第185話

「マキアス、お前に一つ任務がある。緊急のものだ」

「え?」


 神殿騎士団の第一軍団長、ヴォルクス・ヴァイスハイトの執務室に呼び出されたマキアスは、急な命令を与えられて戸惑った。

 いや、マキアスは神殿騎士で、ヴォルクスの部下なのだ。そうである以上、彼から任務を与えられるのは当然だ。戸惑うのはおかしい。

 しかし、マキアスには最近、ずっと心にかかっている事があった。一つは都市バルトムンクで再会する事が出来たアルフェの問題で、もう一つは親友のテオドールが抱える問題だ。どちらも、マキアス自身の問題ではない。だがマキアスにとって、それらははっきり言って、自分自身の事よりもずっと重要だった。


 何かとんでもない理不尽に巻き込まれているらしいアルフェのため、彼は強くなろうと思った。そのために、バルトムンクから帰ってからは、マキアスはずっと鍛錬に明け暮れている。そしてようやく手応えを掴み始めたと思った頃、今度はテオドールの様子がおかしくなった。

 テオドールのどこがどうおかしいのか、それを言葉にする事は難しい。長年の付き合いから、それを感じたと言うしか無い。それでも強いて表現するなら、テオドールはある時を境に、妙に明るくなった。

 真面目で責任感のある男だ。自身の境遇やそれに伴う義務について、うんうんと唸っているだけなら、心配であってもまだ納得が出来る。それなのに今は、何か良くない開き直りかたをしている感じがする。

 テオドールの変化の原因だけははっきりしていた。それは、最近帝都を騒がせている、選帝会議の噂だ。

 噂は噂でなく、もはや現実となっていた。間もなく、帝国民に向けた布告が正式に発表される事を、マキアスはテオドールから聞いた。

 これまで、遠く先帝の血を引くというだけでも、テオドールは騎士団で、怪しい輩に取り巻かれていた。実際に選帝会議が執り行われるとなれば、テオドールは本当に皇帝の有力候補になる。輩の数は、今までと比べものにならないほどに増えるだろう。


「マキアス、お前には帝都から離れて、ある任に就いてもらいたい」


 アルフェだけでなく、自分はテオドールのために何が出来るのか、何をしたら良いのか。それを考えていたところに、ヴォルクスのこの命令だ。神殿騎士として戸惑ってはいけないのだが、それでもマキアスは困惑した。


「それは……、どんな任務ですか、団長」

「重要な任務だ。――ちょっと待て」


 そう言うと、ヴォルクスは椅子から立って、マキアスの後ろの扉を閉めた。微妙に隙間が空いていたからだが、これはつまり、誰かに聞かれてはいけないという事なのか。


「これを言うのは、私にもためらわれるんだが……」


 いつもはっきり物を言うヴォルクスにしては、やけに慎重な前置きだ。マキアスは、嫌な予測が募るのを感じた。


「どうも、総長が不穏な動きをしているようなんだ」

「不穏……ですか。カール総長が……?」


 ごくりと、マキアスは喉を鳴らした。

 仮にも自分たちが所属する組織の長に対して、そんな表現を使うというのは、まさに穏やかで無い話だ。

 真剣な表情をしたヴォルクスは、以前の手紙を覚えているかとマキアスに問いかけた。


「前に、お前がバルトムンクから送ってくれた、警告の手紙だ」

「は、はい。総長がバルトムンク侯から、多額の資金を調達しているという……。――まさか、もしかして、総長はそれを、選帝会議のための根回しに?」

「……どうしてそう思う」


 もしや、選帝会議に向けて、総長が何か政治的な工作を行っているという事だろうか。

 マキアスは近頃テオドールに対して抱いていた心配を、ヴォルクスの今の言葉と結びつけたという訳なのだが、それを聞いて、ヴォルクスの碧い目が少し光った。その圧に押され、マキアスは慌てて言った。


「い、いえ、ただの推測です」

「……そうか、最近どうしてあんなに訓練に乗り気だったのか分からなかったが……、お前はテオドールの事を気にかけていたのか。相変わらず仲が良いな」


 ヴォルクスはヴォルクスで、マキアスの言葉から、近頃の彼が鍛錬に明け暮れていた理由を、テオドールを心配していたからだと受け取ったようだ。ヴォルクスは僅かに微笑むと、すぐに表情を引き締め直した。


「お前の推測は、多分正しい。だがマキアス、私がお前に頼みたい事は、その話じゃない。お前の手紙を読んでから、私も独自に総長の動きを調べてみた。そこで、もっと気になる事を知ったんだ」

「気になる事……ですか」

「皇帝選出のために、総長が動いているのは事実だ。しかしそれはまだ、教会の権威のためだと理解できる。……だが、こちらの話は、そうとは言えない」


 ヴォルクスはなかなか話の核心に触れようとしない。パラディン筆頭が口にするのをためらう事態とは、いったい何なのだろうか。マキアスが緊張に身を固くしていると、ヴォルクスはついに、マキアスに頼みたいという任務の内容を切り出した。


「総長には、陰で妙な連中を動かして、自分の不利益になるような人間を、実力で排除しているという疑いがある」

「妙な連中……?」

「そうだ。お前には、その件を調べてもらいたい」


 まるでその言い方だと、総長が裏で暗殺者でも使っているかのようだ。そんなまさかとマキアスは思った。確かに現総長は政治好きの人間だが、騎士道を重んじるべき騎士団の長が、いくら何でもそのような真似をするだろうか。暗殺者など、まるで時代錯誤だ。


