思いをしてきたのだろうか。
そんな風にステラが考えていると、クラウスが彼女を見ていた。
「従者の分際で、出過ぎた事を言います。ですがステラさん、メルヴィナ様と、仲良くしていただけると幸いです」
「あ――」
真剣な顔で頼むクラウスに、ステラも真面目な表情で頷かざるを得なかった。
最初ステラが聞いた事から、何となく話題は逸れてしまった。クラウスはその後も、メルヴィナについてステラに語った。勉強の関係で、メルヴィナは大聖堂にも顔を出す事が多いだろうが、その時に見かけたら、是非声をかけて欲しいという事だ。
話が終わり、クラウスはステラの家を辞去しようとした。ステラは立って、玄関先まで彼を見送りに出た。
「……」
「クラウスさん?」
と、そこでクラウスは、突然目を鋭くした。さっきまで柔らかい表情をしていたのに、その変わりように、ステラは思わず身体を竦ませた。
クラウスが見ているのは、通りのずっと先だ。ステラもそちらに顔を向けて、目を細める。顔の判別もできないくらいの距離にある家の影に、誰かがいるのが見えた。
「あれ、メルヴィナさんじゃないですか?」
ステラはそう言った。まさに、あそこに居るのはメルヴィナだ。隠れているようでも半身が見えており、彼女の黒い髪は遠くからでも目立った。
「きっと、クラウスさんが心配だったんですよ。やっぱり――」
やっぱり、彼女を誤解させるような事をしてはいけないと思う。クラウスにそう言おうと、ステラは彼に顔を向けたのだが――
「――――っ?」
メルヴィナの方を見るクラウスが、あからさまな怒りの籠った表情をしていたので、ステラの言葉はそこで途切れた。
しかし、それは本当に一瞬の表情だった。次にクラウスが口を開いた時には、彼の顔から、ステラを怯えさせたものは完全に消えていた。
「仕方ありません。ステラさん、私はメルヴィナ様をお連れして、騎士団本部に戻ります」
「え……、あ……、はい、そうですね。それがいいと思います」
「どうしました?」
「いえ、何でも。気を付けて」
あの表情は、自分が見た幻だったのだろうか。あれはとても、大切な主に向ける表情ではなかった。クラウスはその後、身を隠していたメルヴィナに声をかけ、二、三言葉を交わしてから、彼女の後ろについて歩き始めた。そこに、特に変わった様子は無い。
しかしその時の事は、ステラの胸にほんの一抹の不安を残した。
◇
「ここに居たか。探したぞケルドーン」
「総長」
神殿騎士団総長のカール・リンデンブルムは、帝都の大聖堂にいたパラディン第六席のケルドーン・グレイラントに声をかけた。
ケルドーンのパラディンとしての役目は、基本的に総主教と聖女の護衛だ。カールは、ケルドーンが守護するように立っている扉を一瞥し、それから言った。
「……聖女様か?」
「はい」
ケルドーンの返事は短い。この扉の向こうには、天井が開け放たれた狭い中庭がある。神聖教会の聖女エウラリアは、時たまそこで一人きりになり、心を休めている事があった。カールも、その事を良く知っている。
聖女の護衛を務める短髪壮年のパラディンは、まるで中に居る人物の心を、少しでも騒がせたくないという風に、無言でカールに瞳を向けた。
「……分かっている。夜、私の部屋に来い」
どのみち、ここで話をする事はできないと思ったカールは、ケルドーンにそう告げた。
そして夜、ケルドーンは大聖堂内にある、カールの私室の扉を叩いた。神殿騎士団総長ともなれば、騎士団本部要塞の他に、帝都の大聖堂にも個別の部屋を持っている。
ケルドーンがここに居るという事は、今現在の総主教と聖女の護衛は、彼の麾下が務めているという意味だ。総主教は、それ以上に聖女は、教会にとっての最重要人物である。夜だからと言って、二人の周囲から騎士の姿が無くなる事はあり得ない。
ケルドーンはカールの執務机の前まで来ると、直立不動の姿勢で言った。
「何か、私に御用でしょうか」
「例の件だ」