「お前が考えている事は分かる。信じたくないという事もな。……だが、これは事実だ」

「……そんな」

「もっとも、総長が使っている連中も、神殿騎士団の一員である事は間違い無い。恥ずべき事だが、騎士団には昔から、そういう仕事をこなす部隊があったんだ」


 その部隊に名前は無い。しかし彼らは総長の手足となって、敵対者を闇に葬る。おとぎ話に登場する存在で、絶えて久しいと思われていた暗い伝統が、実際は連綿と受け継がれていた。ヴォルクスは自分が突き止めた秘事を、マキアスにも語った。


「そういうものが必要な時代もあったんだろう。だが、今はそんな時代じゃない。騎士団と言えど、帝国の法には従うべきだ。そうだろ?」

「はい」


 その問いかけには、マキアスもためらいなく頷いた。


「しかし、これを表沙汰にはしたくない。表に出れば、民の心はまた教会から離れてしまう。パラディン筆頭のくせに、情けない事を言うと思うかもしれないが……」


 ヴォルクスは弱々しく首を振った。総長と並び、騎士団の頂点に立つ彼にとって、このような醜聞が表沙汰になるのは、何としても避けたいというのが本音なのだ。

 大陸で最も強いと言われる彼ですら、一個の力ではどうにもならない事がある。マキアスが場違いな微笑みを浮かべたのは、自分がはるかに及ばない超人だと思っていたヴォルクスに対し、初めて親近感のようなものを抱いたからかもしれない。


「俺は、何をすれば?」


 だからマキアスは、そういう言葉を口にした。


「総長は今も、ある人物を標的として、さっき言った部隊を派遣している。少し前まで、総長はその人物の居所を探ろうとしながら、同時にその人物に似た人間にも刺客を放った。その結果、既にもう何人もの命が理由無く奪われている」

「俺に、それを防げと言うのですね」

「そうだ。お前は強くなった。難しい任務だが、今のお前なら可能だと思った」

「あ……」


 マキアスがヴォルクスに、こんなにはっきりと褒められたのも初めてだ。ありがとうございますという礼の言葉は、マキアスの喉に引っかかって消えた。


「その代わり、テオドールの事は私に任せろ。私が帝都に居る限り、あいつを妙な目には遭わせない」

「団長……」

「まあ、お前が帰ってくる頃に、あいつが皇帝になってしまう事も考えられるが、それは別に良いだろう? それで、お前たちの友情にひびが入る訳じゃない」

「ははは。……そうですかね」


 滅多に口にしないヴォルクスの冗談に、マキアスは声に出して笑った。

 だが、それはそうかもしれない。皇帝になろうが平民だろうが、テオドールはテオドールだ。ヴォルクスが守ると言うなら、テオドールの身の安全は保障されたも同じだ。マキアスは、一つ肩の荷が下りたのを感じた。


「現在、それで、総長が命を狙っているというのは――」


 そして、ヴォルクスは再び表情を切り替え、マキアスが守るべき人間を指示した。


「銀髪の娘だ」


 その言葉だけで、マキアスの時間は止まった。


「冒険者をしている、銀髪の娘。この条件に当てはまる人間の中で、一人だけがまだ、総長が放った暗殺者をかわして生き残っている。お前は陰から、その娘を守れ」


 マキアスが帝都に残していく妹の事も任せろ。総長がどうしてその娘を狙うのか、その理由もヴォルクスの方で調べる。マキアスが暗殺者を防いでいる間に、元の部隊を絶つ方法も考えよう。

 ヴォルクスが言ったそれらの台詞は、マキアスの耳から抜け落ちた。


「名前は」


 マキアスがようやく聞けたのは、それだけだった。


「アルフェ」


 マキアスにとって、大きな意味を持つその名を口にし、ヴォルクスは更に続けた。


「実は既に、総長がその娘を重要だと考える理由は、見当がついている。その娘は、今はアルフェと名乗っているが、本当の名前は別にある」

「ほん、とうの、名前……?」

「アルフィミア。彼女はラトリア大公の忘れ形見だ。彼女を殺す事で、総長に利益があるのかは分からないが、いずれにしても良からぬ事に間違い無い。だから、お前は彼女を守れ」


 命令は以上だ。ヴォルクスは言葉を句切った。


 マキアスは、アルフェのために強くなろうとした。偶然なのか、それとも運命なのか、そのアルフェのために戦えと、今の彼は命じられた。


「了解、しました」


 マキアスに、それ以外の返答の余地など無い。

 神殿騎士の職責にも、彼個人の誓いにも、この命令は見事に適っている。断る理由など存在しない。


「――了解しました!」


 マキアスはもう一度、大きな声で繰り返した。

 そんな彼を見るヴォルクスの優しい微笑みは、マキアスを励ますもので間違い無いはずだ。









 もしこの時、この部屋の中に他の誰かが居て、ヴォルクスの微笑みが嘲笑に見えると言ったとしたら。この後に起きる何かは変えられたのだろうか。


 だがこの時、この部屋の中には、彼ら二人だけしか居なかったのだ。

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