それだけで、ケルドーンはカールの意図を理解した。
最近何者かが、各地に居る騎士団員を闇討ちしている。それが誰の手によるものなのか、カールはそれを聞いている。
闇討ちされた騎士団員は、全て裏の任務を持っていた。騎士団に不都合な人間を消し去る暗殺部隊。その部隊の指揮を兼ねているのは他ならぬ、ここに居るケルドーンだ。
「判明していませんが、帝都と地方、それぞれに我々の敵が居るようです」
「そんな事は分かっている」
カールの言葉に、少しの苛立ちが見えた。
地方の都市でも部隊員は死んでいるが、同時に帝都でも死んでいるのだ。一人の人間にできる仕事ではない。そしてどちらかと言えば、カールにとっては帝都の方が気がかりだった。ここは彼らの本拠地だ。配置されている人員も、地方に居る者たちより練度が高い。
更に言えば、実行者はともかくとして、これを誰が命じているのか、カールには既に見当がついていた。
「ユリアン・エアハルトか、そうでなければヴォルクスの命令に違いない」
本当は、ヴォルクス・ヴァイスハイトの仕業だと、カールは声を大にして叫びたかった。しかしヴォルクスは、今の所は動きを見せていない。それよりは、エアハルト伯ユリアンの命令である可能性の方が高かった。
それについて、ケルドーンが一つ新しい報告をもたらした。
「やはり暗殺ギルドは、エアハルト伯の軍門に降ったようです。前ギルド長は何者かに消され、新しい指揮者が生まれました」
流石に手が早い。エアハルト伯領周辺を瞬く間に勢力下に収めた手腕は、こんな場所でも発揮されているようだ。カールは唸った。
昨日はケルドーンの部隊の構成員が闇討ちされ、今日は皇帝候補の一人が不審死を遂げた。まだ選帝会議の開催も正式に発表されていないのに、この帝都は既に、様々な勢力が暗躍する坩堝となっていた。
カールもそれらとせめぎ合ってはいる。エアハルト伯の影響下にあった若きノイマルク伯オットーは、順調に教会への恭順を示し始めていたし、ケルドーンの部隊は、暗殺ギルドの構成員を何人か返り討ちにした。
しかし、ヴォルクスの動きが静かだった。ヴォルクスは帝都において、特に目立った行動はしていない。ヴォルクスに心酔しているシモン・フィールリンゲルなどのパラディンも、帝都からずっと離れた場所での任務に当たっている。
ヴォルクスはただ、麾下やその他の騎士に訓練を付けるなど、第一軍団長としての通常の役目に精練しているように見えた。
だが、だからと言ってヴォルクスから目を離す事はできない。カールには、考えるべき事が多かった。以前にキルケル大聖堂を襲撃し、パラディンのエドガー・トーレスを殺害したと思われる銀髪の娘の捜索も、何者かに妨害されているせいで、上手く行っていない。
言う事を聞くパラディンの誰かを動かすべきだろうか。
しかし、明確にヴォルクスの影響下にないパラディンというと、選択肢は限られた。ケルドーンを大聖堂から離す事はできないし、第二席のアレクサンドル・ゴットバルトは、国外での重要な折衝を行っている。他の者にもそれぞれの任務があった。そう考えると、十一席のイジウス、九席のエドガーを立て続けに失ったのは、騎士団内の派閥のバランスという意味でも痛かった。
――しかし、会議は近い。
選帝会議の開催は、間もなく正式に布告される。そうなれば、後はもう止まれない。帝国の有力者が一堂に参集し、会議が終わるころには、この国の形は変わっている。皇帝が教会を敬い、民が信仰に励む、本来の国の形に戻ると言っても良い。
自分の中にあるのはそれだけだ。それだけのために、自分は身を削っている。あの男に対する羨望も嫉妬も、自分の中には無い。決して無い。
そう、決して。
「引き続き、任務に当たれ」
自分の中の暗い情念を押さえ込むと、カールはそう言って、ケルドーンに部屋を引き下がらせた。
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